――バンッ!
エニシアが宿へと話し合いにやってきた翌日。メイメイのところに止まる羽目になったは、かなりのご立腹状態で宿の扉を開け放った。
そのままずかずかと中へ入るの後を、エルが呆れた様子でついて入ってくる。
「待ちなさいって、。そんなに怒ることでもないでしょ?」
「これが怒らずにいられるか!! 人が寝てる間に勝手に!!」
「仕方ないじゃない。そうでもしなきゃ本気で倒れかねなかったんだから。言わば、自業自得でしょ」
「やかましい!!」
珍しく感情的な、しかも本気で切れ気味のに、食堂に集まっていた面々は揃って引いた。
その中で、多分、慣れてきているであろうアルバが問いを投げ掛ける。
「……何が、あったんだ?」
その場の全員の心を代弁したそれに答えたのは、呆れたままのエルで。
「人の忠告も無視しまくって無茶ばっかりするものだから、一定量回復するまで魔力を封印されたのよ、龍姫に」
「あ~……納得。おいらもその人に賛成だよ」
「アルバ、てめえ!?」
「だって、そうだろ? 言っても聞かないなら、強硬手段にでるしかないじゃないか。が無茶するたびに心配するしかないおいらとしては、やっぱりね……そう思うし」
怒るにも怯まず真顔でアルバが返すと、は口を噤んだあと、がしがしと頭を掻いて近くの椅子に乱暴に座って。
「わかってるよ、オレだって。倒れてる場合じゃねえってことは。けどな、当人に何も言わずにしたってのが腹が立つっつーか、あの明らかに人の反応を見て楽しんでるアイツの顔がムカつくんだッ!!」
――ダンッ、と。両拳をテーブルに叩きつける。本当に腹が立っているというのが一目瞭然だ。
「でも、あとのことは彼女に任せるって言ったのはだからね。任せた結果がそれなんだから、やっぱり自業自得でしょ?」
「わかってるよ!! わかってるからこそ腹立たしいんだッ!!」
何を言ってもおさまりそうにない。
アルバは溜息をこぼした。
「――で、一定量回復するまでって、時間にしてどのくらい?」
とりあえず、過ぎたことを掘り返しても腹立たせるだけなので、先のことを聞いてみた。
すると、ぴっとは一枚の紙切れを出して見せて。
「ここに行って帰ってこないと封印は解かねえとかほざきやがった」
「って、それ、シルターン自治区への旅券じゃない!?」
驚いたりシェルの声に、は眉根を寄せ怪訝顔。
「それがどうかしたのか?」
誰が誰ともなく顔を見合わせ、その視線はフェアに集中して。
フェアは同じように取り出した紙をの前のテーブルに置いた。
「……同じ旅券?」
「うん。『ミュランスの星』って雑誌の星集めしてるって前に話したよね? あれの最新号の新人料理人特集っていうのにわたしが載ってて……その副賞なの」
が来る直前まで、そのことについて話していたのだ。
「オーナーにもこの機会にちゃんと休めって厳命されちゃったから、明日っからミントお姉ちゃんと行くんだけど……も一緒に行く?」
二人分の招待券のため、フェアのほかに誰が行くかで少々ごたついていたが、手の空いている大人で気心の知れた相手ということでミントに決定した。
同じ旅券があるなら一緒に行けばいい、と。少々控えめなフェアの誘いには目を眇めて。
「……あいつの先見っつーか千里眼っつーかは、空恐ろしいものがあるな……」
「?」
「行くよ……こっちはオレとエルだ」
溜息と共にそう言ったに、フェアは安堵の表情。
留守の間が任せてくれという仲間たちと、笑顔で話している中のこと。
「、怒ってる理由は別のことでしょ」
ぽそりと、エルはの横に立って言った。
は彼女を一睨みし。
「わかってんなら言うな。……オレは見ず知らずのヤツの代わりになる気なんざねえ」
近くでそれを聞いたアルバも、エルやと同じく声のトーンを落として聞いてみた。
「龍姫って人、ひょっとして初代の……?」
「そうだよ」
むすっとしたまま返ってきた端的な答えに、アルバは納得した。
誓約者であるの魔力を封印できるほどの力を持つという人物の、その存在に。
「でも、あの人……代わりとしてあなたを見ているわけじゃないと思うけどね、私は」
「どうだか……」
「……がその人のことを嫌ってるのって、自分を見ているみたいだから?」
ここまでがあからさまに感情を表わしているっていうことは、のことと関係がある気がして。何となくという気持ちで呟いたのだけれど……
「アルバ……オレの神経逆撫でして面白いか?」
ずばり的中だったらしく、かなり鋭く睨まれた。
確かに多少は怖いけれど、なんだか感情豊かなと話すのは少し楽しく思えて。
「え? だって今ならタライ落ちてこないんだろ?」
にっこり笑ってそう返してみた。
するとしばし睨んできたあとはおもむろに立ち上がって、ぽきぽきと指を鳴らし始める。
「なんだ、アルバ? そんなにオレに組み手に付き合って欲しかったのか? いいぞ。今日は一日暇だから心ゆくまで付き合ってやる」
の最も得意とするスタイルは無手。そして、聞いたところによるとあのイオスをも一瞬で沈めるほどの実力者。
そして今のこの動作と言葉の意味することは――
二人とも笑顔のまま向かい合う。けれど、アルバの頬には汗が、の額には青筋が浮かんでいて。
じりっと近づく、一歩引くアルバ。三歩ほどそれを繰り返し――
「まぁてぇ~!! アルバ――!!」
「ぎゃ――――――!! ウソウソウソです!! ごめんなさぁいぃぃっ!!」
全力疾走開始。
「口は災いのもとよね」
「ってかさ、あの二人、初めて兄弟っぽく見えた気がするわ」
全力で追いかけっこを始めた二人を眺めるエルとリシェルの口から、そんな呟きがこぼれ出ていた。
自腹参加のブロンクス姉弟も増えての小旅行となった翌日。天気にも恵まれ少し浮かれ気分で出発したフェアたち。
然して進まぬうちに、何やら口喧嘩をしている姉妹とすれ違った。――直後のこと。
「……あいつら……っ」
何やら焦ったような怒ったような呟きは、の口からこぼれたもので。
きょとんとするフェアたちの前で、はくるりと方向転換。
「悪い、先行っててくれ!」
「ちょっと、!?」
「エルはそっち頼む! 多分近くにいるはずだ!」
「はいはい。無茶しないでよ」
「あいつらの前で無茶なんかできるか!!」
吐き捨てるように言って、そのまま街道を外れて走っていった姉妹のあとを追っていく。
エルもまた何の説明もせずに翼をはためかせ、高く空へと昇っていって。
残されたのは、訳のわからぬ四人。
「え~っと……なん、だったのかな?」
「ひょっとして、アルバやアカネと同じくの知り合いだった――とか?」
「その可能性はアリね」
「先に行ってろって言われたけど……どうするの?」
ミントの問い掛けに、どうしようか迷っていた時。
「……おい、そこのオマエら」
聞きなれぬ男の声が掛かって。
目つきの悪い男が一人、姉妹が来たのと同じ方向に立っていた。
「今、この辺で緑色と金色の髪をした女の子二人、見なかったか?」
「あ……ええと……」
「――ガゼル発見!」
「のあっ!?」
フェアが答えるよりも先に、上空から落ちてきたといっていいような速度で戻ってきたエルが、男――ガゼルというらしい――の上にのしかかって。彼は悲鳴を上げて潰された。
「いってー……なんだ!? ――って、オマエ、エルか!?」
「私以外にこんなことする天使に心当たりでもあるのかしらねえ? ガゼル坊や」
「その呼び方やめろっつったろ!! オマエがいるってことは、もいるのか!?」
「いるわよ~? いないわけがないじゃない。あの二人を追っかけてったわ」
「――……大丈夫なのかよ」
「あの子が自分から行くって言ったんだから、大丈夫なんじゃないの?」
「オマエ、そんな放任主義だったか?」
「あら? 過保護は成長を妨げるのよ。覚えておきなさい、坊や?」
「だからッ!!」
「え~っと……エル? もしかしなくても、知り合い――なの?」
目の前の遣り取りに呆気に取られつつ、フェアが問い掛けた。
二人はようやくこちらへと目を向けて。
「そう、知り合いよ」
「って、コイツら何だよ?」
「今のの仲間ってとこかな?」
「……何だ? また厄介なことに巻き込まれてんのか、アイツ」
「どっちかっていうと首突っ込んだって感じかしら?」
「変わったなあ、そりゃ」
「生きてれば成長ぐらいはするでしょう」
「チビたちに会う気になってんのも、成長した証拠ってことか」
「そういうことね。それより私、のところに行きたいんだけど……どうする?」
「行くに決まってんだろ」
「まあ、そうよね。何か不審な二人組を見つけちゃったから、急いだほうがいいかしら?」
さらっとこぼれたエルの呟きに、ぎょっとしたのはフェアたちのほうで。
「エル! その二人組みってどんな!?」
「え? 上空から見ただけだから、はっきりとはいえないけど……大柄な男と、ひょろっとした召喚師風の男だったわ」
「それって……もしかして……」
「うん、十中八九あいつらね……」
「知ってるの?」
「やたらと逃げ足の速い小悪党ってとこかしらね」
思い出したその姿に、フェアたちは揃って溜息をついた。
「ルシアンの言った通り、二度あることは三度――ありそうね……」
「それじゃあ、フェアさんが言った通り、三度目の正直で今度こそ捕まえようよ」
「それっきゃないわよね」
「エルエルさん、私たちも行きます。案内を頼めますか?」
ミントの申し出に何やら怪訝そうな顔をしたものの、エルは頷き羽ばたいた。
すれ違った懐かしい二人組みの後をは走って追っていたが、思った以上に体力が低下しているらしく、上がった呼吸を整えるために足を止めた。
鼓動が、うるさいくらいに耳につく。
それは、果たして走っていたため――だけだろうか。
追いかけたのは、ほとんど反射だ。何かいいたいことがあったりしたわけじゃない。危険があるようなら助ける気ぐらいはあるが……会う――ことは、できるのだろうか。
――否。その資格が、己にあるのだろうか。
逃げ出した身で。同じことを繰り返さないとも限らないのに。
また傷つけてしまうだけならば、いっそ会わないほうがいいのかもしれない。
そんな思いが足を踏み出すことを止めさせた。――けれど。
「みんなみんな、おかしいわよ! ずっと一緒に暮らしてたのに、離れ離れになっちゃっても平気な顔してさ!」
聞こえてきた、不満や焦燥を怒りに変えたような声。
木立の奥に立ち止まって話している二人の姉妹の姿があった。
今まで共に暮らしてきた仲間たちが、次々と離れていってしまうことへの淋しさ。実の妹までも別れなければならない現実。けれどそれを引き止めるつもりもない。
ただ一人、やりたいことも見つけられずに取り残されてしまったような不安、焦燥。
己の内にある、どうしようもない感情を吐露するその姿に。
「フィズ! ラミ!」
は、その名を呼んだ。
困惑と驚愕が入り混じった表情の二人がこちらを向く。真っ直ぐなその瞳に、また逃げ出したくなった。
「……え?」
「ひょっとして……お兄ちゃん?」
けれど、自分の名を導き出してくれたことで、後戻りする気は削がれて。
ゆっくりと歩みを進めたは、ほんの少しの躊躇いのあと、フィズの首に手を回してその体を抱きしめた。
「……ごめん……」
困惑している彼女に、小さく呟くように言った。
それは更に困惑を呼んだのだろうが、構わず言葉を紡ぐ。
「ごめん、フィズ……」
「なん……なんで、が謝るのよ……っ。悪いのはあたしでしょ……? あたしがわがままなだけでしょ!?」
「……あの場所から、最初にいなくなったのは……オレだから……一番初めに不安にさせたのは、オレだから……」
わかっていても、共にいることはできなかった。
約一年、ゼラムに行って距離をおいてみたけれど、何も変わりはしなかったから。むしろ悪化――してしまったから。
傀儡戦争が終わる頃には、トウヤも『同じ』ではなくなってしまっていて……一人になるしかなかった。自分を知る者のいない所に行く以外に、道など見出せなかった……
だから――こうして謝る以外に、何ができるだろう……
――それでも一言、おっしゃればいいのですよ――
――それだけで、彼らの心は満たされるでしょう――
不意に思い出されたのは、シオンの言葉。
あの時は、結局伝えることはできなかった。その気にも、なれなかった――けれど。
「…………フィズ、と……ラミは……オレにとって妹みたいな存在だった……その、想いは……今でも、変わらない……」
「――っ、な、によ……っ、なんで今になってそんなこと言うのよ……っ」
「ごめん……」
「なんで謝るのよ!? バカ!!」
「……他にどうしていいのか、わからない」
「バカバカバカバカ!! 散々不安にさせて心配させたくせに、そんなこと言われたら許すしかないじゃない!! もー、バカ兄!!」
ひとしきり怒鳴るようにまくし立て、最後に兄と呼んでくれたフィズは、きゅっと背に手を回してきて。
「……バカ……っ」
肩に顔を埋めて泣き出してしまった。
その背をあやすように撫でながら、もフィズの肩に頭を預けて。
「ごめん……それと、ありがとう……」
小さく、小さく囁いた。
それからしばらくそのままでいたが、やがて泣き止んだフィズが体を離して少し恥ずかしそうに目を泳がせた。
「えっと……ガゼル、とリプレママも近くに来てるんだけど……会うよね?」
「近くって、ひょっとしてトレイユか?」
「うん、そうだけど……」
「……ん。会える、と思う」
「よかった……それじゃ、帰ろっか?」
フィズの言葉にラミと二人、頷いた――と、その時。
「おーっと! そういうワケにはいかねえな!!」
野太い声が穏やかな空気を壊した。
「お嬢ちゃんたち、ママから教わらなかったのかい? 子供だけで遠くにきたら、悪い人に連れて行かれて、遠い所へと売られてしまうってなァ!?」
実に品のない見覚えのある男がそう言ったのに、は深く嘆息した。
「……おまらか……」
「知ってるの、?」
「いつだったかぶちのめしたことのある、逃げ足の速いしょぼい悪党」
「へ、へえ……」
小声で話していたためか、それとも自分たちの会話に気を取られていたのか。そんなこちらの会話は聞こえなかったらしく、召喚術が発動していて。
「さあ、そいつらをとっ捕まえろ!!」
「でりゃあぁっ!!」
襲ってきた魔獣の足へ、フィズの短剣が一閃した。
「なめないでよね? 自分の身を守るためなら、遠慮はしないんだから!」
短剣を構え恐れもなく言い放つ姿は、頼もしくもある。オプテュスに捕まって泣いていた頃とは大違いだ。
「へえ……やるもんだなあ」
「あたしたちだって成長はしてるの! 戦い方だってローカスやアカネに習ってるんだから!」
「アカネも一応は役に立ってんのか」
フィズと同じく、向かってきた魔獣に蹴りを入れることで距離を取らせて呟いた感想には、生意気にも思える返答。そして、少々呆れの言葉。
「って、食べ物の好き嫌いはないけど、人の好き嫌いは激しいよね……」
「おまえらのことは好きだぞ?」
「だっ、だからっ! それはもういいって!!」
「お姉ちゃん……照れてる……」
「ラミ!!」
微笑ましい遣り取りに、はくすくすと笑う。
それが大男には気に障ったらしい。
「ガキどもめ、人を無視しやがって……世の中の厳しさってもんを、たっぷりと教えてやるっ!!」
「あんたたちにね!!」
聞き馴染んだ少女の声の後、召喚術が男のすぐ近くで唸りを上げた。爆風に煽られすっ飛ぶ男を放って、は声のしたほうへと目を向ける。
「リシェル……」
「こんなこったろうと思ったわ」
「だいじょうぶ、キミたち?」
「さっき、すれ違った旅の人たち……」
「ってか、! 単独行動やめてよ!!」
「先に行ってていいって言っただろ。わざわざ面倒事に首突っ込むなんて、相変わらず物好きだな、フェア」
「に言われたくないし、気になって先になんか行けるわけないでしょ!? ってか、このバカ二人がいるって聞かされたら捕まえに来ないわけにいかないじゃない!!」
ビシィッと二人の無法者を指差し断言。どうにも鬱憤が溜まっているようだ。
「バカとは何だ、このガキャあ!?」
「バカはバカでしょ!? 召喚獣がダメなら、今度は子供相手に悪さしようなんて、根性腐れてるじゃない!!」
「ええい! やかまいしい!! 今度こそ借りを返してやる!!」
「……たった二人でか?」
「ぐ……っ」
「手下に見放されて召喚獣しか味方がいないなんて、かわいそうすぎて泣けてきちゃうわ」
「う、うるさいッ!! バカにするなぁ!? こうなりゃヤケだ。テメエらをまとめてぶちのめして有り金巻き上げてからとんずらしてやる!!」
「ケッ、何セコイこと偉そうに言ってやがる。バカどもが……」
「な……っ!? テメエ、いつの間に俺の背後に……」
「……元々そいつらはしょぼい頭しか持ってない」
「だろうな。……おう、でかくなったな」
「嫌味にしか聞こえないから、やめろ」
改めてこちらへ目を向けて言われた言葉に、は思い切り顔をしかめた。
数年ぶりに会ったのだから当然ともいえるのだが、実年齢を知っている相手に言われると、どうしても好意的には受け取れなくて。
「まあ、話はこのバカどもをぶちのめしたあとだな!!」
複雑な心境のへとそう投げかけ早速男たちをのしにかかったガゼルを皮切りにして始まった戦闘は、案の定というかあっさり片付いた。
またも逃走をはかりかけた男は、ミントとラミの協力召喚によって今度こそお縄となったのである。
「よし、あとは俺に任せてくれ」
「お願いね、お兄ちゃん」
三度目の正直でようやく捕まえられたギムレ・バレン兄弟をトレイユまで引っ張っていき、グラッドに任せた後のこと。
「ねえ、そう言えばあの子たちは?」
リシェルの疑問に辺りを見渡して。
「もいない」
呟いた、刹那。
見事な平手打ちの音が聞こえ、目的の人物の姿を見つけた。
リプレママと呼ばれている女性が、フィズ・ラミ姉妹のことを本当に心配していたのが伝わるやり取りを目にすることができた、そのあとのこと。
「まあ、原因のひとつは、オレが昨日怒鳴ったせいでもあるからな。すまねえ、リプレ。オレからも頼むわ」
「うん……」
「それに、お陰で珍しい奴も見つけたしな。ほれ」
「頭掴むな、バカ!!」
それまでの神妙さも一変、なにやら面白そうに笑ったガゼルが、自分の背後にいたの頭を掴んでリプレの前へと引っ張り出した。
「――え……?」
きょとんとした顔で、を見つめるリプレ。対するは――
「珍しいもの見れたってカンジかしら?」
「珍しいって……」
「だってアイツ、完全にびびってるじゃない」
面白そうなリシェルの言葉通り、リプレと向かい合うは何故か完全に硬直してしまっている。――まあ、確かに珍しい。
「……、なの?」
半信半疑というか夢心地というか。そんな感じのリプレの問いに、はひとつ頷く。そしてそのまま俯いてしまった。
「にも平手くるかしら?」
「平手は来ないんじゃない?」
何故かわくわくと声を弾ませているリシェルに呆れつつ、フェアも成り行きを見守る。
――と、リプレの手がへと伸びて。
「おっ?」
リプレは、の体を抱きしめた。
上を向いたの顔は、驚きを表している。
「……あたたかい……夢じゃ、ないのね……?」
未だ実感のない表情で呟くリプレに、は目を細めて。
「現実、だよ……久し、振り……リプレ」
ぽんぽんと、リプレの背を軽く叩いた。すると、ようやく実感を得ることができたのか、リプレの目からは涙が零れ落ちて。
「うん……久し振り、……無事で、よかった……っ」
「……ん……悪、かった……心配、かけて…………ありがとう」
「うん……っ」
リプレの腕の中、静かに目を閉じたの顔は、今まで見たこともないくらい安らいだ表情をしていた。
ここ最近は無茶なことばっかりしてて、苦しそうな表情とかが多かったから、穏やかな顔を見れたことはとても嬉しいことだった。――けれど。
何故だろう……嬉しいことのはずなのに、胸の辺りがチリチリして落ち着かないのは。
「アイツ……あんな顔もできるのね」
「そ、そうだね……」
すぐ隣から聞こえたりシェルの感想に、何とか同意を返した。けれど不自然なそれに疑問をもたれたらしく、リシェルがこちらを覗きこんできて。
「……何? どうかしたの?」
「な、何でもないよ!」
「ホントにぃ~?」
「ホントだってば!? ただ……ちょっと、びっくりしてるだけだよ」
「ま、それは確かにね」
よくわからない感情のことはおいといて、本当にそう思ったことを伝えれば、何とか納得してくれた。
それ以上追求されなかったことに安堵したのも束の間、先程のモヤモヤした気持ちは消えることなく居座っていた。
とアルバの家族だという人たちを出会い、目的地が同じということで共にシルターン自治区へと向かった道すがら、彼らの事情を聞いた後のこと。
「お兄ちゃん……あの……」
ラミがを見上げ、言い難そうに何やらもじもじとしている。
はしばらく無言でその様子を見つめたあと。
「ん?」
片手を彼女へと差し出した。
すると笑顔になったラミがその手を取って、二人は手をつないで歩き出す。
どうやら彼女は、ただと手をつないで歩きたかっただけらしい。何も言わないのにちゃんとわかるというのは、やはり家族だからなのだろうか。
そんなことを考えていたら、はくるっと後ろを振り向いてもう一方の手も差し出してきた。その向く先は、ルシアンの隣。
「フィズは?」
「……あたし、もう小さな子供じゃないわよ」
むすっと不服そうな返答。しかしは手を引っ込めずに。
「別に子供扱いしてるわけじゃないさ。アルバ曰く、別々の道を歩み始めている今だからこそ、一緒にいられる時間を大切にしたいんだと」
「アルバが、そんなことを……?」
「まあ、いいってんなら別に――」
言いつつ引っ込めかけたの手を、フィズは飛びつくようにして握って。
「素直が一番ってな」
くすくす笑いながら言ったに、フィズの頬は赤くなっている。
「って、いつからそんなイジワルな性格になったのよ」
「オレの性格は元々こんなもんだ。知らなかっただけだろ」
「昔のの言動で、そんなことがわかる要素なんてなかったじゃない」
「外ヅラがいいってだけの話じゃねえのか」
「やかましい。外面最悪野郎が」
さらっと。口を挟んだガゼルに対し、鋭すぎる切り返しがから放たれた。ガゼルは軽く青筋を浮き上がらせている。
「テメエ、チビたちとオレとじゃ随分と態度違うじゃねえか」
「当たり前だろう。ラミとフィズはオレの妹、アルバは弟。おまえは弟でも妹でもない」
「妹にはなれねえだろーが、どうやっても」
「なりたかったのか? 『お兄様』と呼べば同じ扱いにしてやらんこともないぞ?」
「誰が呼ぶか!? このクソジジイ!!」
「テメエにジジイ呼ばわりされるほど年食っちゃいねーよ、このクソガキ」
妹たちと手をつないだまま器用に繰り出されたの蹴りが、見事に前方を歩いていたガゼルを捉えた。
ずしゃっ、と。派手に倒れたガゼル。……容赦が全くないのも、家族故、だろうか?
「ガーゼール。いくら嬉しいからって、少しはしゃぎすぎよ」
「はしゃいでねえよ」
「あら、そう? との会話を楽しんでいるように見えるけど?」
リプレの笑みを含んだ指摘に、ガゼルは言葉を詰まらせた。ややあって、溜息と共に起き上がる。
「……まあ、コイツと口喧嘩できる日が来るとは思ってなかったからな」
それは認めるけどよ。
そう言ったガゼルには、フィズが賛同した。
「そうだよ、リプレママ。そんなの、あたしたち全員そうじゃないの? アルバだってそんなカンジだったんじゃない? ねえ?」
同意を求められたルシアンは、少し上向き加減に記憶を探る。
「そういえば……昨日は、何か言ってさんを怒らせてたような……?」
「で、追っかけまわされてたわよね。半泣きで平謝りしながら猛ダッシュしてたわよ」
「……何言ったの、あいつ……?」
「別に。虫の居所悪い時に、更に神経逆撫でしてくれただけさ」
リシェルの説明に呆れた調子でフィズが問う。はしれっと説明しただけで、具体的な回答はしなかった。このあたりは、誰に対してもこんな感じのようだ。
「本当に変わったなぁ、オマエ。走り回ることなんてほとんどなかったし、基本的に静かだったのにな」
「へえ~? そんなに大人しかったの?」
「無口無表情が標準装備。口を開いても出てくるのは意味不明な単語だったぜ」
「――って、それ、怒ってたからじゃないの!?」
「リシェル!?」
「ねえさん!!」
リシェルが口走った言葉にぎょっとしたのはフェアとルシアン。諌めるように呼ぶも、時既に遅し。
思いっきり不機嫌な顔でが振り返って。
「……どういう意味だ」
有無を言わさぬ、絶対的な力を持った声音で訊いてきた。
その眼差しと雰囲気に、何も言えなくなる。
自覚なく一・二歩後退った、その時――ガゼルがの頭を叩いた。
「何ガキ共威嚇してんだ」
「威嚇なんかしてない」
「自覚がないたぁ、タチ悪いな。ソイツら完全にビビってんだろーがよ」
もう一度べしっと叩かれて、ようやく圧迫感がなくなり知らず詰めていた息を吐く。
そうなってから、やっと答えを返したのは――フェア。
「あの……ごめん。わたしが、アルバに聞いたの……『メスクルの眠り』って伝染病のあとのこと、少しだけ……」
「……ああ、そっちか」
先程の威圧は何だったのだろうというくらい、はあっさりと呟いた。
そのことで少し安堵したのか、フェアはもう少しだけ言った。
「何か、がすごく怒ってるみたいになって、全然喋りも笑いもしなくなったって……そう聞いてたから」
「あ? そうだったか? あの日一日だけで、他は今まで通りだったと思ったぞ、オレ」
「……アルバたちの前では喋らなかったかもな。笑わないのは元々だし。怒ってたのは事実だが、それはトウヤたちに対してじゃないし」
「……アレか」
「アレだ」
身内にだけわかるような会話。それでも、当時のことを思い出したのか、の眉間には深く皺が刻まれて。
「確かにアレのあとはほとんど喋らなかったか……つーか、シオンのとこに雲隠れしてたよな、オマエ」
「アカネさえいなきゃ、あそこが一番居心地良かったからな」
いつもの調子で答えた。眉間の皺も消えている。
それを確認するかのようにガゼルは一瞬だけ目を向けて。
「……なあ、なんで喋らなかったのか聞いてもいいか?」
控えめに、そう問い掛けた。
自分のことを話すのが嫌いだと、アルバは言っていた。その通りなのか、は口を噤んだまま答えない。表情も……なくなっている。
「言いたくないなら、無理には聞かねえけどよ……」
やはり無理だと悟ったのか、ガゼルはそう言って終わらせた。――その、少しあとのこと。溜息がの口からこぼれた。
「……喋れなかっただけだよ」
そうして、聞き逃してしまうそうな声音で、ぽつりと言った答え。
「――え?」
「喋れなかったって……」
「喋ってただろーがよ。普通にじゃあなかったが」
ルシアン、フェア、ガゼルが、それぞれに疑問を形にする。
は俯き加減に前を向いたまま、ぽつぽつと言葉をこぼしだした。
「おまえたちに会う数年前に、オレは声をなくしてるんだ。声が出るようになってはいても、普通に喋れるところまで回復してない状態だったのが、丁度おまえたちに会った頃だよ」
「そうだったんだ……」
「けどよ、たまーにだが普通に喋ること、あったよな?」
「無理をすれば、な。あとが面倒だったからしなかっただけだ」
「面倒って……」
「……一度、どこまで回復してるのか知るために喋ったことあるが、見事に呼吸困難に陥ってぶっ倒れた」
「――はあっ!?」
「ところを、丁度通りかかったシオンに助けられた」
「……そういう繋がりだったのか……」
笑い事でもなく、あっさり聞き流せないようなことを、はどこまでも淡々と話す。
語られた内容には、誰もが驚きを隠せない。
その中の一人・エルは珍しく眉間に皺を寄せた。
「ちょっと……そんな話、私も初耳なんだけど……」
「だろうな。このことを知ってるのは、シオンとフィルとトウヤぐらいなもんだ。あとは……オレは言ってないが、リプレは気付いていたんじゃないのか?」
「そうなのか、リプレ?」
「ええ……旅に出る理由を話してくれた時に、少し咳き込んだりして苦しそうにしてたから……なんとなく……」
「何で、教えてくれなかったの?」
非難を含んだエルの問いに、は彼女に一瞥をくれて。
「言ったら、おまえらもオレが旅に出ることに反対したか、若しくはオレが喋ること自体止めようとしただろ」
「当たり前じゃない! そんな下手すれば命にすら関わるようなこと、見過ごすわけがないわ!!」
「それじゃあ、オレは一生喋る力を取り戻せないまま終わってただろうな」
「――ッ!」
「……さんは、喋れるようになるために旅に出たってこと?」
言葉を詰まらせたエルの代わりに、ルシアンが問い掛けてみた。は小さく頷く。
「一人で旅に出れば、否が応にも喋る機会があるからな。リハビリには丁度よかったんだ」
「りはびりって……?」
「怪我や病気で衰えた能力を、元通り、若しくは日常生活に支障ないぐらいにまで回復させるために行なう訓練の総称だよ」
「……つまり、今そうやってよどみなく喋れてるってことは、旅に出た甲斐はあったってことか」
「そういうことだな」
ガゼルの要約で、はやっと少しだけ笑みを見せた。
けれどそれも、すぐに鳴りを潜める。
「じゃあ、、もうすぐ帰ってくるの?」
フィズが、期待を込めた眼差しで、そう聞いたから。
問われたは一度目を伏せて。
「いや……帰らない」
はっきりと、そう言った。
そうして、真っ直ぐに前を見据えた顔には、決意が表れていた。
「やらなければならないことがある……自分で、決めたことだから……必ず、やり通す」
決して、他人には曲げることの出来ない決意。
それが、にはあったのだ。
彼のその想いに、誰もが――おそらく思うことは違うのだろうが――言葉を発せずにいたのだが……
――パン、パンッ、と。柏手の音がその空気を打ち消した。
「はいはい、小難しい話はそこまで!」
柏手を打った本人、リシェルがそう言って、真っ直ぐ前を指差した。
「ほら、シルターン自治区が見えてきたよ。折角の旅行なんだから、楽しく行きましょ!」
「……そうだな」
明るい彼女の言葉に感化されたのか、微笑を浮かべたが真っ先に同意を示して。
一行は自治区への道を急いだ。
辿り着いたシルターン自治区。初めて来た者ばかりの中、唯一ここについて知っているリシェルの案内で一通り楽しんだあとのこと。
宿屋で休む面々の元に、一人別行動をとっていたリプレが血相を変えて飛び込んできた。
その手には、一枚のチラシ。
内容は、明日開催される料理コンテストについてだった。
それに対して闘志を燃やしてしまったのは、フェアとリプレ。
お互いの料理の腕を競い合うべく参加を決め、揃って申し込みに行ってしまったのだった。
残った者の中、は一人立ち上がり部屋を出て行こうとする。
「ちょっと、。どこに行くのよ?」
「風呂。ああなったら、あの二人は気にするだけ損だろ」
さらっと言って、一式を手にして行ってしまった。
「ま、言えてるな。オレも風呂行ってくるわ」
ガゼルもまたそう言ってのあとを追い――結局、二人の帰りを待たずに、ほぼ全員が風呂に向かったのだった。
「はあぁ~……なんで温泉に入ると『生き返る』って言いたくなるんだろうなぁ……」
「さあな。けど、『鬼神の谷』の温泉は、それまでがすっげー寒かったからマジで生き返った心地だったな」
浴槽に使って幸せそうな呟きを洩らしたにガゼルがそう返すと、一瞬ではしかめっ面になって。
「あ~、そんなこと話してたな……」
「……おまえ、行かなかったもんな……」
「行かなかったのに、押し付けられたんだよな。腹が立つったらねえ」
「その力嫌いは相変わらずか」
「オレは結構根に持つタイプだ。捨てられるものでもないもの背負わされて、恨まずにいられるかよ」
不機嫌さも露にお湯を跳ねさせる。
無口無表情が常だったから、初めて彼の本心を聞けた気分だ。
喋らなかった理由も知れたし……確かにリプレが言ったように、少し浮かれてはいるかもしれない。
そう自覚しつつも、もうひとつ、聞いてみることにした。
「なあ、おまえ……大丈夫なのか?」
「何が?」
「ラミとフィズのことだ」
その名を出すと、は口を噤んでしまった。触れられたくないことを言うと無口無表情になるのは、相変わらずらしい。
わかっていたが……あえて禁句であるその名を口にする。
「あの二人の側にいることがつらかったから、旅に出たんだろ? 妹だと思えば思った分だけ、を思い出したから」
……彼が、以前のままなら決して言わなかっただろう。
が旅立ってしばし後、思い至ったその理由。リプレに聞いても言わないことはわかりきっていたから、自分で考えるしかなかったの心内を……
昔だったら、怒らせて終わりだっただろう。ハヤトたちがそうしたように。
けれど今なら――自分から二人に会いに行けるぐらいには、多分成長しているだろうから。
だから、ただ返答を待った。
どれだけの時間が過ぎただろう。の口からと息が洩れて。
「とりあえず……会えたことを嬉しいと感じることは出来ている……」
ちゃんと、答えてくれた。やはり、成長しているようだ。
「そうか……願いは、叶えられそうか?」
「さあな。そこまでは、まだ――な」
「……でも、進歩はしてるってことか。そろそろアイツらにも会えるんじゃないのか?」
「それはオレの問題というよりあいつらの問題だろうが。未だに探してんのかよ?」
「前ほどじゃないが、誰か一人は常に旅路だな」
「あいつらこそ進歩ないんじゃねえのか」
「そうかもな……」
「まったく……おまえが戻ったら無事だってことを伝えりゃおさまるか……」
「逆に自分の目で確かめたいって言い出すかもな」
「その頃にはここにはいないだろうな」
「そんじゃ、言っとくぜ」
「そうしてくれ……まあ、トウヤだけは追いつくだろうが」
「……使ったのか?」
「使った。最悪の体調で」
「そりゃ確実に気付かれたな。あ、そうだ。トウヤといえば、アイツ今、サイジェント出てレルムって村に住んでるぜ」
「レルムの村に?」
「ああ、カシスと一緒に」
またもしかめっ面になった。――というか、これは心配顔、か?
「あいつこそ大丈夫かよ……」
「カシスがついてるし、平気だろ」
呟きにそう返してやると、目を瞠ったがこちらを見る。
「知って、いるのか?」
「見たぜ。一度、村に行った時に」
「そうか……」
「とりあえず、トウヤのヤツも笑ってたし、心配ねえんじゃねえか」
トウヤはトウヤで笑顔の下に本心を隠してしまうような男だが、それでもあの時の笑顔に偽りはないように見えたから。
「レルムにいるなら、やっぱ確実に追いつくな」
「なんでだ?」
「レルムにいる共通の知り合いにトレイユで会った。もう向こうに帰り着いてる頃だろうし」
「傀儡戦争の時の仲間、か」
「まあな。……さて」
答えて、は立ち上がる。
「オレ、先上がるわ」
「……早くね?」
「まあ、気分的にはもう少し入りたいが……なんだったら朝風呂してもいいし。とりあえず、後ろで聞き耳立ててるルシアンがのぼせそうだから」
――ザブンッ。
派手な水しぶきと音が、浴槽のほぼ中央にある岩の奥から出て。多分、ばれてると思わなかった件の少年がお湯に沈んだのだろう。
覗いてみれば、案の定。
「なっ、さ……っ、気付いて――ッ!?」
水から出るなり慌てた様子で言いかけて――ぐらり、と。傾いだその体をが抱きとめた。
「ばれてねえわけがねえよな」
「おまえが盗み聞きしてたのは、全く気付けなかったがな」
「人の部屋の前で話し込んでるオマエらが悪いんだろーがよ」
「聞こえてるなんて思わねえだろうが。夜に外で話してたんだから。というか寝てる時間だろ」
「寝付けなくてゴロゴロしてた時に、開けっ放しだった換気口から丁度――ってな」
「ったく……とにかく、オレはこいつ連れて上がるよ」
「おう。って、一人で大丈夫か?」
「こいつは割りと軽いからな」
言いつつ、ルシアンの体を小脇に抱えてスタスタとは出て行った。
滅多に戦わないから忘れがちだったが、バノッサを蹴り飛ばせるぐらいに武術には長けていた。体さえ成長して力がつけば、あのくらいは造作もないのだろう。
心も体も、それなりに成長はできたらしい。
そのことに喜びにも似た安堵を覚えつつ、ガゼルはお湯に沈んだ。
「はぁ~、いいお湯だった。やっぱ天然温泉はいいわよね~♪」
「ホント。広さならウチの大浴場もそこそこあるけど、やっぱ違うよね」
湯上り。リシェルの感想にフェアは素直に同意した。
明日の料理コンテストへの参加申し込みから戻ると、部屋にはエルしかおらず、彼女から皆は風呂に向かったことを聞いて後を追った結果、中で合流できたのだ。
「そういや、男どもはどうしてるのかしらね」
「さあ?」
リシェルの疑問に、何の気なしにそう答えた時、男湯のあるほうからやってきた女性二人とすれ違った。
何故か頬を赤らめ、嬉しそうにきゃいきゃいと話しながら去っていった彼女たちに小首を傾げたのは、二人とも同じ。
「何だろう?」
「行ってみましょ」
否を唱える理由もなく従ったその先で、疑問は氷解した。
男湯の入口付近にある休憩所。そこに置かれた背もたれのない長椅子に横たわるルシアンの頭元に座って、うちわで彼を扇いでやっているがいたのだ。
「アレ、絶対に無自覚ね」
「うん……言われると怒るのに、なんで無自覚なのかな?」
「天然ってことなんじゃない?」
くすくす笑いながら二人のもとへと歩み寄るリシェルの後に、フェアは溜息をついてから続く。
「何よ、ルシアン。あんた、のぼせるまで入ってたワケ?」
「う~……? ねえさん?」
「そうよ」
「大丈夫? ルシアン」
「うん、なんとか……」
目から額にかけてを濡れタオルで覆ったまま、ルシアンは口元だけで笑って見せた。
とりあえず大丈夫そうということで、改めてに目を向ける。
ゆるく来た浴衣に肩にタオルを掛けて、ほどいた髪を背に流している。髪は――やはりというか、乾かしてはいない。
「あのさ、……なんで髪、ちゃんと乾かさないの?」
「メンドーだから」
「背中、冷たくない?」
「そのためのタオルだろ」
「タオル掛けてるぐらいならちゃんと乾かして、まとめたほうがいいと思うよ……」
「何故?」
「何故って……」
言ってる側から、また通りかかった人たちが男女問わず頬を染め小さく歓声を上げて去っていく。それを見ても、はただ首を傾げるばかり。
フェアが言おうかどうしようか迷っていると、男湯からガゼルが出てきて。
「オマエはまた、なんつーカッコウしてんだ、……」
呆れ全開で呟いた。
「別におかしな格好はしてないだろ」
「オマエな、自分の顔のことを考慮に入れろ」
「――あ?」
「今のオマエな、湯中りした恋人を介抱してる女に見えるんだよ」
フェアが言いよどんだことを、あっさりとガゼルは告げて。は思いっきり彼を睨んだ。
「誰が女だ」
「見えるんだからしょーがねえだろ」
ガゼルの言葉が正解だと告げるように、また通りすがりの人たちから歓声が上がって。
は眉根を寄せてそちらを見る。
「……ひょっとして、アレ、そういう意味なのか?」
「今頃気付いたの? あんた、本当に大雑把な性格ねえ」
「やかましい」
「せめて髪まとめとけって。そしたら多少はマシになるんだから。じゃなきゃ切れ」
「切りたいのは山々なんだがなー……」
あらぬ方を見て呟く。彼の想いを知るフェアたちも似たような反応をしかけて――
「切っちゃダメ――!!」
ああ、やっぱり……と、そう思ったのは、多分事情を知る全員だったかと。
光の賢者様、登場。
「折角綺麗な髪してるんだから!!」
力説するエルに、ガゼルは呆れ半分に納得したらしい。
「そういうことか……」
「そういうことだ」
「じゃ、やっぱまとめろ」
「メンドくせえ……」
「あーもう、やってあげるからじっとしてて」
ものぐさ気質全開のに痺れを切らしてフェアは言った。
その間にリシェルはエルへと視線転換。
「んで、エルはどうしてここへ?」
「そろそろみんな上がる頃かなと思って交代に。はい、部屋の鍵」
「はいはい。いいお湯だったから楽しんできたら?」
「そうするわ♪」
鼻歌交じりに風呂場へ向かうエルを見送り、残った面々は適当にくつろいでから部屋に戻ったのだった。
「ご来場の皆さん。大変、たーいへんおまちどーでした!! シルターン自治区観光地化記念日恒例の……高級食材一年分争奪! 名物料理コンテストのはじまりだぁーっ!」
翌日、会場に司会者の威勢のいい声が響き渡り、料理コンテストが開催された。
審査員の一人がフェアの知り合いだったりしてかなりハードルは高くなってしまったようだが、彼女にとってはただ闘志を燃やす油に過ぎなかったらしい。
リプレもフェアも、料理に向かう姿は、さながら戦士だった。
そうして、できあがった料理。
リプレはラーメンを。そしてフェアは――
「これはリィンバウムとそれを取り巻く世界……その有様を現した料理。『至源』の……『ギョウザ』よ!!」
「ぎょーざ、か……まさか、こんなところで出くわすなんてな」
「あんた、あの料理を知ってるの?」
ガゼルの呟きを聞き咎め、リシェルが言ったことに彼はひとつ頷いて。
「ああ、ダチからよ、名前だけは聞いてる。オレたちの知らない、ずっと遠い世界の料理なんだそうだ。もとはといえば、あの『らーめん』もそいつらの好物でな。そいつらのために。リプレが苦心して再現したもんなのさ」
「そうだったの……」
「でも、そんな料理をどうして、あの人が知ってるの?」
フィズの呟きには、本人が説明した。
家族が揃っていた頃に父親に教わった料理なのだ、と。
その言葉に眉根を寄せたガゼルが近付き、小声で問い掛けてきた。
「おい、。あいつの父親って、まさか……」
「『ダイバ・ケンタロウ』……戻ったら、あいつらに確認してみろ。恐らく、同じ『日本人』だ」
以前、釣り道具を借りに入った倉庫で見つけた日記帳。その表紙に『日本語』で書かれていた名前。
フェア本人にも確認したので、父親の名前であることは間違いない。
ただ――
「フェアは、知らないようだけどな」
「そう、か……案外いるもんなんだな」
「……ああ……そうだな……」
名も無き世界からやってきて、この地で居場所を見つけた者は、知らないだけでまだまだいるのかもしれない。
そんなことを話している間に試食は進み、そして――
「優勝者は、トレイユの小さな宿屋の主人・フェアに決定だあぁーっ!!」
高らかに優勝宣言がなされた。
「本当にいいの? 優勝商品、半分こにするなんて……」
「うん、こんなに沢山あったって使いきれないし。お土産代わりに持って帰って使ってちょうだい」
渡された食材を半分に分けながら、フェアは笑って答えた。
いくら食堂をやっているといっても、流石に一年分は多すぎだ。食材は新鮮なうちが一番美味なのだし。
そんな理由から分けた食材。でも、もうひとつ目的というか、希望はあって。
「その代わり……あの、さっきの『らーめん』を……食べさせて欲しいの!」
本当は、レシピを知りたいところだけど。でも、一度でも食べておけば、後々自分で模索・再現することもできるかもしれないし。
そう思って言ったことだったのに。
「お安い御用よ。じゃあさ、一緒に作ってみよっか?」
「ええっ!? レシピは秘密なんじゃ……」
「独占したってつまらないわよ。美味しい料理はね、みんなでわいわい食べるためにあるものなんだから。……でしょ?」
――ああ、そうだ。すっかり忘れていた。
店として料理を作っていたから忘れていたけれど、そうだ。コーラルが来て、御使いたちが集まって。一人で食事をするのが当たり前だった時とは考えられないくらい、今は食卓を囲むのが楽しい。
本来、料理とはそうあるべきものなんだ。
「そうかも……リプレさんの言う通りだよね」
「リプレでいいよ。私たちは、料理をこよなく愛してる仲間で、競争相手(ライバル)なんだもの!」
「うんっ! じゃあ、わたしも、ギョウザの作り方を教えるね!」
大切なことを、思い出させてくれた感謝も込めて。
「えへへ、実は密かに期待していたんだよねえ。よろしくっ!」
他の料理人たちもまだ残り、観客にそれぞれの料理を振舞っている会場で、フェアとリプレも料理に取り掛かった。
それぞれに教えあった料理が出来上がる頃には、二人の側にも観客が集まっていて。必然的に彼らに振舞うことになった。
数作ることは、体に覚えこませるには丁度いいので、しばしギョウザとラーメンを二人で作り続けて。
観客がようやく落ち着いてきた頃。
「今日は本当にありがとう。あなたのお陰で、ハヤトたちに故郷の料理をまたひとつ食べさせてあげられるわ」
リプレが、そう言ってきた。フェアは目を瞠る。
「え……じゃあ、ギョウザって、名も無き世界の料理なの!?」
「知らなかったの? じゃあ、どうして名も無き世界の料理だって……?」
「あ、え~と……が名も無き世界から来たって……で、自分と同じ人が聖王国に4人いるって聞いてて、その名前も聞き覚えがあったから」
そう説明するとリプレは目を細めて――嬉しそうに笑った。
「そう、が話したの……」
「あの?」
「たいしたことじゃないのよ。ただ、自分のことを話すの、極端に嫌がっていたから。少しでも話せるようになったのなら、よかったと思って」
……アルバも、言っていた。が嫌いなこと。
でも話してくれたことは、成長の証なのだ――と。リプレは言うのだ。
そう、なのだろうか。なかなか肝心なことは話してくれないけれど、それは単に性格的なものであって、仲間として認められていないということではない――と。
「ふふ。の成長を教えてくれたお礼に、のことひとつ、教えてあげるわ」
「――え?」
「もね、この『らーめん』好きなのよ。あっさり風味の塩味が好きみたいだから、作ってあげたら喜ぶと思うわ」
悪戯っぽく笑って言ったリプレの言葉に、フェアはまた目を瞠った。それは、の好物を知ることができたからではない。
が好きだと思うものを、自分は何も知らないのだと気付いたからだ。
嫌いなものというか嫌いな人は、よく本人が口にしているので知っている。けれど、彼の口から好きという言葉を聞いたことは――ない気がする。
食べ物は普通に食べて、美味しいと言ってくれるけれど、何が一番好きで、嫌いなものはあるのか。そういったことは何も知らない。
コーラルや御使いたち、アルバやシンゲンなど今の仲間たちの嗜好は大体わかるのに、のことだけがわからない。
――なんだろう、このモヤモヤした気持ちは……
がリプレと再会した場面を見た時のような、うまく言い表せない気持ちを、フェアは感じた。
けれどそれを表には出さず、リプレには笑みと共に礼を告げた。
よく、わからないこの気持ちは、見ないことにしたのだ。
「じゃあ、ここでお別れね」
シルターン自治区を出て、トレイユ近くまで帰ってきて。そのまま帰路につこうとするリプレたちにフェアは言った。
皆それぞれに別れを告げ、フィズも何とか抱えていた想いに出口を見出した様子でアルバへの伝言を頼んできた。
そうして、別れの時。
最後にが、リプレへと手を伸ばし、二人は握手を交わして。
「元気でね、。あなたの願いが叶うことを祈ってるわ」
「ああ。……オレにとってもリプレは母親のような存在だったよ」
言いながら、は背伸びをして――リプレの額に口付けた。
「ありがとう。どうか、君にエルゴの祝福があるように」
とても綺麗な笑みを彼女に見せ、はそう言った。
照れたように笑う彼女たちの姿が小さくなるまで見送って。
大きく腕を伸ばして伸びをしたは、くるっと踵を返した。
「じゃ、オレは龍姫んとこ行ってくるわ」
「あ、うん……いってらっしゃい……」
言い残してさっさと行ってしまったをフェアは見送る。――と、ルシアンが覗き込んできた。
「どうかしたの、フェアさん?」
「え、ううん、どうもしないよ?」
誤魔化すように笑って、フェアもまた街へと歩き始めた。
見ないと決めた、モヤモヤした気持ちを抱えながら。
――その日、は帰ってこないまま、フェアの胸のモヤモヤもずっとあり続けた。