書 き 殴 り ・ 20

 ――泣いている、少女がいる……


 妖精と、人間との間に生まれた『響界種』。それが、己の正体。
 人間ではなかったから……その能力の片鱗が顕れていたから、今まで勝ってこられた。
 でも、これからはどうする? どうなる?
 『人間』は『異分子』に対して冷酷な生き物だ――と。ギアンは言った。己の体験として。
 だから、共に行こう、と。傷付けられる前に、『人間』から離れよう、と。
 差し伸べられた手は、駆けつけたアロエリたちによって宙ぶらりんになったまま、ギアンは去っていった。
 フェアの心に、大きな大きな『不安』だけを残して……
 忘れていた『不安』の消し方。それを教えてくれたのはコーラルだった。
 確かめてみなければ、始まりも終わりもない。
 その、確かめることが何よりも怖いのだけれど……でも、一歩踏み出してみなければ、一生不安も恐れも消えないから。
 怖いと思う……でも、それ以上に、会いたいと思う人の元へ、フェアは歩き出した。

「こ、こんにちは……」
 向かった先は、シャオメイの店。
 恐る恐る顔を覗かせると、店主である少女は机上に置かれた水晶を見つめて深刻な顔をしていて――こちらには気付いていないようだ。
「……シャオメイ?」
「あ……いらっしゃい、お姉さま」
「どうか、したの?」
「ううん、何でもないの。ちょっと考えごとしてただけ♪」
 再度呼びかけてこちらに気付いたシャオメイ。いつもの調子で見せた笑顔が、強張っているように見えるのは気のせいだろうか。
 一瞬怪訝に思ったが、そちらに気を回していられる余裕はなくて、フェアは本題を切り出した。
「あの……は?」
「ちゃんと無事よ」
 人差し指で宙に何かを描くシャオメイ。すると、上に浮いていた球体が静かに下りてきた。
 は――まだ眠っているようだ。眉間に皺が寄っていて、つらそうな表情に見える。
「これって、ずっとこのままなの?」
「……呼びかけてみて。二代目が目を覚ませば消えるから」
 それだけ言うと、シャオメイは奥へと姿を消してしまった。
 そのまま戻ってくる気配はない。
 気を、遣ってくれたのだろうか……それとも、に会うのが怖かったのだろうか。
 どちらにしろ今のフェアには好都合。
 フェアはその場に膝をつき、そっと球体に触れた。
……起きて……」
 小さな呼びかけは、球体に波紋を起こさせた。
 一度だけ、触れていた部分から広がり、消えた。――中のに、変化はない。
。もう起きても大丈夫だよ?」
 また、広がる波紋。けれどやはり、に変化はなくて。
 本当に起きるのだろうか。
 以前寝惚けた彼に抱きすくめられた時は、結局起こせず仕舞いだったのに。
 それに、強制的に眠らせたとシャオメイは言っていたのに、今日はが目覚めればこの球体は消えるなんて……まるでが自らの意志で眠り続けているような言い方だった。
 ――本当に、起きてくれるのだろうか。
 全てを拒絶しているかのようにも見える。全てを――自分を。
「……っ、ねえ、起きてよ……」
 話す、以前に、拒絶されている……?
 拒絶されるのも、怖い。けど、このまま眠り続けて――いなくなってしまうのも怖い。
……話したいことが、あるの……だから、起きて……っ」
 不安は尽きることなく、逆に増え続け、涙が溢れてきた。
「お願い、だから……っ、起きてよ、っ!」
 額を球体に押し付けて、強く呼びかけた。
 それは大きな波紋となって球体全体を揺らして――の瞼が、小さく震えた。
……」
 の目が、開く――それに合わせるかのように、球体は上からバラバラと小さな破片になって崩れ……しかし下へは落ちずに上へと昇って消えていって。
 床に座り込むような姿勢のだけが、その場に残った。
 僅かに顔を上げた彼の目が、己の姿を捉える。
 悲しみを映したように見える瞳が揺らいで――俯き、姿を隠した。
「…………て……っ」
 まるで自分を見たくないというよなその動きにフェアが体を強張らせた時、小さな声が聞こえた。
 そして、とんっ――と。の頭が、フェアの肩にぶつかった。
「どうしてオレは、いつも守られるんだ……っ」
 耳を打つ、掠れた呟き。それは、嘆きの言葉だった。
「守られることなんて、望んでいないのに……オレの意志を聞くこともしないで……っ」
「あ……」
 シャオメイは言った。強制的に眠らせた、と。その前に一時期の魔力を封じた時も、本人の了承はとっていなかった。
 あの時の彼は物凄く怒っていたけれど……怒りしか表面には表れていなかったけれど、その根底にあったものは怒りよりも『嘆き』――だったのだろうか……
 守られてしまうような自分が情けなかった? 不甲斐なかった? それとも、もっと別の理由――?
 彼の想いはわからない、けれど……
「どうして……っ」
「……が、大切だからだよ……きっと……」
 彼を守ろうとした者の気持ちなら、わかる気がする。
に、いなくなってほしくなかったからだと思う」
「……っ」
 ぐっ、と。フェアの腕を掴んでいたの手に、力が加わった。
 耐えるような、それ。
 言われたく、ないことだったのだろうか?
 でも――本当のことだ。
「わたしも、そうだよ……いなくなってほしくない……元気でいて欲しいの……っ! だから、わたしたちのことを想ってくれるなら、もっと自分を大切にしてよ……っ」
 アルバが言っていたこと……心配するしかできない身は、確かにつらい。だからこそ、笑っていて欲しいのだ。
 その想いは、きっと皆同じ。
 でも、伝わるだろうか……アルバたちが何度も言ってそうだけど、それでも無茶ばかりしていたのに。
 伝わる、だろうか……自分の言葉は、彼の心に……届くだろうか。
 ――受け入れて、もらえるだろうか……?
 ややあって、フェアの腕から痛みが消えた。の手から力が抜けたのだ。肩に寄せていた頭を――少しだけ動いて。でも、触れ合ったまま。
「……オレは……守られたくない……けど……ごめん、心配かけて……」
 呟きではない……一方通行ではない言葉が、発せられた。
 それからようやくは体を離して、小さく笑って見せた。
「悪いな、愚痴って……フェアだって、余裕ない時に」
「……なんで、余裕ないって……」
「そんな顔してる」
「う……」
 一目見ただけで、あっさり見抜かれてしまう。――いつもの彼だ。彼、だけれど……いつものことだけれど、ずるいと思う。
 これは年齢の――経験の差? まるで敵わない気がする。
 でも、彼の心を、少しだけれど知ることができた。自分の言葉が、僅かでも届いた。そのことがわかっただけで――嬉しい。
 それと同時に、怖さも増したけれど。
「……話、あるって言ってたよな?」
「う、うん……」
「聞かせて、くれるか?」
 彼のほうからそう促されて――背中を押されるような気持ちで頷いた。


 場所を移動し、今は町外れの林の中。
 人がいない場所のほうがいいかと思って誘ったのだが、はたしてその通りな内容だった。
 幻獣界のヒトを絶滅させた『解魂病』の病原菌。それを浄化したのは自分だ、と。フェアは言った。あのドブ池と呼ばれている泉にラウスの命樹があり、そこに己の母親がいるのだ、と。
 自分は、エニシアと同じ、妖精と人間の間に生まれた響界種だった――と。
 が眠らされている間の出来事と共に、フェアは己の出生を語ったのだ。
「響界種――ねぇ……」
「……は、あまり驚かないんだね……」
「別に、取り立てて驚くことでもないだろ」
「どうして? だって、わたし……人間じゃ、ないんだよ?」
 恐怖を押し込めた、すがるような眼差しを向けてくる少女を目を細めて眺め、溜息をつく。
「人間だろ。少なくとも半分は」
「半分は妖精だよ!!」
「……だとしても。オレとフェア、どこか違いはあるのか?」
「見た目の問題じゃないでしょ!?」
 溜息再び。冷静さというものが今のフェアには欠けているということがわかり、少し考える。
「……聞き方を変える。今、この場にいるおまえは何だ?」
「だから……ッ、人間と妖精の――」
「コーラルを拾って、守るために戦ってきたおまえは、何だ?」
「…………」
「『人間』か? それとも『響界種』か?」
「…………」
「違うだろ? そんなモノを背負って戦ってきたわけじゃ、ないだろう?」
 長く続いた沈黙の末、返答を求めて聞けば、ようやく小さく頷いてきて。
「もう一度聞くぞ。『おまえ』は何者だ?」
「……フェア、だよ……この町で生まれ、育ってきた子供で、今は宿屋をやっている――フェアだよ」
 やっと辿り着いた答えに、は満足げに微笑む。
「それが、正解だろ。生まれや肩書きなんてものじゃあ、人の本質なんてわからないんだよ。大切なのは心の在り方だ。フェアがフェアとしていれば、それでいいとオレは思うがな」
「……うん……っ」
 フェア自身も、その答えに満足――安心できたのか、やっと笑った。少しだけ涙を浮かべて。
 そんなフェアへと、は手を差し伸べる。
「帰るか? みんなにも、話すんだろう?」
「うん……っ」
 少し照れたように笑って重ねてきたフェアの手を握り、二人は宿への道を歩き出した。
 歩き出してしばらく、フェアは小さく言葉をこぼした。
「あの、ね…………にとって、わたしたちは仲間――だよね?」
「それがどうかしたのか?」
「肩書きじゃ、人の本質はわからないんだよね?」
「事実だろ?」
「そう思う……けど……」
「けど?」
「じゃあ、なんではそれを秘密にしてるの?」
「――――」
 思いがけない指摘に、は見事に言葉を失ってしまった。
 次元が違うだとか、前例がありすぎるだとかいうことは、言い訳に過ぎない。未だに隠し続けているということは、彼女たちを信用していないのと同義なのだ。
 どれだけ言い繕っても、それが事実だ――と。
 人には簡単に言っておきながら、自分は言ったことを実行していないなんて、無責任もいいところだ。
「……どうしても話したくないことを無理に聞く気はないよ? ただ……がわたしたちを助けてくれるように、わたしたちもの力になりたいの。でも、何もわからないままじゃ、どうしていいのかもわからないし、知らないうちにの負担になっちゃうこともあるから……」
 言って、態度を変えた者は確かにいた。でも、変わらなかった者も確かにいたのだ。
 肩書きに……誓約者という力については、もう話してもいいのかもしれない。
 ――けれど。
「だから、話せる部分は教えてほしいの。何が負担で、どんなことはされたくないのかとか……そういう、小さなことでいいから、少しずつでも話してくれると嬉しいよ……」
 控えめなフェアの言葉。
 は彼女に背を向けて歩きながら、口を開いた。
「……今は、まだ言えない。けれど、コーラルの件に片がついたら……そうしたら、話す……」
 それが、現時点での結論。
 今の状態では――芋蔓式に、全てを話さなければならなくなるから。
 それだけは、避けたかった。
 やっていることを、やり遂げるまでは……今までの苦労を、無にするわけにはいかないから。
「本当に……? 本当に話してくれるの?」
 まさか本当に打ち明けてくれるとは思わなかった――と。ありありと伝わってくる声音でフェアが呟くように確かめてきて。
 は、頷く。
「ああ、話すよ。……今回の戦いが終わって…………――」
 最後に続くはずの条件は、唇で形を作るだけで声にはせずに。
 その条件には、の思惑通り気付かなかったフェアが、嬉しそうな声で言った。
「うん……待ってる……だから、戦いを終わらせよう」
「そうだな」
 同意を示し、その言葉を形にすべく二人は道を進んだ。


 シトリス高原でのフェアとギアンの話し合い。
 フェアの言葉はギアンに届くことはなく、まるでその溝を浮き彫りにするかのように、トレイユの隣にある農園で召喚獣たちによる暴動が起きた。