第 0 夜
2・小さな決意

「……つまり、こう言いたいのかい? 君たちはそれぞれ過去と未来のこの場所に住んでいて、爆発した拍子で今ここにいる、と」
 一通りユーディットが説明した経緯を、男は要約して言った。確認でもあるそれに、ユーディットは頷く。
「……うん。それしか考えられない」
「厳密に言えば、私は同じ場所ではないと思うけれど……」
 時空ではなく次元単位で、全く別の世界だろう。
 そこまで言うつもりのないの言葉で、見事に勘違いしてくれたユーディットは苦笑を向けてきて。
「仕方ないよ。200年で村が荒れ地になっちゃってるなら、2000年も未来だとどんな風になってるかあたしだって想像つかないもん。別世界に見えて当然だと思う」
「……君たちは幽霊、ってことかい?」
「失礼ね! 生きてるわよ!」
 見当違いの感想を洩らした男に、ユーディットが怒る。
 何というか……落ち込んではいるけれど、元気に見える。少なくとものように絶望に囚われてはいない。
「ちょっと、にわかには信じられないな」
「あたしだって信じたくないわよ……でも、今まであったライフ村は荒れ地になってるし、知らない街は出来てるし……200年後に飛ばされたとしか思えないよ! だって、あたしはついさっきまで681年にいたんだから!」
「うーん……困ったな……」
 力説するユーディットだが、それでもやはり男には信じられないことのようで、頭を掻いている。
 まあ、当然の反応だろう。普通に考えれば有り得ないことなのだ。前例もない常識外のことをすんなり信じるほうがどうかしているだろう。
「それじゃ、まあ、200年とか2000年がどうとか言うのは、置いておこう。これから君たちはどうするんだい?」
「……え?」
「どう……って?」
「見ての通り、ここは荒れ地だ。誰もいない。これから君たちは、どうやって生きていくんだい?」
「あっ……そうだ……」
 提示された現実。
 現状把握も大切だけれど、それよりも優先して考えなければならないことだった。
 『生きていく』……今、生きている以上、生活していかなければならない。死を望んでいないのならば、尚のことそれは必須だ。
 自身、有り得ない出来事に目を逸らしてしまいたい想いはあれど、死んでもいいとは思えないから。
 生きて、いかなければならない……でも、どうやって……?
 ユーディットと二人、途方に暮れていると、男が口を開いた。
「僕は今、ひとつ方法を思いついたよ。これから君たちは僕と一緒にヴェルンに行き、そこで暮らせばいい」
 それは、確かに一番無難な案かもしれない。けれど……
「そんな……急に言われたって……」
「君たちはラッキーだったよ。もし僕が側にいなかったら、このままここで飢えて死ぬか、若しくはオオカミのエサだったね」
「そんな!」
 どこか楽しげにこちらの不幸を語る男をそのまま信用することは、には出来なかった。何か裏があるような気がしてならない。
「ああ、紹介が遅れたね。僕はヴィトス。さあ、もたもたしてると日が暮れる。僕だって、ずっとここにはいたくない」
 ヴィトスと名乗った男は畳み掛けるように言って、早々に歩き出してしまった。
 はユーディットと顔を見合わせて、どちらからともなく溜息をついた。
「わかったわよ……」
「仕方がないよね……」
 荷物をまとめてから、離れた位置で待っているヴィトスを追った。
 彼が人買いの類でないことを祈りつつ。


 道なき道を下って、ようやく道らしい場所へと抜けた所で、目的地を目にすることができた。
 ヴィトスの言った通り、湖のほぼ真ん中付近にある小島のような場所に、高い石造りの壁に囲まれた建物があった。
 街――というよりは、城という印象を受ける。
 けれど、それは外観だけの話。壁の内側には、西洋風ながら民家や店舗が立ち並び、ちゃんとした街になっていた。
 その内の一軒に案内される。
「さあ着いた。ここがヴェルンの酒場だよ。酒場の二階が宿になっている。そこに泊まるといい」
「で、でもお金が……あたし2000コールしか持ってないよ! 泊まってるうちにお金がなくなっちゃう……」
 に至っては、ここで通用する金銭は持っていない。今日の宿すら取れない状況だ。
 別々の理由で心配している二人に、ヴィトスは安心させるように笑って言った。
「大丈夫。ここ以外でも大体同じだが、宿屋は宿泊するだけじゃなくて、普通に家として借りることが出来るのさ。宿泊するよりは当然高くなるが、それも最初だけだ」
 最初に支払えば、後はずっと自分の家のように使える。
「その最初のお金を、僕が立て替えてあげよう。それで君たちはここでずっと生活することが出来るはずだ」
「い、いいの? そんなにしてもらっちゃって……」
「もちろんだとも」
 期待を乗せたユーディとの問いに、ヴィトスは笑顔で肯定した。
 これが彼の心からの言葉なら善人なのだろうけど、の目にはヴィトスの笑顔は営業スマイルにしか映らなくて。
 そして予感は的中する。
「実はね、僕は金貸しなんだよ。あとでちゃーんと返してもらいに来るから心配はいらない」
 やはり裏があった。
 流石のユーディットもカモにされていることを悟ったのか、顔が引きつっていた。
 とはいえ、他に良い方法があるわけでもないので、今はその話に乗るしかない。……非常に気は進まないのだが。
「それじゃ、立て替えておくよ。賃貸契約は10000コール、二部屋で20000コールだね」
「えええ――――! そんなに!」
「待って」
 叫ぶユーディットを押さえて、が一歩前へ出る。
 カウンターへ行きかけていたヴィトスは、笑顔のまま振り返った。
「なんだい?」
「二部屋取る必要はないわ。二人部屋を一部屋で充分よ」
 負担は少ないほうがいいに決まっている。どうせ取り立て金額は契約料金より増えるのだろうから。
 ヴィトスはしばらくを見たあと、笑顔を崩さぬままユーディットへと目を向けて。
「ユーディットはそれでいいのかい? 女性同士とはいえ、君たちは今日会ったばかりなんだろう?」
 そう簡単には、やはり引き下がってはくれなかった。
 気遣いと受け取れる言葉にユーディットが戸惑いを見せているが、は何も言わなかった。
 負担が少ないほうがいいのは確かだが、無理強いする気はなかったから。それに、精神的負担の面では、別々の部屋のほうがいいのも事実ではあるし。
 立場的にも弱いはただ黙って、ユーディットの決断に任せた。
「え~……っと……あたしは、別に同室でもいいんだけど……」
 借りる側の意志は流石に無視するわけにはいかないのか、ヴィトスは溜息をひとつつく。
「君たちがいいのなら、それでいいけどね……」
 呟いて手続きのためカウンターへと向かう彼の後をが追う。……一応念のため。
「ツインを一部屋、長期契約したいのですが」
「あら、ごめんなさい。二人部屋は全部埋まってるのよ」
「では、一人部屋を……」
「その二人部屋は長期ですか?」
 ここまで悪い予感が当たるのもどうなのか。
 半ば呆れつつも、心持ち喜色を滲ませて一人部屋を二部屋借りようとしたヴィトスを遮り、が女将に聞いた。
 女将は帳簿とおぼしきものに目を走らせ、答える。
「いいえ、宿泊よ。あと二、三日で次の街へ行く予定だと言っていたわ」
「今、一人部屋はいくつ空いてます?」
「一部屋しかないのよ」
「予備のベッドとかは……」
「え~っと……確かひとつあったはず……」
「それ、一人部屋に運ぶことは出来ますか?」
「ええ、それは可能だけど、宿泊はともかく長期契約にはちょっと手狭になるわよ?」
「一人部屋に宿泊して、二人部屋が空き次第そちらへ長期で移ることは出来ますか?」
「もちろんよ」
「代金はいくらになります?」
「二人部屋の長期契約料金は15000コール、宿泊は一泊100コールよ」
「長期契約はそれで。宿泊はとりあえず一泊分お願いします」
 女将との遣り取りを終え、はユーディットの元へと戻る。その手前、チラッと覗き見たヴィトスは呆気に取られたような顔をしていたが、女将が契約手続きを始めたことでそちらへと意識を向けたようだった。
「すっごいね、……」
 呟くような言葉の先へ目を向けると、こちらも呆気に取られたような感嘆しているような表情のユーディット。
 はただ溜息をついて、ゆるくかぶりを振った。
「保身に必死になってるだけよ。それより、悪いけど宿泊費のほう、払ってもらってもいいかな? 私、お金持ってないの」
「あ、うん!」
 快く頷きカウンターへと行く後ろ姿を、申し訳ない気持ちで見送る。まだしばらくは、彼女に頼らなければならないから。
 時間を越えてしまったとはいえ、ユーディットはこの世界の人間だ。手に職も持っているし、恐らく生きていくために必要な基本的なものは揃っているだろう。
 対して、は何も持っていない。かろうじて言葉は通じるものの、この世界に関する知識は全くないのだ。
 ――一人では、何もできない……
、元気ない」
 羽音と共に聞こえた声に顔を上げれば、一羽のオウム。しっかりとこちらを見て滞空しているそれに右腕を差し出してみれば、結構あっさりと降りてきた。人に飼われているとはいえ、警戒心がなさ過ぎではないかと思う。
、落ち込んでる?」
 つぶらな黒曜石が、真っ直ぐに見つめてくる。
 人間が教えた言葉をただ無意味に繰り返すようなオウムとは違い、フィンクの瞳には知性が映っていた。
 は俯き加減に、フィンクから目を逸らす。
「落ち込んでるというか、情けないというか、不安というか……」
、根暗」
「……そうね……あまり楽しいことは考え付かないわね……」
 その暗い後ろ向き思考が、今回は役に立ったのだが。
「おっまたせー! 支払いと契約終わったよ!」
 元気な声と共に、鍵を手にしたユーディットが戻ってきた。その後ろにはヴィトスもいる。
「ユーディット、ウルサイ。少しは静かにしたほうがイイヨ」
「うるさいのはあんたよ!」
 戻ってきて早々怒鳴る飼い主に、フィンクは羽ばたき、天井の梁へと避難した。そして、もう一鳴き。
「静かにしたほうがイイヨ」
「ぐぎぎぎ……」
「ま、一理あるな」
「とりあえず、杖を振り回すのは本気でやめたほうがいいと思う」
 オウムだけでなく、人間にまで言われて肩を落とすユーディット。
 気を取り直すように、ヴィトスは咳払いをひとつして口を開いた。
「さっきの話の続きだが、賃貸契約料金――つまり君たちの借金は15000コールになったよ。解約した場合は7500コール返ってくる。実質必要なのは7500コールだけなんだが……君たちは、お金を稼ぐ方法はわかっているかい?」
「今までお店をやっていたけど……もうお店ないから……どうしたらいいのか……」
 目線で問われて、溜息と共に答える。
「私はまだ学生だったから、本格的に働いたことはないわ。アルバイトの経験ぐらいはあるけれど」
「そうか……酒場では色々な依頼の斡旋もしているんだ。怪物退治なんてのもあるが、大抵は物を手に入れてきてくれ、という類のものだから君たちの力でもどうにかなるだろう。こういった依頼をこなしていくうちに金は貯まっていくはずだよ」
 まずは酒場の主人に依頼があるか聞いてみるんだね。
「それじゃ、僕は帰るよ。ああ、仕事柄大抵酒場にいるから、何かあったら言ってくれればいいよ」
 言うべきことを全て伝え終えて去っていくヴィトス。その背中を見送った後、ユーディットと顔を見合わせる。
 そのまま静止すること、しばし。沈黙に耐えかねたのか、ユーディットが取り繕うように笑った。
「え~っと……とりあえず、部屋に行こっか?」
 首肯を確認してから二階へと向かうユーディットの後を、静かについていく。さらにその後ろからついてくる羽音が聞こえたので、また右腕を出してみると、先程と同じようにフィンクは腕に止まった。
「……ねえ、ユーディット……フィンクって人懐っこいの?」
「人懐っこいっていうか……人を人とも思わないっていうか……ナマイキなこと言われなかった?」
「本当のことを言われた」
「……フィンク、何言ったの?」
 辿り着いた部屋の前。ユーディットは睨むようにしてフィンクに聞いた。そんな飼い主の様子に恐れを抱くということもなく、フィンクは答える。
は根暗だねって言ったヨ」
「まーたあんたはそんな失礼なこと言って!!」
「だって本当のことデショ」
「本当のことね」
……」
 言われた当人が怒ることもなく肯定したため、意気を削がれたユーディットは肩を落として部屋の鍵を開けた。
 踏み入れた室内。大きめのベッドと机。簡易的な流し台も設備されていて、賃貸契約もしているということを実感できる造りだった。
 今いるのは宿泊として借りた一人部屋。予備のベッドはまだないので、は机のところにある椅子に腰を下ろし、向かい合うようにしてユーディットはベッドに腰掛けた。フィンクは、ベッド脇に立てたユーディットの杖の上に落ち着いたようだ。
「なんか、トントン拍子に話が進んじゃったね。とりあえず住むとこ確保できたからよかったけど」
「……ごめんなさい。勝手に二人部屋にしてしまって……」
 笑ってユーディットは話しかけてきたが、は目を伏せて呟くように謝る。それに対して彼女は、大げさなほど手を振って否定してきた。
「ううん、そんな謝ることないよ。むしろ、あたしは感謝したいぐらいね。のおかげで、借金少なくて済んだもん」
 ヴィトスとは違い、裏表のない心からの笑顔。ユーディットの純真さには救われるような想いと共に、やはり申し訳ない気持ちがあって。
 は自分のショルダーバッグの中から、一冊の本と財布を取り出してユーディットに差し出した。
「……なに?」
「見てほしいの」
 素直に受け取ったユーディットは、まず本の上に載った財布を開けて中身をベッドの上に広げた。きょとんと小首を傾げてから、今度は本をめくってみて――難しい顔でしばらく眺めていた。
「何、これ……? 古文書――じゃないよね。装丁は綺麗だし」
「それが私のいた国の文字」
「え!?」
「そして、そっちはお金なの」
「ええっ!?」
 予想通りの反応。目を丸くしてもう一度本とお金とに目を向けている。
「は~……2000年も経つと、随分変わるんだね~……あ~でも、そっか。古文書だって読めない文字とか多いもんね……」
 驚愕から驚嘆へと変わる反応。このあたりは、時間移動経験者としての順応力だろうか。
 とにもかくにも、否定的反応ではないことに僅かばかり安堵して、本題を口にする。
「私が二人部屋を望んだもうひとつの理由は、それなの」
「え?」
「文字を、教えてほしいのよ」
 言葉は通じても、文字の読み書きが出来なければまともな職に就くことはできない。他にも色々と不都合が多すぎる。
 生きていくためには、必要最低限な知識だから。
「ごめんなさい……これから借金を抱えて生活していかなきゃいけないのに、お荷物になってしまって……でも、お荷物のままではいたくないの」
 懇願するような想い。それは、頼れるのが似た境遇に置かれた彼女だけだから。
「ちから、貸してもらえますか?」
 静かに話を聞いていたユーディットは、ベッドから下りるとの側まで来る。
 ただ、一連の動作を見つめるの前に、手の平が差し出されて。
「もちろんだよ。これから一緒にがんばっていこ!」
 屈託のない笑顔。
 眩しくさえ見えるそれに、ようやく安心が胸に広がって。
「ええ……よろしくね、ユーディット」
 差し出された手を、取った。



 まずはこの地で生きていけるようになること。それが目標。
 その後どうするかは、余裕ができてから考えればいいから。
 まずは、生きること――……

第0夜 やみよのともしび・完