出来損ないの綿飴に苺シロップをかけたようだ――と。
鬼灯は思った。
閻魔殿の中庭で己が育てている金魚草の水やりに来たときに見つけた、回廊から中庭へと下りる階段の陰にひっそりといた白い塊の第一印象として。
よく見るまでもなく、それは緩い天然パーマの白髪に血がこびりついているだけなのだが、片膝と刀を抱えて座り込むその身にまとった白装束にも血痕が点在しており、巨大な綿飴という印象がぬぐえないのだ。
まあ、それはさておき。
「はて、どこから入り込んだのでしょう。見たところ、人間のようですが」
ひととおり観察して、改めて疑問が湧く。
閻魔殿に出入りする獄卒の中に、これほど見事な白髪の鬼は記憶にない。新卒の小鬼・茄子が白髪ではあるが、彼の髪色とはどこか何かが違っているし、何よりこの人物、小鬼のサイズではない。細身ではあるが、身長は己と近いのではないかと見受けられた。
そもそもの大前提として角がないので鬼ではない。鬼は、本数はまちまちだが例外なく角があり、男女関係なく六割が天然パーマだ。極寒の八寒地獄に住む雪鬼のように、角が小さすぎて髪に隠れている可能性も低いだろう。何故なら、耳が鬼のように尖っていないのだ。狐や狸などの妖怪が人に化けたような不完全な形もしていないことからも、人間であるのは間違いないだろう。
あの世にいる人間となると普通は亡者のはずだが、どうもそう断言はし難い。その一番の理由は、服装だ。亡者は基本的に、裁判中に地獄から支給された死装束を着ている。有罪判決で地獄逝きとなった亡者は当然だが、天国逝きになった亡者も基本的に物欲というものがない者ばかりなので死装束のままだ。何もしなくても生きていける天国の暮らしが合わずに仕事に就く亡者くらいしか、死装束を脱ぐ者がいないのだ。
天国判決のうえ就職した亡者が、刀を手に殺傷事件を起こして逃走してきたとは考えにくい。そんな事件を起こしかねない危険を持つ亡者は、そもそも天国逝きにはならないからだ。地獄に堕ちた亡者がアホ獄卒から刀を奪って脱獄したなどという情報も入ってきていないので違うだろうし。
残る可能性は、迷い込んだ生者となるのだが、それにも疑問が残る。あの世と現世の境が曖昧になっている場所というのは確かにあるので、迷い込むということ自体は不思議ではない。しかし、第一に、時代が合わない。どう見ても江戸時代あたりの戦装束であるこの人物が、映画などの撮影中の現代人ではないことは、鼻につく血臭と硝煙の臭いが告げている。第二に、閻魔殿の敷地内には現世と繋がっている場所などないにも拘らず、何故ここにいるのか。騒ぎになっていないということは誰にも気づかれていないということであり、忍び込んだと考えるのが妥当だろう。しかしそうすると、こんな見つかりやすい場所にいる理由がなくなるのだ。
――と、このように、納得いかないことが多く、考えれば考えるほど答えから遠ざかっていく気がして。
「まあ、本人に聞けば済む話ですね」
溜息をこぼし、鬼灯はその不法侵入者へと近づいた。
「そこの綿飴頭の貴方、どこから入り込んだのですか」
一応声をかけてみたが、反応はない。先程からの独り言にも無反応だったことから寝ているのではと思ってはいたが、案の定のようだ。
となると、起こさなければならないようだが……さて、どうやって起こそうか。
不法侵入な不審人物となれば金棒で殴るのが一番だが、生憎、自室に置いてきてしまっている。水やり用の釣竿もあるが、それでつつくだの叩くだのは、どうも生温くて性に合わない。
やはり足蹴にするのが一番手っ取り早い、と。
何の気概もなく片足を上げた――刹那。
「ッ」
――ガッ。
背に当たる冷たい土の感触。頬に感じる鋭い痛み。抜き身の刀を至近距離で握り構えている不審人物と、その背後にある地獄特有の薄暗い空。
まばたき、ひとつ。
上げた片足を鞘で払われ、バランスを崩したところに追い打ちをかけるように抜き放たれた刃での横薙ぎ。かろうじて跳びかわしたものの、重力に逆らえぬ体をさらに加速すべく飛びかかられ、逆手に持ち替えた刀を真下へ構えて体重を乗せた一撃は本能的に避けたことで頬をかすっただけで済み、地面に突き刺さった――といったところ、か。
その結果がこの、地面に仰向けに転がされたうえに馬乗りになられて身動きを封じられるという不本意極まりない現状だ、と。
一拍の間を空けて冷静に状況を把握した鬼灯は、さらに眼前の不審人物を観察する。どうにも違和感がぬぐえないのだ。
座り込んでいたときには完全に隠れていた顔が露わになっている。中性的な顔立ちには、やはり見覚えはない――はずなのだが……既視感のようなものを覚えるのは何故なのか。
こちらをまっすぐに見下ろす瞳は、人間には珍しいホオズキ色。その中に映る己の顔を見て、鬼灯は眉根を寄せる。
この不審人物、己を見ていない。目の焦点が、合っていないのだ。
つまり、これまでの一連の動作は単なる条件反射――僅かな殺気も害意も、明確な意志すらなく殺しにかかってきたこと、それこそが違和感の正体だったのだ。
ひとつの謎が解け、次を考えだしかけたときのこと。
完全な無表情だった不審人物の表情が、動いた。熱をはらんだ吐息をこぼし、苦悶の表情を浮かべたと思ったのも束の間――とさっ、と。
「……女性、でしたか」
倒れ込んできた割りには随分と軽かった衝撃と、胸部に感じるささやかなふたつの膨らみに。軽く目を瞠った鬼灯は、完全に意識を失ったらしい不審人物の肩を支えながら腹筋の力だけで体を起こして――驚いた。
「この怪我で、よくあれだけ動けましたね、この人」
膝に隠れて見えなかった腹部は、流れ出る血で深紅に染まっていたのだ。
今なおじわりと広がる赤に、とりあえずは止血だ、と。包帯代わりにするため羽織を脱がせにかかった鬼灯の手が不意に止まり、眉間にしわが刻まれた。
意識を失ってなお、しっかりと刀を握って放そうとしていないことも然ることながら、抜き身だったはずの刀が鞘に納まっているというありえない現実……考えられる推測は、ひとつ。
「なるほど。妖刀に憑かれているというわけですか」
条件反射だと思った反撃も、妖刀に操られたものだった可能性が出てきた。それが事実だとするなら、意志なく殺しにかかってきたのも納得だ。
だが、たとえそうだとしても、あれだけ動けたのは、憑かれた者自身にそれを可能にするだけの身体能力があってこそだ。
「興味深いですね」
――これは、なかなかといい拾いものかもしれない。
ふつふつと湧き上がる期待に緩みかけた口許を引き締め直した鬼灯は、手早く応急処置を施したその女を横抱きに抱え上げて、足早に自室へと戻ったのだった。
「鬼灯君、その頬の傷、どうしたの?」
休日明けで出勤してきた腹心の顔に、休み前にはなかった傷を見つけて、閻魔大王は首を傾げた。
斜めに二本並んでついた赤みは、どう見ても切り傷だ。
浮いた話ひとつ聞かない冷徹そのものなこの鬼が、よもや鬼女の爪で引っかかれるなどという失態を演じるわけもなかろうが。
そこはかとなく嫌な予感を抱きつつ問いかけた、その答えは。
「……ああ、昨日中庭で傷だらけの野良猫を拾いまして。重傷を負っているくせに近づくたびに爪を立ててくるものですから、手当てに苦労しました」
特別なことは何もないと告げる、事務的な報告で。
目をまたたき、言われて初めて気づいたと言わんばかりに自分の頬を指で撫でて確認していた姿が、嘘偽りではないと語ってはいるのだが、閻魔大王は頬が引きつるのを自覚する。
「強固なボディを誇る鬼の中でもずば抜けて強い鬼神の君に傷を負わせるなんて、その猫の爪、金剛石ででもできてたの?」
「言われてみれば、そうですね。あとで確かめてみます。それより今日の予定ですが……」
浮かんだ疑問を率直に投げかければ、まともに取り合わずにさらりと流すという通常運行っぷり。
けれど、何故だろう……いつもと同じはずの姿の中に、いつもはない好奇心というか執着心のようなものが垣間見えた気がするのは。
気にはなる。が、これ以上つついたところで新たな情報は得られないどころか、手痛いしっぺ返しを食らうことになるのは長年の経験からも明白で。
――妙なことにならなければいいけど、と。
一抹の不安を抱えたまま、閻魔大王は日常の中へと埋もれていった。
「……またですか」
自室の扉を開けて目に飛び込んできた光景に、鬼灯はもう何度目になるかわからない溜息をこぼした。
正面の壁際に置かれたベッドの手前の床に、拾った野良猫――もとい、綿飴頭の怪我人が、見つけた時と同じ体勢でいたためだ。
窓のない内部屋は昼間でも暗く、廊下から射し込む明かりによって浮かび上がる白髪と白装束で刀を抱えて座り込む姿は、まるで掛け軸に描かれた絵のようだ。
だからといって、死にかけの怪我人に無理を強いるほど己は鬼畜ではない。怪我人自身が勝手にこの体勢になってしまうのだ。いくらベッドに横たわらせても少し目を離した隙にこうなり、そのうえ近づくたびに斬りかかってくる始末。それが閻魔大王に指摘されてしまったように頬に切り傷が、しかも二本もついてしまった理由だった。
とはいえ、三度目になると流石にかわしきれるようになり、五度目以降はこちらの気配を覚えでもしたのか斬りかかってこなくなったのだが……その変化がまた、本物の野良猫を手懐けたようでかなり面白く感じたというのは、まあ余談として。
「こんな寝方をするから傷の治りも遅いというのに……おかしな癖を持つ人ですね」
「――悪かったな」
初めて聞く声に、おや、と。小首を傾げた鬼灯は、持ってきた盆を机に置くついでに電気スタンドを点し、怪我人を見下ろした。
片膝を抱える腕に載せられていた頭が少し浮き、綿飴のような白髪の間からホオズキ色の瞳が鋭くこちらを見上げている。
「気がつきましたか。気分はいかがです?」
「最悪だ。誰だオマエ。天人か? なんでオレを助けた?」
警戒心剥き出しの割りには、こちらの問いかけには素直に答えるとか……そっぽを向いて素知らぬふりを装いながら、その実こちらを窺っているという猫の習性そのものだ。
悪戯心をくすぐられる反応に、しかしまずは通常の対応への反応を見てみよう、と。
こちらも素直に答えてみることにした。
「私の名は鬼灯。鬼神です。中庭にて傷だらけの貴方を発見しまして、興味を惹かれたので拾ってみました」
「奇人? 変態か?」
「鬼です。趣向がおかしいとはよく言われるので奇人は認めますが、変態ではありません」
「どう違うんだ。それより、『鬼』だと?」
「全然違いますよ。同じにしないでください。頭突きでもお見舞いしましょうか」
「変なとこで食い下がるなオマエ。いらねェよ。つか、やってみやがれ。その瞬間、ご自慢の角たたっ斬ってやらァ」
馴染みのない言葉であれば知っている同音異義語と間違えるのは道理であるが、訂正した内容に律義にツッコミを入れてきたのがきっかけとなり、ついいつもの調子で一歩近づき威嚇の眼差しで見下ろしてしまう。
すると、即座に柄に手をかけ、いつでも抜刀できる体勢になった。表情にも畏怖は微塵もなく、むしろ嬉々としてさえ見えて。
けれど、その額に浮かぶ脂汗を、鬼灯は見逃さなかった。
「無理はしないほうがいいですよ。人間が土手っ腹に風穴空けて何故生きていられるのか不思議な状態なんですから」
あからさまな溜息とともに忠告すれば、敵意はないとわかったのか、盛大な舌打ちをして再びその場に座り込んだ。眠っていた時のように前屈みにはならず、ベッドに背を預けて乱れた呼吸を必死に整えようとしている姿は、相当負荷がかかったことを如実に物語っている。
ごく自然な動作で構えを執っただけで、この有様だ。だとするなら、無意識下で襲いかかってきたのは、やはり妖刀の力か。
肩に立てかけるようにして抱え、決して体から離そうとしない刀に目を向けていると、不意にホオズキ色の瞳がこちらを見た。
「……で、オマエがマジモンの鬼だとして……ここはドコだよ。鬼の国か?」
「住人の半数は鬼ですが、鬼の国ではありません。ここは地獄です。黄泉、あの世、彼岸、幽世……要するに、死後の世界です」
「あ? オレ、死んだってことか?」
「生きている、と、先程言ったと思いますが」
目は口ほどに物を言う、とはよく言ったもので。かなりつらいだろうに、陰ることのないホオズキ色の瞳がまっすぐにこちらを捉え、真意を探っているのが手に取るようにわかって。
「地獄では、亡者は犯した罪に応じた責め苦を負わねばなりません。その年数は何千何万にも及ぶものもあり、また拷問も肉体ではすぐに死んでしまうレベルのものが多数を占めます。亡者には『肉体の死』が存在しませんので、たとえ骨になったとしても、すぐに再生されるのです」
「怪我がすぐに治んねェ時点で、オレァ生きてるってコトか……」
「はい」
直接答えることなく地獄のシステムを説明すれば、こちらの言わんとしたことを正確に読み取ってみせた。喋り方が荒っぽいせいで馬鹿っぽく見えるが、頭の回転は決して悪くなさそうだ。
「その、生きた人間が、なんでまた体ごとあの世なんぞにいるんだよ」
「さあ?」
「あ゛?」
「あの世と現世の境が曖昧になっている場所というのは、昔に比べれば激減しましたが、皆無になったわけではありません。『神隠し』などと呼ばれる、特定の条件下で一時的に繋がる現象もあります。可能性としては、迷い込んだということではないでしょうか」
彼女の抱いた当然の疑問は、こちらこそが一番知りたい答え。
現時点で考えうる推測を告げると、眉間にしわを寄せた彼女の目が一瞬どこか別の場所を見たかのように焦点がぼやけたように見えて。双眸を閉ざし、盛大な溜息を吐き出す過程で全身の力を抜いていった彼女の口から次に出てきたものは。
「オメェの仕業か『細雪』ぃ……」
心底呆れたような、得心がいったような声音の呟き。
明らかに己ではない何者かに向けられた言葉に、今度は鬼灯の眉間にしわが刻まれた。
室内にある人影はふたつだけだ。それ以外に語りかける存在があるとするなら――考えられるのは、ひとつだけ。
「『細雪』というのは、その妖刀の銘ですか?」
目を細め、見た目には何の変哲もない刀を注視しながら確認する。
再び瞼の下から姿を現したホオズキ色の瞳に、何故か悪戯を企む子供のような色が射した気がして、鬼灯は一歩退いた。
「よく妖刀だってわかったな。何かしたのか、コイツに」
「貴方が、近づいただけで斬りかかってはきましたね。その後、抜き身だったはずなのに一瞬目を離した隙に鞘に収まっていましたので」
「なるほどな」
左手で鞘の口金付近を握った女は、抜刀する要領で親指で鍔を弾いた。――チッキン、と。小さな金属音を立てて鞘から刃根本が覗いたところまでは普通だった。ところが刀は、誰も柄を握っていないにも拘らず、ひとりでに抜き放たれ、鋼ではありえない真っ白な刀身を露わにしたではないか。さらにはその軌道のまま反転、切っ先を鬼灯に定めて袈裟懸けに斬りかかってきた。
然程スピードのない動きだったので、余裕をもって金棒を薙いで弾く。けれど油断することなくその動きを注視していれば、物理法則ではありえない軌道を描いて身動きひとつしていない女が手にしたままの鞘にするりと納まった。
威嚇行動のつもりなのか。少なくとも本気さは全く感じない一連の出来事に、鬼灯の目が鋭さを増す。
「妖刀というよりも、むしろ付喪神ではありませんか」
「いんや、妖刀だ。刀工の情念だか怨念だかで妖刀として最初から造られたらしいぞ、コイツ曰く」
「先程も話しかけていたようでしたが、その刀は喋るのですか?」
「オレには聞こえるぜ、コイツの声が」
「妖刀に憑かれている割りには、狂気や悲愴感とは無縁に見えますが」
「そりゃそーだ。コイツはオレを守るためにオレに憑いた、オレの相棒だからな」
聞けば聞くほど、妖刀よりも付喪神の性質が強い気がしてならない。
妖刀というのは、いわば『呪われた道具』の一種だ。持ち主の人格を狂わせたり争いや不幸を招いたりするすれらは、無差別に呪いを振りまくものと、持ち主を選ぶものとがある。前者は装飾品に多く、後者は武器が多い。
持ち主を選ぶタイプのものは、主人として相応しいと判断した者を呪いの対象から外す傾向にあるので、彼女の言った『自分を守るもの』という認識はあながち間違いではないだろう。
己の愛用する金棒も、かつて『呪いの金棒』として闇市の競売に出品されようとしていたものだ。意思疎通はできないが、しっくりと手に馴染むのは主人と認められた証。聞いていたとおり、いくら使ってもトゲが丸くなることのないまま数千年。主人と認められない者はトゲを足や尻で踏む事故が続くと言われてたが、己は一度もそのような目に遭っていない。
この金棒の呪いの場合、金棒が自ら動いて事故を起こすのか、それとも事故になるよう持ち主のほうを引き寄せるのか……研究してみると面白いかもしれない。何せ呪い関係のグッズは山程コレクションしているし、新しい拷問に使える可能性もあるだろう――と、思考がずれた。
明確な自我を持ち、意志疎通ができるという点においては付喪神に近いが、自ら動くという点については現時点ではどちらかと判断する材料にはならないようだ。
少なくとも、妖怪化はしておらず、あくまでも普通の形状をしていることと、それにも拘らず通常ではありえない現象が伴っているという点では、妖刀と称していいのだろう。
まあ、今、問題なのは、妖刀か付喪神かという判別ではなく。
「では、その妖刀が貴方を守るために、時空すら切り裂いて貴方をここへ連れ込んだということですか?」
「あ~……」
確認に対して、彼女は目を逸らして刀を抱え直した。おそらく妖刀の声を聞いているのだろうその間は、然したものではなく。
「その言い方だと語弊があるが……まあ、結果的にはそんなもんらしいぞ」
「つまり、元の場所へ戻る力まではないということですね」
「オマエ……冷徹だな」
「でなければ、広大な地獄の管理などやっていられません」
腕を組み仁王立ちで見下ろせば、まるで面白い玩具でも見つけた子供のような目を向けてきた。そのホオズキ色の瞳には、負の感情は欠片も映ってはいない。
こちらが冷徹だというのなら、この女とて似たようなものだ。把握した現状が、生きた身であの世に迷い込むなどという異常事態にも拘らず、そのまま受け入れ対応しようとしている順応力は相当のものなのだから。
その強さは、どこから来るのか……どこか己と近いニオイすら感じて見下ろしていると、不意に腹の虫らしき音が聞こえて女が目を逸らした。そのままこちらを見ようともしないのは、頼りたくないという意地か、それとも頼っても大丈夫な相手かまだ判断しかねているのか。
「お粥なら持ってきていますけど……食べますか?」
「おぅ……あの世にも食いもんってあんのか……」
あえてこちらから提案すれば、小さく同意とともに感想が呟かれた。
頼るか否かという以前の問題で言い出せなかったのか、と。
納得しつつ、先程机に置いた盆に乗った土鍋のふたを開けた。ふわっと湯気と米の香りが立ち上り、鬼灯の空腹感をも煽る。
「あの世というのは現世から見れば死んでいますが、魂は生きている状態です。『肉体の死』がないだけで、空腹感も睡眠欲求もあります。だからこそ、空腹が刑罰にもなるんです」
「ふーん……生きてようが死んでようが大して変わんねーんだな」
己の空腹感から意識を逸らすため、説明しながら茶碗に粥をよそって女に手渡した。
感想をこぼしつつ素直に受け取った女の眉が、一瞬しかめられた。どうやら猫舌らしく、散蓮華にすくった粥に息を吹きかけて冷ます姿は思いのほか可愛らしく、ちゃんと女性に見えた。が、適温になった粥を大口空けて食べる様は、まるっきり男で。落差のすさまじい人物だ。
それは、さておき。
何の抵抗もなく食べた姿に、鬼灯は目を細める。
信用されていると見るべきか、抜けていると見るべきか。死にかけを拾って手当てした時点で毒を盛る理由などないとの判断なら一理あるが、盛るのは何も命にかかわるものだけとは限らないだろうに。そこまで考えが至らないほど間抜けなのか、それとも血液不足で頭が回らないだけか。
意外にも見るからに美味しそうに食事する姿を眺めつつ、鬼灯は口を開いた。
「ちなみに、あの世のものを食べた者は、二度と現世には戻れなくなります」
あからさまなほど、わざとに。茶碗の中身が半分になるのを見届けてから告げた――事実という名の罠。
一瞬だけピタリと動きを止めた女の、散蓮華をくわえたままの口元が歪んだ。そして、ずぞぞぞ、と。音を立てて茶碗の中身をすべてかき込んだかと思うと、タンッと高々と音を響かせて茶碗を床に置いて。
「鬼と呼ばれ戦場にしか居場所のなかったオレが、マジモンの鬼の世界で生きることになるたァ面白ェ……元より向こうにゃ未練も愛着もねェし、上等だ! どこでだろうと生き抜いてやろうじゃねェか!!」
強い光を宿し輝くホオズキ色の瞳でまっすぐにこちらを見上げ、実に楽しげに宣言した綿飴頭の女。
――無意識状態で斬りかかってくるのを力でねじ伏せるのも面白かったが、やはり意識のある状態を観察するほうが、より面白い。
「つーわけで、おかわり」
「はい、どうぞ」
こちらの思いなど知る由もない女の求めに土鍋自体を彼女の目の前において、鬼灯はその一挙手一投足を観察し続けた。