クロスロード
後編2

 現実離れした異常な光景がなくなり、一人、また一人と、安堵の息をついていく。
 衝撃が過ぎてしまえば、残った謎を解消したくなるのが人の性。そわそわしだした気配を察したのか、誰かが声をかけようとするのを避けるようなタイミングで六道骸がを俵担ぎ状態に抱き上げた。
「ちょ、骸!?」
 いきなり抱き上げられたが驚き、非難を含んだ声音でその名を呼ぶが、六道骸はどこ吹く風。出口に向けて歩き出して。
「用が済んだのなら帰りますよ」
「まだ用は済んでないー!!」
「他に何があるというのです?」
「デスノートの焼却!! 見届けないわけにはいかないでしょ!! 降ろして!!」
 カツン、と。高く響いていた足音が止んだ。己が担いでいる女へと向けた六道骸の目は、何故か厳しい色をしていて。
「……降ろして、よろしいのですか?」
 静かに問われた内容に、は顔色を変え息を呑んだ。
 何故そんな反応をするのか……その答えは、続く六道骸の叱責で明らかにされた。
「痩せ我慢も大概になさい。四肢に力が入らないほど消耗していて、他に何をする余力があるというのです?」
 青年がもたらした情報に目を瞠ったのは、Lだけではなかった。
 よく見てみると、青年の肩や頭に添えられた彼女の手は小さく震えていた。頭に添えられている手に関しては、恐らく抵抗の意志を表して押し返すためのものだろうが、普通に首を動かした青年を見る限り全く力は入っていない。
 それ以前の問題として、あれほど高い身体能力を持っているのだ。肩に担がれたぐらいなら、青年を傷つけることすらなく自力で降りることも可能なはず。それをしていない時点で、の体調が万全ではないことが明らかだった。
 戦いは余裕に見えたのに、やはりあの生体兵器を相手にするにはそれほどの力が必要だったということなのか。
 ポーカーフェイスを保つ余裕すらないは、誤魔化すことも否定することもなく。
「それでも……っ、私は、ボンゴレⅩ世として、部下の命を奪った殺人兵器の破棄を見届けなければならないの……っ」
 部下を持つ立場の人間として、何より自ら選んで背負った役目のためにも、気丈に断言してみせた。
 だが、六道骸も彼女を守る守護者という立場故か、引かない。
「でしたら、もう少し力の配分を考えるべきでしたね。あの三下らの炎を吸収しなければ戦えない程、一体あの殺人鬼に何年分の炎を注いだのですか?」
 彼女に向けられたその問いは、Lに少なからず衝撃を与えた。
「待ってください。つまりさんが力を使い果たしてしまっているのは、あの生体兵器を相手にしたからではなく、それ以前の夜神月の蘇生させたためということですか?」
 割って入ったLの確認に、見るからにギクリとしたの反応が正解だと告げた。それをより確実にしたのは六道骸。
「当たり前ですね。あんな三下の相手など、チョコレートひとつ食べれば補充できる程度の力しか消耗しませんよ」
「骸!!」
「事実でしょう? ただ怪我をして消耗している相手に力を分けるのとはレベルが違います。生命活動を停止した体を再び動かそうというだけでも相当なエネルギーが要るというのに、デスノートという代物はどうやらその個体の持つ生命エネルギーを完全に奪い取る力を有しているようですからね。蘇生に成功しても、その後、その個体は自力で生命エネルギーを生成することはできませんから」
 明らかにされた事実は、Lも知らなかったもの。大きく目を見開くLから、は顔を背けてしまう。その態度が、Lの中に真実だという実感を与えた。
 死者の蘇生という信じ難い出来事の上に生命エネルギーなどという非科学的な説明をされても、他の者たちはいまいち理解できなかった模様。彼らの中で恐れを知らない松田が、代表するように疑問を素直に口にした。
「えっと……あの、つまり、どういうこと?」
「今現在Lたちを生かしているのは、彼女が注いだ分の生命エネルギーであり、それを消費し尽くすまでがこの世に留まれる猶予ということですね?」
「ええ、そういうことです」
 しかし、答えを導いたのはニア。青年がそれを認めて、ようやく全員が理解した。
 つまり、聞こえの悪い言い方をすれば、生ける屍も同然ということだ。
 聞かされていなかった――予想すらしていなかった真実に、Lは肩を落とした。
「すみません、さん……折角有力な情報をいくつも提供していただいたのにキラを捕まえられなかったのみか、大きな負担までかけさせてしまっていたようで……」
 決意は結局空振りに終わり、夜神月の命は奪わなかったものの代わりに生体兵器にされてしまった元一般人たちを何人も葬らなければならない状況へと彼女を導いてしまった。その上、自分たちを救うという行為そのものが彼女にも大きな負担となっていたとは……己の無力さを痛感せずにはいられなかった。
 けれどはそれを否定する。
「違うよ、全然負担なんかじゃなかった!」
「ですが、リハビリできるようになるまでの日数、ほぼ毎日私たちに炎を――生命エネルギーを注いでくださっていたではありませんか。それだけ、あなたの時間と力を奪っていたことは事実です」
「力は休めばすぐ回復できるし、一日の仕事を終わらせてあとは休むだけの状態にしてから炎の供給したからそれで予定が狂ったことなんてない! 炎供給したあと二人の体調の経過確認も毎回したし、自力でちゃんと自室に戻ってシャワー浴びて着替えてベッドに入ってたんだから、無茶でも無理でもなかったよ!」
 ここまでムキになられると、負けず嫌いな性質が頭をもたげ探偵の性が粗探しを始めてしまうのがLという人間。
「あなたなら無意識にでも自室へ戻るくらいしてのけそうですが」
「私を何だと思ってるわけ、エル!? 私だって本気で限界きたら倒れるわよ!!」
「そうですね。廊下で行き倒れてたことありましたね、確かに」
「骸!!」
 果たして、彼女が隠していた事実を引き出すことに成功し、Lは溜息をこぼした。
「やはり、無理をかけていたんですね」
「だから違うって言ってるのに!!」
「ですが、倒れられたのでしょう?」
「加減がわからなかった最初だけよ!! もー、骸! このヘタむしるよ!?」
 隠していたことをばらした青年の頭、トサカのようにちょこんと逆立てられた髪を掴むに、流石の六道骸も不機嫌さを露にする。
「ヘタではありません。いい加減、僕をあの果物に例えるのはやめていただきたいですね」
「それは私じゃなくて犬とフランに言うべきじゃないの? 犬だよ、『ナッポーヘアー』ってはじめに言い出したの」
「戻り次第、串刺しにしておきます」
 物騒なことを宣言する青年を綺麗に流して、松田が首を傾げて呟いた。
「……『ナッポー』って、何でしょうか?」
「ひょっとして、パイナップルのことでは?」
 さらりと答えたニアの言葉に、松田はまじまじと青年の頭を見た。それが確かにパイナップルのヘタのように見え「ぷっ」と思わず吹き出した彼は、六道骸に思い切り睨みつけられ蒼白な顔で口を塞ぐ羽目に陥っていた。
 そんな外野の会話を無視したのか、それとも気にする余裕もなかったのか。Lが再び謝罪を口にして。
「本当に申し訳ありませんでした」
「だから違うって言ってるのに、エルしつこい!! 復讐者たちの例があるから可能なのはわかってたけど、炎の性質の違いによってどんな変化が出るかわからないから、二人の体調経過を見ながらになったのはこっちの都合でしょ! 本来の寿命分を補充する量的な関係で回数が増えたのは事実だけど、お陰でキラには計算通りの時間分注げたんだから、結果オーライなの!!」
「突っ込みどころ満載なのですが、とりあえず計算とは?」
「何年分なんですか?」
 Lを納得させようと長々事実を述べたは、結局それによって墓穴を掘っただけ。Lに加え六道骸にも同じ事を聞かれそっぽを向いた彼女は、やがて観念したように溜息をついて、答えた。
「……3年5ヶ月と2週間分……キラが殺したボンゴレの人間一人あたま1週間計算」
 Lはそこまで被害が出ていた事実に表情を曇らせ、六道骸は呆れ果てて深く嘆息する。
「…………馬鹿ですね、貴女」
「そう言うなって。マフィアのボスとしちゃあ、間違っちゃいねえんだからよ」
 六道骸の呟きに答えた第三者の声に、Lをはじめ表社会の人間たちが一斉にそちらを向いた。
 倉庫の唯一の出入り口に立っていたのは、金髪の若い男と黒いスーツを着た男の二人。
「ディーノさん……」
 の呟きに応えるように、金髪の男が人懐っこい笑みで片手を上げる。
「よっ! 。向こうは大体片付いたぜ」
「そうですか……」
 ディーノというらしい金髪の男がもたらした情報に、は安堵の息をこぼした。
 対して六道骸は細めた目で睨むようにディーノを見やり。
「跳ね馬。部下の報復でボスが潰れるのが正しい姿だとでも?」
「休めば回復するってば!」
 訴えた苦情には彼より先にが六道骸の頭を叩いて反論して、ディーノは朗らかな笑い声をこぼした後に答えを返した。
「まあ、流石にちょっとやりすぎだとは思うが、できるもんなら俺だってやったはずだからな。選択自体は間違ってねえと思うぜ。ほれ、。ボンゴレリング出しな」
 歩み寄りながら言ったディーノの指示に、は素直に右手を彼へと差し出す。ディーノはその大きな手で彼女の右手を包むようにして指輪の上にかざすと、真剣な面持ちで集中したのが誰にも読み取れ、そして――
「俺はおまえ程器用じゃねえからな。リングを通してじゃねえと炎は渡せねえぜ」
 の右手にあった指輪にオレンジ色の炎が灯って、しばし後。ほぅ、と。から気の抜けた、安堵の吐息がこぼれた。それを確認した青年が彼女を降ろし、しっかりと立つ姿を見て、Lたちにも彼女が回復したことが伝わる。
「すみません、ありがとうございます、ディーノさん」
「礼を言うのは俺のほうだ。報復の年数、ウチの犠牲者も含んでんだろ?」
 目を瞠るへとディーノはやわらかく笑いかけて。
「俺だってボスだ。自分とこの犠牲者と同盟ファミリーの犠牲者の数ぐらいは把握してるさ。悪いな、おまえにばっか負担かけさせちまって。グラツィエ、
 未だ添えたままだった彼女の手の甲へと、口付けを落とした。
 気障で芝居がかったその仕草も彼がすると様になって見えるあたり、流石はイタリア人ということだろうか。も別段照れるでもなく自然と受け入れているから、日常茶飯事なのだろう。
 そうは思っても、何となくLは気分が悪かった。面白くない、と。はっきりそう思ってしまった。……それを表情に出しはしなかったけれど。
「あ、あの……それじゃあ月くん、約3年半後には死んじゃうってことですか?」
 緊急といえなくもない状況が一段落したのを見計らってか、松田が気になったのだろう疑問を投げかけた。彼へと目を向けたは、マフィアのボスとしての顔に戻ってゆるく頭を振った。
「違うわ。さっき本人にも言ったけど、彼の犯した罪はその程度で償えるほど小さくはない。そして復讐者の牢獄において死という刑罰は存在しないの。何年になるのかは私も知らないけど、犯した罪に応じた年数を生かされ続けることになる」
 淡々と告げられた内容は、残酷なものだった。
 要約すると、ただ苦しめられるためだけに何十年という時を生かされ続けるということになる。そして償いとやらが終わったのなら、自由など与えられず、待っているのは永遠の眠り――……
 キラがこれまでにしてきたことを考えれば同情になど値しないと、Lやニアには思えた。
「そ、そう……ですか……」
 だが、夜神月に対して好意的であり、キラに対しても少々共感的な面がある松田は同情したようで。当分生きるということを嬉しく思いつつも、その置かれた環境の故に素直に喜べないといった体で、納得はできないが仕方がないという複雑さがにじみ出た表情で呟いただけだった。
 も聞かれた以上のことは言わない。ただ僅かな時間俯いて拳を握っていた彼女は、不意に顔を上げると真っ直ぐにニアへと向き直って。
「ニア。現存するデスノートの今この場での焼却処分を要請するわ」
「構いません。先程のポルコスピーノのようなマフィアにこの存在を知られて狙われても、我々では到底守りきれるものでないことがわかりましたし、史上最悪の殺人兵器など存在しないほうがいいに決まっていますから」
 予測済みだったニアは即答した。あまりにも自然な流れに、打ち合わせでもしていたのではと一部の人間が疑ったほどだ。だがその決定に否を唱える者は――死神本人でさえ――いなかった。
 嘘のルールとノートが本物であることを確かめた上で、ニア自らがノートに火をつけた。誰もが燃え上がるノートを無言で見つめていた。
「……人を許すのって、難しいよね……」
 沈黙を破って現れた呟きは、のもの。
 脈絡のない言葉に誰もが怪訝な表情をする中、彼女はじっと史上最悪の殺人兵器を灰にしていく炎を見つめたまま口を開く。
「それでも、許そうと思う気持ちが少しでもあれば――キラという殺人鬼は、生まれなかったのかしらね……?」
 彼女が呟いたひとつの可能性は、水面に落とされた小石のように波紋を生み、その場にいた人間の心にほろ苦い思いを与えた。
 誰も答えなど出せるはずもないままデスノートは完全に灰になって消え、死神も死神界とやらに帰っていって。倉庫の中には、人間だけが残された。
 世界中を騒がせたキラ事件がやっと収束したことを思ってか、誰からともなく溜息にも似た吐息がこぼれ始めたあたりのこと。
さんは夜神月をどう思っているのですか?」
「へ?」
 唐突なLの質問で空気が変わる。それをよく表しているのは、問いを向けられたのきょとんとした呟きだろう。
 全く理解していない風体の彼女へ、Lは再度問い掛ける。
「キラではない夜神月を、さん個人はどう思っているのですか?」
「どうって……別にどうも思ってないけど?」
「先程、同情したようなことを呟いていましたから」
「……そんなこと言ったっけ?」
「無意識ですか……」
 とぼけているわけではないとわかり肩を落とす。けれど、無意識だからこそ本心からの言葉だともいえる、と。彼女の呟いていた言葉をそのまま伝えると、は少し考える素振りを見せてしばし後、口を開いて。
「それって、単にもしもの話でしょ? キラが生まれていなければこんなに犠牲者が出ることもなかったのにっていう、一種の現実逃避だと思うけど」
 それがどうかした? と小首を傾げるから、Lは顔を背けて、言う。
「別に。ただ面白くないと思ってしまっただけです」
「どの辺が?」
「夜神月をさんが個人的に気にかけるところです」
「かけてないし、そんなところまで負けず嫌い性質発動するわけ、エルってば」
「ディーノという彼があなたの手に口付けたのも、それに動じなかったあなたも面白くありませんでした」
「ディーノさんはあれが標準装備だもん。いちいち気にしてたら身が持たないから流すことにしてるけど……なんでそれでエルの機嫌が悪くなってんの?」
 見るからに拗ねた子供のようなLと、その理由に全く見当すらついていない様子の
 二人の遣り取りを傍で見ていた人間には事情が見えていた。が、信じられないという気持ちが先立ち、周囲は物凄く微妙な雰囲気に染まっている。
 そんな中、恐れを知らない松田が口を挟んだ。
「それって、嫉妬したってことじゃないんですか?」
「は? 嫉妬? って何に?」
 それでも尚理解しない彼女は、天然なのか、若しくは恋愛経験がないのか。少なくともその態度を見る限り恋人関係にはなってなさそうだ――と。松田はわくわくした表情を隠しもせずに突っ込んできた。
「お二人は恋人関係ではないってことですよね?」
 松田の問いに、何言ってんだコイツといいたげな顔をしたとは対照的に、Lはいつもの無表情のままさらりと肯定する。
「恋人ではありませんよ。私の片想いですから」
 まさかな、と思いたかった周囲は、そのまさかの発言に固まってしまう。松田は予想通りの展開に目を輝かせ、ディーノもまた予想外の展開を楽しむ様相を見せていたが。
 問題の発言を向けられたは――まだ理解できていなさそうにきょとんとしていて。
「私はさんに対し、女性としての好意を持っていると言ったのです」
 再度。今度は疑いようもなく明確な告白をしたL。
 訪れたのは、しばしの沈黙。
 一般的な感覚で比較すると、かなりの時間が経った頃。ようやく事の次第を全て理解できたらしいの表情が、見る見る変化して――

「なんか最後にとんでもない爆弾発言投下したよこの人――っ!!」

 赤くなるということもなく、ただ純粋に驚愕した表情で叫ぶという行動に出たではないか。その姿には、マフィアのボスとしてのものは何もない。
「思いっきり素に戻ってますよ、沢田
 呆れた様子で指摘した六道骸がさらりと彼女の本名を呼んだことに、一体何人が気付けただろう。
「これが戻らずにいられるかー!! エルに恋愛感情あったとか天変地異じゃん!!」
 呼ばれた本人すら気付いたのか怪しい反論には、誰もが同意しただろうが。
 とりあえず、Lは半眼になって想い人に訊ねてみた。
「……さんこそ、私を何だと思っているのですか?」
「謎解きにしか食指が動かない甘党偏食引き籠り名探偵!!」
「そこまで言いますか……」
「誰もが真っ先に思うことでしょ!?」
 彼女の言葉に、現実、心の中など方法はあれどLを知る人間が頷く中、溜息をこぼしたL自身もまたそれを肯定する。
「まあ、否定はしません。私自身、自覚した時には驚きましたからね」
「いつ!? 自覚っていつから!?」
「あなたに身内だと言われた時ですね。それまであなたのサボりの避難先としてしか自己認識していませんでしたから驚きましたが、悪い気はしなったんです。むしろ嬉しく思った自分に戸惑いましたよ。それで、気付きました。私も、あなたにとって失いたくないと思われている人間に含まれていたことが嬉しかったのです」
 素直に詳しくその想いが語られても、彼女の表情は未だ困惑したものでしかない。迷惑とか嫌だとか否定的な色はないものの、まだ本当の意味で信じられていないようで。――その、理由は……
「だからって何故に私!? 私、人殺しだよ!?」
 自分が咎人であることを自覚しているが故。人を沢山殺してきた……そしてこれからも殺し続けていくことを自ら選んだ裏社会の人間だというその立場のため、素直に喜べない――というより受け入れることを認められないのかもしれない。
 Lは一瞬だけ悲しげに目を細めると、手を伸ばしての手を取った。
「知っています。けれど、死刑執行人を責める人間はそういないと思います」
 生体兵器にされてしまった人間の血で染まったままの手を、自分の手でそっと覆う。
「命の重みを誰よりもよく知りながら、それでもマフィア界において自ら死刑執行人である道を選んだあなたの心は、とても強く美しいものです。それでもあの時私は、夜神月の血などであなたの手を汚させたくないと思ったんです。残念ながら、何もできませんでしたが……」
 マフィア界で血塗られた道を歩む彼女に対して、表社会で生きる自分ができることは少ない。せめてキラという表社会の殺人鬼の始末はさせないようにとは思っていたのだが、結局それも叶わなかった。
 愛する女性を守りたいと思うのは、きっと男としての本能に近いのだろう。だが、決して叶うことのないその現実が、Lにとっては重く、つらい。
 それでもを好きだと思う気持ちは消えることなく、むしろ強くなっていて。
 せめて、と。自分の袖で彼女の手の汚れを拭って顔を上げると――なんと、赤面したがいて、目を瞠る。
「お、にもやっと春が来たか」
 からかうようなディーノの言葉が、やっと彼女に自分の想いが伝わったのだと実感させてくれて、Lは目元を緩ませた。
 対するはというと――
「ディーノさん!! 面白がってないで年長者として何かアドバイスする気はないんですか!?」
 赤く染まったままの顔を向けて八つ当たりのように叫んだ。
 ディーノは変わらず楽しげな顔をしたまま、極々当たり前のことを言った。
「アドバイスったって、んなもん、おまえの正直な気持ちを言やあいいだけだろ?」
「心臓に悪い!!」
「俺に訴えてどーする。他には?」
 左手で顔を半分隠し、尚且つ俯いたが、ぼそっと呟いたのは。
「ものごっつクロームに会いたい……癒されたい……」
 全く以って方向性の違うもので。
 六道骸が呆れ返って突っ込んだ。
「貴女にとってクロームは精神清涼剤ですか……」
「当たり前でしょ!? 今時あんなに健気でカワイイ子いないよ!? あんなにいい子に一途に想われてて、なんで骸はそんなにひねくれたままでいられるの!?」
「矛先を僕に変えて、ご自分の問題から逃げる気ですか?」
 彼のその言葉は、Lの脳裏にも一瞬浮かんだこと。けれど掴んでいるわけでもない右手を振り払って実力行使で逃走しようとしないことから、多分自分の心を向き合って答えを探してくれているだけなのだろう、と。Lは黙って彼女の答えを待つ。
「骸が冷たい……」
「僕には、優しさなんてものを持ち合わせている覚えはありません。早く戻りたいので、その茶番をさっさと終わらせてください」
「茶番って……」
「憎しみを糧に生きている僕にとって、愛だの恋だのといったものは茶番以外の何物でもありません」
 取り繕うこともなくきっぱりと断言した六道骸。
 自分がマフィアであることの他にも、このような人間が側にいては恋愛事に疎くなるのも仕方がないのかもしれない。――けれど。
「そうだよね……そういうヤツだよね骸って……もー、クロームはなんだってこんなのがいいんだろ……」
「あれは単に命を救われた恩義を履き違えているだけでしょう」
「それだけじゃないと思うよ、クロームの持ってる骸への気持ちは」
「ならば、その男はどうだと言うのです?」
 向けられた話題の矛先。戻って来たの視線は、何かに気付いた色を覗かせていて――Lは彼女へと問う。
さん。私の気持ちは、あなたにとってそんなに信じられないものですか?」
 緩くかぶりを振って否定したのを見、更に質問する。
「では、迷惑に感じました? ボンゴレⅩ世ではなく、あなた個人の気持ちは、どう感じたのですか?」
 一瞬、泣きそうな表情を見せたは、それを隠すためか俯いてしまう。……やはりマフィアのボスという肩書きに囚われている部分はあったらしいが、先手を打ったのが功を奏した。
「う、嬉しい、よ……ありがとう、エル……」
 小さな声ではあったが、確かに答えが返ってきたから。
 立場の故に拒絶されるのではなく、正直な気持ちを聞けたLが自然と笑みを浮かべた――刹那。
 勢いよく赤面した顔を上げたがギッと鋭くLを睨んで。

「でもそれ以上に恥ずかしいんじゃボケェ――――っ!!」

 ――ズビシッ、と。左手で脳天にチョップをかまされた。
「痛いです」
 手加減されているのはわかるが、痛いものは痛い。
 涙目で頭を押さえて痛みを訴えるLに、はぷいっとそっぽを向いた。
「照れ隠し行動の激しい人ですね」
 傍観していたニアがぽつりとこぼした呟きが聞こえたのだろうか。ニアがと目が合ったと思った瞬間のこと。

「癒しのモトはっけ――んっ!! ネイトくーんっ!!」

 結構距離があったはずなのだが、そんな叫びを聞いたと認識した時にはもう、がばちょと抱きつかれた上に頬擦りまでされていて。ニアは目を白黒させた。――と、突然の密着状態は、それぞれの肩に置かれた手によって、べりっという効果音が聞こえそうな勢いで引き剥がされて終了することとなった。
「何してるんですかさん!?」
 ニアの肩を掴んだままのLが声を荒らげて。
「コレは男です。抱きつき癖は女性だけにしておきなさい」
 の肩に置いた手を片方ニアに向けた六道骸が眉間に皺を刻んで忠告した。
 理科不能な行動をしでかした問題人物はというと、子供のように頬を膨らませて。
「今この場にキレイなお姉さんはいても、カワイイ女の子いないんだもん。カワイイなら少年でもいい~、癒されたいの!」
 人前で異性に抱きつくという行為は恥ずかしいとは思わないのか、やはりよくわからない理由を述べたに、ニアとLは揃って溜息をついた。
 六道骸もまた溜息をこぼすと、ひとつの提案をする。
「なら、茶番も終わったようですし、本部に戻って思う存分クロームに抱きつけばいいでしょう? 紅茶とスコーンを用意しておくそうですよ」
「今すぐ帰る――!!」
「大量の書類と共に待っているとのことです」
 出入り口に向かって駆け出したの背を追った六道骸の言葉で、ピタリと動きが止まった。……見事なまでの一時停止。
「今回の殲滅戦に関するヴァリアーからの請求書と、被害状況をまとめた書類とが既に上がって来ていると言っています」
「あ、ワリ。その書類作ったのウチの連中だわ」
 携帯や無線機のようなものを身につけているようには見えないのに、まるで誰かからリアルタイムの情報を得ているかのように話す六道骸。そしてディーノが彼のその情報が正しいことを告げて――停止していたから不気味な笑い声がこぼれる。
「街並みや環境に被害出したら報酬減額するって前もって言っておいたからね~。ヤツらが大人しく暴れるなんてできるわけがないんだ。さ~て、どれだけ値切れるかな~?」
 『大人しく』で『暴れる』という表現はおかしい気もするが、先程のマフィアを目の当たりにしている以上、なんとなくわかるような気はした。
 一瞬でマフィアの顔に戻ったかに思われたは、自分を追い越した六道骸が開け放っている扉に向かって再び走り出して。
「適当に書類片したらまたエルんトコに避難してやる――!!」
「堂々とサボり宣言ですか……」
 さり気なく次の約束を捨て台詞にして、去っていった。彼女の後を六道骸、ディーノ、そしてもう一人の黒服の男が追って出て行って、倉庫内には表社会の人間だけとなった。
 現れた時と同様、衝撃を残して去っていった彼らに沈黙が訪れて、しばし。
「はぁ~……あの彼女がマフィアのボスなんて……素の姿を見てるとそうは思えませんよねぇ~……」
 気の抜けた松田の呟きが、止まっていた思考を動かし始めた。
「というか、マフィア界の死刑執行人って、ちょっとカッコよくありません?」
「松田……」
 瞳を輝かせて不謹慎なことを言ってのけた松田には、漏れなく冷ややかな眼差しがプレゼントされた。
 小さくなる松田へ、Lがその視線に含まれるモノを、はっきりと言葉にする。
「憧れるのは勝手ですが、死刑執行人が必要なほど同じマフィアと呼ばれる者の中でも極悪非道な者たちが数多存在しているというのが現実だということは重々承知していてください」
「それは……さっきの生体兵器とかを見れば……」
「知識として知っていてもそれを活かせなければ宝の持ち腐れです。基本的にマフィアという存在が我々の認識通りの犯罪組織であることに変わりはありません。今回のキラのように、間違ってもいいように利用されてしまうというような事態は、警察の威信にかけて避けていただきたいですね」
 厳しく、半ば嫌みのように警告すると全員が表情を引き締め、松田は敬礼までして見せた。
 そうして、彼らもまた事後処理に向けて動き出す。
 その、中。Lはの去った方向を見つめて、ぽつりと呟いた。

「楽しみに、お待ちしております……さん」

クロスロード・完