書 き 殴 り ・ 25

「フェア、交代の時間だよ」
「うん……っ、バトンタッチね、エニシア……っ」
 ラウスブルグの城の中、休憩から戻ったエニシアに舵を渡して、フェアは息をついた。
 『船』の舵取りが妖精の役割。それを半妖精のエニシアとフェアで交互に取ることで何とが幻獣界へと渡ることは出来た。
 けれど、これがまたかなりの魔力を消費する作業で。半妖精では負担に耐えられないということを実感するには充分すぎた。
 それでも、成し遂げなければならない。約束を守るために。
「ゆっくり休んできてね」
「ええ……あと三・四日あれば着くもんね。リィンバウムに」
「うん。あともう少しだから、がんばろうよ?」
「――うん」
 部屋を出たフェアは、真っ直ぐに厨房へと向かった。材料を確認して、手早く人数分の料理を作る。どんなに疲れていても、フェアは料理を作ることだけは人に任せなかった。ある意味これが、趣味でもありストレス発散でもあったから。
 生活スタイルは各々異なるので誰に声を掛けることもなく、作るだけ作って自分の分だけを持ち自室にあてがわれている部屋へと向かうのが、フェアの移動中の生活スタイルとなっていた。
 その部屋は、二人部屋。一人はフェア、そしてもう一人はがいるのだ。
 側にいることで回復が早まるというシャオメイの言葉に従い、休憩時間はできるだけ近くにいれるようにとの配慮からだったのだが……『船』が旅立って、約一ヶ月が経過しているが、未だには目覚めていなかった。
 習慣なのか条件反射なのかはわからないが、御使いたちの話によると起きて水分等を補給したりはしているらしいが、それは寝惚けているようなもので意識があっての行動ではないらしい。
 フェアは一度もその場面を見たことはないが、確かに用意しておいた水差しの水や果物はなくなっていることが多々あった。消化によく栄養のある料理を作って置いた時も……ちゃんと食べてはいたようだし。
 とりあえず、生命維持に必要なエネルギーは自分で摂取しているようなので、本当に後は魔力が回復するのを待つだけだった。
 そろそろ目覚めてほしいところだけど、と。
 扉を開けたフェアの目に映ったのは、今までとは違う光景――ベッドの上、起き上がったままぼんやりとしているの姿だった。
! 目が覚めたのね!?」
 待ち望んだ、その時。フェアは湧き起る喜びを押さえきれずに駆け寄り、手にしていた料理をサイドテーブルにおいて彼を覗き込んだ。
 どこか一点を見つめていた瞳に、フェアの姿が映る。
 少しの間を置き、の手がゆっくりと持ち上がった。そして、頬に感じるぬくもり。
 は、ぼんやりとした表情のまま、フェアの頬に手の甲を滑らせていた。
「……? ひょっとして、寝惚けてる?」
 何の意味があるのかわからない行動に内心少しドキドキしつつ、訊いてみた。御使いたちが言っていた、無意識状態なのかもと思ったから。
 ――けれど。
「いや……夢じゃ、ないんだなと思って……」
 小さく笑って返ってきた言葉。ちゃんとフェアを見て、質問に答えた。
 まだ少しぼんやりはしているが、確かに意識があることに安堵を覚え、フェアは頬に当てられたままのの手を握って。
「夢じゃないよ。わたしはここにいるし、もちゃんと生きているから」
「……ああ、そうだな……」
 同意、笑顔。けれど握り返してきた手には、あまり力ははいっておらず。
「身体の調子、どう?」
「腹減ってる」
「じゃあ、消化にいいもの作ってくるから少し待ってて」
「ああ、頼む」
「あ、それと、奥の扉の先、洗面所とか水周り全部あるから。あと、この部屋にあるもの全部、好きに使っていいって」
「わかった」
 伝えることを簡単に伝え、フェアは厨房へと逆戻りした。
 の分の食事を作って戻ると、出ていった時と同じように彼はベッドの上でぼんやりとしていた。けれど、軽くシャワーでも浴びたのか、服装が違って髪も濡れたままだった。
、また髪濡れたままにして……今度こそ風邪ひくんじゃない?」
「んー……めんどくさい……つーか、ダルい……」
「もぅ……」
 持ってきた食事を別のところに置き、の髪を先ずは乾かすことにした。折角起きてくれたのに、風邪でもひかれたら大変だから。
 相変わらず抵抗もせずにされるがままだが、心なしか舟を漕いでいる気がしないでもない。
「ねぇ……もしかして、まだ眠いの?」
「んー……眠いっていうか……まあ、寝ようと思えば、いくらでも寝れそうな……」
「完全には回復しきってないってこと?」
「どうだろう……魔力というより、体力的なことのような気がする……」
「……?」
「起きて何かをするっていう生活リズムが消えてるってこと――か?」
「あー……うん、それは何となくわかる気がする」
 毎日、朝早く起き店の準備をして、営業をして、他のことを色々済ませて、夜も早く寝ていた今までのリズムは、今のフェアにはなくなっているから。
「えっと……食事は、できそう?」
「食う。食えなくても食う。オレの腹は空腹を訴えている」
「あははっ♪ うん、じゃあ……あ」
 髪の水分もあらかた拭き取ったので、フェアは持ってきたトレイをに渡――そうとしてやめた。
 先程、握り返してきた手に力が入っていなかったことから、思い出したことがあったから。
 室内を見渡して――小さな折り畳みのテーブルを見つけ、それをベッドの上に置き、その上にトレイを載せた。そして、ふたを取り、茶碗によそってからスプーンと一緒に渡す。
「はい。野菜たっぷりのリゾットだよ。熱いっていうのもあるけど、気をつけて、ゆっくり食べてね?」
「胃がしばらく活動してなかったからな」
「うん、そういうこと」
 受け取りスプーンを持った手も、どこかぎこちない。
 以前アルバに彼が言ったこと。横になっていても握力・腕力を保つ方法のこと。それがフェアの頭によぎったのだ。
 つまり、約一ヶ月眠っていただけのの体力は、かなり落ちているのでは――と。
 その推測はあたりだったようだ。
「でも、一応、自分で起きて水飲んだり、置いてあった果物とかスープとかは食べていたみたいだよ? それでも三食ちゃんと食べてたわけじゃないから、久々といえば久々だけど」
「あ~……そのクセ、まだあったのか……」
「クセって?」
 聞くタイミングが悪かったのか、は答えるより先にリゾットを口に含んでいて。
「……うまい……」
「よかった♪」
「五臓六腑に染み渡る……」
「あははっ♪ シンゲンみたい」
「そう表現するのが一番あってるからなぁ……こう、食べたものが胃の中に入っていくのがわかる時ってあるだろ? 特に熱いものとか食べた時とか」
「あるある。なるほど、そういう感覚を表す言葉なのね、それ」
「まあ、そう思っておいて間違いはない、か?」
 そう言ったきり、は食事を進めたので、フェアも自分の食事を摂ることにした。
 しばらく無言で食事を進める。
 確か、初めて彼と共に食事を食べた時もこんな感じだった気がする。
 そう思っていると、不意にが口を開いた。
「前に、子供の頃病気だったって言っただろ」
「――え……うん。そのせいで、成長が遅かったって」
「その時身につけた癖っていうか習慣っていうか、そういうモノ。早く健康になって退院したかったから、そのためには食べ物の好き嫌いなんて言ってられなかったんだよ。具合悪くても、とにかく食べることだけはやめないようにしてたから、それだ」
「そうだったんだ……」
 やっぱり彼は、昔から色々と苦労してきたみたいだ。
 ……でも、こうしてそれを語ってくれることが、フェアにとっては何より嬉しかった。そう、コーラルのこと、遺産としての役割を終えた今、約束を果たしてくれているということだから。
 ふと、話してもらうのを待つばかりで、現状を説明していなかったことを思い出した。
「あ、そうだ、忘れてたよ。あのね、。ここラウスブルグの城の中でね、今は――」
「メイトルパからリィンバウムへ向かっている途中だってんだろ」
 説明しかけたフェアの言葉は、何故かに先に言われてしまった。
 何故、知っているのか……フェアは目を瞠ったあと、訝しげに彼を見て。
「どうして、知ってるの?」
「エルゴのやつらが押し付けてった情報さ」
 あっさりと、はそう言ってリゾットを一口食べた。よく咀嚼して飲み込んでから、再び口を開いたが……
「オレが話すまでもなくトウヤがバラしたんだろ。まあ、そっちはいいにしても、やつら、わざわざ人間の姿で現われやがって……本当にろくでもねえことしかしねえな」
 思いっきりご立腹だった。
「えーっと……は、エルゴのこと、嫌いなの?」
「大っ嫌いだね! オレがこの世界で嫌いなもののナンバーワンだ!」
「な、なんで……? わたし、よく知らないんだけど、エルゴって世界を造った存在なんでしょ? 神様なんでしょ?」
「世界を造った存在だからって何をしても許されるのかよ。大体、『神』ってのは全知全能の存在を指す言葉であって、エルゴは神なんかじゃねえよ。そして名も無き世界で生まれたオレにとっちゃ、そんなもんもどうでもいいね」
 また一口、食事を摂っているが……何だかフォークを持っていて目の前に固形物でもあったなら、ブスブスと刺していそうな気がする。
 アカネとかイオスとか、今まで彼が嫌いだという人物との遣り取りはいくらか見たけれど、ここまであからさまにご立腹状態になっていたことはなかった。
 それだけ、本気で嫌っているということなのだろう。
「……理由、聞いてもいい?」
「自分勝手だからだ。来たいなんて思ってなかったこの世界に引きずり込み、聞きたくもないのに語りかけ、見たくもないものを見せ、欲しくもない力を背負いきれるはずのない責任と一緒に押し付けてきた。オレにとって、エルゴってのはそういう存在なんだよ。だからオレはやつらの願いなんか聞いてやらねえって決めてんだよ」
「もしかして……死ぬかもしれないってわかってて至竜の力を預かったのって、エルゴが反対したから?」
「まあ……それだけが理由じゃないが、ひとつの要因ではあるな」
 かなり根に持つタイプとしか思えない発言に普段なら呆れているところだが、今のフェアには怒りにも似た感情が湧いてきていて。
「ねえ、本当にそんな理由で命かけてたの? もしそうなら、わたし本気で怒るよ?」
 睨むように見つめた先のは、いつも通りの涼しい顔をしている。
「誰にも何も言わないで死に掛けて、どうしようもなくなってからその事実を知ったわたしたちの気持、考えてなんかいないでしょ?」
 その顔がまた、憤りを呼び――目頭が熱くなるのをおさえられなくて。
「わたしたちがどれだけ心配したと思ってるの!? 自分勝手なのは、のほうじゃない!?」
 溢れ出した感情は、涙と言葉という形となって現われて。
 けれど、それは彼へと届いたのだろうか。
 カチャ、と。食器が鳴る小さな音が沈黙の合間を埋め、そして。
「ああ、自覚はしているよ」
 出てきたのは、静かな肯定だった。
「オレは昔からそうだったさ。だからこそ、生き残るべきはオレじゃなく、だったんだ」
 涙にまでなって現われていた怒りが、一気に冷えたのがわかった。
 まさか、その名が出てくるとは思わなかった。こんなにあっさりと、禁句を口にするなんて……
「オレと違って、は素直に物事を受け止められる性格だったから。生きていれば、沢山の人に愛されただろうし、その愛を素直に返せただろうな。それは、今オレが抱えている重荷を背負わせることにもなるんだろうが、アイツなら、負担にならない背負い方ができたと思うし……」
 完全に止まった己の手を見つめて話すの顔が、不意に歪んだ。
 口許だけの笑い――それは、自嘲。
「そう考えること自体が、重荷から……現実から目を逸らし逃げているだけだとわかっていても、考えは止まらなかったし、どうしていいのかもわからなかったんだ」
 初めて聞く本音に、フェアは何も言えなくなってしまった。
 ポーカーフェイスの下に隠されていたのは、あまりに痛々しい想い……だからこそ、素知らぬふりを続けてたのかもしれない。そうすることで、今まで異常に心配を、かけないようにしていたのかもしれない。
「生きているのがつらかったのは事実だが、死ぬわけにもいかなかった。オレが死ぬことは、の命を無駄にすることだから……」
「どう、して……?」
「オレが今生きていられるのは、の犠牲の上に成り立っていることだから。オレは、の命を喰らって生き延びたんだ」
 それまで俯いていたが、顔を上げた。
 真っ直ぐにフェアを見つめる顔は、笑みを刻んでいる。泣きそうな、笑顔。
 そして片手で自分の胸元を示して。
「今、オレの身体の中にある臓器の半分は、のものなんだ」
「――え……?」
 言われたことの意味を理解することは、フェアにはできなかった。ただ、再び俯いてしまった彼の言ったことが、嘘なんかじゃないということがわかっただけで。
「オレと、双子の妹のは、生まれながらにして重い病気を持っていたんだ」
 俯いたまま、は静かに語りだした。先程の言葉の意味を説明するように。

 は、生まれたその日に死の宣告を受けた。医者は、10歳まではどちらも生きられないだろうと、両親に告げていたという。
 はそんなことは知らなかった。治ることを信じ、他の子供たちと同じように外で遊べる日を夢見ていた。
 けれど医者の言葉通り、は8歳になるかならないかで死んでしまった。
 そして、その身体は切り刻まれ、病に冒されていない臓器がの身体へと移植された。残った部分は様々な研究に使用され、そして、不治の病であったその病気を治せる特効薬が開発されたのだ。
 は、知らなかった。が死んだことも、自分の中にその臓器が移植されたことも。そして、特効薬が作られたのが、の犠牲があったからだということも。
 知ったのは、病気が治ってから。が残した手紙を母親から渡された時だった。

「恨んだよ、両親のこと。オレは、を犠牲にしてまで生きたかったわけじゃない。どうせ助からないのなら、一緒に死なせてほしかった……」
っ!? それは――」
「わかってる」
 フェアの言葉を遮り、は静かに言った。
「今なら、ちゃんとわかっているよ。両親にとっても苦渋の選択だったことも、二人一度に失うよりは、どちらか一人だけでも助かってほしかったってこともな……けど、当時は……たった10歳の子供だったから……自分のことしか考えられなかった。自分の痛みしか見えなかったんだ……」
 子供だから。そう言ってしまえばそれまでだけれど、それは子供が背負うには重すぎる事実だ。
「死にたかったよ。でも、すぐに気付いた。それはの命を無駄にすることだって。死にたくても死ぬわけにはいかない。一人で、生きなければならない。そんな相反する想いや色々な負の感情をどう処理していいのかなんて、わかるわけがなくってな。結果、オレは声と感情をなくしたんだ」
「え……? じゃあ、喋れなくなったのって、病気とかじゃないってこと?」
「病気といえば病気になるかもな。肉体的なものじゃなく精神的なものだが。……今でもたまにある。ストレスが過剰に溜まってくると、声が喉に詰まるんだ。呼吸困難とまではいかなくても、息苦しくなる時はある」
「ちょ――それ、大丈夫なの!?」
 今までずっと口を閉ざし続けてきたことを語るのは、かなりの負担ではないのだろうか。
 焦りを露にしたフェアに、けれどは変わらぬ口調で。
「今のところは、息苦しいと感じてはいない」
「で、でも……本当に?」
「そんなに心配しなくても、おまえ以外にこんな話、話す気はないぞ」
「そう、なの?」
「情けなさすぎて話せるか」
 そういう理由だったのか、と。フェアは半ば呆れかけて。
「……どうして、わたしには話す気になったの?」
 思い浮かんだ疑問を口にしてみた。すると、は一瞥した後。
「全部終わってもまだ生きていられたら話すって、約束しただろ」
「生きていられたらなんて聞いてないよ!」
「けど、約束は事実だろう」
「う……それは、そうだけど……」
「話すつもりだったのは、誓約者と呼ばれる立場だってことだったんだけどな」
 話す前にバラされたから代わりだとでもいうような口調のに、フェアはむすっとして。
「無理してまで話してほしくはないよ」
「おまえの性格からして、理由を聞かずに納得はしないだろ?」
につらい思いをさせてまで知りたいとは思ってない!」
 知りたいと思う気持ちは確かにあるけど、それで嫌われたくはない。
 声を荒らげたフェアに、の口からは溜息がこぼれ出て。
「オレが、聞いてほしいだけだよ」
「……本当に?」
「じゃなきゃ話したりしない。……続き、聞いてくれるか?」
 前髪の隙間からこちらを窺い見ている赤茶の瞳をじっと見返して、フェアはひとつ頷いた。
「感情を失くしたっていっても、心を失くしたわけじゃなくて表面に出せなくなったってだけでな。その状態が――5年は最低でも続いたかもな。だから、リィンバウムに呼ばれた当時のオレを知る奴らは『無口無表情』だったって言うんだ」
「……つらかった? 喋ったり自由にできなくて」
「いや。もう慣れてたから。むしろ助かったな。余計なこと言わなければ、外見通りの年齢だと思われてたから、色々説明しなくて済んで」
 普段なら、ただものぐさ気質発言と思ったかもしれない。でも、今は違うことが頭に浮かんだ。
 それは――つらい過去を話さずに済んでよかった、ということ。
「……オレは、いつだって自分のことしか考えてなかったよ。自分のことだけで手一杯だった。他のものを背負える余裕なんてないのはわかりきっていたから、エルゴの力を拒んだんだ。なのに奴らは無理やり押し付けてきた」
「どう、やって? 確か、アロエリは望まずになれるものじゃないって、前に言ってたけど……」
「試練を受けて自らの力をエルゴに示し、認められれば力を与えられる。けど、オレは拒否したのに受け『させられた』んだよ。クリアしなければ死ぬしかないような試練を、な」
「――ッ!?」
「さっきも言ったが、オレは死ぬわけにはいかないから、試練をクリアする以外に道はなかったんだ。その試練だって……見たくないものを見せ、聞きたくないものを聞かせ、どうやったってクリアするように仕向けられていた。それが、リィンバウムが用意した試練だったよ」
「本当に……死ぬかもしれなかったの? その試練って……」
「トウヤは死にかけたな。あのまま放っておけば、あいつは確実に死んでいたよ」
 信じ、られなかった。そんなことを経ていたなんて。
 でも、すぐに納得はできた。大きな力を得るためには、それほどのことを耐えぬかなければならないのだ、と。
「オレが受けさせられたのは、そのひとつだけだ。他の試練はトウヤたちだけが受けた。なのに、トウヤたちがクリアする度に、オレの中にも力は与えられていったんだ。……押し付け以外の何物でもないだろ?」
 確かに。その通りだった。
 それほどまでしても、エルゴはを誓約者に――エルゴの王にしたかったということか。
「オレは、力なんていらなかったよ。そんなものがあったって願いが叶うわけでもないし、ただ責任が付きまとうだけだ。重荷以外の何物でもないからな」
「……うん」
「オレは、生きて、が願ったことを叶えなければならない。なのに誓約者という肩書きが妨げになった」
「力のせいで、『自分』を見てもらえなくなったっていう、アレ?」
「ああ、そうだよ……サイジェントにいた奴らや、ゼラム……傀儡戦争で共に戦った仲間たちは別だけどな。それでも、願いを叶えるには何かが足りなかった。願いを叶えてやれない自分に苛立ちを覚えはじめてな、あいつらの側にいることがつらくなって――旅に出たんだ」
 俯いたままのの唇が、また笑みを刻んだ。歪んだ、それを。
「逃げたんだよ、オレは。オレを心配してくれる奴らの想いを裏切ったのさ」
 こんな……自嘲を浮かべなければならなくなった理由は、何だというのだろう。裏切りだとわかっていても、その道を選んでしまった、その理由は――
「……そんなことにならざるをえないような、の願いって――何?」
 すべての原因。の生きる道を定める軸。彼の、心の重荷……重荷になってしまうようなことを、願ったというのだろうか。
 何だか、色々と矛盾しているように思えて、聞かずにはいられなかった。
 ――と、は不意に顔を上げて、真っ直ぐにフェアを見てきて。

「『幸せになること』――だよ」

 その口から出た言葉は、ある意味意外なものだった。
 よくよく考えれば、納得はできる。愛する者の幸せを願うことは、誰にだってある当然のことだと思うし。
 けれど、それがを苦しめているということが、フェアにはわからなくて。
 その答えも、彼が教えてくれた。
「具体的にどうということじゃない。オレが幸せだと思えなければ、の願いを叶えたことにはならないんだ。でも……無理だった。些細なことでもを思い出して、の影を何かに……誰かの中に求め続けて。そんな自分が許せなくて……を守れなかったことも、を犠牲にして生きていることも、の願いを叶えてやれないことも……全部、自分を責めるようにしか考えられなくなってな……泥沼だよ」
 そうだ、確かに言っていた。何かを犠牲にして願いを叶えられても幸せにはなれないのだ、と。
 あの時の彼は、初めて自分から切り結びに行った。他の誰かの補佐的な戦い方ではなく、レンドラーたちを止めるという確かな意志を持って。
 そうせざるを得ない想いが、これだったのだろう。
「トレイユに着いた頃、いい加減疲れていたから……半ばヤケになっていたのは認めるよ。だから、守護竜が助力を願ってきた時――エルゴが警告してきた時、丁度いいと思ったんだ」
「やっぱり……死ぬ気だったの?」
「半分は……」
「半分?」
「ああ、だから、至竜の力を抱えることにしたんだ。それで死ぬようなら、それが寿命だと思おうとした」
「――っ!?」
「でも、もしまだ生きるようなら……もう一度、ここから始めようと思ったんだよ」
「……」
「結果としては、甲斐はあったよ。死を目前にして、ようやくオレはまだ生きていたいんだと気付くことができたし……こうして生きていられたしな」
 きゅっ、と。細められた赤茶の瞳。穏やかな色で、フェアの姿を映して。
「おまえたちのお陰だよ。オレはやっと、真っ直ぐに前を向いて生きていけそうだ。ありがとう、フェア。おまえに会えてよかった」
 優しく――どこまでも優しく穏やかに笑って告げられた礼。
 その笑顔は、いつかリプレに見せていたものに似ていて。
「や……っ、ヤダ……っ!」
「……フェア?」
「聞きたくない……っ。そんな言葉、聞きたくない!!」
 フェアは頭を抱え、叫ぶように言った。
 アルバの言葉が頭の中をぐるぐる回って、目頭が熱くなった。
「フェア、どうしたんだ?」
「だって……っ、まるで、別れの挨拶みたいだから……っ」
 この戦いが終わったら、はまた姿を消してしまうような気がする――と。アルバは言った。
 そして今、聞いた。彼の生きる目的、旅の理由を。だから……
「わか、ってるよ、本当は……引き止めること、なんて……できないって……っ」
 旅人だから。その意志が固いものだと、その心にあるものは揺るがないと、わかってしまったから。
 でも、だからこそ、ずっと怖かった……この日が来るのを。
「でも……ヤダよ……っ、いなくなってほしくない……っ!」
 ずっと目を逸らし続けていた。怖かったから。皆が――彼がいる日常が、当たり前になっていたから。その当たり前が、消えてしまうのが……
「側にいてほしいのっ! と……一緒に、暮らしていきたいの……ずっと……っ」
 一人に……独りになるわけではないと、今はもうわかっているのに。
 彼がいなくなることが何より怖くて。
「……泣くな、フェア」
 ふわり、と。頬に感じたぬくもりが、溢れていた涙を拭った。
 目の前には困ったような顔の
 その表情が、やはり彼が旅立つ気でいると物語っているようで、涙は止まらなかった。
 ――けれど。
「いなくなったりしないから、泣かなくていい」
「――え……?」
「言っただろ。おまえのお陰で、生きていたいと思うことができたって。やっと、見つけたんだ、オレは。の代わりじゃなくて、ただその一人だけを守りたいと思える相手に。だから……頼まれたって離れてやらないからな、覚悟しとけよ?」
 の物言いは、いちいち回りくどい気がする。
 だから言われた意味を理解するのに、しばらく時を要して。
「……それって……?」
「おまえのことだよ、フェア。おまえが好きだって言ったんだ。仲間としてでも、家族としてでもなく、女としておまえを愛してる」
 直球。ぼんっ、と。頭から湯気でも立ちそうなほど顔が熱くなったのがわかった。
 物凄く恥ずかしくて、顔を隠したくなったけど、頬はの手に包まれたままで。
「泣くなって言ってるのに……」
 どこかおかしそうな声のを、照れ隠しも兼ねて睨みつける。
「わかってて言ってるでしょ!!」
 恥ずかしい、けれど……嬉しくて涙が止まらなくなっているということに。
 わかっているはずだ。だって、は笑っているから。でも。
「何のことだ?」
 しれっとした言葉が返ってきて。
 フェアは力ずくでの手を払った。やはり力が落ちているらしく簡単にほどけてしまって。
 ほんの少しの罪悪感。けれど表には出さずにを睨むように見て。
「……いじわる」
「オレの性格はこんなもんだ。だから覚悟しろって言ったろ」
のそういうところ、嫌い」
「ほぅ? 先にプロポーズしてきた身でよく言うな?」
「え……?」
「いなくなるな、側にいてほしい、ずっと一緒に暮らしたい。どれをとってもプロポーズ――求婚の言葉として受け取れるぞ?」
「きゅ――っ!?」
 指摘を受けて、初めて自分が口にしたことの意味を知って、またも顔が熱くなる。……多分、耳まで赤くなっているだろう。
「そ、そんなつもりで言ったんじゃ――」
「違うのか?」
「う……っ」
「否定するのか? 嫌いだって?」
「うぅ……っ」
「そうか、オレの勘違いだってことか……それじゃあ、やっぱり旅に――」
「ヤダっ!! 側にいてくれるって――」
 反射的に叫んで……ニヤリと笑っているとばっちり目が合った。
「出るわけないだろ。言ったじゃないか。頼まれても離れてやらねえって」
 は、はめられた――と、気付いてもあとの祭り。本心なのだから仕方がないし、忘れがちだけど彼は自分の倍近く生きているのだ。適うわけがない。
 それでも悔しくて、でも何も言えなくて。ただ睨んでいると、の手が伸びてきて、抱き寄せられた。今度ははねつけることはせずに大人しくしていると、ぎゅっと抱きしめられなんとも言い難い安心感に満たされた。――けれど。
「……なんか……といると、心臓に悪いこといっぱいありそうな気がする……」
「それも含めて覚悟することだな」
「う~……」
 これも事実。それでも今は、側にいてくれるこのぬくもりがただ嬉しい。

「わたしも……のこと好き、だから……ずっと側に、いてね……」
「ああ」

かきなぐり・完