「……?」
小さな呟きを聞いたと思ったら、腕にかかる重みが増して、フェアは怪訝に思いを覗き込んだ。
また意識を失ったらしく、堅く双眸は閉じている。
役目を終えたためか、穏やかな表情をしているのに……何故だろう。嫌な予感がする。――と、パキィンッと硬質な音を立てて首飾りが粉々に砕けてしまった。不安に駆られてフェアは、彼の頬に手を当てた。そして――信じられない思いで強張った。
「うそ……やだっ! !! 冷たくなっていく!?」
「な――っ!?」
フェアの叫びに驚愕が満ちる。最も近くにいたトウヤがの手首を掴んで脈をみているようだ。その顔も、フェアと同じようにすぐに蒼白になって。
「どういうことだ、リィンバウム!?」
叫んだ、その名は。この世界を示す名前で。
理解できない彼のその行動は、すぐにわかった。
「何故こんなことになっている!? の守護属性はおまえのはずだろう!?」
「その通りだ、誓約者よ」
トウヤの問いに答える声。それは、唐突の現われた男から出たものだ。
白い衣をまとった男性……豪奢な服装をしているが、テイラーのようにわざとらしくはなく、むしろそうあるのが当然のように、威厳を持っている男だ。
「リンカーって……まさか、伝説のエルゴの王!?」
リシェルの驚いた声も、トウヤと男性には届いていないようだ。ただ二人は見つめ合ったまま。
「こうなることがわかっていたから、我らは最初に警告した」
「我が内より生まれし至竜の魂が助力を願ってきたその時に、警告した」
全体的に緑で統一された衣服をまとった女性が現われ、そう言った。
「強すぎる力を行使、または抱え続けることは、魂に多大な負担を掛ける。それは誓約者とて同じこと」
次は紫の服の男性が。
「我らの力を以ってしても至竜の力を害なく抱え続けるのはひと月が限度。それ以後は命と引き換えになると」
「な――ッ!?」
赤い着物の女性の言葉に、全員が絶句した。
「それを知っても尚、彼の王は至竜の力になることを選んだのだよ。我が誓約者よ」
「ロレイラル……」
最後に黒い服の男性がトウヤの肩に手を置き、言った。
リィンバウム、ロレイラルと、トウヤは呼んだ。とするなら、緑の服の女性がメイトルパ、紫の服の男性がサプレス、赤い服の女性はシルターンなのだろうか。
「ちょっと待ってよ! あたしたちがコーラルたちと暮らし始めて、もう二ヶ月は経ってるわよ!?」
限度とされた期間の倍は経過している。その、意味するところは――
「限界など疾うに超えていた」
「彼の龍妃が持つ初代の力でいくらか時間を引き伸ばせはしたが、それも既に底を尽いている」
「むしろ、今までもっていたのが奇跡と言えよう」
「そんな……っ」
どこまでも淡々とした言葉が、無情な現実を突きつける。
「を助ける方法はないのか……? 今、僕とがギアンを助けたように――かつてがバノッサとカノンを救ったように、僕がを助けることはできないのか!?」
「できぬ」
「なんでよ!? あなたたちエルゴなんでしょ!? 世界を造った存在なんでしょ!?」
彼らの正体を察したリシェルが叫んだ。非難にも近いそれにも、彼らは態度を変えることはなく。
「その通りだ。世界のすべては我らから生まれた」
「本来あるべき本質を歪められ、それが定着してしまったもの以外で、我らの力の及ばぬものはない」
リィンバウムが視線を向けた先は――セクター。
あわれみに満ちたその眼差しに、セクターのことを知りあの時のの言葉を聞いた者たちは納得した。の言葉は確かに真実だったのだ――と。
「しかし誓約者よ。おまえたちの生まれし名も無き世界は、我らの力の及ぶ地ではない」
「あ――……」
「この地にいる間、我らの力を与えることは可能。しかし、おまえたちの魂そのものに干渉する術は我らには無いのだ」
「故におまえたちはこの地で転生することもない。死して肉体より離れし魂は、生まれいでし世界へと還ろう」
それは、あまりにもつらい……残酷な現実だった。
誓約者と呼ばれ、強大な力を与えられても、遠い異界の地で生まれたということが、救いの道を閉ざす。他者を救う力はあっても、己を救う術はない。
「……だから、我らは警告したのだ……」
「失いたくはなかったからこそ、警告したのだ」
「しかし、その思いも、彼の王には届かなかった……」
淡々としたエルゴの声に、初めて感情が宿った。
を見つめる彼らの目にも、深い悲しみが映っている。そして――後悔のような色も……
それは、いつかがしていたものと似ていた。力はあっても救えぬ己への――無力感、だ。
世界を造った存在に、このような表情をさせてしまうのか。どうしても、救う道はないのか。
「……そんなの、やだよ……っ、こんな結末は絶対に認めないんだから……ッ!!」
冷たくなりゆく身体を抱きしめ、フェアは叫んだ。涙が、溢れてとまらない。
「エニシアもギアンも無事で、もう誰も悲しい想いなんてしなくていいのに……っ、が死んじゃったら意味なんてないじゃないのっ!!」
彼がいなくなってしまう未来を、いつか示された。けれど、それはこんな結末ではなかった。
世界で最も力ある存在でさえ、救うことはできないという。
どうしていいのかなんてわからない。でも、それでも諦めたくなかった。
――その、時だった。
――泣かないで、フェアお姉さま♪
よく知る声が、明るく響き、声の主が空気からとけ出るようにふわりと目の前に現われた。
「シャオ、メイ……?」
「はぁ~い、シャオメイちゃんですよ~♪ そんな顔しないで、お姉さま♪ こーゆー時こそ、シャオメイちゃんの人生やり直しを活用するべきなんじゃない?」
「だって、あれは思い込みを強めるおまじないだって……」
「あ、それウソ」
いきなり現われ、場違いな明るさで話す彼女は、あっさりとそう告げて。
「ホントはね、あの時お姉さまが言ったように、本当に時間を巻き戻す術なのよ」
「それって……至竜の力を抱える以前まで時を巻き戻せば、さんは助かるってこと――ですか?」
「そーゆーこと♪」
ミントの問いに、やはり明るくシャオメイは答えた。
そんな彼女に疑問を投げ掛けたのはリシェル。
「そんなことできるの? エルゴだって助けられないって言ったのに!」
「そうね、魂に干渉する力は私にだってないわ。でも時間に関しては私にはその力があるのよ。二代目、あなた方がこの世界で過ごした分の時間なら、ね」
今までのふざけた感じが一変し、ひどく大人びた笑みを浮かべたシャオメイ。すぐにそれは苦笑へと変わり、水晶のようなものを宙へと放った。
「この姿のままでどこまでできるかはわからないけど、やれるだけのことはするわ」
パリィンッと空中で砕けた水晶がを中心にして円を描くように降り注ぎ、淡く光を放ち始める。
すると、シャオメイが何かをするよりも前に、シルターンが彼女へと近付いて。
「龍妃よ。我が内より生まれし至竜よ。我が力を使うがいい」
「――ッ、あー―――!?」
シルターンがシャオメイに触れた途端、彼女は苦しむように身を降り、光が身体を包み込み、そして……
「シャオメイ……?」
光がおさまった後、そこにいたのは小さな少女ではなく、大人の女性だった。
「はぁ~い、シャオメイちゃんですよ~……これが本来の姿で、メイメイって言うんだけどね、名前は。ま、今まで通りシャオメイって呼んでくれていいわよ、お姉さま♪ 多分またあの姿に戻るだろうし」
少し疲れた様子はあるものの、すぐに彼女は真っ直ぐに立ち上がって光る円へと向かって立つ。
「さ、エルゴの力を無駄にしないためにも、終わらせちゃいましょ。悪いけどみんな、その円の外へ出てもらえる? あ、お姉さまだけはそのままお兄さまを抱いてて」
「え……?」
「今、この方の魂を繋ぎとめているのは、あなたが持っている響界種としての力なのよ。だから、あなたの力も借りたいの。いいかしら?」
フェアは大きく目を瞠った後、しっかりとを抱きしめて。
「いくらでも使っていいから、お願い! を助けて!!」
「もちろん。こんな形で我が王を失うわけにはいかないもの!!」
まばゆい光が円を包み、そして今までの言霊とは違う、聞いたこともない言葉が、まるで歌でも奏でるようにメイメイの口から紡がれていく。
チリッと、フェアは胸元に熱を感じた。それが身体全体に広がっていって――ただ、を抱きしめる手に力を加えた。
風が、起こる。上へと吹き上げていく。
身体の熱と、周囲の風とに、フェアはぎゅっと目をつぶった。
そして、風が一陣吹き上げたのと同時に光も消えて。
「メイメイさん!?」
トウヤの慌てた声に目を上げてみれば、メイメイの身体が後方へと傾いでいて。
「にゃははは……二代目、ないすきゃっち……」
トウヤの腕に抱きとめられた彼女は、『シャオメイ』の姿になっていた。
「やっぱり、二ヶ月分巻き戻すには無理があったみたいね……ここまでが限界だわ……」
「シャオメイ……」
「そんな顔しないでってば。自力で回復できるぐらいまでは巻き戻せたから、あとはゆっくり休ませてあげてちょうだい」
シャオメイの言葉通り、氷のように冷えていたの身体に、今は確かにぬくもりがあった。
「それと、さっきも言ったように、お姉さまの力を借りたから……お姉さまが側にいれば、その分回復が早まるようにしといたわ」
「うん……ありがとう、シャオメイ……」
「お礼はいらないわ……これは、私が自分に立てていた誓いだから……」
そういえば、そんなことを言っていた。恨まれても憎まれても死なせるわけにはいかないのだと。
それに、さっきは『我が王』とも……
「ごめんなさいね、二代目……やっぱり私にとっても王と思えるのはこの方だけだわ」
「構わないよ。僕たちの誰一人として自分が王の器だと思っている者はいないし、だけがその名に相応しいと思っているのも事実だからね。本人に言ったらきっと、全力で否定されて思いっきり嫌がられるだろうけど」
「ふふ、そうね……」
力なく笑ったシャオメイは、長く息を吐き出し、己を支えるトウヤを見上げて。
「二代目、悪いけど後お願いしてもいいかしら? しばらく眠ることになりそうだから」
「ああ、任せてくれ」
「……ええ、それじゃ……よろ、しく……」
力尽きたように眠りに落ちたシャオメイの身体を、トウヤはいとおしそうに抱き上げる。
そして、眠る彼女へと、静かに囁いた。
「ありがとう……メイメイさん」
やっと終わった、と。フェアはようやく実感が湧いてきた。
少しの余裕ができて周囲を見渡すと、いつのまにかエルゴたちの姿はなかった。
なんだか夢でも見ていた気持ちになった、その時のこと。
「おい、まずいことになっちまってるぞ!」
グラッドが慌てた様子で告げたことは、したの様子だった。
大関所の守備隊も増援として加わった軍の部隊が、臨戦態勢で急行してきているというのだ。明らかにこの『城』を敵対勢力とみなし、攻撃を仕掛ける気だ、と。
召喚術専門の兵士もいるため、空の上だからといって安心はできない。それに、暴動に参加していた亜人たちは無事ではすまないだろうとも。
「だからって、まさか軍隊と戦うわけにもいかないし……」
どうしたらいいのかわからないフェアたちへ、解決策を示したのはエニシアだった。
「心配しないで。私が、その前にこの『城』を異界に隠しますから。そうすれば、争いは避けられるはず」
「だけど『城』にはもう、ほとんど魔力が残っていないんじゃ……」
――ボクが手伝えばいい。それだけのこと。
不安要素を払拭する声は、心に響くコーラルのもの。その声は、更に続けた。
どうせ動かすのなら、『船』を動かして幻獣界へ行こう――と。
難色を示した御使いも、コーラルの考えに従う意志を見せた。
残る問題は――
「けど、もうひとつの問題はどうすんのよ? 半妖精のエニシアじゃ、負担に耐えることができないって……」
「足りないその分は、わたしが支えるから。半人前でも二人いれば、何とか乗り切れるでしょ?」
これで『竜』と『妖精』が揃う。異界へと渡る『船』が、永き眠りから覚める。
「帰ってきて、くれるんだよね?」
「当たり前じゃない。店をほったらかしにしたまま、どこにも行ったりしないよ」
「は、どうするの?」
「……連れて行こうと思ってる。シャオメイが言ったように、わたしが側にいることで回復が早まるなら、そのほうがいいと思うから。……いいかな?」
聞いたのは、トウヤとアルバへ。
二人は迷うことなく頷いてくれた。
「もちろんだよ」
「を、頼むよ」
「――うんっ」
ふと、トウヤはの側に膝をつくと彼の手を取って握り締めた。
「ちゃんと、元気になって帰ってきてくれよ。話したいことが沢山あるんだから……下の街で待っているから、また勝手にいなくなったりしたら今度こそ怒るからね。、兄さん……」
眠るへと語られた言葉。その呼び名に目を瞠ったのは――アルバだった。
「トウヤにーちゃん……」
「……の負担になることがわかっていたから今までは言えなかったけれど、やっとそう呼べる」
「そう、だね……」
トウヤの苦笑にも似た、けれど嬉しそうな笑顔に、アルバも同意を返して笑った。
昔を知り、を想うが故の安堵と喜び。その穏やかな空気は、一人の叫びによって壊された。
「って、なんでが『兄』なの!? どう見たってのが年下じゃん!!」
その一人・アカネへと二人は目を向けて。
「あれ? アカネねーちゃんは知らなかったのか?」
「……まあ、が自分から言うことはないだろうね。彼女のこと、嫌っているし。シオンさんも軽々しく話す人でもないから、他の誰かが教えていないなら知らないんじゃないかな」
「ちょっと、二人して納得してないでよー!!」
「何、こいつってそこまで年くってるわけ?」
「俺のことをよくガキ呼ばわりしてた理由も、それかよ……」
リシェルとグラッドの呟きに、アルバは眉をひそめ、トウヤはいつもの笑みのまま。
「ここの人たちも知らなかったのかな、ひょっとして」
「えーっと……おいらがバラしちゃったことがあったけど、その場にいなかった人へはが口止めしてたから……」
「まずかったかな? まあ、自業自得として割り切ってもらおうか」
「にーちゃん……」
「誤魔化しも口止めもできない状態になってるが悪いということで。さ、それより、軍隊が来る前にやるべきことを済ませなくてはね。行こうか?」
あっさりとそう切り上げたトウヤに、半ば引きずられる様な形で、全員が現状を思い出しそれぞれに動き出した。
そうして、沢山の想いを乗せ、『船』は幻獣界へと旅立ったのだった。