毎日忙しい時間を送る宿屋・忘れじの面影亭。その中でリシェルはひとつのイタズラを企てていた。
ストレス発散も兼ねたそれに、ポムニットがノリノリで協力を買って出て、着々と準備を進めていって。
そして、その日がやってきた。
「「 つ、つかれたあぁ……っ 」」
昼の営業が終わり、リシェルはフェアと共に食堂の椅子に身を沈めた。
今日もまた戦場としか言えないような忙しさだったから。
「夜もまたこんな調子かと思うと、疲れが余計に溜まる気がするわね……」
「あはは……それは考えないようにして、今は一休みにしよ?」
「いや考えなきゃいけないでしょ!? どう考えたって人手不足なんだから!」
ガタンッ、と。椅子を鳴らして立ち上がり、リシェルは訴えた。
「うーん……たしかに、僕たちも毎日確実に手伝えるわけじゃないし、アルバイトを雇うことは考えたほうがいいかもね」
「アルバイトの前に! タダの人手がいるじゃないの!?」
「え?」
「よ、! あいつ居候のくせに毎日毎日姿くらまして手伝った例(ためし)ないじゃない!?」
「は居候じゃないよ。ちゃんとお金入れてくれてるもん」
「あ、そうなんだ」
「うん。宿泊料金分、ちゃんと払ってくれてるよ」
「そういう問題じゃなぁ――い!! 外で働くくらいなら、ここで働けっての!!」
ばんばんとテーブルを力任せに叩くリシェル。手が痛いとかは構ってられない。
「せめて夜ぐらいは手伝わせなさいよ!!」
「う~ん……でもねぇ……」
なにやらフェアが言いよどんだ時、店の扉が開いて話題の人物が帰ってきた。
「何騒いでるんだ?」
「あ、おかえ――」
「あんたのことよ!!」
フェアの言葉を遮り、リシェルはに詰め寄った。
「忙しいのよ店が殺人的に! 少しは手伝おうって気はないワケ!?」
「ないわけじゃあないが、やるべきことを優先させるとどうしてもな」
「手伝う気があるなら夜だけでも手伝いなさいよ!!」
「……別にいいけど」
半ばリシェルの勢いに押される形で了承を返したに、リシェルは怒り一変企み顔になって。
「言ったわね!? 手伝うって今確かに言ったわね!?」
「言ったが、それが?」
「よっしゃ――!! 前言撤回はなしだからね――!!」
叫びつつ、そのまま彼女は外へと走っていって。
その場には、わけのわからぬ三名が残されていた。
「えーと……? 無理はしなくていいんだからね?」
呆気が抜けきらないまま、フェアはにそう言った。
彼もまた半ば呆気に取られたまま、それでも少しだけ笑みを浮かべて。
「ああ、今日は然程でもないからな。平気だ」
「本当に?」
「……信用ないんだな、オレ……」
「当たり前じゃない。自分が何したか忘れたの?」
「あの時とは状況が全く違うだろうが」
「違う状況って何なの?」
見当もついていないフェアの胸元を、はトンッと軽くつついて。
「あの時、メイメイがオレの中に移したおまえの力はまだ生きている。フェアが生きている限り、例え致命傷を負ったとしても今のオレは死ぬことはない」
「え、そうなの?」
「そのくらいに、おまえの生命力は強いってことさ」
「だからって、無茶していい理由にはならないよ」
「無茶じゃないって言ってるだろうが。オレの魔力、極端に減ってないだろ?」
「そんなこと言われてもわかんないよ。わたし、そんなに召喚術得意じゃないもの」
「あー、もう。教えてやるから覚えろ。そうすれば、無闇に疑わなくても大体のオレの体調はわかるようになるから」
「う~……」
「ねえ、さん。フェアさんがそんなに心配するほど、普段何してるのか聞いてもいい?」
フェアとの遣り取りが一段落ついたのを見計らって、ルシアンは素朴な疑問を投げかけた。
すると二人――というか、はぴたっと動きを止めて……渋い顔になった。
それを見て、ルシアンよりもフェアが小首を傾げる。
「そこまで悩むほどのことなの?」
「……帝国領内じゃ問題あるだろう」
「あー……まあ、そうだよねえ……」
「……どういうことなの?」
二人だけわかっていても、ルシアンにはさっぱりだ。
そんな彼を見て――は口を閉ざしたまま。フェアが溜息をついて、解を返す。
「えーっと……つまり、前にルシアンが言ったことと似てること、かな?」
「え?」
「ほら、ルシアンの提案を元にして、リビエルにやってもらったこと、あったでしょ? 今も店の入口にある」
「……あっ!」
ようやく思い至ったらしいルシアンは、すぐに納得した。
「ああ、うん……なんとなく、わかった……でも、どうして?」
「何が?」
「だって、さん、嫌いなんでしょ。その力と肩書きのこと。なのに、どうして進んで使うの?」
「それは――」
が応えるよりも先、勢いよく扉が開き、リシェルがポムニットを伴って戻ってきた。
「さあ、着替えるわよ!!」
「――は?」
そして元気に宣言された意図の見えない言葉には、だけではなく食堂に残っていた全員が頭に疑問符を飾る結果となった。
「あんた用の特製衣装用意したから、それ着てウエイトレスするの!」
「ウエイターの間違いだろ」
「ウエイトレスよ!! ほら!」
リシェルが示し、ポムニットがもってきた服を広げて見せた。
それは、ポムニットが着ている服と似通ったデザインの――まごうことなき女物。
「ねえさん……」
「リシェル、あなたねぇ……」
それを見て、ルシアンとフェアは呆れ一色。
はというと片手で頭を抱えている。
「何でそんなもん着なきゃならん」
「似合いそうだからよ、ってか確実に似合うわ!!」
「性別無視すんな」
「男に着せるから面白いんじゃない!」
「何でおまえの娯楽にオレが付き合わなきゃいけないんだ?」
「罰ゲームよ!!」
「――は?」
「散々心配かけまくったことに対する罰。少しでも悪いと思ってるなら着れるわよねえ?」
にやりと、意地の悪い笑みでに詰め寄るリシェル。
一瞬言葉に詰まったは、けれどすぐに持ち直して。
「断る。もっと別の形にしろ」
「いやよ。罰なんだからあんたがこたえることじゃなきゃ意味ないじゃない」
「他にも何かあるだろう。大体、罰というよりは明らかにおまえの娯楽目的じゃないか」
「あたしも楽しめて、あんたには罰になって、更に客寄せ効果も見込めるなら一石三鳥でしょ」
「客は関係ないだろ」
「……あんた、自分が女顔だって自覚してる?」
「だから着たくないと言っている」
「だから着せたいのよ。着なさい」
「嫌だ」
「もう、本貸してあげないわよ」
切り札をぴらりとちらつかせたリシェル。それは見事にの反論を封じて。
「着るわよね?」
「…………着る」
思いっきり嫌そうな顔をしつつも、を頷かせてしまったのだった。
「よっしゃ――!! あとよろしくね、ポムニット!!」
「はいはい、お任せくださいまし♪」
そうして、ポムニットに引きずられる形で、の姿は食堂から消えてしまった。
「「「 うわぁ…… 」」」
しばし後、着替えさせられたの姿を見て、三人は同時に同じ言葉を洩らした。
けれど、そこに含まれる感情はまったく別のもの。
フェアは呆れ、ルシアンは感嘆、そしてリシェルは歓喜の声だ。
「本当に女の子にしか見えないよ……」
「やかましい」
素直な感想は、の不機嫌さを増徴させただけ。むすっとするその姿も、今はただ可愛いだけなので、あまり着にはならないが。
元々整った顔立ちの上に、今は髪もセットアップされ、薄く化粧までされているのだ。どこからどう見ても『少女』にしか見えない。
「完璧な仕上がりじゃない♪ よくやったわ、ポムニット!」
「いえいえ。普段おじょうさまはこういう格好をしてくださいませんから、代わりに張り切っちゃいました♪」
「ぐ……っ」
ポムニットの嫌味に、リシェルは言葉をなくした。
いい気味と思う反面、二人分の娯楽にされたは物凄く居心地が悪そうだ。
「と、とにかく、今日はその姿で接客するんだから、いつまでも不機嫌な顔してないでよ、!」
「……」
「え?」
「って呼べ」
そっぽを向いて小さく言われた言葉に、ルシアンとフェアは顔を見合わせた。
アルバが禁句だと言ったその名を、こんな形で彼の口から聞くとは思わなかったから。
「それって……」
「何、偽名ってワケ? だからって妹の名前使う、普通?」
「ねえさん!」
あっけらかんといったリシェルに、焦ったのはルシアンだった。
いくら自ら口にしたとはいえ、の心内は知りようがない。どんなことでその傷に触れてしまうかわからないから。
――けれど。
「いいだろ、別に。同じ顔してたんだから、生きてりゃこんな姿になってただろうし」
そっぽは向いたままだけど、普通には返してきた。
ルシアンとフェアは再び顔を見合わせて、そして同時に胸を撫で下ろした。
「それじゃ、今日一日ホール手伝いよろしくね、『』!」
「……了解」
リシェルの無駄に元気な言葉に、諦めの境地では返したのだった。
「いらっしゃいませ!」
明るい声で迎えられた店内入口で、グラッドは何の冗談だ――と。目の前の人物を見て思った。
昼間の仕事を終え、たまにはフェアのところで美味い食事を摂ろうと出向いてきたのだが、まさかこんな相手に迎えられるとは夢にも思わなかったから。
冗談というか、むしろ何の祭りだとでも問いたい気分だった。
男で、しかも己の女顔を気にしているが、完璧な女装姿で現われたのだから当然だろう。
「あ、あんた、なんでそんな……」
「です」
「い、いや、それは」
「です」
「だ、だから」
「・・で・す」
本人であるのは間違いないだろうに、質問を形にすらさせてもらえず、彼は妹の名を名乗り続けた。
笑顔なのに、こめかみに見える青筋と、少しずつ強くなる口調が、彼の心を表しているようで。
「は、はい……」
グラッドは、この場での質問を諦めた。
「一名様ですね。只今店内は大変混み合っております。相席になりますがよろしいでしょうか?」
「あ、ああ……」
「では、こちらへどうそ」
よどみない営業口調と笑顔で話す彼に、グラッドは内心、どこから声を出しているのか気になった。それほどに、普段の彼の声とは違っていて、彼を知るグラッドでさえ本当は女なのではと思えてしまったから。
口に出したらきっと、タライが落ちてくるだろうから言えはしないのだが。
とりあえず、料理を注文したグラッドは、事の詳細を知るためにゆっくりと食事を進めて営業が終わるのを待つことにした。
それから、二時間は経過しただろうか。ようやく最後の客が店を後にしていった直後のことだった。
「やっと終わった……っ」
疲れ果てたようにその場に座り込んで呟いたの声は、いつものものに戻っていた。
「お疲れ様、」
「やっぱだよな……なんでそんな姿で手伝いなんかしてたんだ?」
フェアの言葉で改めて確認し、グラッドはやっと疑問を投げかけることができた。
しかし、当の本人はこちらを振り向きもせず、また口を開く気配すらなくて。
代わりに嬉々としたリシェルが答える。
「罰ゲームよ、罰ゲーム♪ 今まで散々心配かけまくった罰にイタズラしてみたの! どうよ? 似合ってるでしょ?」
「あー、いやー、それは……」
ギッ、と。肩越しに睨んできたの瞳からグラッドは目を逸らし答えを濁す。タライを食らいたくはなかったから。
そんなグラッドの様子を気にすることなく、リシェルはのほうへと向いて。
「どう? 少しはあたしたちの苦労がわかったでしょ?」
「今疲れてんのは、大半が精神的疲労だ」
「なによー? 女装の所為だって言いたいワケ?」
「当たり前だろ。うっかり地声出さないようにするの、長時間はキツイんだよ」
「あ、それね。あんたどこから声出してんのよ、アレ」
「喉に決まってるだろう。オレは上に関しては音域広いんだ」
「それにしたってノリノリに見えたけど? 完璧に女の子演じてたじゃない」
「当たり前だっつーの。こんな格好させられてるのに、男だってバレたら恥以外の何物でもないだろ」
「え~? かわいいのに」
「嬉しくない。もう脱ぐぞ」
「え――――!! もうちょっと着てなさいよ」
「嫌だ」
立ち上がり、さっさと着替えにか踵を返した時、扉に付けられたベルが来客を告げて。は瞬時に営業スマイルを作って、振り返った――が。
「いらっしゃい、ま――せ」
グラッドに鉢合わせた時とは違い、完全に固まってしまった。
そしてそれはやってきた客も同じ。
「あれ~? イオスにルヴァイドじゃない」
来るとは思っていない人物の登場に驚いたのは誰もが同じ。けれど、その度合いは――まあ、察してもらえるかと。
と、二人が何か言う前に、女装姿のとばっちり目が合ってそのまま固まっていたイオスの顔が、一気に真っ赤になって。
――は? と全員がその反応に呆気に取られる。
バンッ――「ぶっ!?」と、が投げたトレイがイオスの顔面に見事ヒット。さりげなくルヴァイドは身を引いて巻き添えを回避した。
「何す――!?」
苦情を言いかけたイオスの顔面目掛けていくのは、の足。間一髪で避けるも次々にの攻撃が彼へと襲い――二人の姿は店の外へと消えてしまったが、音から察するに召喚術まで使った取っ組み合いになっている模様。
「一体何なの……?」
「ってかさ、ルヴァイド。あの反応って、イオスってば、もしかして?」
さっぱりわかっていないフェアとは反対に、リシェルは笑いを堪えつつルヴァイドに聞いていて。
ルヴァイドは店内へと入ってきながら、何事もなかったかのように。
「ああ、イオスはどうにもあの顔に弱いらしくてな」
「やっぱりぃ――!!」
ケラケラと大爆笑のリシェル以外には、さっぱりだ。
「え、えーと……どういうこと?」
「初め、我々は敵対していたのだが、共に戦うようになるまでずっと、イオスはあの男のことを女だと思い込んでいたようだ」
「あいつってば、散々偉そうなこと言ってたくせにマヌケすぎ――!!」
笑いの止まらないリシェルに対し、フェアたち三名はあきれ返って絶句。
フェアもやイオスを初めて見た時女かと間違えたから何となく気持ちはわかるけど、それにしたってひどくはないか。
が未だに根に持っているのも少しわかる気がして、フェアは天を仰いだ。――と。
「おっ、っ! 気が済んだの?」
「着替える!!」
気が済んでいるようには到底見えないが、一応戻ってきた彼はずかずかと足音も荒く自室へと行ってしまって。
何となく、怖いもの見たさで外を覗いて――屍状態になっているイオスに向けてフェアは合掌したのだった。
翌日以降、『』目当ての客が激増したが、『』が再びホールに現れることはなかったのである。