書 き 殴 り ・ 23

「……?」
 何かを感じた気がして、男は呟いた。
 その呟きに気付いた同行者の女が、男を振り返る。
「どうしたの?」
「……なんだろう……上手く言えないけれど……胸騒ぎ、かな?」
 一度、高く空を仰ぎ、そして目を閉ざす。
 耳に届くのは小鳥たちのさえずりと、風邪が草木を鳴らす音。
 平和な光景、平穏な自然の音楽。
 けれど、確かに感じるよくない何か。
「急いだほうがいいのかもしれない」
「じゃあ、行こう。この峠を越えれば、もうすぐトレイユだよ」
 女の言葉に頷き、男は再び足を進めた。


 長年、憎しみだけに目を向けそれを糧にしてきたギアンには、もはやフェアの言葉も、エニシアの言葉も届かなくて。
 憎しみ以外を認めようとしない彼は、逃げるように駆け出し、城の外――バルコニーをかなり拡大したような広場へと行った。
 その後を追った一同の目に映ったのは、複雑な文様の魔法陣と――その中央に横たわる人影。
「――っ!?」
 意識は、ないようだ。ぴくりとも動かずにいるの傍らに、ギアンは立った。
「近寄るなあぁーっ!! ボクは、正しいんだ! 正しくなくては、ダメなんだあぁーッ!!」
「ギアン、を返して!!」
「竜になるんだ……竜にさえ、至ることができたなら……なにもかも、きっとボクの思い通りに変えられるんだ!? この苦しみも、きっと消えてしまうはずなんだアァーッ!!」
 魔方陣が、淡く光を放ち始める。
 ギアンの耳には、もう誰の声も届かない。
「やめて!! ギアンっ!?」
 駆け寄ろうとしたフェアは、魔方陣の放つ光に弾き飛ばされて。

「うわあああああアアアアアぁぁぁぁぁァァァああぁぁっ!!!!」

 ギアンの叫びが響き、強い光が――満ちた。


「……っ」
「大丈夫? フェア」
 耳元で聞こえたコーラルの声に、フェアは目を開けた。
 座り込んでしまっている自分の肩を、コーラルが支ええくれていて――頷き、立ち上がる。
「ギアン……」
 呆然としたエニシアの呟きで、そちらに目を向ける。――と、そこには、コーラルとは随分違う姿の赤い巨大な竜がいて。
「あなた、ホントに『至竜』に……」
「それは、違うよ」
「え?」
「彼は……ギアンは『竜』には至れなかったんだよ。いかに素養があろうと、魔力を高めて完璧に儀式を行なおうとも、魂が強くなければ……精神(こころ)が弱いままじゃ、ダメなんだ……」
「じゃあ、今のギアンは一体何なの!?」
「あれは『堕竜』だ。至りし竜にあらず、至る途上の道にある『亜竜』にもあらず。道そのものを踏み外し、歪み、墜ちてしまった魂の成れの果て」
 ――それが、『堕竜』だ。
 淡々と、セイロンは告げた。ギアンを鋭く睨みつけて。
「竜の姿は、魂の姿。彼の精神を包む魂殻が肉体となったもの、あの凶々しい姿は、ギアンの心の闇が形を成したものなの」
 リビエルもまた、言う。
「それじゃあ……は? はどうなったの……?」
「……」
「ギアンの隣にいた――魔法陣の中にいたは、どうなったの!?」
「……おそらく、堕竜の内に、取り込まれてしまったと……」
「そんな……」
 助け出す方法はないとでも言いたげに、セイロンは苦渋に満ちた表情で告げた。
 ――と、その時。

「グギャオオオオオオォォォォォォンッ!!!」

 ギアンが――堕竜が吠え、その口からまばゆい光が放たれた。
 その光は、遠くにあった山をひとつ吹き飛ばしてしまって。
「能力が制御できずに暴走してる……現実を認めることを拒んで自我を放棄してしまったから、抑制を失った能力が際限なく溢れ出してしまってるんだ!!」
 コーラルの言葉を裏付けるように、堕竜の瞳にはもう知性の光はない。獰猛な輝きだけを宿して周囲を見ている。――と、不意にその目が一ヶ所で止まった。そして再び口許に集められる大量の魔力。
「まずい! 再び撃つつもりだ!!」
「あれを撃たせたら町は消し飛んでしまうぞッ!?」
 危険を察した者が叫び、ミントとリシェルが召喚術で相殺しようとした――が、送還術によってそれは阻止された。
 そして、駄目押しとばかりに邪眼によって全員の動きは封じられて。

「やめてええぇぇぇぇぇぇ――ッ!!!」

 フェアの叫びも空しく、堕竜はその一撃を放った。
 まばゆい光。凄まじい魔力の奔流。
 誰にもどうすることもできないかに思われたそれは――

 ――リィンッ。

 張り詰めた音がした直後、『城』の外へ出ることなく止められた。
「一体、なにが、起きて……」
 止まってはいても、消えてはいない。
 四方へと溢れ出しそうになるそれは、徐々に集まり塊となる。
 集められた巨大な光球。その奥に、ひとつの人影。
「意志持たぬ力よ、その形を解きマナへと還れ!!」
 聞き覚えのない、男性の声。その声のままに巨大な光球は、まるで蒸発でもするかのように細かい粒子状になって消えてしまった。
 光が消え、はっきりと見えるようになった男性の姿。
 己の力を消した相手を敵とみなしたのか、堕竜が男へ攻撃を仕掛けたが――
「シャインセイバー!」
 通常よりも大きな五本の剣が、堕竜を囲むように床に突き刺さり、一本一本が光を放って光のオリを作り上げ、堕竜を閉じ込めてしまった。
 堕竜の動きを封じたその人物は、すとん、と。軽く着地を決めてこちらへとやってくる。
 黒い髪に優しげな笑みを浮かべたその男性。見覚えのない彼の正体は……
「トウヤ!?」
「トウヤにーちゃん!?」
「やあ、アカネ、アルバ。久し振りだね」
 アカネとアルバの知り合い。そしてその名は幾度か耳にした、と同じ力を持つという人物。
「なんでトウヤがこんなとこにいんの!?」
が、ロレイラルの力を使ったのを感じてね。辿ってここまで来たんだよ。この城まで飛ばしてくれたのは、下の町にいた知人だけれどね」
 まさか、あんな姿でこんな所にいるとは思わなかった――と。そんな呟きも聞いてはいないのか、ルシアンが前へと出て。
「トレイユの町はどうなってました!?」
「心配はいらないよ」
 見るからに心配そうに叫んだルシアンへ、男性・トウヤは笑みをもって答えた。
「下にはカシスも来ているし、ルヴァイドたちもまだまだやる気だったからね。ゲイルもどきの暗殺者は、じきに片付くんじゃないかな」
「そ、そうですか……よかったぁ……」
「ところで、はどこにいるんだい?」
 安堵を浮かべたルシアンに微笑みかけた彼は、ついでアルバとアカネへそう訊ねた。それによって一気にその場の空気が凍りつく。
「……ん?」
 誰も答えようとして答えられない中、フェアが震える手を真っ直ぐに堕竜へと伸ばして。
「あの、竜の中に……取り込まれて、しまったって……」
「あれの中に?」
 訝しげな顔で堕竜へと目を向けたトウヤ。――と、堕竜は、光のオリを破ろうと暴れだして。翼にあたる部位だろうか。それが光へと当たり、日々が入った。
「ロレイラル」
 静かに堕竜を見ていたトウヤが、不意に呟いた。彼の人差し指に美しい黒い光が現われ、彼が示すまま真っ直ぐに飛んだその光は、シャインセイバーの一本へと宿り、光を増す。
「シルターン」
 今度は赤い光が、先程とは別の一本へと宿り、輝く。
「サプレス、メイトルパ」
 紫、緑と同じようにシャインセイバーに色付いた光が灯って。
「そして、リィンバウム」
 最後は、白い光が残りの一本へと宿り、計五色の光の柱が堕竜を囲んだ。
「離れることなき五つの力よ、その絆をもってして鎖となれ」
 その言葉で、光のオリを更に囲むように、縦横無尽に五色の光が網目状に走って、完全に堕竜を閉じ込めたように見えた。
 見たこともない、圧倒的な力に、皆呆然としてしまった。
 その耳に。
「……本当にいるようだね」
 トウヤの呟きが届いた。そして、溜息と――ぼやき。
「まったく……一体何をやっているんだろうね、あの人は……」
 呆れた――心配などまるでしていないという様子のそれに、アルバが声をあげる。
「そんな呑気に言ってる場合じゃないってば!」
「彼は無事だよ」
「――え?」
「『守り』は生きているからね。あの中にはいても、あれと同化はしていないよ」
 あっさり告げられた言葉を全員が頭の中で吟味して――そしてフェアが代表して、問う。
「……それって、まだ助け出せるってこと?」
「もちろん」
 即答。疑いようもない事実だ、と。彼の態度が物語っていて。
 嬉しいというよりも、ただ気が抜けてしまったフェア。
「……とはいえ、易々とそれを許してくれる相手には見えないけれど」
 その言葉と、轟いた咆哮とで、現実へ――やるべきことへと意識を戻した。
 堕竜は、オリを破ろうとでもしているのか、暴れていた。
「あのままでは、自滅してしまうよ」
 堕竜が攻撃する度に、オリは波うち、それが空気を震わせてこちらまで伝わってくる。その様子を見ていたコーラルが、苦々しく言った。
「自滅って……」
「ギアンは、どうなってしまうの?」
「正気に戻らない限り、魂が砕け散る瞬間まで荒れ狂い続けて、やがて最後には存在そのものが完全に消滅してしまうんだ。転生の輪にも戻れず、生まれ変わることも二度とない……」
「それはまた、なんとも気分の悪い話だね」
 堕竜が『何』であるかは知らないだろうトウヤも、ひとつの命が――魂が消えてしまうという事実を快く思わないようで、眉をひそめて呟いた。
「なんとかして、止めることはできないの!?」
「ギアンが正気に戻れば暴走は止められるよ。だけど……彼を元の姿に戻してあげる方法は、たぶん、存在しない……」
 告げられる、無情な現実。
 項垂れそうになる気分を突き破ったのは、変わらぬトウヤの落ち着いた声。
「まあ、その問題は後回しにして、とりあえずあれを正気に戻してを助け出すのが先じゃないかい?」
「トウヤ、そんなあっさりと……」
「事実だろう? 生きてさえいれば、どうとでもできるじゃないか」
 何も問題を感じていないような言葉。それは、さえ助け出せればいいと思っているのではなく、もっと別の何かを感じさせた。
「トウヤにーちゃん、まさか……」
「アルバ。後回しだって言っただろう?」
 唇に人差し指を当て、ナイショの合図。それがアルバには確信となった。
「わかった。ギアンを止めればいいんだよな?」
を助け出すほうも頼みたいんだけど?」
「って……にーちゃんはどうするんだよ?」
「僕はを引っ張るよ」
「――は?」
は今、あれの奥深くに沈んでいる。それを表層付近にまで引き上げるってことだよ」
「そんなこと、できるのか?」
 信じられないといった体の問いはグラッドの口から出たもの。けれど全員の疑問でもある。
 トウヤは簡単に言っているが、普通に考えたらできるはずがない。だって、それは身体の中の臓器を移動させると言っているようなものだから。――けれど。
「可能だよ。僕が持つ力は彼のそれと全く同質なものだからね。共鳴させれば引き合うんだ。磁石に例えればわかりやすいかな?」
 やはりあっさりと言ってしまう。
 ミントが憧れだと言った、アルバが責任を負えないと言った、その力を持つが故の自信なのだろうか。
「それに、周囲に被害を出さないようにするには、あの結界も維持しなければならないしね」
「結界って……おいらたち、あの中に入れるのか?」
「入るのは自由だよ。中のモノを外に出さないためのものだからね」
「じゃあ、一度入ったら出られないの?」
「網目の間は通り抜けられるよ」
 なるほど。堕竜にとっては小さすぎるが、人間が通るには充分な大きさだ。
「竜が、大人しくしていてくれるのなら、僕がを助け出せるんだけど」
「あの様子じゃムリね」
「だから、頼むよ。近くに来たらわかると思うから、適当に竜の身体を切って引っ張り出してくれ」
 その説明もどうかと思うが、皆しっかりと頷き同意を示した。
「わかったわ。みんな、行こう!」
「私も、みんなと一緒に戦います!」
 フェアの声で駆け出そうとしていた足を、エニシアが止めた。
「みんな、がんばってる。なのに私は見ているだけなんて……そんなのは、もうイヤなの!!」
「だけど……」
 フェアが了承しかねたその時、エニシアの身体から淡い光が生まれ、それが全員の体を包んだ。
「これは……」
「月光花の妖精の能力は、秘めたる才能と力を開花させる……エニシアの想いが、みんなに力を与えてくれてるんだよ!」
「私の想いが……」
「あなたのくれた想い、確かに受け取ったよ。だから、最後まで見てて信じていてほしいの。わたしたちは、絶対に負けたりしない!」
 決意――強い想い。
 その心が伝わったのか、エニシアはしっかりと頷き、彼女たちを見送った。
 そして荒れ狂う竜を、悲しげな眼差しで見つめている。
「……あの竜は、君にとって大切なヒトだったのかい?」
 フェアたちとは共に行かずにその場に残っていたトウヤが言った。
 エニシアは彼を見つめて、頷く。
「はい……っ。ずっと側にいてほしい、大切な家族、なんです……そのことに、ようやく気付くことができたのに、こんなことに……っ」
「なるほど、そういうことか……」
「……?」
が大人しくあの中にいる理由だよ。ひょっとしたら彼は、あの竜を助けたかったのかもしれないね」
さんが……?」
「この状況では、そうも言ってられないだろうから、取り戻させてもらうけれど。どちらも助けることは、必ずできるから。信じられるね?」
「――はいっ!」
 笑みを持って答えた彼女に満足げに微笑み、トウヤもまた結界へと向かった。


 子供の泣き声で、は意識を取り戻した。
「どこだよ、ここ」
 起きるなり開口一番そう言った。――声は、出る。
 目の前には暗闇があるだけで、左右はおろか天地の区別もない空間だったから。
 とりあえず身体に異常はなさそうなので、声のするほうへと歩いてみた。
 ややあって、ぼんやりとした光が見えてきた。子供の姿も、見える。赤い髪の――小さな子供だ。
「何を泣いているんだ?」
 傍らに立ち声を掛けると、子供はびくりっ、と肩を震わせてから顔を上げた。
「だれ……? あなたもボクにひどいことをするの……?」
 怯えた目で見上げてきた子供が言う。は眉をひそめた。
「誰かが、おまえにひどいことをしたのか?」
「……おじいちゃんが……いつもボクのことをぶつんだ……ボクはいらない子なんだって……だからパパはボクを捨てたんだって……っ」
「母親は、どうした?」
「ママは、いるよ。でも、ボク、見たことない……くらい部屋に閉じこめられてて、おじいちゃんしか来ないから……だけど、一度だけ声は聞けたんだ。とびらの向こう側から話しかけてくれたよ。出してあげられなくてごめんね、って言って、とびらについてる小さい窓からお守りをくれたんだ」
「……そうか」
「おいいちゃんは、ママもボクのことをキライだって言うんだ。でも、ママはちがうって思いたい……なのに、おじいちゃんは聞いてくれないんだ……ずっと、ボクはいらない子だって言うんだ……ママも……いらないって、やっぱり思ってるのかな? だから、一度だけしか会いに来てくれないのかなぁ……?」
「おまえは、自分を憎んでいる相手の言うことを信じるのか?」
 また泣き出した子供にそう言うと、子供はきょとんとして顔を上げた。
「――え?」
「おまえのじいさんはおまえが嫌いで、いらないって言ってるんだろ?」
「そう、だよ……っ」
「でも、母親はそんなこと言ってないんだろ?」
「だけど……一回しか、聞いたことない……今は、キライになっちゃったのかもしれない……っ」
「母親が、直接おまえにそう言ってはいないだろ?」
「……うん」
「だったら、信じろよ。お守りをくれた母親のことを。本当に嫌いでいらないなら、そんなもの渡しに来たりはしない」
「でも……」
「信じろ。そして、確かめに行けばいい。母親は、おまえを出してやるために頑張ってるのかもしれないだろ」
「たしかめて、キライだって言われたら……?」
「その時は探しに行けばいいんだ。おまえを必要としてくれる人を」
「そんな人、いないよぉ……だって、ボクは、いらない子なんだもん……っ」
「じいさんにとってはそうでも、他の誰かにとってはそうじゃない。必ずいるさ、おまえを必要としてくれる人が」
「……ほんとう、に?」
「ああ、おまえが誰かを必要とするなら、誰かもおまえを必要としてくれる。それが望む形かどうかの問題はあるだろうが、それは絶対だ。あとは、おまえが諦めなければいいのさ」
「あきらめ、ない……?」
「そうだ。必ず出会えると信じて、歩き続けていけばいい。そのためには、ここで泣いてちゃ意味はないんだ。わかるよな?」
「でも、出られないよ……っ。何もないもん、ここには」
「言っただろう、それじゃ意味がないって。決め付けるな。可能性を否定するな。おまえが動かなければ何も始まらないんだよ。おまえは、ここにずっといたいのか?」
「いたくないよ。でも……っ」
「だったら、立って歩け。ここから出たいなら、出るための努力をしろ。本当に欲しいものはな、待ってたって与えられたりはしないんだ」
「……ボク、出られるの……?」
「おまえが望んで、行動するならな」
「出て、いいの?」
「それがおまえの望みなら、掴み取ればいい」
 ただ嘆くしかなかった子供の目に、光が灯る。強さが宿る。
 は笑みを浮かべ、訊いた。
「おまえは、どうしたい?」
「ここから出たい」
 はっきりと、望みを口にした子供。ただ、それだけなのに、随分としっかりして見えて。
 それでもまだ少し不安を持つ子供へと、は手を差し伸べる。
「なら、行くか?」
「おにいちゃんも、いっしょにきてくれるの?」
「ああ。果てない道のりも、誰かと一緒ならあっという間に過ぎるものだからな。嫌か?」
 子供はふるふると首を横に振った。
「オレの名前は。おまえは?」
 怯えの色が消えた目で、しっかりと見上げて手を取った子供が、名乗る。
 なんとなく予想していた、その名を……

「ボクは、ギアン」



「フェア! 右だ!!」
 戦いの最中、一番初めに気付いたのは誰だったのか。
 確認するような余裕もなく、ただ声の示すまま向いた先に、光を見つけた。
 堕竜の身体の一部が、淡い光を放っているのだ。
 今まで攻撃してきたような禍々しい光ではなく、清らかさすら感じる――白い、光だった。
「……?」
 思い出されたのはトウヤの言葉。近くに来ればわかる、と。竜の身体を気って引き出してくれ、と。
「あそこにがいる!?」
「御主人、下がって!!」
 駆け寄りかけたフェアをシンゲンが制した。すぐ目の前に、堕竜が放った光が、雷のように落ちる。
 やはり簡単には近寄らせてくれそうにない。――と、リビエルが飛んできて。
「フェア! 私が守りを引き受けますわ!」
「でも――」
「先代さまの遺産のお力があれば、少しの間なら防げますわ! 気にせずお行きなさい! さまを――頼みますわよっ!!」
 再び下った魔力の雷。彼女の言葉通り、リビエルはそれを見事に防いで見せて。
「わかった! ありがとう!!」
 しっかりと頷き、フェアはシンゲンと共に光の元へ走った。
 近くにいた魔獣が行く手を阻むように立ち塞がったのを、シンゲンが倒し――そして、光の下をその刀で一閃した。
「今です、御主人!」
 シンゲンが切り裂いたその部分へ、更にフェアは剣を走らせた。――と、光がその部分から溢れてくる。
 もう一度、もっと広く切り裂くと――見えた。鳶色の髪が、白い袖が。光に包まれているの姿が、確かに見えて。
!!」
 フェアは手を伸ばした。けれど、届かない。見えているのに、あともう少しなのに。

「グルアァオォォンッ!!」
「――ッ!?」

 堕竜が吠え、身体が動いた。
 傷を癒しているのか、折角開いた穴が小さくなっていく。
 傷が塞ぎきる前に――と、フェアは身を乗り出して手を伸ばし、そして……の手を、掴めた。刹那――禍々しい光が背後から差し込んだのが見えて、それでもフェアはの身体を懸命に引き寄せて。
 ようやく手元に取り戻せた時を、しっかりとその腕に抱きしめ――そして光に包まれた。


「……あれ?」
 気がついた時、フェアは一人暗闇の中にいた。周囲には誰もおらず、何もない。
 確かに取り戻せたはずのすらいなくて。
「どこよここ……!? みんな!! どこ!?」
 わけもわからず、何故だかすごく不安に駆られて、その場から駆け出した。
 声を出しながら、あちこちへと走ってみたけれど、出口はおろか何もないままで。
「……気持ち悪い……っ」
 感情がごちゃ混ぜになってきて、更に身体の調子もおかしくなってきた気がして。その場に膝をついてしまった。
 吐き気がする。気持ちが悪い。不安。そして――恐怖。
 一人に――独りにされた、恐怖と淋しさが、涙となって溢れて。
「どうして誰もいないの……ねえ……誰か、答えてよぉ……っ」
 何故だろう。いつもならこんなに弱くなることはないのに。
 一歩も動けなくなって俯いたまま涙をこぼし続けた、その時。
「だいじょうぶ?」
 子供の声がして、頭に触れられた。
 反射的に顔を上げたフェアの目の前に、先程までいなかった子供が立っていた。
 どこか見覚えがあるような、その子供……鳶色の髪に赤茶の瞳。髪形は違うし、随分と幼いけれど、この子供はひょっとして……
「……?」
 半信半疑で呼びかけてみると、その子供は笑った。やわらかく自然に――けれど、ひどく楽しそうに。
 違和感。今まで彼はこんな風に笑ったことはあっただろうか。
「だいじょうぶ? 立てる?」
「あ……うん……」
 半ば呆気に取られてはいたけれど、涙を拭って立ち上がった。すると子供は手を握ってきて、そのまま歩き出す。
「こっち。ここはね、長くいないほうがいい場所だから」
「出口、知ってるの?」
「知ってるよ」
「ここ……どこなの?」
「あの竜の中だよ」
 さらっと出てきた言葉に、一瞬思考は停止した。けれどすぐに記憶を探る。
 は確かに取り戻したつもりだったけど――引っ張り出せた記憶はない。つまり……
「えっ!? まさか、わたしも取り込まれちゃったの!? あれ!? でもは!? わたし、確かにの身体掴んだよ!? 何でそんなちっちゃくなっちゃってるの!?」
「……こころ、だから……」
「――え?」
「ここはね、竜の悪い心が集まった場所。憎しみが一番多いけど、悲しさとか淋しさとか、そういう気持ちがある場所なんだよ」
「淋しさ……」
「うん。だから、同じ気持ちになっちゃダメだよ? 取り込まれちゃうから」
 つまり、先程気持ち悪くなったり、物凄く不安になったりしたのは、ここにあるギアンの心に感化されたから、ということか。
「う、うん……わかった、けど……じゃあ、わたしとは?」
「だから、心だよ。魂とかもいうかな? 心だけがここにいるの。だから身体がどうなったかは知らない」
「そ、そうなんだ……がちっちゃい理由も、心だけだから?」
「思い出、だから。記憶の一部、だから」
「……えっと……つまり、子供の頃の記憶ってこと?」
 だから喋り方とか違ってたりするんだろうか。
「あれ? じゃあ昔は、さっきみたいに自然に笑ってたの?」
「うん。他の子と同じように笑ったり怒ったりしてたよ。泣くのは、さすがにお兄ちゃんとしてのプライドがあったからあまりなかったけど」
「今みたいになったのは……」
 何故と聞こうとして、やめた。思い当たることがあったから。
 それを言葉にするのは躊躇われたから。――でも。
が、死んじゃったから」
 さらっと。答えが返ってきた。
にとってはが、にとってはが世界のすべてだったの。狭い世界で生きていたから……狭い世界でしか、生きられなかったから……でも、それじゃダメだって、は気付いたんだよ」
 手を引いて先を歩いている小さな子供の表情は、フェアには見えない。
 声は淡々としているけれど、一体どんな気持ちでそれを語っているのだろう。――今まで、話そうとすらしなかったのに。
「だから、送り出したんだ。それが、今まで以上につらいことを呼ぶってわかっていたけど、それでも狭い世界の中で死んでほしくなかったから」
「……?」
が死んじゃったことを知った日から、長い旅が始まったの。のいない心の隙間を埋める方法を探すための旅……本当の自分の居場所を探す旅が。でもね、それも終わるから」
「――え?」
「ほら、出口だよ」
 言葉と共に子供が指差した先に、光が見えた。あたたかな光だ。
 安堵を感じたフェアは、すぐに表情を強張らせた。
「待って! どこ行くの、!?」
 ここまで案内してくれた子供が、闇の中へと戻ろうとしたからだ。
「一緒に行くんじゃないの?」
「行けないんだよ」
「どうして!?」
「言ったよね、思い出だって。お姉さんが求めてる『』はね、お姉さんがここに来る少し前に、ここから抜け出して行ってるんだよ。だから早く、お姉さんも行ってあげて」
 トンッ――と。子供がフェアの身体を押してた。
 然程強い力でもなかったのに、フェアの身体は浮遊感にとらわれた。
 落ちているのか、昇っているのか。とにかく光のほうへと引き寄せられていく。
「待っ――」
「バイバイ、お姉さん。兄のこと、よろしくね」
 最後のその言葉に、フェアの思考は固まった。
 手を伸ばしても届かず、子供の姿は小さくなり、やがて光に溶けてしまった。
 あの子供は、何て言った――?
 『兄』と、確かに言った。そして己は思い出――記憶の一部だとも。
 笑い方、喋り方、仕草に違和感を覚えたのは、あれがではなかったから――?
 まさか、あの子供は……あの子供が……

!?」
 がばっ、と。身を起こしたそこは、もう闇の中ではなかった。
 光に満ちた、色とりどりの花が咲き乱れている場所。
「あ、れ……? ここって……どこ?」
 流れ的に考えるなら、闇の中で見えた光の出所だろうか。
 立ち上がってぐるりと周囲を見渡したフェアの目に、人影が映った。フェアは急いで駆け寄る。
 本当にあれがだったのか確かめたかったけれど、その人影は子供のものではなかった。
 眠っているのか、花に埋もれるようにして横たわっているのは……
「ギアン……」
 先程の子供の言葉通りなら、ここは堕竜の心の中。そしてコーラルが言った、ギアンが正気に戻れば暴走は止められるということから考え付いたのは――今、目の前にいるギアンを起こせば暴走は止まるのではないかということ。
「ギアン、起きて! ギアン!!」
 思いつくままにフェアはギアンに呼びかけ、肩を揺すったり頬を叩いてみたりしたが、一向に起きる気配はない。
 どうしよう――と。そう思った時。
「……フェア?」
 聞きなれた声が、背後から掛かって。振り返ったそこには、今度こそフェアのよく知る姿のが小さな赤い髪の子供を伴って立っていた。
……よかった、本当にいた……」
「は? というか、なんでフェアまでここに?」
「え、えーと……よく、わかんない……」
 改めて聞かれ、結局大本の理由は知らないままだと気付いた。
 正直にそう伝えると、はあからさまに大きな溜息をつく。
「まあ、なんとかなるだろ……」
「なんか、投げやりっていうか、楽観的だね……」
「やることがわかってりゃな」
「やることって……やっぱり、このギアンを起こせばいいの?」
「ああ」
 フェアの予想は当たりだったらしい。あっさりとはそう告げて。――けれど。
「ボク、ここにいるよ?」
 の傍らに立つ子供がそう言ってきて、フェアは改めてその子供を見た。
、この子って……」
「ギアンだ」
「って、どういうこと? じゃあ、ここで眠ってるギアンは何なの?」
 子供は確かに赤い髪をしているし面影もあるが、フェアの前にはフェアたちと戦ってきた大人のギアンが横たわっている。
 どちらもギアンだというのだろうか。
「そこで眠ってるのが今のギアン。こっちは子供の頃のギアン。幼き日の思い出の姿だ」
「思い出……」
 フェアは、先程の闇の中であった子供を思い出した。
「記憶の一部?」
「そういうことだ。心の奥底に沈んでいた、本当の願いを抱えていた頃のギアンだよ」
「本当の願い……」
「……おにいちゃん?」
 きょとんとした、どこか不安げな子供の呼びかけに、は膝を折って目線を合わせ、真っ直ぐに彼を見て。
「おまえは、もうわかっているよな。おまえが動いたから、闇から出られた。諦めなければ、願いは叶うんだ。なら、おまえの持つ本当の願いを叶えるために、どうすべきなのか……わかって、いるだろう?」
 静かに、丁寧に諭す
 子供はを見つめて――横たわるギアンへと目を向ける。
「でも、ボクは……」
「……闇から出られた。それだけで満足できるというのなら、それでもいい。おまえの人生はおまえのものだからな。でも、願いを叶えたいなら、このままじゃダメなんだ。おまえは――どうしたい?」
 躊躇う子供への問い掛け。
 現状で満足するか、それとも願いへと手を伸ばすのか。
 俯き、考え込んでいた子供が不意に動いた。眠るギアンの傍らへと立ち、そして――その、中へ。消えていった。
 驚くフェアの前で、ギアンの目がゆっくりと開かれる。
 どこかまだぼんやりしている彼へ、フェアは笑みを向けた。
「ねぇ、ギアン。目は覚めた?」
「ああ、醒めたよ……悪い夢から、ようやく抜け出せた気がする」
 やっと完全に意識が冴えたのか、フェアの言葉にギアンははっきりとした口調で返し、身を起こして――とフェアとを見た。
「君たちのお陰だよ」
「わたしは、何もしてないよ。ただ、ひっぱたいて止めただけだもの」
「でも、それではじめてわかることだってあるんだよ。君が本気で叱ってくれたから、ボクはボクであることを捨てずにいられる。そして……、君が忘れていた思いを見つけてくれたから、ボクは大切なものを思い出すことができたんだ」
「……おまえ自身が望んでいたことだろう。オレは行く先を示しただけだ」
「そのお陰で、思い出せたんだよ。ボク一人では無理だった……ありがとう……」
「ギアン……」
 二人へと笑みを向け、礼を告げたギアンの顔が、すぐに曇った。
「迷惑をかけて、本当にすまなかった……特に、……君は……」
「これはオレが選んだことだ」
 何かを言いかけたギアンの言葉を遮り、が言った。
「オレの望みのために選んだことの結果に過ぎない。おまえが気にすることじゃないさ」
「しかし……」
「おまえはおまえの望みを叶えればいいんだ。それを望んでくれているやつが、すぐ側にいるんだから」
 笑みをもって言われたことに、ギアンの顔が泣きそうに歪む。
 そのまま静かに目を伏せて。
「ああ……」
 頷いた。
 そして――光が、満ちた。


「フェアさん!」
 強く己を呼ぶ声に、フェアの意識は現実へと戻された。
 目の前には心配そうな顔のルシアンがいる。
「ルシアン?」
「よかった、気がついて……」
「あれ……? わたし……あっ! ギアンとは!?」
「ボクならここにいるよ」
 声に導かれた視線の先には、静かに伏せる堕竜の一部が人間の形となっているギアンがいた。その身体は――半透明だ。実体ではないことがわかる。
はそこ」
 そして、リシェルが指差した真下。は――自分がしっかりと抱きしめていた。意識はまだ戻っていないようだ。
「ありがとう、を助け出してくれて」
 すぐ後ろから囁かれたのはトウヤの声。
 どうやらフェアの上体を支えてくれていたのは彼だったらしい。
「ううん……わたしじゃ、ないよ。みんなの力があったから、できたことだよ」
「ああ……そうだね」
 やわらかく笑う彼へと、フェアも笑みを返した――と。

「まだ、終わってなんかいないよ、ギアン! これから……これから始まるんだよ!?」

 エニシアの悲痛な声が届いた。
「できないんだよ、それは……ボクの魂は、もうすぐ消え去ってしまうから」
 自ら告げる死の宣告。けれどギアンの顔は、穏やかだ。
「誰のせいでもないよ。ボクが自分で招いてしまったことなんだ。竜に至る儀式の過程でボクの魂は、限界まで擦り減っていたから。こうして止めてもらえて、僅かに時間が残ったけれど……やはり、到底足りはしない……」
「ギアン……っ」
「折角、思い出すことができたけれど、願いを叶えるだけの時間は、ボクにはないんだ」

「おまえの願いを叶える術なら、ここにある」

 誰もが変えることのできない現実に肩を落とした時、思わぬところからそれを否定する声が出た。
 それはフェアの腕の中から――
、気がついたの?」
 顔を覗きこんでみると、つらそうにしながらも笑みを返してきた。ただ、やはりアルバが言っていたように何か無理をしているのだろう。自分で起き上がれるだけの力はないようで、フェアに寄りかかったまま、それでもギアンへと手を差し出す。
「おまえの願いを叶えるために必要な時間は、オレが持っている。おまえが望むのならその通りにしてやれる」
「無理だ! いくら君でも、その状態では……っ」
「なら、これなら構わないかい?」
 頭を振ったギアンへと伸ばされた、もうひとつの手。それはトウヤのもので。
 彼を知らないギアンが訝しげに見てくる。
「僕はと同じ力を持つ者だ。のしようとしていることもわかる。彼の代わりに僕が力を使うなら、何も問題はないだろう?」
 思わぬその言葉に、ギアンの目が見開かれた。
 問題は確かになくなった。けれど、まだギアンは躊躇っていて。
 その間にも、時は流れていく。堕竜の身体が、少しずつ粒子状になって消えていく。
「言ったよな、ギアン。諦めなければ願いは叶うと。必要なものはここにあるんだ。あとはおまえが手を伸ばせばいい」
「でも……」
「ギアン、お願いだよ……死なないで……側にいて、みんなと笑って暮らそうよ!!」
「エニシア……」
 エニシアの必死な訴え。粒子化は更に進む。人としてのギアンの身体も薄くなっていく。
「そのまま消えるか、それとも願いを叶えるために生きるのか。ギアン、おまえはどうしたい?」
 の、問い掛け。それがきっと最後のチャンス。
 もうほとんど消えかけた身体で、それでもギアンは手を伸ばした。
 ギアンの手が、の手に、トウヤの手に触れる。
 光が、生まれた。あたたかな、白い光が、ギアンを包む。
 目を開けていられないほどに光は強くなり、そして――子供の、泣き声が。
 光がおさまったそこにはギアンの姿も堕竜の姿もなく、ただ、1歳ぐらいの赤い髪の子供がの腕の中で泣いていて。
……まさか、その子がギアンなの?」
「……ああ」
「そうだよ。これが、彼が望んだ形なんだ」
 長く息を吐き出し消え入りそうな肯定を返したに変わって、トウヤが補足した。
 誰もが驚く中、へエニシアへと目を向ける。
「エニシア、おまえが育ててやってくれるか?」
「――え?」
「もう、淋しい想いなんかしないように、側にいてやれるか?」
 その問いに押されるようにエニシアは近付き、の手から子供を受け取り抱き上げた。
 どうしていいのかわからないようなエニシアの腕の中、泣いていた子供は彼女を見て――笑った。無邪気なその笑顔に、エニシアの目に涙が浮かんで。
「……はい……っ」
 ぎゅっ、と。子供を抱きしめ、エニシアはしっかりと頷いた。
 それを確認したは――ふらり、と状態を傾がせ、フェアにしがみつくようにしてそれを支えようとしていて。その時、ピシッと音が聞こえて目を向けると、少し開いたの襟元から覗く首飾りにヒビが入っているのが見えた。
「ちょっと、!? 大丈夫!?」
「……コーラル、は……っ?」
 慌てる面々に構う余裕もないのか、端的な言葉が返ってきた。
 すべてを察していたのか、コーラルはすぐ側までやってきて。
「ここにいる。ちゃんと大人に……至竜になれたから」
「ああ……」
 声に答え顔を上げたは、ギアンにしたようにコーラルへと片手を差し出す。コーラルは迷いなくその手を取った。
「受け取れ、コーラル。おまえの親から預かっていた、正真正銘最後の遺産だ」
 ぶわっ――と。白い光がの身体から立ち上った。その中に、虹色の光が見え隠れしている。
 その、虹色の光だけがコーラルの身体へと吸い込まれていき――コーラルは、竜の姿へと変わった。美しい、虹色の光をまとって、神々しいまでの姿へと……
「ああ、綺麗だな……今まで、抱えてきた甲斐が……あっ、た……」
 役目を終えたそのの呟きは、彼を支えていたフェアの耳にしか届かなかった。