第 2 話
茨への道

「ああぁぁああーっ!?!?」

 その日、は大きな叫び声で目が覚めた。
 起き上がった姿勢のまま、しばらくベッドの上で座り込んで。
「……なにごと……?」
 呟いた声には、寝惚けの色が濃く滲んでいた。


「悪かったな、夕べは……」
 早朝、ライの部屋を訪れたルシアン。扉へと伸ばしていた手は、中から聞こえた家主以外の声によって止められた。
「けど、あなたの想いは確かに受け取ったよ」
 声は、のもの。
 誰かと話しているようだけど、相手の声は聞こえない。――というより、いないと思うのだが。
 玄関が開いていたということは、ライたち三人はミントの家へ行っているはずだから、他に話をできるような相手はいないはずだ。夕べ、新たに宿泊客が来ていたとしても、ライの部屋で話しているのはおかしい。
「オレは、あなたが期待しているような人間じゃない。だが、残された者の気持ちは知っている」
 首を傾げたルシアンは、薄く開いていた扉の隙間からそっと中を窺った。
 見えたのは、床に敷かれたマットレスの上に座り、眠っている竜の子供を優しく撫でているの姿。――他に人影は、ない。
「だから、こいつらは守るよ。こいつらが、自分の道を自分で決められるようになるまでは、な」
 でも、は話す。見えない誰かに、話しかけている。
 それは、本当に姿なきモノなのかもしれない。
 と、竜の子供たちとが、淡い虹色の光に包まれていて……不思議な、光景。
「あなたに、エルゴの祝福を……」
 何かを差し出すように、が軽く片手をあげた。それが、合図。光は徐々に薄れていき、ひとつの球体になって……最後の、輝きが。上へと、昇っていった。
 光を見送って、再び竜の子供へと目を落とした
 その顔は、どこか苦しさを含んだような笑みで。
「残された者は、いつも苦労するな。けど……残して逝く者も、同じくらい辛いのかもしれない」
 独白。
 今度のは、話しかけるというより独り言に聞こえた。事実そうなのだろう。
 はまた天を仰いで。
「おまえも、そうだったのか? なあ…………」
 泣き出しそうな顔で、呟いた。
 泣きたいのに泣けないような……泣くのを堪えているような……その姿は、あまりにも切なくて。
 見ては、いけないものを……見てしまった。そんな気分になってしまい、ルシアンは部屋に入ることができなくなった。
 このまま立ち尽くしていても、色々とマズイ。少しその辺を一周して時間を潰してこよう――と。思った矢先のこと。

 ――ギイィ……

「わっ!?」
 大失敗。
 扉に触れてしまって動いた金具が、静寂に不似合いな音を響かせた。
 悪戯が見つかってしまった子供のようにその場で硬直しているルシアンの目に、少しだけ驚いた表情のが映る。――目が、合った。
「ルシアン……このコたちの様子を見に来たのか?」
「う、うん……」
 ルシアンが口を開くよりも先、驚きを微笑みに代えたが問いかけてきて、素直に頷く。
 立ち聞きしてしまったことに関して触れられなかったことに安堵したのも束の間。
「じゃ、バトンタッチ」
「え?」
「オレ、もう一眠りしたいから。交代」
「あ、うん。わかった……」
 扉のところですれ違うその時、軽く肩に手を置かれた。――その、瞬間。
 言葉にできないあたたかさが、胸に溢れた。
 意味もなく泣きたくなるような、懐かしくて、あたたかくて、優しい……そう、まるで幼い頃、母の腕に抱かれていた時のような――
 何故、どうして。そう疑問を浮かべることすらできないほどに心を占めていた想いだったけれど。
「それと、オレがここにいたこと、ライたちには内緒にしてくれな」
「――え? どうして……」
「いくら同性とはいえ、黙って入ったなんて知れたら流石に怒られるだろ?」
「って、無断だったの!?」
「だって、オレが来た時既に誰もいなかったし。じゃあな、オヤスミ」
「お、おやすみ……?」
 しれっと言い訳じみたことを口にして、軽く片手を振って去っていく背を見送るルシアンの頭には、何だか体よく逃げられたような気持ちしかなかった。
 先程感じたあの不思議な気持ちは、抱いたことすら覚えていないかのように綺麗になくなってしまっていたのだった。


 深く深く沈んでいた意識を、呼び覚ます何か。
 目を開けても、周囲には誰もおらず、己を呼ぶ声も聞こえはしない。けれど、確かに何かが眠りを妨げている。
 訝しげに眉根を寄せると、感覚の示すままに窓辺へ寄ってみた。――と、窓の外ではフェアたちが丁度出かけていくところで。
 ――ザワッ、と。
 魔力が、乱れる感覚。これは――
「だ、ダメだ……今は、まだ……ッ」
 いくらかの力が己の内より引きずり出される感覚に、は必死で抗う。だが、既に外へと出てしまった力は、もうどうすることもできないまま消えてしまって――
 そして、至竜の能力を使ってフェアたちの後を追っていく竜の子供たちの姿が……暗闇にとけて消えた。


? ここに竜の子、来てない?」
 ノックと共に声を掛けてみたが、返事はない。
 オーナーに呼び出されてブロンクス邸へと赴く前、夕べのことも気になったのでフェアは様子を見にきていた。その時はまだ眠っていたので、今もそうなのかもしれない。そうは思ったが、一応中を覗いてみることにする。
 出かけている間にいなくなってしまった、竜の子供たちを捜す意味合いも含めて。
 ――けれど、目に飛び込んできたのは、予想だにしなかった光景だった。
!?」
 部屋の主はベッドの上ではなく、窓辺に倒れ伏していたのだ。
 フェアは慌てて駆け寄り、その身体を助け起こして呼びかける。
! しっかりして、!」
 軽く頬を叩いて呼びかけること、しばし。小さな反応を示した後、うっすらと目が開いた。
「う……フェア?」
「うん、わたし! 何があったの?」
「あいつら……早く、追ってくれ……」
 彼自身のことを聞いたはずなのに、返ってきたのは関係あることなのかわからない内容。
 もしかしたら、まだ意識がはっきりしていないのかもしれない。
 その確認のためにも、フェアは更に問いかける。
「あいつらって、誰のこと?」
「あの、至竜の子供たち……フェアたちの後を、追っていった……」
「え!?」
「早く、見つけてくれ……あのままじゃ、長く……保たな……」
「どういうことなの、!?」
 思いもかけずに得た情報。それは、どこか不安を煽る内容で。
 問い質すように再度訊ねたが、答えは返ってこなかった。
 固く閉ざされた双眸が開くことはなく、腕に増した重みに意識を手放した事実しか知ることはできなかった。
「フェア、あのコたちどこにも見あたらないわよ――って、どうしたの、そいつ」
 他の客室を見て回っていたリシェルが顔を出し、怪訝に問いかけてきたが、フェアは首を横に振ることしかできない。
「わからないよ。でも、あのコたちは外へ出たって」
「早く捜さなきゃ」
「うん……」
 から得た情報には、リシェルも顔色を変えて……少し焦りを見せる彼女とは対照的に、静かに頷いたフェア。
 深い眠りに落ちてしまったの身体をベッドに横たえて、後ろ髪を引かれる思いを残しながらも竜の子供たちを捜すために街へと向かった。


 複数の人の気配と話し声――捉えた感覚に、は無理矢理意識を浮上させた。
 現実に戻って真っ先に見えたのは、心配そうに自分を見下ろす馴染んだ顔。
「エル……」
「大丈夫?」
「ああ……大分、マシにはなった」
 エルの助けを借りて、身体を起こす。だるさは残っているものの、動けないほどではなかった。
「そう……宿の人たち、戻ってきてるみたいよ」
「わかってる」
 頷き、視線と共にエルへと手を差し伸べた。彼女は溜息をこぼして苦笑する。
「もう、しょうがないわね」
 伸べられた手を取って、そのまま姿を消すエル。同時に感じる、己の内にある確かな存在感と――消えた倦怠感。
 憑依したエルの能力で一時的に体調を戻し、急いで窓を開け放つ。
 丁度見下ろすことのできる店の入り口付近では、意識を失う前に見たのと真逆の光景――即ち、人型から本来の姿へと戻る至竜の子供たちが……
「――!」
 やはり呑気にしていられる時間などなかった。
 すぐさま窓から外へと飛び出した。何の躊躇もいらない。地面に激突するようなことがないのは知っているから。
、危な――ッ!?」
 ――バサッ、と。己のすぐ後ろから聞こえる羽音も、独特の浮遊感も、既に馴染みのもの。
 慣れた調子で着地を決め、驚愕に包まれている一同に構うことなく、が抱えている桃色の竜の子供に手をかざしてその容体を調べる。
 案の定、心配していた事態が起こっていた。
 小さく舌打ちすると、の隣に立つ軍人が抱えている二匹にも手を伸ばして数秒。何かを引き抜くような仕草で、三匹の中に僅かに残っていた奪われた力を引き剥がして己の内へと戻す。
 その上で、再び容体を診たが……
「やっぱり、ダメだ……」
 体を蝕んでいた力は取り除いたが、やはり消耗が激しすぎる。
 手っ取り早く回復させるには、消耗した分の魔力を補ってやるのが一番なのだが――その余力はない上に、竜の子供たちにとって今の自分の力は害にしかならない。
 そのことを、よく……知っていたから。
「ダメって……どういうこと!?」
「ミントのところへ連れて行け!」
 昨日の早朝、地理を把握するために行った散歩で見つけた者。
 面識はあるが、会ったのは一度きり。言葉を交わしたこともないけれど……きっと大丈夫。護衛獣と信頼関係を築けているのなら。
「今のオレよりは適切な処置ができるはずだ!」
「う、うん!」
「エル、おまえもついていってくれ」
 頼みに答えて、エルが憑依を解く。
 戻ってきた倦怠感に軽く顔をしかめたのを見咎め、エルが確認してきた。
「いいけど、は一人で平気?」
「ヤバかったらフィルを呼ぶよ。頼む」
「わかったわ」
 エルは両手を伸ばし、竜の子供たちを全員抱きかかえた――刹那。淡く光を放つ球体へと姿を変え、竜の子供たちを包み込んだ。
「わあ……」
「エルが消耗を防いでくれてる間に、早く!」
「う、うん! ありがと、!」
「ポムニットさん、のこと頼むよ!」
「おまかせくださいまし!」
 慌しく走り去る背を見送って、長く息を吐き出す。
「大丈夫ですか?」
 ライの頼み故か、それとも元々の彼女の性質か。
 心配を顔に書いて覗き込んでくるポムニットへ、何とか笑みを向けることに成功した。
「ああ、問題ないよ。体調が優れないのは、空腹の所為でもあるだろうしな」
「あ! 確か、朝から何も食べていらっしゃらないんでしたね。何か温かい飲み物でも淹れましょうか?」
「頼んで、いいか?」
「はい、かしこまりました♪」
 心からの笑顔を向けれくれる彼女と共に、とりあえずは宿の中へと戻った。
 出掛けることになるのか、それとも帰りを迎えることになるのか。それは、エルからの連絡によって決まることだから。
 それまでの間、少しでも体調を戻しておくために……


 いきなり竜の幼生体を連れて駆け込んできたたちに、ミントは驚いた。けれどもっと驚いたのは、彼らと共にエルエルがいたことだ。
 滅多にお目にかかれる召喚獣ではない上に、派閥にある書物にすら載っていないような能力を有している彼女。それは、召喚主の能力の高さをも表していることでもあり、その事実はミントの脳裏に一人の人物を思い起こさせた。
「ところで、このエルエルさんは誰が呼んだの?」
 一通りの手当てと説明を終えた後、そう聞いたのは確かめたかったから。
 きょとんとして顔を見合わせた子供たち。代表して答えたのは、ライ。
「誰って……だけど……」
「本当に? 本当にこの町にいらっしゃるの?」
「い、今、オレたちの宿に泊まってる、けど……ミントねーちゃん?」
「本当なのね……」
 多大な期待から出た予想が現実だったことが本当に嬉しくて、湧き上がってくる喜びのままに顔を緩ませた。
「あの、ミントさんと彼はどういった関係なのでありますか?」
 控えめなグラッドの質問で我に返り、ようやく皆が不思議そうに疑問符を浮かべているのに気づく。
「あっちは呼び捨てで、こっちは敬語って……普通逆よね?」
 続いたリシェルの疑問に、少しはにかむように笑って。
さんは、私の憧れの人なの」
「――は?」
「直接お会いしたのは、聖王国にある蒼の派閥の本部で、たった一度きりだったけど。先輩から偶然お話を聞くことができて……もう一度お会いしたいと、ずっと思っていたのよ」
 噂は、それとなく聞いていた。人の口に戸は立てられないとは言うが、当時は傀儡戦争直後で派閥内も乱れていたから。
 だから……だからこそ、なのだろう。
 本当に、自分が真実の一片を知ることができたのは、偶然だったのだ。
「ミ、ミントお姉ちゃんにそこまで言わせるなんて……」
「そんなにすごい人なの?」
「あら。彼女、エルエルさんは、光の賢者と呼ばれるサプレスの高位召喚獣よ。相当な魔力の持ち主じゃなければ誓約なんてできないわ」
 既に自分たちの目の前に、彼の人の能力を顕現する者がいる。
 そう示されても、やはり簡単には信じられないようで、皆天使をまじまじと見つめていた。
 失礼と言えるほどに見つめられている当人は、しれっとしたまま目を逸らして話に加わろうとはしない。……寡黙なところは、主に似ているようだ。
「ひょっとして、召喚獣が自ら召喚師の側に来たような召喚方法をしたりもしますか?」
「え……? 昨日、グラッド兄ちゃんが言ってた旅人の少年って、のことだったの!?」
「ああ、間違いないよ」
「って、本当にそんなこと可能なの? ミントさん」
 ありえない、と。そう顔に書いてあるようなリシェルに、ミントはにっこりと笑って見せる。
「私が憧れる気持ち、わかってもらえたかな?」
 あえて可能だとは明言しない。その必要はないから。
 それぞれに事実に思いをめぐらせて、様々な理由で溜息をひとつ。
「と、とりあえず、オレたちは帰るよ」
「ええ。また何かあったら、すぐに連れていらっしゃい。それと、さんによろしく伝えておいて」
「うん、わかった……」
「ありがとう、ミントお姉ちゃん」
 竜の子供たちを連れて帰っていく子供たちを見送り、室内にはミントとグラッド、そして天使が残った。
 ややあって、グラッドが呟く。
「……信じられません。ライたちと年の変わらない少年が、そんなにすごい召喚師だったなんて……」
 事実を事実として受け止めてはいるものの、気持ちとしては夢現といった様子。
 それは自分にも覚えがあることなので、ミントは静かに微笑んだ。
「私も初めて知った時は似たようなものでしたよ。でも、見た目と実力は別物ですから。それにあの方は――」
「信じる信じないはおまえの自由。誰がどう思おうとの価値は変わらない。を想うのなら、余計なことは喋るな」
 ミントの言葉を遮って、それまで黙っていた天使が言った。
 その、天使のものとは思えない、どこかトゲのある言葉に驚く。
「おまえが憧れを抱くのも自由だが、それによっての望まぬ事態を導くのは許さない」
「……あの方の、望まれない事態って……何ですか?」
「言ったはずだ。余計なことは喋るな、と」
 それだけ言うと、天使もまた帰っていった。
 忠告をするためだけにこの場に留まっていたとしか思えない彼女。
 呆気に取られてしまったのは、グラッドもミントも同じだった。――けれど。
「え~……っと……なん、だったんでしょう?」
「さあ……私にもわかりません。でも、あの方については喋らないほうが良さそうですね」
 わざわざ受けた忠告を無視するつもりはない。
 ミントはただ静かに笑みを刻んで、天使の去ったほうを見つめた。


 ――どうして、こう……当たってほしくない、良くない予想ばかりが当たるのだろうか。
 ミントのことが然り、町に入ってきた鎧の集団が然り。
 ポムニットが淹れてくれたお茶を飲んだ後、まともに支度していなかったのを思い出して身支度を整えた自室にて。エルが送ってきたミントたちの会話と上空からの偵察結果を聞いて、は嘆息した。
 やはり、ただ帰りを迎えるというわけには、いきそうにない。
《茨の道が好きだな、おまえは》
 呼ぶまでもなくやってきたフィルの第一声。
 は剣を手に取り、苦笑した。
「さて、これは性分なのかな? 出来ることがあるのにしないっていうのは、どうにも気分が落ち着かなくてな」
《……苦労性》
「それは否定させてもらうぜ」
 そこまで几帳面じゃないさ。
 肩をすくめて言い、フィルの背に乗って――再び窓から外へと飛び出した。
 あまり高くは飛ばず、直進できる程度の高度でフィルは飛んだ。道形に行くよりも当然早くに着けはしたが、既に戦闘は始まっていた。
 敵の数は8人、対してフェアたちは5人。数としては、勝てないこともない。だが――やはり、実力に差が出てしまう、か。
 5人いるとはいっても、恐らくは実戦経験がないに等しい子供だ。敵は……正式に訓練を受けた兵士と見受けられた。
 子供対大人。素人対玄人。そして、守る側と攻める側。召喚術が使えるようだが、それでも不利なことに違いはなかった。
「フィル」
 声に応え、急降下。
「フェアッ!! 避け――」
 叫ぶの横で地面を蹴って、水平移動。少し手前で急停止するフィルの背から飛び降り、慣性の法則を利用して、フェアに斬りかかろうとしていた兵士の剣を受けると同時にそのまま押し返した。
!?」
 驚いたフェアの声。はそれには答えず、自分が吹き飛ばした兵士の動向に注意を向けたまま、隣に並んだフィルへと声を掛ける。
「……フィル、無理はするなよ。おまえ、戦闘向きじゃないんだから」
《それは俺の台詞だ》
 普段通りの可愛げのない返答に、は薄く唇に笑みをはいた。
 それが不敵な笑みにでも見えたのか、それともライたちの傷を簡単に癒してしまった召喚獣を警戒しているのか。兵士たちは一定の距離をおいたまま近付いてこない。
 未だ本調子ではないとしては、せめてエルが戻るまで牽制を保ちたいところなのだが――やはり、そう都合よくはいってくれない。
 踏み込んできた兵士の剣を己のそれで捌いて受け流し、腹部へ蹴りを入れてやる。
 普段ならそれで落とせるのだが……案の定、威力が足りず、まだ戦意を保っていた。
 舌打ちでもしたい気分を抑えていると、背後を誰かが駆け抜けていった。
!」
 その誰かを確認するよりも前に、頭上から羽音と共に降ってきた声。
「エル、頼む」
「ええ!」
 上を見ることもなく、そこにいるであろう天使へと言葉短に言えば、すぐに了承が返ってきて。それとほぼ同時に感じる、己を包むあたたかさと、消えた倦怠感。――憑依の証。
 天使の存在に気を取られていた先程の兵士に、追い討ちをかけて完全に落とす。――と。

「グラッドお兄ちゃん! ミントお姉ちゃん! そっちの敵はお願い!」

 高台のほうから聞こえてきたの声。その内容は――できれば顔を合わせたくなかった相手の名を含むもので。
 敵の残数確認のためにも一応目を向けた――が、遠方の彼らよりも先に視界に入った光景に、舌打ちして地面を蹴った。
「ライ! フェア!!」
 呼び掛けると同時に、奥側の兵士――援軍の存在に注意を移したことで出来た隙をついて、ライへと剣を振り上げていたそれに、自分の剣を投げつける。そして手前にいるフェアの腹部へと腕を回して、そのまま飛び上がった。
「ぅきゃあ!? たたた、高いっ!? 高いよ、っ!?」
「そんなに高くは飛んでない。ひょっとして、フェアって高所恐怖症か?」
「ち、違う――と、思いたいっ! けど、その、足元に何もないし不安定感がなんていうか……ね!?」
 ね!? って言われても……
 やはり相当怖いらしくがっしりと首に腕を回してくるので、とりあえず落ちることはないだろう。
 状勢は――の投げた剣は兵士の腕を傷つけ、戦意喪失させられたようだ。フェアに襲いかかろうとしていた兵士は、ライが片付けた、か。援軍であるグラッドとミントによって高台の弓兵も倒されている。
 残りは、が相手をしている一人。
「……ちみっちゃいのに、強いなアイツ」
「それには言わないでよ。こっそり気にしてるから」
「はいよ。で、二人共。戦闘中に余所見するのは命取りだからな。状況確認は安全を確保した上でするように」
 地面に降り立ちながら忠告すると、素直な返事が返ってきた。
 とりあえずは一段落かと思われた時、不気味に響いた笑い声。それは、新たな真実の現われを告げるファンファーレとなった。
 巨大な戦斧でへと斬りかかった男が、それを受け止めた彼女へと憎々しげに声を張り上げていった。

「貴様、あの冒険者の娘だなッ!!」

 その言葉は、に隙を与えるには充分だったらしい。
 小さな身体は、盛大に吹き飛ばされて地面に打ち付けられた。
「「 !!」」
 ライとフェアが妹の名を叫び駆け寄るのを、はただ眺めていた。
「テメエ……っ、クソ親父のこと知ってるのか?」
 近くにいるはずのライの声が、薄膜一枚隔てたように聞こえる。
 俯き、強く拳を握り締める。
 そうすることで、脳裏に浮かんだ映像を打ち消そうとした。――けれど。
 倒された小さな身体が、血に染まった腕が――見えてしまう。
 実際には高台にいる彼女の姿はこちらからは見えない。ただの悪い空想――罪悪感が生み出した妄想にすぎない。
「違う……あの子は、じゃない……」
 己に言い聞かせるように呟き、顔を上げた。
 高台の上には、ゆらりと立ち上がるの後ろ姿。
 ――ほら、ちゃんと、無事……

「――教えなさい!! パパについて知ってること、全部っっ!!」

 現実を認め広がった安堵を、の叫びにも似た鋭い声が更に早める。――脳裏にあった不吉な映像を散り散りに切り刻んでくれた。
《……大丈夫か?》
「ああ、大丈夫だよ」
 フィルに答え、手の平をそっと開く。滲んでいた血も、エルの能力ですぐに消えた。
 心の傷はこんな風に簡単に癒えてはくれない。それでも、大丈夫……少なくとも、今は。
「……大丈夫だ」
《なら、いいがな……無理は、するなよ? 本当に……》
「ああ、わかっているよ」
 馬鹿笑いと共に去っていく男の後を追って、兵士たちも引き上げていく。
 これで本当に終了した、と。フィルのたてがみに手を埋めると、フィルも応えるようにこつんと額を合わせてきて。そのまま光に包まれ還っていく彼を見送った。
、宿に戻ろう。説明、するよ……何が、あったのか……」
 そう言ってきたライに頷いて、は自分の剣を拾ってから彼らの後に続いた。


 巻き込んでしまった以上説明しないわけにもいかず、結局こんな形でグラッドとミント、及びポムニットとに竜の子に関することのすべてを話すこととなった。
 黙っていたことに対しては案の定というかお叱りがあったが、一応それは許してもらえたのでよしとしよう。
 問題は、これからのこと。
 今回襲ってきた者たちを指揮していた男は『剣の軍団』の『将軍』だと言ったことと、初めに襲ってきた者たちとは風体が異なっていたことから、大きな犯罪組織の一派ではないかという推測に行き着いた。
「犯罪組織ですって!? む、無茶苦茶に物騒で危険な状況じゃないですかっ!?」
 改めてはっきりと言われてしまうと、得体の知れない恐怖に怯んでしまう。
 それは子供だけじゃなく、大人にとっても同じようだ。
「正直に言えば、これはもう俺の手には余る。軍本部に報告して、然るべき処置をとるべきだと思う」
「是非にそうしてくださいまし!」
 グラッドが白旗をあげ、ポムニットもそれに賛成した。
 ――けれど。
「ちょっと待ってよ!? そんなことしたら、あのコたちは一体どうなるの!?」
「当然、軍が保護することになるだろうな」
 それは、はじめに心配したことだった。
 狙われていることを話せば、竜の子たちは取り上げられてしまう――と。
 だから……だからこそ打ち明けられなかったというのに……
「心配はいらないさ。軍に任せておけば安全なんだから」
「ウソだっ!!」
「本気でそう思っているなら、おまえは世間知らずなガキだな」
 既に決定事項のように丸め込もうとするグラッド。その言葉は、強いルシアンの否定と、静かなの非難によって打ち消された。
 それまで傍聴していただけのから発せられた、冷淡な声は、その場の空気を一瞬で冷やした。しかし、言ってやれとでも言いたげに顎でグラッドを示した彼に促され、ルシアンが先を続ける。
「本に書いてあった……帝国軍には、珍しい召喚獣を研究してる施設があるって。あのコたちは、きっとそこに連れて行かれちゃうんだ!!」
 ――そんなことは、聞いていない。
「それ……ホントなの? グラッドお兄ちゃん」
 初耳な事実に驚愕を隠せないルシアン以外の子供たち。
 否定してほしい――そういう思いが滲む問いを口にしたに対して、グラッドは少しばつが悪そうにして。
「まあ、そりゃ……放し飼いにもしちゃおけないし……」
「ひどいじゃない!?」
「いや、だからって別にひどいことをするつもりは……」
「おまえにその気がなくても、他の者もそうだとは限らない。特に組織の中核にいる者は、大義名分を笠に着ることで己を正当化し、いかに非人道的なことでも平気でやってのけるぞ」
「そんなことはない! 帝国軍に限って、そんなことは――」
「だからガキだと言ってるんだ。繁栄の裏には必ず犠牲がある。国を維持するためには、手を汚している裏部隊が必ず存在しているぞ。同じ世界に生きる人間同士でさえそうだというのに、未知の力の塊である至竜の幼生体をモノ扱いしないと、本当におまえは言いきれるのか?」
 手にしたカップの中の液体へ視線を固定したまま、は淡々と語った。
 それは確かに本当のことばかりで、グラッドは反論できなくなっていた。
 そんな彼へ助け舟を出すミント。――けれど。
「グラッドさんを責めないであげて。召喚術の研究にとって『至竜』は貴重な研究の対象になるの。『蒼の派閥』だろうと『金の派閥』だろうと、それは同じのはず。帝国軍に限ったことじゃないわ。さんだって、それは知っていらっしゃるでしょう?」
「知っているさ。だからオレはどの派閥にも属さず、あの街を――聖王国を出たんだからな」
 突然の告白に、へと視線が集中する。
 当の本人は、カップから視線を外してミントを見上げた。
「これが理由だ。ミント、おまえがあの二人から何を聞いたのかは知らないが、オレはおまえが思っているような人間じゃない」
 冷ややかな眼差しは、まるで全てを拒否しているよう。
「オレはハヤトたちとは違うんだよ。はじめっから、全てにおいてな。あの4人と同じものを背負っているからといって、同じ考えでいるわけじゃないんだ」
 しんと静まり返った食堂で、とミントは見つめ合う。
 お互いの本心を探るようなその沈黙を破ったのは、ミント。
「では、あなたの考えはなんですか? この事態に、あなたはどう対応するおつもりなのですか?」
「聞く相手を間違えるな。決定権を持つのは――当事者はオレじゃない」
 そう言ったきり、再び目を逸らして口を閉ざしてしまった。
 これ以上言うことはないというような態度に、ミントは軽く息を吐いてこちらへ向き直った。
「ライくん、フェアちゃん、ちゃん。貴方たちは、どうしたい?」
「「「 ――え? 」」」
「大人に任せたほうがいいって思う? それとも、自分たちで何とか面倒をみてあげたい?」
 振られた問い。それは選択肢。
 フェアは、テーブルの上でじっと話を聞いている竜の子供たちに目を向けた。
 親も側にいなくて、やってくるのは敵ばかり。その境遇は、どこか自分たちと似ているように思えた。
 顔を上げライたちを見ると、二人も同じ気持ちらしくひとつ頷いてみせて。
「やっぱり、最後までオレたちでなんとか面倒をみてやりたい」
 代表して答えたライの言葉。喜色を浮かべたブロンクス姉弟とは反対に、ポムニットは厳しい顔で窘めてきた。
「なに無茶なことを言ってるんです? 相手は、犯罪組織かもしれないんですよ!?」
「犯罪組織でも! そうでなくても! オレたちは自分の意志で、チビすけを連れてきたんだ。だったら、最後までその責任を取るのが当然じゃないか!?」
 放ってなど、おけるはずがない。今更知らん顔もしたくはない。
「都合が悪くなったから関わり合いになるのをやめろなんて……わたしにはどうしても納得できないよッ!!」
 だって、この竜の子供たちには味方がいないのだから。
「私たちは、このコたちを見つけた時から何かに狙われているって知ってた! それでも、それがわかった上で、このコたちを連れて帰ってきたんだよ!」
 自分たちにはリシェルとルシアンがいた。グラッドとミント、ポムニットも味方でいてくれた。
 それがどれだけ心強かったか、支えとなったか……よく、知っていたから。
 ――だから。
「守るよ! このコたちのことは、私たちが守る! 最初からそのつもりだったもん!! 相手が犯罪組織かもしれないって知った今だって、その気持ちは変わってないよ!!」
 自分たちが、味方になる。
 強い意志で、強い瞳で。そう断言すると、ポムニットは何も言えなくなった。
 けれど、今度はグラッドが口を開く。
「気持ちはわかるさ。けどな……」
「ピイィ……ッ」
 不安げな鳴き声が、グラッドの言葉を遮った。
 ふわりと浮き上がった竜の子供たちが、それぞれ初めて見つけた相手へと怯えたようにしがみついてきた。
 恐らく、話の内容自体は理解していないだろう。それでも、感じ取れる何かはあったということ、か。
「だいじょうぶだよ……」
 フェアは優しく微笑んで、その背を撫でてやった。すると、安心したのか表情は柔らかくなって、しがみつく力も弱くなった。
「どうやら、答えは最初から決まってたみたいだね」
 竜の子供たちの様子にか、散々渋っていたポムニットもこちらの意志を容認してくれて。最後まで否を唱えかけたグラッドは、ミントの『お願い』によってあっさり撃沈した。
 その後決まったことは、今後の方針――『親を捜して送り届ける』ということと、竜の子供たちの名前――青い子が『リューム』、桃色の子が『ミルリーフ』、緑色の子が『コーラル』だ。
 今日はもう夕方になってしまったし、本格的に動くのは明日からにしよう、と。
 大人組が帰っていった――直後。

 ――ゴッ。
「ピギッ!?」

 唐突に聞こえた何かを打ちつけたような音と竜の子供の驚いたような鳴き声に、視線は当然音の出所へと集中した。
 そこには、テーブルに額をぶつけたまま突っ伏しているような姿勢のがいて。
「ど、どうしたのよ? 一体……」
「……やっと帰った……」
「はい?」
「ミント……あいつ嫌いなんだよ、オレ……」
「「「「「 え゛っ!? 」」」」」
 思いがけない言葉に、全員の声が重なった。
 でも、言われてみれば確かに、ミントに対する態度は冷たかった気がする。
「で、でも、ミントさんはさんが憧れの人だって……」
「オレじゃない。あいつの憧れの対象はオレたちの持っている『力』だ」
「オレ『たち』って……」
「あと4人、いるんだよ……同じ力を持ったヤツが、聖王国に」
「え~っと……お姉ちゃんにとっては、その人たちも……」
「『憧れの人』――だろ」
「……は、他の人と一緒なのが嫌なの? それとも、憧れを向けられること自体が嫌なの?」
 つらつらと答えていた様子を見て、何となく思ったことを聞いてみた。
 前者なら、多少なりともミントに好意を持っているということになる。後者であれば、ミントの対応次第で仲良くなることも可能だから。
「……あいつは、オレを見ていない……」
 ぽつり、と。ややあって出てきた言葉は、前者を思わせるもの。
「あいつだけじゃない……オレたちは、この力のために『自分』を見てもらえない……ハヤトたちはまだいいさ。けど、オレは……」
 けれど、それだけではないようで。
 言葉は、更に続く。
「自分で望んで手にしたわけでもない力のために憧れを向けられるのも、敬われるのも、妬まれるのも……もう、嫌なんだよ……」
 ……彼も、大人の都合に振り回されてきた子供なのかもしれない。
 突っ伏したまま顔を上げることもなく心中を語る姿に、そんなことが頭をよぎった。
「そっか……じゃあ、友だちならいいんだよね?」
 フェアはみんなに目を向けて確認したあと、再び視線を落とす。は、ようやく少しだけ顔を上げてこちらを見てきてて――フェアは笑いかけた。
「わたしたちと、友だちになることは、嫌なことじゃないんだよね?」
「折角こうやって出会えたのに、仲良くしないなんて、そんなのもったいないよ」
「僕、さんともっと話してみたいです。旅の話とか、聞かせてほしいです」
「オレは一度手合わせしてもらいたいかな?」
「あたしたちはこの町のことしか知らないから、情報交換とかしたら面白いんじゃない?」
 それぞれが今、思っていること。
 その全てを聞いたは目を細めたかと思うと、再び突っ伏してしまった。
「……ありがとな……」
 やがて、小さな小さな呟きが聞こえて。
 みんな、新しい友を迎えた喜びから、あたたかな笑顔を浮かべていた。
「よーし、それじゃあ今日は、ミルリーフたちとの歓迎会も兼ねて、ちょっと豪華な夕食にしちゃおうか!」
 思いつくままに言った提案は、作る側も食べる側もノリノリで受け入れて。
 今日一日の大変さをすべて忘れるくらい、楽しい夕食になった。


 薄暗い室内。光源はサイドテーブルにある小さなランプだけ。
 先程までの賑やかな食堂とは打って変わって、静寂が支配する自室。は一人、静かにベッドに腰掛けていた。
 エルも既に還っている状態。己の体調は嫌というほどにわかる。
 色々と考えることはあったけれど、今後を思えばこそもう寝てしまうのが得策か――と。
 明かりを消すためにランプへと伸ばした手は、目的を変更して隣のぬいぐるみを持ち上げていた。
 昨日、買い物に行った際にもらったサービス品。しまうのも面倒で出しっぱなしになっていたもの。
 それを見た瞬間、考えることのひとつが、答えと共に浮かんだから。
 身につけていられる大きさということも、丁度良い。
 は片手をかざして目を閉じた。
「あの子は、じゃない。それは、わかっている……」
 ――でも、だからこそ……どうか……
 今回の事件……過去二度経験したように、また大きな戦いになるだろう。
 当事者の一人であるは――なまじ実力があるせいか、小さいのに無茶をすることが今回の戦いでよくわかった。
 だから、前線に出るであろう彼女を守るために――今の自分ができること……

 ――どうか、あの子を守ってくれ……あの子の笑顔が、消えてしまわないように……

 は、ぬいぐるみにひとつの祈りを込めた。