第 1 話
岐路の訪れ

 ――兄! 兄ってば!――
 ――もう、しっかりしてよね、おにーちゃん!!――


 未だ闇がその支配権を主張している明け方。目が覚めたは身を起こすとベッドの上に座ったまま、くしゃりと前髪を掻き上げて苦笑した。
「……先が思いやられるな……」
 久方ぶりに見た妹の夢。その原因は恐らく、この宿を経営する三人の子供のうちの一人・
 言動が似通っている彼女に妹の影を求めないように……いつまでも妹の代わりを探して埋まらぬ心の空白に振り回されないように。
 自立、しようと。
 今度こそと決意したのは、つい数時間前のことだというのに。
 ふぅ、と。大きく溜息をついて、ベッドから下りる。そのまま部屋を出て、向かいにある洗面所で手早く身支度を済ませて再び自室へ。ベッド脇の窓を大きく開け放って、外の空気を胸一杯に吸い込んだ。
「マントは、いらないか」
 朝方は冷えるものだが、季節が季節だ。それに長時間歩くのなら、防寒具は必要ないだろう。
 室内に視線を戻して備え付けのメモ用紙とペンを見つけると、それに筆を走らせた。
 一言、『散歩に行ってくる』――と。
 それをサイドテーブルの上に、この部屋の鍵を重石代わりにして置いて準備は完了。
 扉には向かわずに、開け放った窓の枠に足をかけて。
 そしてそのまま――何の躊躇もなく、二階の窓から外へと身を躍らせた。
 小鳥すらまだ鳴かない時分。静寂が横たわる薄闇に、羽音が響いて――消えた。


 白み始めた空の下、未だ眠りの中にある町を巡回するのが駐在軍人であるグラッドの日課だ。
 平穏を絵に描いたような町ではあるが、万が一ということもある。何かあってからでは遅い――と。欠かすことなく行っている巡回。
 今日もまた、人のいない町を歩き回って――いつもとは違うことに出くわした。
 ため池のほとりに佇むひとつの人影だ。
 年の頃は15・6といったところか。この町でよく騒ぎを起こしている悪ガキたちと近いように見える……少年、だろう。随分と綺麗な顔立ちではあるが……見覚えはないので、旅人か。
 何をすることもなく、ただじっと水面を見つめている。
 別に、その行動が悪いというわけではない。けれど、このまま立ち去るには――少年の横顔は、あまりにも切な過ぎた。
 世間話程度だけでも、話してみようか――と。
「……ッ!?」
 一歩踏み出して、息を呑んだ。
 それは、一瞬の出来事。
 微かな光を認識するか否かという間。見た全てを正しく理解できる頃には、頭部に白い翼を持つ浅葱色の体躯をした獣が、まるで少年を隠すかのようにしてグラッドとの間に立っていたのだ。
 明らかにこちらを警戒している、その鋭い眼差し。
「……フィル? どうしたんだ――あ……」
 獣の存在に、今初めて気付いたような反応を示した少年。彼は獣の先に軍人がいることにも気付いてくれたらしい。
 少年の呼びかけによって獣の視線が自分から逸れたことに息をこぼして、改めて少年へと近付いた。
「おはようございます」
「おはようございます。見回りですか?」
「ええ。どうかされたんですか?」
 軽く会釈して普通に返答してくれたことがグラッドに安堵を与えて、次の質問を躊躇なく口にできた。
「え?」
「先ほどからずっと、ため池を覗き込んでいましたけれど」
 質問の意図を計りかねている相手に、グラッドはそれを伝える。
 得心がいった少年は、再び水面へと視線を落として。
「ああ、自分の顔を見ていたんですよ」
 彼の口から出た言葉を――その意図を、理解するには多少の時間を要した。
 自己愛者――という言葉が浮かんだが、彼の様子を見る限りそれは違いそうだ。
 結局判断できずに、当人に聞き返す。
「……顔を、ですか?」
「はい。一卵性でもないのに、ひどく似ていた双子の妹がいたものですから。オレがこの顔ですからね、今でも似ていたんだろうな――と……」
 なるほど――と、思うよりも先。この言葉と、彼の表情と。
 覚えた引っかかり……その理由は、過去形。
「……妹さんは、亡くなられたんですか?」
 確認のための問い。少年は淋しげに笑って、フィルと呼んだ獣の頭を撫でる。
「ええ、病気で……10歳を待たずに」
「そうですか……」
 予想していたこととはいえ、掛ける言葉が見つからずに沈黙が支配する。
 安い慰めの言葉ぐらいならいくらでも言えるが、それには全く意味はない。
 少年自身が、慰められることを望んでいない……そう見えるから。
 若くは見えるが、随分と苦労してそうだ。フェアたちといい勝負かもしれない。
 そんなことを考えていると、少年は顔を上げて町へと目を向けた。
「ここは、いい町ですね。穏やかで、活気もあって」
「ええ、自分の自慢ですから」
 少年を倣い、グラッドも自分が守る町を見渡す。
 小さな騒動はあっても、特筆すべき事件はない。平和で、活気があって、人の温もりを感じることの出来る町。それがここ、宿場町トレイユだ。
 守りたい、と。心から思える場所。
「今まで見てきた中では、一番いい所かもしれない」
「そう言っていただけると、嬉しい限りですね。……若く見えますけど、冒険者ですか?」
「いいえ。ああ、でも、やってることは同じかもしれませんね」
 路銀を稼ぐには荒事が一番ですから。
 そう言って笑う顔は、見た目よりずっとたくましく見える。
「では、何を求めて旅を?」
「探しているものが、あるんですよ。もうずっと長いこと」
「そうですか……見つかるといいですね」
「ありがとうございます。それでは……」
 一礼して去っていく背を、グラッドはじっと見送る。その目は……少年よりも、彼の後をついていく獣へと向いていた。
 獣は恐らく召喚獣。となれば、あの少年は召喚師ということになる。
 その存在自体に問題はない。あるのは、その召喚方法。
 誓約済みのサモナイト石に魔力を注ぐことで、呪文を必要とせずに簡単な召喚術なら使用可能だ。それが通常の召喚方法。当然ながら、術者に『呼ぶ』意志があって成り立つもの。
 ――だが。
「さっきのは、どう見ても召喚したというより、勝手に出てきた感じだったよなあ……」
 そんなことがありえるのか――? 答えは、否。
 軍学校で習った知識では、そうとしか言えないのだが……
「一応、リシェルにでも聞いてみるか……」
 専門家の知識ではありえるのかもしれない。
 丁度やってきた子供たちに目を向け、一人呟いた。


「あんな親父なんかと一緒にするなっ!!」

 宿に着き入り口の扉に手をかけようとしたは、聞こえてきた怒声にその動きを止めた。
 あまり好ましくないタイミングで帰ってきてしまったようだ。揉め事の真っ最中らしい。
 聞こえてくるのは宿を経営している三人兄妹の長子・ライの声。自分の父親を否定するような言葉。
 変な懐かしさを覚えたが、今はそれはどうでもいい。
 このまま立ち聞きしてても仕方がないので、ひとつ溜息をついてから扉を開けた。

 ――カラン、カラン。

 来客を告げるベルの音が、その場の空気を裂くと同時にすべての注目を集めた。
 人目を惹くことを好まないは、眉根を寄せる。
「……何事?」
 状況を変えるために呟けば、真っ先にが動いてくれた。胸元においていた右手を下ろし、少しぎこちないながらも笑って口を開く。
「あ………………おかえり……」
「お、おかえりなさい、さん」
 フェアも妹に続いて笑顔で言い、ライは……我に返ったのか口を噤んで視線を泳がせていた。
 とりあえず二人に「ただいま」と返してから中へと進みつつ、一通り見渡す。
 口髭を生やした妙に偉そうにしている中年男性に、メイド風の女性、そしてフェアたちと同年代だろう少年少女が、それぞれに複雑な表情をしていた。
 軽く……それとは思われない程度の溜息をこぼして、迎えにか近付いてきたフェアへと視線を移す。
「え~っと……朝食って頼めるのかな?」
「あ、はい。今用意しますから、少し待っていてください」
 くるっと方向転換。食堂側のカウンターにある出入り口から調理場へとフェアが姿を消して。
「……ライ、私たちも手伝いに行こ」
 が兄を促し、二人もフェアの後を追った。
 店主たちが去って、ようやく初見の四人へと向き直る。
「それで、あなたたちは何者? 客には見えないけど」
「そういうおまえこそ何者だ」
 問いに問いで返された。
 先程の自分たちの遣り取りを聞いていなかったのか、素晴らしき洞察力の低さ。それとも敬語をやめさせたの対応に、何か別の可能性でも考えているのか。
 あからさまに溜息をついて、は答える。
「客ですよ。ここの泊まり客です」
「……この宿のオーナーだ」
「へえ……そう」
 こちらが答えたことで、中年男性は重い口を開くように言った。
 目を細めて眺めた後、にっこりと笑顔を向けてやる。そして。
「ひとつ、お節介をするなら、内輪の揉め事は外に届かないように、客がいない時にしたほうがいいですよ。悪印象を与えて客を逃がさせ潰す気だというのなら、止めはしませんけど」
 ついでに客の可能性がある人間に対してその態度は改めろ――とは、流石に言わなかったが。
 中年男性は絶句した後に気を取り直すように一度目を閉じて。
「……ふんっ、言われるまでもないわ。帰るぞ、リシェル、ルシアン」
 バサッ、と。大げさにマントを翻し、中年男性は扉をくぐった。しかし、名を呼ばれた二人の子供とメイド風の女性は動かずに留まっている。
 僅かな後、子供二人が口を開いた。
「あのっ……ここ、どうですか?」
「あんたも悪印象受けてさっさと引き上げる気?」
 一方は素直に、一方はひねくれて。けれど、どちらもここを――店主たちを想ってのものだろう問いに、は中年男性に向けたのではない自然な笑みを浮かべる。
「今のところ不満はないよ。それと、引き上げる気ならあんな嫌味言ったりしないさ」
 自分が宿泊する間、あの男性がここに来ないようにさせるために言ったのだから。
 二人の子供はの返答を聞いて、一瞬で安堵を浮かべた。根はどちらも素直らしい。
 視線をずらせば、離れた位置で女性も同じような表情でいる。
「オレは。まだしばらくはこの町にいる気だから、暇があったらオススメの場所とか案内してくれると嬉しいんだけどな」
「う、うん! 僕はルシアンです」
「あたしはリシェルよ」
「よろしくな」
 明るい表情で嬉しげに名乗って、二人は男性の後を追って店を後にした。最後に女性が一礼してから二人について行ったのを見送り、一人残されたは手近にある椅子に座る。
 静かな朝の食堂。テラス席のほうからは小鳥のさえずり、調理場のほうからは包丁や何かを炒める音が聞こえてくる。――穏やかな、時間。
「ここには、懐かしいものがいっぱいだな……良くも、悪くも」
 小さな、小さな呟き。周囲の雰囲気を崩すことなく溶け込んで消えた、その後。食器の鳴る音が耳をくすぐり、閉じていた目を開ける。
「お待たせしました」
 戻ってきたフェアが、持ってきた朝食をの前に並べてくれて。食欲をそそる香りが満ちた。
「ありがとう。ん~……いい匂いだ」
「ごゆっくりどうぞ」
「……フェーア」
 そのまま去ろうとするフェアを呼び止めた。彼女は「はい?」と接客用の笑顔で振り返る。
「フェアたちはもう済ませたのか?」
「いえ、これからですけど」
「なら一緒に食べよう」
 フェアには言っておきたいことがあったし、他に客がいないなら丁度いい。
 そう思って誘ったのだが、当然というかフェアは躊躇って。
「ですが……」
「どんなに美味しい料理でもな、一人きりで食べると味気なく感じてしまうものだよ。オレの我侭に、よければ付き合ってもらえないかな?」
 秘技・口説き落とし――というわけでもないが、この容姿を利用しての誘い文句ではある。
 女性の場合、母性本能をくすぐられるのか、大抵は断ってはこなくなるのだ。果たして、同年代には通じるのかどうかといったところだが。
 フェアは大きく目を瞠った後、思考を巡らせるように視線を泳がせて……別のテーブルにある使用済みの食器に目を留めた。
「あの、兄たちにも聞いてきます」
 そう言って返答を保留にし、使用済みの食器をトレイに載せて再び調理場へと姿を消した。
 やはり同年代には効果が薄かったか、と。は溜息をついて、大人しく返答を待つことにした。
 正直な話、本気でこの雰囲気の中、一人で食事は摂りたくはなかったのだ。ここは、あまりに似すぎているから。大勢の中で暮らしていた頃の、あのあたたかな雰囲気に。
「うわっ、最悪に情けねえ……今になってホームシックかよ……」
 戻らないと決めて旅立ったし、既にあの頃と同じ形ではどちらも残ってはいないだろう――そのくらいに、時は流れているというのに。
 これも、変われていない証か、と。
 本日何度目になるかわからない溜息をついた時、フェアが戻ってきた。その手には、一人分の食事。
「兄たちは、洗い物を済ませてから来るそうなので、わたしがお付き合いします」
「悪いな、無理言って」
「いいえ」
 フェアが席に着くのを待って、揃って「いただきます」と言った。そして、まだ湯気の立つスープを一口含む。あたたかな、懐かしさを感じさせる味が口内に広がる。
「ん。美味しい」
「そうですか……よかった♪」
 本当に嬉しそうに笑ったフェアを見て、にも笑みが浮かぶ。
 とりあえず、空腹を満たすためにある程度食事を進めてから、頃合を見計らって本題を口にした。
「ところでさ、フェア」
「はい?」
「それ、やめないか?」
「それって……」
「敬語と『さん』付け」
 案の定というか、フェアも素直に頷いてはくれなかった。かなり戸惑った表情を向けている。
「え……でも……」
「オレ、年上に見えるか?」
「……見えません」
「うん」
 訊けば素直な答えが返り、満足げに頷く。――本心を言えばかなり複雑なのだが、事実は事実なのだから仕方がない。
「年下とか同年代に敬語って使いづらいだろ? 確かに客と店主ではあるけどさ、オレがいいって言ってるんだし。体裁が気になるなら、他に人がいない時だけでもいいから」
 まだ納得できてなさそうにしている彼女に、はスープを飲みながらもう一押し。
「ちなみに、は昨日の内に了承してくれたぞ」
 味方の消滅は即ち断る理由の消滅。
 うにゅ~……とでも言いそうな感じにしばし悩んだ後、フェアが口を開いた。
「どうして、ですか?」
 ぶっちゃけて言えば、やりにくそうにしていたのが気になったから。よりはマシでも、やはり慣れていないというのが簡単に伝わってきてしまうようでは、気にせざるを得ない。
 ……けれど。
「しばらく世話になるんだし、やっぱり『帰ってきた』って思えたほうが安心できるじゃないか」
 相手の欠点を指摘するよりも、自分の望みだと伝えるほうが効果的。
 そう思って言ったのに、何故かフェアは目を瞠ったまま固まってしまって。
 予想外の反応にどうしたものかと考え出した頃、不意にフェアは微笑んだ。そして。
「わかったよ。これからしばらくだけど、よろしくね。
 自然な笑顔、自然な言葉でそう返してきて――も自然と笑みを浮かべた。
「ああ、よろしく。フェア」
 その後、やってきたライとも交えて、他愛ない会話をしながら朝食の時間を過ごした。
 とても、懐かしい気持ちを抱えながら……



「あ、そうだ! さんも誘わない?」
 リシェルの提案で、町の外にある星見の丘へ行くことになった夕方近く。支度しに行っているライとを待つ間に、思い出したようにルシアンが言った。
「オススメの場所、案内してほしいって言ってたしさ」
「あ~、そういや言ってたわね。そんなこと」
「二人共、と話したことあったの?」
「うん。フェアさんたちが、さんの朝食作りに行ってる間に」
「ああ……なるほどね」
 初耳の事実に納得するフェア。けれど、すぐ後には小首を傾げて考える仕草。
「でも、今いないはずだよ」
「そうなの?」
「うん。朝食の後、今日は町の外に行くからってお弁当作ってあげて、それ持って行ったっきり。まだ帰って来てないよ」
「なーんだ、残念……」
「つーかさ、それ、食い逃げならぬ泊まり逃げだったりして」
 素直なルシアンとは対照的に、リシェルの口から出てきたのは不吉というか失礼極まりない言葉。
 いつものことなので大して気にもせず、ぱたぱたと片手を振って否定する。
「ないない。、一週間分の宿泊料先払いしてるもの」
「あら、そう」
「……何、その残念そうな声は? リシェルにはがそういう人に見えてたワケ?」
「可能性の話よ、可能性の! 人は見かけじゃわかんないじゃない? メチャクチャ人当たりがいい悪人だって、いるかもしれないじゃないの」
「あのねえ……」
「ねえさん、フェアさんたちが心配なら素直にそう言えばいいのに……」
「うるさい!」
「あたっ!」
 照れ隠しに弟を叩くリシェル。いつも通りのその遣り取りにリシェルの心遣いも相俟って、フェアの顔には自然と笑みが浮かぶ。
はそんなことする人じゃないから大丈夫だよ」
 口から出てきたのは、確信の言葉。自分の行動にフェア自身驚きがあったりしたけど。
 はきっと、淋しい人。人のぬくもりを……家族を求めている人。
 今朝話してみて、そう思ったから。
 だから大丈夫。淋しさを素直に表わせる人は、人を騙したりはしないと思うから。
「おまたせ~♪」
 明るい声と共にやってきた兄妹を認めて、フェアはリシェルたちに笑いかけた。
「さ、行こ。もしかしたら、外で会えるかもしれないしさ」
「――うん!」
「そうね」
 二人も笑顔で答えてくれて――五人は星見の丘へと向かった。


 ――プツッ、パラ……

「あー……」
《どうした?》
 気が抜けたような呟きに、浅葱色のフラップイヤー・フィルが振り返って……理解したらしい。
《随分長い間使っていたからな、擦り切れたんだろう》
「だろうな」
 心に伝わってくる彼の言葉に同意を返して、ほどけた髪を梳くように掻く。すると、引っかかっていた切れた髪紐が地面へと落ちた。
《どうするんだ?》
「んー……」
 とりあえず、フィルの足の下で気絶している無法者を縛り上げながら考える。
 この無法者たちが持っていた金品と、こいつらを引き渡した際に受け取る謝礼とで、路銀には余裕ができるだろう……けれど。
 よく靴紐が切れたり愛用の陶器が割れたりするのは、不吉なことが起こる前兆だというが、髪紐でも当てはまるのだろうか。
 何となく思い浮かんだことを、すぐに否定した。過去二度、世界の命運を懸けた戦いに巻き込まれたが、どちらの時もそんな前兆などありはしなかったからだ。
 ただの自然現象と結論付けて、魔力で空間を繋ぎ宿に置いてきたマントを呼び寄せる。
「丁度いいからやることさっさと片付けて、買い物してから帰る」
 マントをつけフードもしっかり被ってから、はもう一度召喚術を使用した。

 やるべきこと、即ち、探し物とは別にあるもうひとつの旅の目的を、とりあえずは済ませた後のこと。
 閉店間際の雑貨店に滑り込んだは、ざっと目を通して適当な長さの髪紐を見つけるとそれを手に取った。
「これでいいか」
「こっちのほうが似合うわよ♪」
 そのまま会計へ向かおうとした目の前に差し出されたのは、青いリボン。それを手ににこやかな笑顔を向けているのは、己の良く知る者――翼こそ消しているものの、彼女はサプレスにいたはずの光の賢者。
「エル……オレはこっちでいいんだ」
「ダメ。って身形に無頓着なんだもの。折角綺麗な顔してるのにもったいない」
「……嬉しくない」
「ねえ、店員さんもこっちのほうがいいって思いますよね?」
 げんなりと呟くを完全に無視して、エルは店員に同意を求める。すると、すぐさま「ええ、よくお似合いですよ」との言葉が返ってきた。……完全に女だと思われている。
「……だから」
「ちなみにこっちも似合うと思うのだけど、どっちがいい?」
 そう言って見せられたのは、派手な花が大量についた髪飾り――紛う方なき女物。
 何が何でも買わせたいものがある時は、必ず究極の二択を迫ってくるのがエルの手法。どちらも選ばなかった場合は両方買わされるので、絶対に選ばなければならないという悪魔的手口。
 今着ている服も、そうして買わされたものだということは余談として。
「……リボンでいい……」
 肩を落として諦めの極致で最も被害の少ないほうを選んだに、エルは嬉々として店員の元へと会計に行った。
 結局、服に合わせて青と白、それと緑に赤に黄色と計五本も買うことになってしまったのだった。
 ピンクがないだけマシだと思おう、と。半ば自棄になっていたに店員は追い討ちをかけた。
「これはサービス品になります。どうぞ、お持ちください」
 営業スマイル全開で差し出してきたのは、手の平サイズの犬のぬいぐるみ。即答で断ろうとしたを押しのけて、エルが満面の笑顔で受け取って。
「どうするんだよ、そんなもの」
 反論する隙を与えられぬまま引きずられるようにして後にした店の外で、がエルを睨みつける。
 エルは慣れたもので、の眼力などどこ吹く風。しれっと答えた。
「この町を去る時にでも宿屋の人にあげればいいじゃない。確か女の子が二人いたでしょ?」
「……どっちに?」
「そんなの、が決めなさいよ」
 強制的にぬいぐるみを押し付けて、エルは買った白いリボンを早速使い髪を簡単に結ってくれた。そして「じゃあね。おやすみ」と言い残し、再びサプレスへと帰っていった。
 リボンを買わせるためだけにやってきたエル。もう毎度のことなので、ただただ嘆息するしかない。
 一人残されたは、手に持たされたぬいぐるみに目を向けて――もう一度嘆息。それから宿へと戻った。

「あ、おかえりなさいませ、さん」
「あ~……と、今朝の……」
「はい。この町の名士・ブロンクス家のメイドで、ポムニットと申します」
 思い掛けない人物に迎えられ、は面食らう。
 メイドの女性・ポムニットは人懐っこい笑みを浮かべて、慣れた様子でカウンターから出てきた。
「ライさんたちはおじょうさま方とお出掛けになられましたので、わたくしがお店番をさせていただいてます。すぐにお食事になさいますか?」
「あー……うん、そうしようか」
「では用意いたしますね」
「頼むよ。オレは荷物を部屋に置いてくるから」
 部屋へ戻ってマントと剣、そしてぬいぐるみを置いてから食堂へと戻る。既に準備を整えてくれていた席へと着くと、ポムニットが近付いてきて。
「すみませんが、わたくし、お屋敷に戻らなければなりませんので、これにて失礼させていただきます。使い終えた食器はそのままにしていただいて構わないそうですので」
「わかった。ありがとう」
「では、失礼いたします」
 一礼して去るその背を、見送ろうとしたけれど。
「……待った」
 また、呼び止めてしまった。
 の時といい、この場所ではどうにも自分自身予測しない行動を取ってしまう。
 まあ、今回は理由がはっきりしているからいいのだが。
「なんでしょうか?」
「君は……今に満足しているのか?」
 振り返った彼女に、そう問いかけた。
 ポムニットは一瞬きょとんとした後、すぐに笑みを浮かべた。
「はい。わたくし、おじょうさま方のお世話をさせていただけていること、とても幸せに感じています」
 偽りも飾りもない言葉と笑顔。
「そうか……悪かったね、変なこと聞いて」
「いいえ。それでは、おやすみなさいませ」
「ああ」
 今度こそ本当に見送って……食事へと手をつけたの心は、不思議と満たされていた。
 全体を見れば間違いだとしか思えなくても、こうして一欠片でも知ることができれば……まだ、希望は持てるから。
 望まずして与えられた力にも、少しは意味を見出せるから。
 小さな、小さな希望の灯火を感じながら食事を終えて、食器を一応まとめてカウンターへと置いたその時。ベルを鳴らして扉が開けられ、店主たちが帰ってきた。
「おかえり」
「「「 ……ただいま 」」」
 僅かな後、三人は揃って返答した。
 呆気にとられたような表情なのは、まさか自分が迎えるとは思っていなかったからか。それは自身にも言えることなのだが。
「……入らないのか?」
 何故か入り口で固まってしまっている三人を目を細めて眺めた後にそう言うと、彼らは呪縛が解けたように動き出して、扉は閉じられた。
「えっと……ゴメン、留守にしてて」
 詮索は自分がされたくないので、他人にはしないようにしている。あえて何も言わずにいると沈黙に耐えかねたのか、フェアが口を開いて。は少しだけ笑う。
「構わないよ。オレも少し前に帰って来て、今夕食済ませたところだし」
「あ、だからここにいたんだ」
「ああ。夕食も美味しかったよ。出来立てが美味しいのは当然だけど、冷めても美味しい料理を作れるっていうのはかなりの腕前だな」
「そ、そうか?」
「えへへ……」
 素直な賛辞を受けて照れ笑いをするライとフェア。そんな二人をは誇らしげに見つめていた。
 年相応の、仲の良い兄弟たち。
 どこか懐かしさを感じるような微笑ましい光景なのだが……気になるモノがひとつ。
「ところでさ、その腕に抱えてるモノだけど……」
「あっ、こ、これはっ!」
 その話題に触れると、途端にひどく焦りだす三人。としても詮索する気はなかったのだが、先程からずっと見つめられていては触れざるを得なかった。
 三人の腕にそれぞれに抱えられている、三匹の竜の子供に。
 どう見ても生まれたての子供。何も知らない無垢な三対の瞳には、不安などの負の感情は映っていない。それはライたちに対しても、そしてに対しても。
 真っ白な子供……けれど、まとう魔力は普通の子供が持つものではない。
 溜息をひとつこぼして、一番近くにいたライの抱えている青い竜の子供を覗き込んだ。
「随分と珍しいものを拾ってきたな。至竜の幼生体と、は――ッ」
 言葉は最後まで続かず、息と共に飲み込まれた。
 ――キィン、と。耳鳴りのような音が、頭に響いたから。
 そして、山彦のように谺する声、声、声。
「く……ッ!」
!?」
 堪らずその場に膝をつき頭を抱えた。
 救いを求める声。警告を発する声。力を請う声。助力を拒否する声。
 幾重にも響くそれらは、完全にの思考力を奪い去って。
「うる、さい……ッ、同時に喋るなッ!!」
「うわっ!?」
 一度、全てを追い出す以外に、自分を保てる方法など思いつかなくて。防衛本能の働くままに、魔力を解放してしまった。
 きちんと形にせずに魔力を放出するのは、かなりの疲労を催す。
 身体を支配する脱力感に抗いながら、上がった呼吸を整えようと努力する。
「だ、大丈夫、……?」
「ああ……ライは、なんとも、ない、か?」
 覗き込んできたフェアに笑いかける気力はなかったが、何とか言葉だけは紡いでライへと目を向けた。恐らく魔力解放による衝撃波を一番まともに食らってしまったであろう少年へ。
「オレは、平気だ……」
 条件反射、だろうか。竜の子を守るようにしっかりと抱いて、驚きを刻んだ表情のままライは頷く。
 安堵の息をついて、どうにか呼吸が整ったところでは立ち上がった。四肢に力が上手く入らず、多少よろめいてしまう。
「一体、どうしたんだ?」
「……悪い。話は、明日でいいか?」
 説明を求める三人に目を向けることなく聞いた同意。それはほとんど否を認めぬ形。
 話せる内容ではないことは事実だが、今は本気で説明していられる余力はなかったから。
 彼らにもそれは通じたのか、静かに同意を示してくれて。
「ピィ……」
 踵を返しかけた足を止めた、不安そうな鳴き声。
 振り向けば、ライの腕の中にいる青い竜の子のみならず、フェアが抱える桃色の子もが抱いている緑色の子も、心配そうな瞳を向けてきていた。
 ふっ、と。は苦笑して、青い竜の子の頭を一撫でする。
「おまえたちのせいじゃないから、そんな顔するなって。オレは、大丈夫だよ」
 最後にそう言って、今度こそふらつく足を叱咤して部屋へと戻った。

 妙に長く感じた廊下を抜け、部屋に辿り着くなり明かりもつけずにベッドに倒れこむ。
「……なんだよ?」
 不機嫌さも露に、小さく呟く。すると、すぐに返ってくる言葉――それは、先程幾重にも響いた声の内のひとつ。
 警告を、発する声。
「……今更だろ……」
 眉間に皺を刻み、は仰向けになった。そして、闇に沈む天井を……その先に在る空間――その存在を睨みつける。
「オレは、オレの望むままにしか生きない。おまえたちの指図は受けない。こんなオレを……誓約者にしたのはおまえたちだ」
 召喚術など使えなくていい。世界の運命を左右する力など欲しくない。
 あの時、確かに自分はそう望んだのに。
 その意志を無視して力を押し付けたのは、全ての生命、全ての力の源たる世界の意志――エルゴだ。
 ――だから。
 はエルゴの想いなど聞きはしない。
 押し付けられた力をどう使おうが自由だ。
 それが、の意志。
 頑なにその意志を貫けば……やがて声は、消え去った。
「……知るかよ、おまえたちの望みなんて……」
 嫌悪感を込めて呟いたのを最後に、は襲いくる睡魔に身を委ねた。