門前の広場に、フードを目深にかぶりマントで身を覆った年齢不詳性別不明の怪しげな人物が一人現われた。
その人物は、繋がれている荷運び用の召喚獣を一頭一頭見て回っているようだった。と、ある召喚獣の前で止まると、それに手を伸ばし、触れた。
「あんた、ウチの召喚獣に何か用かい?」
持ち主が声を掛けると、ゆっくりと振り返って。
「あなたの?」
「ああ、そうさ。一体何をしようってんだい?」
「丁度良かった。この召喚獣を譲っていただけないかしら?」
「……なんだって?」
怪しげな人物――声と喋り方からいって女性と思われる――の唐突な言葉に持ち主の男は訝しげに返した。
「いきなり現われて何言ってんだい」
「もちろんタダでとは言わないわ。代わりとなるものを――」
言いながら女は手を前に差し出す。するとそこから光が現われ、次の瞬間には一頭の生物が女の前にいた。
「あ、あんた、召喚師なのか!?」
「ええ。ある研究のためにあなたの召喚獣が必要なの。あなたの召喚獣のように、過度にストレスを溜めているものが、ね」
口許だけで――他はフードの下で見えないのだが――笑った女に、男は何故か背中に冷たいものを感じた。
「か、代わりって言ったって、ただの馬じゃ……」
「馬は馬でも荷運び用のものよ。速くは走れないけど、力と持久力に優れているわ。気性も穏やかで人間への忠誠心も高い。余程酷い扱いをしない限りは、こうして手綱を放しても逃げることもないし」
「いや、しかし……」
「大切な荷物を運んでる途中で暴れられでもしたら、損害はかなりのモノになるでしょうね」
女の言葉を肯定するかのごとく、召喚獣は鼻息も荒く、興奮状態になりつつあった。
持ち主とはいえ男は召喚師ではない。召喚獣は金で買ったもののため、暴走した際の対処法など知る由もないことだった。
帝国の法律的には――金銭が絡んでいない分、言い訳はきく。
「わかった……その馬とこいつを交換しよう」
悩んだ末、そう結論を出した男に、女は再び笑って、今度はひとつの紙切れを差し出してくる。
「交渉成立ね。この馬について不明な点や、追加が欲しかったりしたならここに連絡をするといいわ。金の派閥が運営している牧場よ」
「金の派閥……合法的なものなのかい」
「安心できたかしら?」
「ああ」
「それじゃあ、この子はもらっていくわ」
そういって、興奮状態にある召喚獣を上手く扱い、女は町の外へと去っていった。
コーラルと二人、中央通に買い物に来たフェアは、何やらもめている一団を発見した。
どうやら、亜人の子供たちが薬を買いに来ているようなのだが……その子供たちは、はぐれのようだった。
このままでは一騒動が起きる――と。
事情を聞きがてら止めに入ろうと一歩踏み出したフェアの手を、コーラルは掴んで引いた。
「コーラル?」
「あれ……」
コーラルが指し示した先には、フードをかぶった怪しげな人物が亜人たちに近付いていくところで。
「あなたたち、何をしているの?」
フードの人物から出た、女性の声。亜人の子供たちが肩を震わせて振り返る。
「まだこんなところにいたなんて」
フードの女は呟くように言って亜人の少女の腕を掴んだ。
怯えたように手を振り払おうとする少女よりも先にその額に指を当てる女。一瞬、魔力の波動を感じた後、少女は女の腕の中に倒れこんだ。
「コーラル、放して」
召喚主かもしれない女。けれど、明らかに怯えている子供たちを放っておけずフェアは駆け出そうとするも、コーラルの強い力で腕を掴まれたままでそれは叶わなかった。
「どうして、あなたは助けようとしないの!?」
「だって、あの人……お父さんだから」
「はい!?」
コーラルの口から出た思いもよらない言葉に、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「え!? お父さんって、もしかして!?」
首肯。
「ウソ!? だってあの声、どう聞いても女の人の声だよ!?」
「でも、ニオイは……魔力は、お父さんのものだから……」
「放せ――よッ!?」
動かなくなった亜人の少女を軽々と抱き上げた女に飛びかかろうとした、こげ茶色の髪の亜人の少年は、背後に現われた浅葱色のフラップイヤーに首根っこを銜えられて宙吊りにされる。
残る一人、大人しそうな少年亜人の手を掴み、女は店主に向き直って。
「迷惑をかけたわね」
「あ、いや……こいつら、あんたの召喚獣なのか?」
「ええ。召喚してからまだ日が浅くてね、反抗的で困るわ。簡単なお使いぐらいならできるかと思ったんだけど」
「そうかい。いや、よかったぜ。駐在兵士呼びに行くとこだった」
「そう。騒がせて悪かったわ。それじゃ……」
会話を終わらせ、女は少年亜人の手を引いてさっさと歩き去り、フラップイヤーもその後を追っていった。
「……行こう?」
呆然と成り行きを見ていたフェアはコーラルに促され、彼らの後を追った。
「放せよ! 何なんだよ、あんた!?」
「ただの通りすがりのお節介だよ」
フラップイヤー・フィルに銜えられたまま、それでも威勢良く叫ぶ少年亜人に、フードの人物は地の声で返した。
先ほどの女声――ソプラノではなく、完全にテノールの男声で返ってきたのに吃驚したのか、ぴたりと動きを止めた少年亜人。
フードの人物は掴んでいた少年亜人の手を離すと、フードをはずした。露になったのは、男にも女にも見える中性的な顔。
「あのまま駐在兵士に捕まって元の場所に戻されるよりはマシだろ」
言いながら肩に担ぐ形で抱き上げていた少女を下ろし、目前で指を鳴らす。すると、びくんと震えたかと思うと幾度か目を瞬かせ、硬直が解けた体で見つめてくる。
その視線から逃げるように目を逸らして立ち上がった。
「うわっ、ホントにだ」
そうして目を向けた先、こちらへ走り寄る見知った二人組。
「フェア、コーラル」
「だから、そう言った……」
「それはそうだけど、やっぱまだ信じられないよ……何で女のフリなんかしてたの?」
「自分の正体を隠す以外に理由なんかあるわけないだろ。こうしておけば、さっきの女召喚師とオレが同一人物だと気付けるヤツなんかいないしな」
言いながらマントを取って宿へ送り、ほどいていた髪を無造作にひとつに括った。
いつもの格好になってから、その場を立ち去るべく歩き始めて――手を掴まれた。
「どこ行くの、?」
「おまえら来たなら任せる。どうせミントのところで薬作ってもらう気なんだろ」
「なんでは行かないの?」
「オレはあいつに用はない」
「は、お姉ちゃんに謝るチャンスも与えないつもり!?」
「別に……謝られても困る」
「もう!! この子たち助けたのでしょ!? だったら最後まで責任取らなきゃダメじゃないの!!」
ぐっと言葉を詰まらせると、クックッと笑い声が耳に届く。
《言われたな》
「やかましいぞ、フィル」
反論を封じられたは、そのまま半ば引きずられるようにしてミント宅へ連れて行かれた。
ミント宅の扉を開けて入ると、家主はひどく驚いた顔で出迎えた。
「先にそっち」
彼女が何か言うよりも先に、亜人の子供たちをさす。
一瞬戸惑いを見せたものの、薬が欲しいという子供たちの言葉に、ミントは調合を始めた。
待っている間、何もすることのないは帰りたい気持ちでいっぱいだったが、フェアががっちり腕を掴んでいるため動けなかった。……まあ、実力行使に出ればいくらでも逃れられはするのだが。
「ねえ、何で謝らせてあげなかったの?」
「だから、別に謝ってもらっても困るって……」
「何で? だってお姉ちゃんはちゃんと反省してるんだよ? 謝りたいって思ってるんだよ? その想いをは無下にするの?」
静かなフェアの問い掛け。それには、どこか責めるような色が含まれている気がする。
フェアの言いたいことは、にもわかる。わかっていても、どうしようもないことだってあるのだ。
「謝ったところで、記憶が消えるわけじゃない」
「でも、同じ失敗を繰り返さないように、自分に対するケジメにはなると思う」
それも、わかる。
自分がミントの謝罪を受けてやれば、彼女は前へ進めるのだろう。
だけど。
「同じことを繰り返さないという保証はない」
すぐ傍らで、フェアは大きく息を吸った。
彼女にとっては納得できないどころか、思いっきり神経を逆撫でするような物言いだったため怒鳴られるかと思ったのだが――ただ、溜息がこぼれただけだった。
「ねえ……は何がそんなに嫌なの?」
そして、繰り返される問い。
「持ってるからには有効活用するって言ってたよね? 使うことに対してはそんなに抵抗ないみたいなのに、その力を嫌う理由って何なの?」
今日はいやに食い下がるな――と。
そんなことを思いはしたものの、誤魔化す気にも黙秘する気にもなれず、は重たげに告白した。
「……期待と、責任が……オレには重過ぎるんだよ……」
知られれば、どうしてもついてくる過剰な期待。決して万能なわけではないのに、そう勘違いされてしまう。
期待、されても……頼られても、応えることができない。無力な己を突きつけられる。
それが――重い。
自分のことだけで手一杯なのに、それ以上のものなど背負っていられる余裕はないのだ。
そのことが最初からわかっていたから、力を受けることを拒んだ。それが叶わなかった時、次は隠すことを選んだ。
全ては、自分を守るためだけに――……
「さん……」
思考の海に沈んでいたは、呼び掛けで現実へと戻った。
そこには申し訳なさそうなミント。彼女の後方では薬を手に安堵の表情をしている亜人の子供たちがいた。
「あの、昨日は――」
「謝るな」
ミントの言葉を遮り、言った。
フェアが怒っているが気にせず顔を背けた。
「必要ないから謝るな」
「ですが……っ」
「……本当にオレのことを思ってくれるのなら、謝らないでくれ……頼むから……」
非があるのは自分のほうなのに、彼女に謝られては余計にいたたまれなくなる。
――ああ、なんて浅ましいのだろう。
誰の想いを踏みにじったとしても、自分自身を守ろうとする。こんな自分が、誰かに無条件で慕われていいはずがない。
やはり、諦めたほうがいいのかもしれない。けれど――諦めるという選択肢も……所詮は自分のためのもの。
どこまでも、浅ましい――
――ゴスッ。
《くだらんこと考えてるならやめろ》
頭突きでもって思考を遮ったフィルは、鋭い目つきで睨んでそう言った。
は痛む頭を片手で押さえ、眉をひそめる。
「くだらないことはないだろう」
《生産性がないなら無意味だ。くだらん》
「にべもなく斬り捨てるな」
《あまり莫迦なことを考えてると、ガルマの奴が来るんじゃないのか?》
ぐっと言葉を詰まらせフィルを睨む。フィルも負けじと睨んでくる。
そのまま睨み合うこと十数秒。
いい加減馬鹿らしくなってきて、は深く溜息をつきフィルの首辺りに顔を埋める。
「おまえら、オレにはホント甘いよな」
《甘やかしてるつもりはないぞ》
「でも甘いだろ」
《おまえほどじゃない》
鋭い切り返しは、つい先程まで考えていたことを言い当てるように、ぐっさりど真ん中に突き刺さった。
また言葉を詰まらせ、溜息に替える。
「……フィルには口で勝てたためしがないな」
《当たり前だ。こっちはおまえの倍は生きてるんだぞ、若造が》
「ジジくさ」
ぼそっと呟くと、バシッと翼で叩かれた。
然程痛くはないそれも、今のには有難い。こうしてフィルと話しているだけで、沈んでいた気分が元に戻っていくから。
それを承知の上で付き合ってくれるのだから、やはり彼らは甘いと思う。……それも有難いことではあるが。
「……?」
少し呆気に取られたような、不安そうな呼び掛け。
はフィルから離れ、二人へと目を向けた。
「オレは誰も責めていない。だから謝罪は必要ない。それで……納得してくれ」
真摯に頼むことしばし。
「……はい、わかりました」
瞑目したミントが、静かに了承を返してくれた。
当人たちが納得してしまえば横からとやかく言うことはできず、まだどこか不満そうなフェアも口を閉ざした。
――と、静かなその場に腹の虫が鳴き声を上げた。
その音の主は亜人の子供たち、飲まず食わずで歩き続けてきて、目的の薬が手に入ったことで気が抜けたらしい。
じっと見てくるコーラルにフェアは笑って。
「もう……しょうがないわねぇ。わたしがおいしいご飯、あなたたちにごちそうしてあげるわよ」
「ホントかっ!?」
「ええ。お腹がすいて帰れなくなったら大変だもんね。ついてらっしゃい」
お人好しパワー全開。
亜人の子供たちも連れての帰宅となった。
「、女装してたって本当?」
「女装なんかしてない」
亜人の子供たちにフェアが腕を振るってご馳走していた最中、彼らを迎えに着た亜人の青年・カサスが宿を訪れた。
時間的にも夕刻が近く、彼も交えて少し早めの夕食にしようということになったのだが、ほぼ宴会状態になってしまっていた。
その夕食の席で、唐突に聞いてきたアルバに、は即答で返した。
「じゃあ、何してたんだよ」
「……変装」
「なんで?」
「つーか、何でそんな話になってんだ?」
逆に聞き返すと、アルバはジュースの入ったコップを持つ手で近くのテーブルを指差す。
そのテーブルには、異世界組――亜人たちとコーラル、御使いたちが集まって話しているようだった。
「コーラルが、あの子達を助けたがそんなだったって言ってるから」
「え!? さん女装してたの!?」
タイミングがいいのか悪いのか。コーラルたちのほうにいたルシアンの、そんな驚いた声が聞こえてきて、は席を立ちそちらへ向かう。
「してないって。コーラル、おまえどういう説明してんだ?」
「お父さんが、女の人みたいだったって言っただけ」
「――ちょっと待て。『お父さん』ってなんだ?」
初耳な呼び名に、一瞬思考が停止してしまった。
コーラルは少し考え込むように小首を傾げ。
「フェアがお母さんだから」
「その理屈が分からん」
「あ~……わたしもよくわかんないんだけど、少し前から時々そう呼んでたよ」
フェアがまた初耳な事実を教えてくれた。
……何となく、心当たりがなくもないのだが。
「ふむ……当然といえば当然なのかもしれませんな」
「黙れ、馬鹿君(ばかぎみ)」
その心当たりを、この中で唯一知るセイロンを一蹴する。
余計なことをこれ以上言われたくはない。
そんな想いも結局無駄になったのは、セイロンではなく別の相手の言葉だったのだが。
「別にいいんじゃないのか? だって、このくらいの子供がいてもいい年齢なんだろ?」
「――は?」
トレイユメンバーのみならず、亜人の子供たちもが声を揃え、爆弾発言を投下してくれたアルバを見、は片手で頭を抱えた。
「……え? 何その反応……ひょっとして、知らなかった、の……か?」
「アルバ」
「は、はいぃ!?」
ようやく事態を察したらしい彼を呼ぶ。低い、怒りを孕んだ声に派手に肩を震わせていたが、そんなもんで許す気はない。
引きつった顔で振り返ったアルバへ、はにーっこりと笑って。
「タライと鉄球、どっちがいい?」
「ど、どっちも遠慮したい」
「どっちがいい?」
「た……タライ――でッ!?」
――ゴインッ、と。特大タライがアルバの頭に見事ヒット。
声もなく蹲る彼の姿に皆が唖然とする中、以前同じ目にあったことのあるセイロンだけは微妙な顔をしていた。
「……ったく、どいつもこいつも余計なことばっかり言いやがって……」
「だ、だって、ミントさんの態度からみたら、知ってると思ったんだよ」
「あいつのはギブミモのせいだ」
「ああ……」
納得、といった声を出すもタライの衝撃からは未だ復活できず、蹲ったまま。
「……で、ホントなの?」
まだ信じられないといった感じに問うて来たフェアから、は目を逸らして黙秘。
「年齢の割には背が低いってクノンが言ってたけど……そんなに上だったの?」
「前にグラッドさんのこと、ガキ呼ばわりしてたのって、年下だったから?」
「いやはや、これはひょっとして自分と同じくらいだったりします?」
フェアに続いてルシアンとシンゲンも質問をしてきて。全員が注目する中、は溜息をこぼした。
「三十路は越えてないが、二十代後半なのは確か。イオスのふたつみっつ上だったはず」
「ほ、本当に……?」
「本当だ」
「な、なんで、そんなに若いの、見た目……」
これを聞かれたくなかったから、実年齢のことを隠していたのに。
やはり知られてしまえば当然の疑問として投げ掛けられた。
は誰とも目を合わせないようにそっぽを向いて……できるだけ普通に聞こえるような声で、重い口を開く。
「子供の頃……病気だった時に服用してた薬の副作用――だよ」
当時は不治の病とされていた、先天性の病気。治せない代わりに、病気の進行を遅らせることは可能だったのだが、その薬は病気の進行と同時に成長をも遅らせてしまったのだ。
時が流れ医療技術も発達し病気は無事に完治したものの、体は小さいまま。完治した十歳当時で外見は五歳程度だった。
その後も成長速度は遅いまま、現在に至る――というわけなのだ。
「……血液検査の、理由?」
ぽつり、と。クノンがいた時のことをこぼしたのは、コーラル。
「そうだよ。体から薬が抜けきったのか知りたかったんだ」
リィンバウムに来てからは、調べる術がなかったから。来る前の検査では、まだ微量ながら残っていたとのことだったが、ようやく完全に抜けてくれたらしい。
クノンの言葉を信じるなら、これからまだ背は伸びてくれるはず。
「なんか……ねえさんが知ったら大爆笑しそうな気がする……」
「言うなよ」
「う、うん……言わない、けど……」
昼間、御使いたちと大喧嘩したとかで珍しくこの場にいないリシェルへの口止めを一応しておく。彼女に知られたら、根掘り葉掘り聞かれそうだから。
「じゃあ、やっぱり『お父さん』で問題ないんじゃない?」
「それとこれとは別問題だろう」
年齢の話が終了してくれたことに内心安堵しつつ、本題に悩む。
「オレ、コーラルの親代わりをしてた覚えないぞ。拾ってもいないし」
「拾ってないのは確かだけど、結構一緒にいたりはしてると思うよ」
「御子さまがおつらかった時に、そのお気持ちを察することができていたのは、さまだけでしたし」
「それは……そうだが……」
どうにも納得がいかない。
素直に頷けずにいると、コーラルがじっと見つめてきて。
「……ダメなの?」
うっ……と、小さくこぼして僅かに身を引く。
小さな子供の無垢な瞳は、時に何よりも凶悪な武器になると思う。
コーラルのことだから断ったとて泣きはしないだろうが、しゅんと落ち込むであろうことは容易に想像できる。
それがわかっていて否を唱えられる者を、この中で見つけることなどできるだろうか。
は片手で顔を覆って首を落とし。
「……好きに呼べばいい……」
了承を、返すしかなかった。
「はっはっはっは! 流石の殿も、御子殿には弱いのですな」
――ゴインッ。
人の気も知らずに神経逆撫でしてくれたセイロンの上にも、特大タライを召喚。悪夢の再来に頭を押さえてうずくまっていたセイロンは、慣れもあるのか割とすぐに復活して。
「何をなさるのですか!?」
「八つ当たり」
「開き直らないでいただきたい!」
「やかましい」
――ガンッ、ゴンッ、ガラララランッ!
立て続けにタライ落下。
流石のセイロンも避け始めたが、その先をさらに狙ってやる。
「ちょっと、二人共! 店の中で暴れないでよ!!」
「殿を止めてもらえれば済むことだ!」
「おまえが避けなきゃいい」
フェアの苦情もお互いになすりつけ、どっちも自分からがやめようとしない。
料理や人に被害はないものの、床に増え続けるタライにとうとうフェアと――もうひとつの影が動いた。
――スパァンッ! ゴスッ。
ハリセンでもってフェアに顔面を叩かれたセイロンと、本日二度目となるフィルの頭突きを喰らったが止まったのは、ほぼ同時だった。
「いい加減にしてちょうだい」
《全くだな。魔力の無駄使いも大概にしておけよ》
フェアとフィルの本気の怒りに、二人は揃って静かになった。
は溜息をついて、タライを全部綺麗に送還した。
「皆さン、とてモ仲がいいんですネ」
一連の騒動がどう見えたのか、カサスがそう呟いては脱力しきって肩を落とす。
「そう見えたのか?」
「はイ、とてモあたたかいでス」
「そうか……」
まあ、悪く見えるよりはいいのだろうが、どうにも納得がいかない。でも、これ以上話をややこしくする気もないので、は何も言わずに食事を再開させた。
そんな風に一時微妙になりつつも、概ね明るい雰囲気で過ぎた夕食。
暮れ切っていないとはいえ、日の落ちた薄闇の外にフェアは泊まっていってはどうかと提案したが、カサスたちはそれを丁重に辞退した。
昼間出歩くよりは夜のほうが自分たちには安全だから、と。その言葉にはフェアたちも強くは言えずに宿の前で彼らを見送った。
「カサス」
そうして、街の外へと歩いていたカサスたちを呼び止めたのは、こっそりフィルに乗って先回りしていたで。
「さン!? どうかしたンですカ?」
「……メイトルパに、帰りたいと思うか?」
唐突な問い掛けは、四人の目を見事に丸くさせた。その後、目を細めて、それでも四人とも同じように頷く。
「はイ、帰りたいト思いますシ、必ズ帰るつもりでス」
返ってきた言葉に、は目を眇める。
カサスは真っ直ぐにを見ている。その瞳には希望というよりは覚悟に近い確信めいた光が歩きがする。
「帰る方法を、おまえは知っているんだな」
「はイ」
「送還術か?」
「いいエ」
はっきりと返ってくる答え。それは、あるひとつの可能性を呼び起こした。それも、あまりよくないものを……
「――『船』、か……」
ポツリと呟いた言葉。獣人である彼らには充分に拾える音だったのだろう。カサスははっと目を瞠った。
何故知っているというような疑い、そして喋りすぎたというような後悔が混ざった表情で見つめてくるカサスには気付かぬ振りで、は自分の目的を口にした。
「ならオレは、保険をやろう」
「――え?」
「オレは送還術を使える。おまえたちが望むのなら、おまえたちのために路を開いてやる」
「……本当……ですカ?」
「ああ。ただし、三日後以降な」
言いながら、は髪にあるリボンを解いて、きょとんとしているカサスへと差し出す。
「今日、既に一度送還術を使ったから、魔力が回復するまでの時間さ。それ以降ならいつでもいい。これはオレが身につけていたものだから、オレの魔力が染み付いている。これに強く念じれば、オレにその声が届くから」
約束の、証として。また、連絡手段として。
しばらく考え込んでいたカサスは、ややあってそれを受け取った。
「ありがとウございまス……」
「いや……気をつけて帰れよ」
「はイ」
最後に笑顔を見せて去っていく背を見送り、も宿へと戻った。