書 き 殴 り ・ 10

 翌日、アルバとシンゲンが正式に仲間入りを宣言してきてくれた。
 どちらも戦力としてはかなりのものなので、フェアたちとしては嬉しい限りなのだが、各々の目的を後回しにさせてしまうのは、どうしても気が引けるもので。
 でも、それでも、と二人は言ってくれた。
「それに、ね……ともまだ離れたくはないんだ」
 そう、付け加えられたアルバの言葉には、は眉根を寄せてしかめっ面。
「甘える気なら追い出すぞ」
「違うよ、そうじゃない。みんながそれぞれの道を歩み始めてる今だからこそ、一緒にいられる時間を大切にしたいんだ」
 軽く目を瞠ったは、溜息をついてそのまま目を閉じる。
「……莫迦だろ、おまえ」
「そう?」
「ああ、大莫迦者だよ」
 言葉とは裏腹に、目を開けたはどこか嬉しそうにも見えて。
 とアルバはどちらからともなく手をあげ、そしてそのまま叩き合わせた。
 男同士のつながり……あえて言葉にしなくても――また、全く逆のことを口にしていたとしても、その裏にある本心をちゃんとわかりあっている。そんな絆は、やっぱりどこか羨ましく思えた。
「なんにせよ、心強い味方が二人も増えたんだね」
「でも、それだけじゃ足りませんわ」
「リビエル?」
「みなさん、あちらに集まってくださいな。先代の遺産を利用して、今からこの建物に『結界』を張ります」
 そう言われて出た庭では、セイロンが上空を見上げて思案顔。
「セイロン?」
「ん? ああ、皆集まったか」
「『結界』を張るとか言ってたけど、それって何なの?」
「うむ、今から我らが張ろうとしておるのは、守りの結界だよ」
「御子さまに向けられた悪意に反応する結界ですわ。該当する人物は結界の内部には侵入できなくなるし、近づいただけでも反応して私たちに警告してくれるの」
「不意打ちやだまし討ちを防ぐものってことか」
「うむ……というわけで、すみませぬが一時貴方が張られている結界を解いていただけませぬか?」
 くるっと方向転換してセイロンが言ったその相手は――
 は何も言わず、ただ一度指を鳴らした。すると、一瞬だけ光が遠くからへと迫ったように見えた気がして。
……結界って……」
「別におまえらのために張ってたものじゃない」
「え、じゃあ、何のために?」
「ってか、いつからよ?」
「張ったのは宿泊契約をした後あたり。目的は、オレの魔力の痕跡を残さないため」
 まったくもってわけがわからないフェアたちを他所に、一人アルバは「あ~、なるほど」と呟く。
「それだもん、アヤねーちゃんが魔力を辿って捜してみても、見つけられないわけだよ」
「そう簡単に見つけられたんじゃ、一人で旅に出た意味がないからな」
 あっさり言って肩をすくめるの意図は、フェアたちには謎でしかない。
 そのうちに、御使いたちによる新たな結界は張られて。
 最後の御使い・クラウレを捜しに行こうと決まった直後のこと。
「アルバ、『』って知ってる?」
 フェアは、そう問いかけていた。
 アルバは聞いた瞬間、顔色を変えて――どこか怒っているようにも見えるほど、鋭い目つきになって、フェアはたじろぐ。
「それ、誰から聞いたんだい?」
、本人だよ……夕べ、寝言で……」
「何で寝言なんて聞く状況になったのか、あたし的には気になるんだけど?」
「いっしょに――」
「こここ、コーラルと一緒にの部屋に水差しとか置きに行った時にね!! ほら、昨日夕飯食べてないからさ!!」
 話に加わってきたリシェルの問いに正直に答えようとしたコーラルの口をふさいで、フェアは何とか誤魔化す。
 流石に『一緒に寝た』とは恥ずかしくて言えない。
 朝方目が覚めた時には拘束は緩んでて、コーラルも竜の姿に戻っていたから、急いで自室へと引き上げてきたのだ。だから、多分自身もフェアを抱き枕にしていたことには気付いていないだろう。
「……それ、には聞いたのか?」
「え!? あ! 『』のことは聞いてないよ! 聞こうと思ったんだけど……もうどっか行っちゃってたから……」
 そう答えると、アルバはあからさまに安堵の表情を浮かべて。
「よかったよ、聞いてなくて……」
「……何でよ?」
「『』はにとって禁句だからね」
「――は?」
「どうして?」
「ってか、それ、人名よね? 誰なのよ?」
 ブロンクス姉弟の質問にアルバは答えない。……答えるべきかどうか迷っているようで。
 そんな彼にとっては助け舟となったのか、それとも逆か。
「彼の妹の名前じゃないのか? 10歳になる前に病死したっていう……」
 答えを与えてきたのは、グラッドだった。
 よくよく見ると、皆興味があるのか、ほぼ全員が庭に留まって話を聞いていたらしい。
「知って、いるのか?」
「ああ、初めて会ったとき……フェアたちが竜の子を拾ってくることになった日の朝にな、溜池で少し話をした時に聞いたんだよ」
「そう、か……」
 静かに目を閉じて、アルバは呟く。
「アルバ、そうなの?」
「ああ、『』はの双子の妹の名前だよ」
 やっと、答えたアルバは、やっぱりどこかつらそうな……迷っているような風に見えた。
 アルバのその様子に気付いているのかいないのか、リシェルが更に問いかける。
「それが何で禁句なのよ」
は、自分のことを話すことも話されることも極端に嫌がるんだ。中でもに関しては、特にね」
「だから、それが何で――」
「誰だって、自分の一番大切な人が死んだりしたら、ずっと忘れられないまま悲しみが傷となって残るものなんじゃないのか?」
「――あ……」
 ようやく、リシェルは気付いたらしい。グラッドも言っていた『病死』という言葉に。
「……おいらは、まだそういう経験ないから、はっきりとはわからないけど……でも、にとってはそうだから……だから、のことは絶対にには聞かないでくれ」
 つらそうに……迷っていた理由が、よくわかった。
 のことを――想ってのことだったのだ。
「……アルバは、知ってるの? 『』のこと……」
「グラッドさんが言った以上のことは知らないよ。それだって……きっかけがなければ、おいらたちはずっと知らないままだったと思うし」
「きっかけ……?」
「今回の、フェアと似たようなものだよ。昔、サイジェントで『メスクルの眠り』って呼ばれてる伝染病が流行ってさ……おいらも、も感染して、それで……おいらは直接は聞いてない。けど、病気が治った後、トウヤにーちゃんが無理に聞きだしたんだ」
 『無理に』という言葉が、にとってそれが本当に禁句だということを思わせた。
「あのあとから、はずっと怒ってるみたいになって一言も口をきかなくなったんだ。おいらはあの頃のに戻したくないんだよ……折角、普通に喋ったり笑ったりするようになったのに……無表情で、何にも喋らなかった頃には、二度と戻ってほしくないんだ……だから……」
「わかった。わかったよ、アルバ」
 頭を下げかねない彼を、その言葉を遮ることでフェアは制止した。
 俯いていた顔を上げたアルバに、安心させるように笑いかける。
「わたしたちだって、を傷付けたくはないもの。ありがとう、教えてくれて」
「フェア……」
 みんな、同じ気持ち。
 それは、アルバの肩に手を置くグラッドたちの笑顔がそう語っていた。
 だから――『』については口にしないこと。これが、この時から仲間たちの暗黙の了解になった。


「北に機界ロレイラル」
 言葉と共に指先に灯った灰色の光は、指し示すまま北へと飛んでいく。
「東に鬼妖界シルターン、南に霊界サプレス、西に幻獣界メイトルパ」
 先ほどと同じように赤、紫、緑の小さな光がそれぞれの方角へと飛んでいき、四つの光は円を描くようにして止まる。
「四界に囲まれしここは楽園リィンバウム。エルゴに力を受けし者、誓約者の名の下に今一度結界を築かん」
 今度は両手の内に現われた白い光。それを空へと放つようにかかげて。
「この地に、エルゴの祝福を」
 遥か上空へと昇った白い光は、弾けるようにして四方へ散り――そして、他の光と共に消えてしまった。
《嘘つきめ》
 再び――御使いたちが張った結界の上に、それよりも広範囲の結界を張り直したに向けて、フィルが呟いた。
 は上空へと目を向けたまま返す。
「嘘なんかついてないだろ。自分のためのものであることに変わりはないし、同じものを張り直すとも言ってないんだから」
《……ペテン師》
「それは否定しない」
《しろよ》
 溜息をこぼしたのは、どちらからともなく。
《まあ、いい。用が済んだのなら、今すぐ龍姫の元へ行くことを勧めるぞ》
「わかってる。そのつもりだ。とりあえず、オレを下へおろしてくれないか?」
 エルが見あたらないからさ。
 梯子もかかっていない二階の屋根の上から下におりるのは、流石のにも無理がある。
 のぼるのも然り。
 フィルはまた溜息をこぼして。
《乗れ》
 来た時と同じくフィルの背に乗り、宿の屋根上から空へと舞い上がった。
《ついでだから送る》
「助かる」
《まったく、無茶ばかりしやがって》
「性分だろ」
《ただの逃避だ》
「……かもな」
《自覚があるなら改善する努力をしろ》
「しょうがねえだろ。嫌なんだから」
 辿り着いた店先、背から降りてフィルを見れば、しかめっ面で額をくっつけてきた。
《……ワガママ者め。それでおまえがいなくなるのだけは、俺たちは絶対に認めないからな》
「それは充分わかってるよ」
 最後に軽く突くようにして額を当てたあと、フィルは宿へと戻っていって。
 見送った姿勢のまま、は呟く。
「わかってても、止められないことだってあるからな……」
 溜息をひとつこぼし、店の扉をくぐった。



 クラウレ探しの具体的な方法――それはコーラルに見つけてもらうこと。
 今までの御使いもすべてコーラルが見つけていたことから、フェアが思いついたのだ。
 正しくは、御使いたちが託された遺産の魔力を感知するということなのだが――果たして、その方法は成功を収めた。
 本来の姿になったコーラルの案内で向かった先は、カルセド峠。そこで仮面の暗殺者たちと戦う有翼の戦士・クラウレの姿を見つけることができた。
 ――しかし。
 その戦いを見るの眉間には皺が刻まれていた。
 クラウレに助太刀していく仲間たちの中、似たような表情をしている者が一人。その一人、シンゲンは一瞬目が合うと、すぐに表情をいつものおちゃらけたものへと変えた。
 けれど……お互いに、気付いた。胸の内――疑惑の種。
 フェアの一括で簡単に退いていく暗殺者たちも、追撃を止めたクラウレの行動もまたそれを大きくしていた。
 とりあえずは他に気付いた者のいない彼らの中で、クラウレは守り抜いたという最後の遺産による能力の継承を早々に済まそうとした――が。
「ピギッ!」
 クラウレから素早く離れ、フェアの後ろへとコーラルは隠れてしまった。
 誰の言葉にも、頑なに拒否を示し続けるコーラルの姿に、やがてセイロンたちが折れて。
 しばらく――心の準備をする時間を取ろう、と。
 一度、宿へ戻ることになった。

「コーラル、来い」
 ちょいちょいと手招きすれば、素直に寄ってきて。すとんと腕に納まった竜の頭をなでる。
《……ねぇ、大人になるってどういうこと?》
 控えめに見上げてきた琥珀の瞳がそう問いかけてくる。
 は前を歩く御使いたちに注意を払いながら、溜息をひとつついて。
「さあね。人間でいうなら約20年生きれば大人といわれているが、子供みたいに分別のない大人もいれば、大人並みに達観してたり世渡りに長けてる子供もいるからな。一概に定義づけはできないんじゃないか?」
 事実、子供と大人の中間で悩み苦しむ者は少なくない。その一人なら――すぐ目の前にもいる。
 コーラルも、それをわかっているのか、または別の理由か。己の保護者を見つめていて。
「今、ひとつ言えることがあるとすれば、心が育つには相応の時間が必要だってことだな。だから、一月にも満たない時間しか生きてないおまえは、まだまだ子供だよ」
 例え、身体が強制的に大人になろうとも。
 コーラルからは何の答えも帰らぬまま、宿に着いてしまった。
「まずは、休んで。話はそれから。追われっ放しで疲れてるだろうし」
「お心遣い感謝……」
 フェアの先導でクラウレが宿へと近付いたその時、大きな音と共に御使いたちが張った結界が光を放った。
 先程の暗殺者がつけてきたと思い込んでいる仲間たちは、グラッドの指示でコーラルを中心にして円陣を組んだ。
 しかし、当然ながら敵の姿はなく――でも、結界は反響するように鳴き続けていて。
「心配は無用です、守護竜殿よ。御使いの長の名にかけて、俺が貴方を守ってみせましょう」
 不安げに鳴いたコーラルに向けて、クラウレはそう言い一歩近づく。
 コーラルを抱いたままのがクラウレから身をそらしたその間に、シンゲンの刀が一閃する。
「ちょっと、シンゲン! なにやってんのよ!?」
「クラウレさんは僕たちの味方だよ!?」
「果たして、本当にそうでしょうかね」
 浅く腕を切られたクラウレが、とシンゲンを見る――その瞳には、敵を見る憎悪に近い剣呑な光が既に映っていた。
「先程の戦いぶり、遠くから拝見させていただきましたが、まるで約束組み手のように鮮やか過ぎやしませんでしたか?」
 シンゲンは言う。が気付いたのと同じ不審な点を並べる。
 鮮やか過ぎた戦い。簡単に退いた暗殺者。追撃を止めた彼。そして、反応する結界。
 それでも信じようとしない者たちに、ならば周囲を調べて見てはどうか――と。
「そうだな……その男の言うとおりだ」
「兄者?」
「油断させてから目的を果たすつもりだったが、まさか守りの結界が張られていようとは」
 シンゲンの指摘を――敵である事実を認めたクラウレ。槍を握る手に力が増し――
「いささか、慢心していたようだッ!!」
 薙ぎ払われた槍。
 シンゲンは上手くかわしたようだが、クラウレの近くにいたアロエリは――気付いたが腕を引いたが、完全には間に合わずに僅かに鮮血が宙を舞った。
「さあ、守護竜殿よ、共に来てもらおうか!」
 槍の切っ先が、コーラルを抱くへと向く。
 しっかりとしがみつかれていては、誰かに渡すこともできない。小さく舌打ちすると、掴んだままのアロエリをリビエルのほうへと引き放って、空かせた手で剣を抜いた。――が。
「させないっ!!」
 横手からクラウレに向かった一閃。
 不意打ちに、クラウレは距離をとった。
「フェア……」
「後ろに下がって!! ! コーラルっ!!」
 未だしがみついたままのコーラルを連れ、は素直に下がる。
 クラウレとコーラルの間に立ちふさがったフェアを、クラウレは鋭く睨みつけ。
「親子揃って、つくづく忌々しいニンゲンめ……その首、いずれ串刺しにしてくれる!」
 憎々しげに吐き捨ててクラウレは飛び去り、そして――
「兄者っ!?」
 その後を、アロエリが追っていった。
 何がどうしてこうなったのか。誰にも確かなことはわからず困惑する一同の中、それでもなすべきことを逸早く口にしたのは、流石というかアルバで。
「とにかく、二人を追わないと! 放っておくわけにはいかないよ!?」
「うん、アルバの言うとおりだよ」
 フェアが同意を示し、皆慌しく動き出した。


 再び戻ることになってしまったカルセド峠にて、今度ははっきりとクラウレ自身が裏切りを宣告した。
 そして証拠として示したのは、クラウレを襲っていたように見せて戦い、あっさりと退いていった暗殺者たち。それと、魔獣と亜人たちだった。
「行け! 新たなる俺の手駒たちよッ!」
 クラウレの命令で、一斉に動き出し、あっという間に乱戦となった。
 その、只中。
 フェアの目に映った、覚えのある光景――それは、魔獣と亜人たちに囲まれているの姿。
 シリカの森の時と同じように、魔獣も亜人も戦おうとはしておらず、何か話すように鳴き声を上げている。そして――は剣を鞘におさめて。
っ!?」
 また、倒れるのを覚悟の上で送還術を使う気か――と。
 止めるためにフェアはのほうへと向かったけれど。

 ――ズドォンッ。

 大きな音を立てて、亜人が地面に倒れた。それを為したのは――
 は素手で亜人の手を払って武器を叩き落すと、そのまま背負い投げを決めたのだった。
 呆気にとられるフェアの前で、他の亜人や魔獣たちが非難するように鳴いて。
「その程度の言葉でオレを騙せると思ったのか」
 淡々とした言葉が、の口から発せられる。
 冷ややかな眼差しで亜人たちを見据えて。
「オレは、真に帰郷を望む者の前にしか、路を開きはしない」
 ――亜人たちが、どういうつもりだったのかはフェアにはわからない。
 けれど、何やら思惑が外れたらしい彼らは一気にへと牙を向いて。
!!」
「オレは平気だ! それより後ろ!!」
 襲ってきた魔獣や亜人を、体術で相手にしていくの言葉。反射的に振り返った先には不気味な仮面が迫っていて。
「シャアアァァッ!!」
 紙一重で交わした暗殺者の一閃。
 フェアが体勢を立て直すよりも先に、シンゲンがその暗殺者を斬り捨てた。
「仲間の身を案じるのも結構ですが、まずはご自分の安全を確保していただきたいですね~」
「う……ゴメン」
 軽い叱責に素直に謝罪し、残りの敵を一掃すべくフェアは剣を握り締めた。

「この戦いは、貴様らの戦力を見極めるために仕掛けただけのもの。目的は達した」
 ただ部下の戦いを傍観していたクラウレの口から出たのは、なんとも冷淡な言葉。
 その身勝手さに、腹立たしさを覚えた。
「アロエリよ。さあ、俺と一緒にこちらに来い」
「だ、黙れっ!! オレは……っ」
「たった一人の俺の妹だ。できれば、無駄死にさせたくはない」
 妹に掛ける言葉――それは、裏切りを誘うもの。
 アロエリは答えず、動かず。
「まあ、すぐに答えが出せるものでもないか。二代目よ。あなたも己の立つ位置はよく考えるべきではないですか」
 そして何故か別の者へも掛けられた言葉。
 それは、以前アロエリも口にしていた呼称。
 それが指し示す人物は――だ。
「……オレが立つ位置はオレが決める。誰の指図も受けない。オレは、自分の望むようにしか生きない」
 言葉を投げ掛けられたは、ただ淡々と返して。
「二代目はとんだ暴君のようだな」
「仕えるべき主を捨て、反逆の道を選んだ貴様に言われる筋合いはない」
 鋭い切り返し。しばしの睨み合い。
 先に目を逸らしたのは、クラウレのほうだ。
「心変わりをしたなら、いつでも頼ってこい。悪いようにはしない。待っているぞ!」
 アロエリにそう告げて、クラウレはどこかへと飛び去っていく。
 羽音の響く中、アロエリはがっくりとその場に膝をついた。
「兄者……っ、どうして……っ」
 搾り出すような呟き、そして。

「うわああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」

 悲痛な叫びが、カルセド峠にした。
 誰も、何も、できなかった。
 ただ、だけが静かに動いて――アロエリの頭をぽんぽんと軽く撫でた。
「ここでこうしていても仕方がない。一度戻ろう」
 しばらくして、がそう言った。
「今日はもう休んだほうがいい」
「でも……」
「冷静になるための時間は必要だ。特に、おまえら御使いはな」
 セイロンとリビエルを見て言われた言葉に、二人は重々しく頷く。
 それを確認して――ドスンッ、と。背後から大きな音がした。
 振り返るとそこには巨大な竜が一匹こちらへを目を向けていて。
「「ゲルニカ!?」」
 アルバとミントの声に応えるように、その竜・ゲルニカは伏せるようにして首を地面につけた。
「乗れ。近くまで送ってくれる」
 の言葉でそれが彼の呼び出したものだとはわかったが……流石にこう間近で見ると、少し怖く感じてしまう。
 コーラルは同じ竜だからなのか、大して迷うこともなく近づいていって……セイロンやリビエルも普通に乗り込んでいる。
 躊躇しているのは――フェアとリシェルだ。
「大丈夫だよ」
 気付いたのか、アルバが手を伸ばしてくれて。
 よくよく見れば、ゲルニカも人が乗りやすいように、片腕を伸ばして段を作っていた。
 リシェルと顔を見合わせた後、意を決して乗った。
 あとはとアロエリだけとなった時、急にゲルニカは身体を起こして。
「え!? ちょっ、なんで!? とアロエリは!?」
 ぐあっと一気に空高く舞い上がったゲルニカの上、もう見えなくなった二人のほうを見たフェアは疑問を叫ぶ。
 その肩に、手を置いたのはアルバ。
「大丈夫、フィルが残っていたから。彼に乗って戻ってくると思うよ」
「なんで!? だって、まだ乗れたでしょ!?」
「そういう問題じゃないって。たぶんアロエリのためじゃないかな」
「どういうことですの?」
「今回のことで一番ショックを受けているのは彼女ですよね」
 リビエルの問いには、ミントが答えた。
「彼女の性格的に、人に弱さを見せるのは好まないんじゃないかしら」
「うん、だから多分、泣かせてあげるつもりなんじゃないかな? は」
 アルバの言葉に、目を瞠る。
 そうだ、アロエリは叫んでいた。色々な想いを、叫びに変えて乗り越えようとしていた。
 けれど――泣いてはいなかった。
 消化不良な想いを飲み込んでも、自分が壊れてしまうだけ。けれど、叫ぶだけでは乗り越えられないことを――フェアはよく知っていた。
 知っていたのに、気付けなかった。
「淋しさや苦しさ、抱えきれない重い気持ち……は、そういったものにすごく敏感だから……何も言わないけど、ただ側にいてそういう気持ちを受け入れてくれるんだ」
 ――だから。
「だから、みんなの側にいる。の側はすごく居心地がいいから。でも、それだけじゃなくて、がしてくれたことを返してあげたいって思うから」
 ――なのに。
「でも、は絶対に自分の重荷を人に分けることはしないんだよな。だからみんな心配して、今でも捜してるっていうのにさ……それぞれの道を歩んでる中でも、の幸せを願ってるってのに……」
 アルバは苦笑したまま天を仰ぐ。

は、いつになったらそれに気付いてくれるのかな……」

 淋しげな呟きは、風音に流されて消えていった。



 カルセド峠に残った二人と一匹。
 未だ膝をつき項垂れたままのアロエリの傍らに、はただ佇んでいて。
「八つ当たりで気が晴れるんなら、付き合ってやってもいいが……」
 以前……アロエリが合流した日、彼女が言っていたことをフィルから聞いていた。誓約者である己の選択を責める言葉を……
 それを知っていたからこその問いなのだが……
 アロエリは、力なくかぶりを振って。
 彼女の頭をもう一度撫でた後、は隣に腰を下ろした。
 しばらく、何も言わない時間が流れて。
「……何故、兄者はおまえにまで、あのようなことを言ったのだ……?」
 やがて、ぽつりとアロエリが呟いた。
「誓約者の力が必要だったか、若しくは邪魔だったか……そんなとこだろ」
「何故、先代は自害なされたのだ?」
「それはオレの知るところじゃない」
「何故、兄者は――裏切ったのだ?」
 つらつらと出てきていた疑問は、やはりというかクラウレの裏切りの理由へと行き着いた。
「どうして……っ、兄さまは……っ」
 言葉遣いが、女性のものへと変わった。
 そうして、ようやく静かに嗚咽が風音に混じり始めて。
 はアロエリの隣に座ったまま、気の済むまで泣かせてやった。
 どれだけの時間が経ったのか、徐々に鼻をすする音のほうが多くなってきて、ようやくは口を開いた。
「自分の生き方を決めるのは自分でしかない。クラウレは自分の意志で反逆の道を選んだ。そうするだけの価値を、見出したんだろう」
「そうするだけの、価値……」
「ものの価値は人によって違う。クラウレにとって重要なことでも、おまえにとってはそうじゃないかもしれない。逆も然り」
「……」
「だから、あとはおまえがどうしたいかという問題だけだろう。おまえにとっては、御使いとして生きることが重要なのか、それとも何を差し置いても肉親の側にいたいのか……」
「……っ」
「何を選ぶにしろ、自分が後悔しないものを選べよ」
 いうべきことを言い終えて――またしばらく時が流れた。
 ややあって、アロエリが訊いてきた。
「おまえは、今の自分の生き方に、後悔はないのか……?」
「今のところはな。最後の悪あがきの真っ最中さ」
 ぽすぽすと、アロエリの頭を撫でて、は立ち上がる。
「さ、帰るか?」
 手を差し伸べて問えば、少し迷った後、彼女は素直に時の手を取って立ち上がって。
 近くで待っていたフィルに乗って、宿へと向かった。