――漠然とした、不安を抱えていた……
毎日、同じような時を過ごし、決められた場所で大して必要とも思えない情報を頭に詰め込み、そして社会へ出て行くことに。
他の誰もがそうするのと同じ道、同じ人生……それを辿ることに意味などあるのだろうか、と。
かといって、特別何かやりたいことがあるわけでもない。
漠然とした不安を抱えながらも、何を望むこともなく……ただ、日常を過ごしていた。
そう――少なくともこんなことは、望んでいなかった……
「あ~もう、やっと気がついた」
「……あなた、誰?」
目を開けて、一番に見えたのが見慣れぬ銀色の髪。全く見覚えのない少女に対して誰何(すいか)が口をついて出たのは、当然のことだろう。
けれど少女は、どこか怒ったような口調で言った。
「それはこっちの台詞よ。あたしの家に、いつの間に入ってきたのよ?」
「あなたの、家……?」
全く覚えのないことに、ようやく体を起こして辺りを見渡す。
木造と思われる建物の中。見たこともない大きな鍋に、穴の開いた床。朽ちた棚とその上のスス汚れたクマのぬいぐるみと、そして壊れた大きな扉。
見覚えなどあるはずもない場所だけれど、それ以前に――
「家――なの? 廃墟の間違いじゃなく?」
「う……これはぁ……さっきちょっと調合に失敗しちゃって……爆発しちゃったから……」
「爆発……」
聞きなれない単語が、少女の口からふたつ。
その内のひとつが、ぼんやりしていた頭を働かせる鍵となって。
――思い、出した。
自分がどこにいて、どうなったのかを。
「私……生きてるの……?」
自分の手を見下ろして、呆然と呟いた。
尋常ではない何かを感じたのか、少女の手がそっと重ねられて。
「生きてるわよ。ほら、ちゃんとあたたかいもの」
伝わる、ぬくもり。
思い出したことで余計に混乱してしまった頭に、そのあたたかさは少しの落ち着きを与えてくれた。
「どうして、無事なの……爆発に、巻き込まれたのに……」
「ぅえっ!? 爆発って、あたしが起こした!?」
「違う……街に買い物に行った、その先の店で……」
少女の焦りをあっさり否定する。それは、確かなことだから。
コンクリートで固められたビル群の中に、今いるような木造の建物を見た記憶はない。
行き慣れた街、いつものデパート。ただの事故か、それともテロにでも遭ったのか。その判断はできないけれど、確かに爆発に巻き込まれて――今に至る。
「え~と、つまり、なんでここにいるかはわからないってこと?」
少女の問いに力なく頷くと、溜息が聞こえた。
「まあ、いいわ。あたしも、なんで家がここまで古くなっちゃったのかわからないしね。ん~……とりあえず、換気しよう」
こうカビ臭くっちゃ、考えも上手くまとまらないし。
言いながら少女は扉へと手を掛ける。が、押しても引いてもギシギシ音がするだけで、開くことはなかった。
「扉までざびついてるの~!?」
「ユーディット、扉をブッコワセ!」
「壊せって、そんな……」
「『ユーディット』……?」
己の肩にいるオウムと会話する少女を、不思議な想いで眺めながら気になった単語を呟く。すると少女はこちらを振り向いて、屈託なく笑った。
「あたしの名前よ。この子はフィンク。あんたは?」
「……」
条件反射のように名乗った。普段とは違い、名前だけ。少女が苗字を名乗らなかったから――これも条件反射かもしれない。
ぼんやりと取り留めのないことを考えながら、扉を渋い顔で見て唸っている少女――ユーディットを眺める。
「このさび付き具合だと、本当に壊すしか方法がないわ……う~ん、仕方ないっか! 確か爆弾をいくつか持っていたはずだし」
「爆弾って……ユーディット、犯罪者なの?」
「は!? なんで!?」
「なんでって……普通、爆弾は簡単に手に入るものでも、作れるものでもないでしょう?」
なんだか話がかみ合わないというか、価値観が違うというか……彼女の名前といい、普通に喋るオウムといい、何かがおかしい気がする。
徐々に冷静になる頭の中で、嫌な予感が積もっていく。
それを確定付けるかのように、ユーディットはどこか誇らしげに笑って、部屋にあったカゴの中から取り出した物を見せてきた。
「ふっふーん。残念ながらあたしは一般人じゃなくて、錬金術士だからね。このくらいの爆弾を作るくらいは朝飯前なのよ♪」
「れ、錬金術士……?」
何の冗談だ、と訊きたい気分でいっぱいだった。
けれど、ユーディットは得意満面。本気であることは明白だ。
「驚いた?」
「……っていうか、それが爆弾なの?」
彼女の手にあるのは、どら焼きにトゲを生やしたような形の物体で、のイメージする爆弾とは程遠いもの。
「そうよ。『クラフト』っていってね、一番初歩的な爆弾。火を使わなくていいから、楽なのよ。さっ、ちゃっちゃと壊して外へ出よう!」
扉から離れた位置に立ち、野球投手のようにユーディットは勢いよくクラフトを投げつけた。
これで爆発しなかったら、妄想癖で片付けられたのだが。
――ドオンッ。
見事爆発。然程威力は高くないのか全壊はしなかったものの、外へ出るには充分な壊れ具合だった。
「やったね! さ、。外へ出てみよう。このホコリっぽい空気を何とかしなくちゃ」
「あ……ええ……」
差し出された手を取り立ち上がった。そのまま手を引かれ、小走りになる彼女を追う形になって……外へ一歩踏み出した直後。
「うわっと!!」
「ユーディット!?」
何かにぶつかって逆戻りしてきたユーディットを、咄嗟に支えた。
「な、何だ!? 突然人が出てくるとは驚いた」
ユーディットがぶつかったモノが、言葉を発した。
それは、男。紺色のローブのような衣服をまとい、紫紺の長髪を後でひとつに括った細身の青年だった。
「あ、ありがと、……って、あんた誰? 村にこんな人いたっけ?」
「あんた誰とは、こっちの台詞だな。君こそ誰なんだい?」
「失礼ね。そりゃ村はずれに住んでるけど、あたしは村じゃちょっとは名前が知れてるのよ。ユーディット! 知らないの?」
初対面の人間から誰何されるのは、至極当然だと思うのだが、何故かユーディットは怒る。自信過剰なのだろうか。
「村……? 村なんてどこにあるんだ?」
「村はここにあるじゃない! 小さいからってバカにしないでよね! ……って……」
男の横をすり抜け外を指し示したユーディットは、そのまま辺りを見渡して硬直した。
も外が見える位置へと移動して――目を瞠る。
「な、なによこれ!! 村は……ライフ村は……どこにいっちゃったのよ!?」
「ライフ村……聞いたことがないな。この辺一体は、もうずっと誰も住んでいないはずだ」
男の言葉通り、この建物の外は荒れ地と呼ぶに相応しい状態だった。
都会育ちのにとっては、初めて直に目にする自然に囲まれた場所――……
「君は今までどこに住んでいたんだ?」
「あ、あたしはずっとこの家に住んでいたわよ……?」
「妙な話だな……? 僕はヴェルンの側の、南東街道を歩いていたんだ。そうしたら遠くから爆発音が聞こえて、気になったからここまで来てみたんだが……妙な荒れ地があって、そしてあばら家から君が飛び出してきた。どういうことだ?」
「ヴェルン……?」
何かが、おかしい。確実に。
が知る限り、こんな緑に囲まれた所に来た覚えはないし、住んでいた町の近くにもなかったはずだ。
そして、ユーディットと男の会話……かみ合っていない。
「ヴェルンって?」
「ヴェルンはヴェルンだ。君はヴェルンも知らないのか? 湖の上にある街だ」
「湖の上の街……? あたしの知ってる湖には街なんてないわよ……? あ、は? は湖の上のヴェルンって街、知ってる?」
頭を振って否定を示す。
「水の都って呼ばれている都市は知っているけれど、あそこは湖じゃなくて海だし、名前も違うわ」
「ほら、やっぱり。そもそも、そんなものいつできたっていうのよ」
「んん? どうも話がかみ合わないな。ヴェルンはもう大分前に造られた街だぞ? 確か王国暦820年くらいには……」
「えっ……820年……!? 今は681年でしょ?」
信じられないような表情でユーディットは男に問う。男は訝しげに眉根を寄せて、至極当然とばかりに言い放つ。
「今は885年だが……?」
「ええええ――――――――!!!」
ユーディットの叫びが、一帯に谺(こだま)した。
何かが、おかしかった。その理由が、わかったかもしれない。としては、わかりたくなかったけれど。
王国暦などというものは聞いたことがない。ヴェルンという街も知らない。錬金術は科学の基礎となったけれど、疾(と)うに廃れた学問だ。
「は? にとって今は何年!?」
すがるような問い。
は目を伏せて、静かに答える。
「私がいたのは、2006年よ」
あえて西暦とは言わなかった。無駄なことだと、そう思ったから。
信じたくはないけれど、ここは恐らく未知の世界。
本来ならば、決して足を踏み入れることのなかった場所。
確かに皆と同じ未来に意味を見出せず、漠然とした不安の中にいたけれど、こんなことは決して望んではいなかった。
生まれ育った世界で死ぬ代わりに、未知なる世界で生きる道を与えられるなんて。
不安なんてものじゃない……
行く先も、戻る道もない、完全な混沌の中に放り出されてしまったようにしか思えなかった。
「に、にせんろくぅ――――――――!!?」
二度目のユーディットの叫びを聞きながら、は絶望にも似た想いを抱えて、天を仰いだ。