本に集中していたは、不意に感じた魔力の波動に顔を上げた。
いつから来ていたのか、すぐ側にいたコーラルと目が合った。
「お父さん……」
「ああ。みんなを呼んで来い。これは――サプレスの力だ」
同じものを感じ取ったコーラルにそう言って、は窓から自室へ戻り本を置いて代わりに剣を手にとった。
そうして、玄関先へと向かえば、既に宿にいた者は集まっていて。
「ミントさんやグラッドさんはアロエリさんが呼びに行ったよ」
「、何が起きたんだ?」
ルシアンの報告の後のアルバの問い。御使いたちも疑問を浮かべている。
どうやらコーラルの説明ではわからなかったらしい。
「フェアの魔力の近くに、サプレスの力を感じる。それも、かなり良くない類の波動だ」
「――場所は!?」
「……広場のほう、かと」
「急ごう!」
コーラルと共に道案内しつつ進み、グラッドたちとも合流して門前の広場へと着いた。
そこには、フェアと、様子のおかしいカサス、そしてクラウレまでもがいて。
「一体、何が起こってるのよ!?」
「『召喚呪詛』だ。カサスはニンゲンに『狂血の呪い』をかけられているのだ」
聞こえてきた言葉に、それを知る者の顔が嫌悪で歪む。
その一人、リビエルがフェアへと近付きつつ、説明した。
「霊界サプレスに属する憑依召喚術ですわ」
「リビエル!? それに、みんな!?」
「御子殿と殿が、異変に気付いて知らせてくれたのだよ」
フェアへの説明はそれで充分。あとはカサスについてのこと。
「一体、何がどうなってんだ?」
「カサスにかけられた『狂血の呪い』が発動しようとしているの。生き血を糧とする妖霊を取り憑かせ、狂戦士へと変える呪いが!」
「なんですって!?」
「その通り……己の血を流すことで、ヤツは無敵と化す。魔獣の如き肉体と、悪魔以上の破壊衝動。それこそが……」
クラウレの言葉の途中、呪いが完全に発動し、カサスの姿が変化した。
地に響くような咆哮をあげるその姿は、フェアたちもよく知るモノ。それは――
「『獣皇・カサス』だ!」
「ウソ、でしょ……そんな……っ」
呆然とした呟きは、フェアの口からこぼれたもの。けれどそれはおそらく、以外の全員の心を代弁したものだろう。
だけは、知っていたことだけれど。
シリカの森であった、アロエリを追ってきていた獣の軍団の亜人たちから聞いていたから。
獣皇を助けて欲しい。カサスを呪いから解放してくれ、と。
頼まれて、いたのだ。
――けれど。
「何とか、元に戻す方法はないの!?」
「召喚呪詛は禁断の技。そう簡単に解くことはできませんわ!?」
そう……簡単なことでは、ない状態なのだ。
特に今のは、魔力が不足している。はっきりいって、無理だった。
現状打開のためにできることは――ひとつ。
「戦おう……戦って、止めてやるより他にあるまい」
アロエリの言葉と、ポムニットの懇願とで、ようやくフェアも覚悟を決めて。
「カサスさんを止めよう! あの人の優しい笑顔を取り戻すために!!」
全員の、心は一致した。
「ミント、スライムポットを呼んでカサスに憑依させろ。足止めしている隙に暗殺者たちを倒すんだ」
「はい!」
「わかった!」
返事と共に皆が行動に移る。
も手近な暗殺者を倒しつつ、魔獣たちの様子を窺う。どうやら今いる魔獣たちはカサス側のものではなくクラウレ側のものらしい。
特に帰郷を望む様子もないので、心置きなく倒してしまう。
そうして大方開けた道を進み、フェアとコーラル、そしてセイロンがクラウレへと戦いを挑んで――
「クラウレ!! カサスさんを元に戻す方法を教えなさい!!」
ピッと。切っ先を向けてフェアが言った。
クラウレは特に何の感情も見せずに淡々と告げた。
――元に戻す方法など、どこにも存在しない、と。
「『狂血の呪い』は犠牲者の血によってその力を増していく。賭け試合の闘士として血塗られた日々を強要されてきたそやつは、呪いが魂に食い込んで引き剥がせぬ有様となっているのだよ」
そんなこと、言われずともにはわかっていた。普通に祓ったのでは、カサスには死しか待っていない。けれど……
「そんなこと、やってみなくちゃわかんないでしょう!?」
「ならば、試すか? 失敗すれば、そやつの魂は散り散りに砕けてしまうだろうがな」
「く……っ」
けれど、誓約者としての力を使えば――
「いや……可能性は、あるか。今この場に、たった一人だけ、カサスの呪いを完全に解ける可能性を持つ者が」
同じ、ことを。考えたのだろう。
クラウレが呟き、視線を投げてきた。
目を逸らすこともなく、何も言わず、何も動かず、ただその視線を投げ返していると庇うようにしてアルバと――そしてミントが間に立った。
「にだって、できることとできないことがある」
「どうすることもできない流れをも押し付けることは負担でしかないわ」
セクターのことを、言っているのだろう二人。
は何も答えずに、ただ立ち尽くす。
二人の人間と、そしてとを見、クラウレは目を眇めて鼻を鳴らした。
「……おぞましいものだな、ニンゲンとは。余興で召喚獣を戦わせ勝たせるため、呪いで魂すら歪めてしまう。秩序を正すべき者すら、そうした者を放置し、目をそむける。同族以外の生命など、どうでもいいと考える何よりの証だな」
クラウレの言葉に、すべての人間が言葉をなくす中――
「……だまれッ!!」
凛とした、威厳ある声が。それらを打ち消した。
それは、コーラルの声。
「そこまでわかっていて、なのに何故……貴様はそれを利用しているのだ!?」
「御子殿……」
「呪いをかけた者たちをおぞましいとほざくのであるなら……それを利用している貴様とて、同罪だ!! 恥を知れッ!!!」
「言われるまでもない! だが、全ては大いなる悲願を成就させるために必要なことなのだ!」
未来の守護竜の責めにも折れることなく、クラウレは言い放った。
「そやるの望んだ願いは俺と何も変わらぬ。自らの意志で決断し、戦いの道を選んだのだ。強要はしておらぬ! 今、その証を貴様らに見せてやろう……」
スッと、クラウレの目がカサスを捉える。
「さあ、戦うのだ!! 『獣皇』よ!」
「グ、ルル……ッ」
否を唱えるように、カサスは低く唸った。しかし、構わずクラウレは言葉を続ける。
「貴様がここで倒れれば、子供たちはどうなる?」
ぴくり、と。カサスの耳が動いた。
「傷つき、飢えながら追われる日々を、また繰り返させるのか? ニンゲンに怯える必要などない、笑顔で暮らせる明日を、幸せな未来を与えてやりたいと願ったのは偽りなのか!?」
悲しみに満ちていた瞳に、確かな光が宿る。
憑依したスライムポットに逆らうことなく垂れていた腕に、力が込められる。
そして――
「ギャオオオオオオオオオオォォォォッ!!!」
――バチンッ!
「きゃあっ!?」
「ミントさん!?」
憑依を無理矢理破って、カサスは――否。獣皇は立ち上がった。
鋭くこちらを見てくる瞳にはもう、迷いはない。それは――死をも覚悟したものの目だった。
「よせ! おまえを犠牲にして願いを叶えられて、本当にあいつらが喜ぶと思うのか!?」
の言葉も、もう届くことはなかった。
真っ直ぐに向かってきて振り下ろされた爪を、飛び退って避ける。
クラウレの、言う通り。獣皇は、自らの意志でフェアたちの敵となった。その事実が、彼らの中に、絶望として根付いていく。
「殺すしか……止められないの?」
コーラルが悲しげに呟いた――刹那。
笛の、音が。
「この音色は……」
「暴れる『獣皇』を鎮めた、あの時の笛の音色……」
知っている者たちの呟き。
そして、それは確かにその通りになった。
獣皇から凶暴性が急速に削られていき、やがてその姿がカサスへと戻った。
「ご苦労だったな、『獣皇』よ」
そうして現われた、二人の人物。一人は、ギアン。そして、もう一人は――
「『城』に戻って身体を休めておけ。あとは『姫』さまと、この私が引き受ける」
「ひ、め、さま……」
「ごめんね、カサス。貴方にはいつも無理をさせてばかりで……さあ、早く戻って待っている子供たちを安心させてあげて?」
「はい……」
カサスの姿が光に包まれて消えて、こちらへつ向き直った少女。
ようやく姿を現わした、件の――『姫』。
名をエニシアと言うらしい彼女は、なるほど。姫と呼ばれるに相応しい物腰と気品を持っていた。そして、その心にあたたかな優しさが満ちていることも……
カサスへの言葉と、カサスに無理を強いたクラウレへの言葉とで、それはよくわかった。
それから、ギアンの態度。こちらを悪者に仕立てようとする彼のそれが、エニシアを都合よく騙しておくための作り物であることも、手に取るようにわかった。
しかし、故郷を追われた御使いたちは、感情に振り回され事実を正しく認識できず、先走った行動へと移ってしまって。
「ほらね、そうやってすぐに化けの皮がはがれる……」
ギアンの蔑んだ眼差しに、剣呑な光が宿った刹那。
「つくづく、救いがたい愚か者どもめッ!!!」
召喚術――否。魔力の衝撃波によってセイロンが吹き飛ばされた。
冷ややかな目でそれを見たままギアンはクラウレにエニシアを連れて先に帰るように命じた。
それを止めようとしたアロエリも、クラウレによって負傷する。
あっけなく敗れた二人のもとへは、フィルとリビエルが駆け寄り、すぐさま治療を施して。
安堵を覚えたのも束の間、はきつく拳を握った。
セイロンへの攻撃――以前なら結界でもって防ぐことができた。けれど、今は全く動けなかった。
それは、ギアンの力が強かったからではない。
――明らかに、己の反応速度が落ちているためだった。
メイメイの力を借りた状態でも尚、抑えきれなくなってきていることの証……もう、猶予はそんなに、ない。
思考の海に沈んでいたは、不意に顔を上げた。視線を感じたからだ。
「まだ、何かあるの!?」
フェアの声。それはギアンに対してのもの。
けれどギアンはフェアを見てはおらず――彼と、目が合った。
しっかり目が合ったことを確認してか、ギアンは口端を持ち上げて。
「良心が痛むのかな? 自分が招いたこの事態に」
「なん、だと……?」
「事実だろう? 全ては君たちが選んだ選択の結果じゃないか。言い換えるなら、カサスも君の犠牲者だ」
――ギアンも、知っている。あの時の笑みは、こういう意味だったのか。
「にも拘らず、カサスの呪いを解いてはやらなかったのか」
「――は万能じゃない!! できなかったからやらなかったんだろ!!」
非難の言葉に対して、否を唱えたのはアルバ。しかし――
「おや? 君たちは知らないのか。彼はカサスの呪いを解くことができるよ、それは数年前に既に立証されている」
「な――ッ!?」
「無色の派閥、最大勢力だったセルボルト家当主・オルドレイクによって殺された少年を生き返らせ、魔王の憑代となった青年を元のままの姿で救い出したのだからね」
初めて知ったほぼ全員が息を呑む中、この中で唯一このことをその目で見て知っていたアカネが口をはさんだ。
「なな、なんで、あんたがそんなこと知ってんのよ!?」
「簡単なことだよ、クノイチのお嬢さん」
「なっ!?」
「今回私が雇った紅き手袋の暗殺者の中に、あの件に関わっていた者が含まれていただけさ」
道理で、そこまで詳しく知っていたわけだ。
得心はいったが、は口を開くことはしない。議論というか口論は好きではないし、得意でもないから。
弁解も何もする気配のない様子をどう捉えたのか、ギアンは悠然と笑う。
「沈黙は肯定と受け取って構わないのかな? カサスを救えたのに、救わなかった――と」
「……好きにすればいい。おまえにとって重要なのは、真実じゃなくて事実なんだからな」
「それは当然だろう。事実は打ち消しがたい現実であって、真実は事実を脚色するものだ。事実こそが全て。……それとも、その真実とやらに何かあるとでも?」
これ以上、言う気はなくは口を閉ざしたまま。代わりとばかりにギアンが言葉を続ける。
「ああ、どうでもよかったのかな。君にとっては、この世界やそこに生きる者の事情なんて。だから、選べたということかな」
「さっきから、一体何を言ってるのよ、ギアン!?」
フェアの怒りを含んだ問いにも答えず――見向きもせず、ギアンは更に言う。
「この世界は君にとって何の価値もない場所か。何故なら、君はこの世界で生まれた人間じゃないから――」
――それは、一瞬の出来事だった。
「黙れ、小僧」
「それ以上のお喋りは、私たちが許さないわ」
背後からはガルマが、正面からはエルが。それぞれにギアンの首に剣を当てて言った。
ギアンは目を眇めて彼女らを見て。
「なるほど……流石に優秀な護衛獣がついている」
護衛獣という言葉に、は眉根を寄せた。
しかし、反論したのはではなく、当の本人たちで。
「私たちはの護衛獣じゃないわ」
「貴様の卑小な価値観を押し付けるな」
「ほぉ? 誓約に縛られた身では、説得力などないな」
余裕を崩すことのないギアンの言葉に、しかし今度は二人が笑って。
「愚か者め。我らのどこに誓約の鎖があるというのだ?」
「そうよ、私たちとの間には強制的なものは何もない。あるのは自由意志だけよ」
それは、事実。は召喚術など使ってはいないのだ。
ただ、路を開くだけ。そこを通るかどうかは相手の自由意志なのだ。
それが、誓約者としての力の中で、が望んだ形。
「……なるほど。そういうことも可能なのか。それが、至源の力のなせる業か」
「黙れ」
「これ以上のお喋りは許さないと言ったはずよ」
「去(い)ね、小僧。命が惜しいならばな」
他の言葉を許さぬ、二人の本気の威圧。
ギアンはしばし口を噤んで見つめたあと、ふっと瞑目して笑った。
「今日のところは失礼させてもらうよ」
撤退宣言を聞き、ようやく二人は剣をどけて、ギアンも襟元を正した。
「では、また改めてお目にかかるとしよう」
最後まで余裕綽々に笑って、ギアンはその場から姿を消した。
ひとまずの戦闘終了で、はくるりと踵を返す。――と、アルバがその腕を掴んで。
「、どこへ行くんだよ」
「龍姫のところ。夜までには戻る」
目も合わさずに用件のみを伝えるが、アルバはなかなか手を放さず。それでも、ややあってから無言で手を放してくれて。
はその場を一人立ち去った。
「ねえ、アカネ。さっきギアンが言っていたことって本当なの?」
の去った後。傷は治したもののダメージが大きく、意識を失ったままのセイロンとアロエリを宿へと運ぶ途中で、フェアは問いを投げ掛けた。
問われた当人は小首を傾げて短く唸る。
「う~ん……バノッサたち――って、例の助けられたヤツの名前なんだけど、それはホントだよ。あたし見てたもん。ただ、呪いに関してはわかんない」
「聞いた限りでは、その時の状況と今の状況では、全く事情が異なっていると思うけれど……何か根拠があったのかな?」
ミントもまた、ギアンの発言には疑問をもっているらしい。
それはそうだ。自分たちは、セクターの件での口からはっきりできないと聞いているのだから。
――でも、何かが引っかかる。
「エルたちは、知ってる――よね?」
サプレスへと帰ることなく残っている二人へと問えば、二人は顔を見合わせて。
「自分に救える生命があるのなら、それを躊躇ったりはしない。は、そういう子よ」
「しかし、状況を見極め、己が手を出すべきか否かの判断は適切に下すがな」
何やら相反する答えのような気がするものが返ってきた。
「え~っと……つまり、やっぱりカサスさんを助けることはできるかもしれないってこと?」
「けど、今すぐにはできない事情があったから、そうしなかったと?」
「そういうことね」
「その事情っていうのは……」
「さあな。我らとての全てを知っているわけではない」
「あの子、隠し事は大得意だから」
少し困ったような笑みを浮かべるエルからは、先程ギアンに対峙していたような威圧は全く感じられない。それは表情を変えてはいないガルマも然り。
でも、あの時の二人の怒りにも似たあれも本当のことで。
本当は、の力について、ギアンが言っていたことの真偽も確かめたいのだけれど、それはやめておくことにする。
きっと、教えてはくれないだろうし。
が――話してもいいと、思ってくれるまでは……
「あら、二代目。いらっしゃ――」
「メイメイ、見てたんだろ。『狂血の呪い』はオレに解けるものなのか?」
挨拶を遮り訊かれたことに、シャオメイは嘆息した。
「あなたは二代目のエルゴの王。望むだけであらゆる術を行使することができるわ。ただ、今の状態では……最悪の事態を考慮したとしても確率は五分に満たない」
「……そう、か……」
「後悔、しているの?」
「自分で望み、選び取った道だ。後悔なんかしない。ただ――」
――歯がゆいだけだ。
それは言葉にはならず、けれどシャオメイは確かにその想いを聞いて――ただ、静かに瞑目した。