【 鬼神と夜叉の狂想曲 】
周 知

「なァ、そこのちっこいの。中庭ってどっちだ」
「え? 中庭なら、あっちですけど」
 唐突な呼びかけに反射的に答えた唐瓜からうりは、声の主を見上げて思わず思考停止フリーズした。
 緩い天然パーマは鬼にはよくあるもの。ただその色が――白は白でも、親友の茄子とはどこか違っていて、目を奪われたのだ。
「サンキュー」
 ひらりと片手を振って去って行く人物を見送って、今度は首を傾げた。黒い洋装の上に白い着流しを着崩すという一風変わった服装……どこかで見たような……あの飄々とした雰囲気も知っている気がして、妙に引っかかる。
 首をひねって思い出そうとするが――カラン、と。
「あ、やべっ、天国行ってくるんだった!」
 手にげた袋の中の竹筒が音を立てたことで、己が何をしようとしていたところだったのかのほうを思い出して。
 今は勤務中。上司から言い付かった仕事を片すことが先決、と。
 袋とは別に持つ書類をもう一度確認して、天国へ通じる門へと急いだ。
 けれど、やはり思い出せそうで思い出せない感じがもやもやと胸中に残ったまま、片時も忘れることができなくて。
 閻魔殿・法廷に戻って、上司である鬼灯とともにいた茄子を見て――また、首を傾げてしまった。
「ご苦労さまです、唐瓜さん。どうしました」
「あ、いえ……」
 案の定というべきか。目敏い鬼灯に不審がられてしまい、言葉を濁した。けれど、別に隠す理由もないし、むしろ鬼灯なら立場上知っている可能性が高いと思い直し、事実をそのまま告げることにした。
「さっき、行く前に茄子コイツみたいな白い天パの人に声かけられたんですけど、その人が……何ていうか……知らない人のはずなのに知っている気がするというか……どこか見覚えがあるような気がして、でも思い出せなくてもやもやしてたもので」
「茄子さんのような白髪天パですか? 獄卒には何人かいますけど」
「あー、そういう見覚えじゃない気がするんです。飄々とした雰囲気とか、黒い洋装の上に白い着流しを着崩してる変わったスタイルとか、どこかというより何かで見たような……それに、白髪っていっても茄子とは全然違って、すごく綺麗な色だったんです」
「それって、白じゃなくて銀髪だったんじゃねーの?」
 形の定まらないもやもやしたものを言葉で表現するのは難しい。それでも何とか説明していると、不意に茄子が会話に加わってきて。
 芸術家肌で色に対する知識も感性も豊富な茄子の言葉に、唐瓜は握った右手で左の手のひらをぽんっと打った。
「銀! そっか、銀髪だあれ。地獄って太陽がないから見分けつかなかった!」
「銀髪、ですか……」
 パチッと。パズルのピースがはまったような納得感。
 唐瓜が今まさに感じているそれと同じものをにおわせる呟きが、何故か鬼灯の口からもこぼれて。
「鬼灯様?」
「その人物がどうかしたのですか」
「あ、えーと……」
 疑問を乗せた呼びかけは、先を促す問いかけによって封殺され、再び話題は件の人物へと戻された。
 しかし、どうしたと聞かれても、ただ単に気になっただけで事実以外を答えようがなく。
「中庭の場所聞かれただけで、反射的に教えたらそっちに向かって行きましたけど……鬼灯様、あれ誰だか知ってるんですか? さっきも言いましたけど、獄卒、ではなかった気がするんですけど」
 先程の呟きから、鬼灯が答えを知っているという可能性が確信に近いものになった気がして今度こそ明確に問いかけた。
 すると鬼灯の口からは小さな溜息がこぼれて。
「あれは迷い込んだだけの野良猫ですよ」
「猫って……」
 答えが返ってきたのはいいが、正しいのか誤魔化されているだけなのか判断に困る内容だ。真顔でボケたり突拍子もないことを言いだしたりということが多々ある人物なので、なおのこと。
 唐瓜の感覚としては、求めている答えではない気がする。
 たとえるなら……焦熱地獄の赤銅弥泥魚旋処しゃくどうみでいぎょせんしょにある赤銅の池の水面で弥泥魚ではない色の魚の姿が垣間見えて、色はわかったものの全体像は見えないままというか……釣り上げようとして投げ込んだ、猫という単語の釣針つりばりは、赤銅の池に深く沈んだまま何に引っかかることもない状態、のような?
「人型でしたけど、化け猫ってことですか? 猫又ではないですよね?」
「え? 鬼灯君の頬に傷つくった猫って、化け猫だったの?」
 感覚的には誤魔化されていると踏んで、明確な答えを得るために重ねた質問。それには何故か閻魔大王が反応を示して。
 その、内容に。唐瓜は改めて鬼灯を見上げた。
 閻魔大王を見上げる鬼灯の片頬には、うっすらとではあるが、確かに二本並んだ切り傷のような痕がある。
 鬼の体は、種類を問わず強靭にできている。トゲつきの金棒と鉄球を野球の道具にして遊ぶくらいには、子供であってもほかの妖怪に比べればはるかに頑丈だ。
 とはいえ、怪我をしないわけではない。それでも成長に伴い頑丈さは増していくもので、他種族相手の喧嘩程度ではそう簡単に傷つけられたりはしないはずだ。
 しかも鬼灯は、鬼の中でも最も強い『鬼神』なのだから、頑丈さだけではなく、腕力などのあらゆる『力』が並ではない、はずで。
 その鬼灯に、傷を負わせた『猫』……
「鬼灯様引っかける猫の爪って金剛製ですかっ!?」
「それ、閻魔大王も言いましたよ」
「だって鬼灯様、鬼神でしょ!?」
「鬼の注射は大きいですけど、針は別に金剛製ではありませんよ。鬼神の体だって鋼で傷くらいつきます。というより猫の爪で傷くらいつきますよ。宋帝庁そうたいちょう禊萩みそはぎさんなんか、かんさんによく爪を立てられてますからね」
「あの人の『鬼神』は強さより立場のほうで、漢さんも普通の猫じゃないですよね!?」
「そのくくりで言うなら、地獄にいる動物の全部が普通ではないことになりますよ」
「そうかもしれませんけど! アイアンクローな猫ってもはや猫じゃありませんよね!! っていうか鬼灯様がかわせないって、どんだけ素早いんですか!?」
「まあ、速さはそれなりでしたけど、むしろあまりの殺気のなさに反応できなかったことのほうが大きな要因ですかね」
「どんな状況ですか!?」
「重傷の猫を手当てしようとして引っかかれたって言ってたけど……」
「重傷で素早く動いて鬼灯様に傷を負わせる猫ってホントに猫ですか!?」

「猫じゃねーよ」

 聞けば聞くほど猫には思えなくて、思い浮かぶままに投げかけ続けた質問。その明確な答えは、鬼灯ではない別人の声でもたらされた。
「そりゃただの刀傷だろーが」
 この場にはいなかった第三者の声。唐瓜には聞き覚えのあるその声の主を探して顔を上げると、案の定。件の銀髪の人物が、中庭へ続く廊下からこちらへ悠然と歩いてきていて。
「つーか、オメェはマジでオレを猫扱いしてんのか」
 まっすぐ鬼灯を見て言ったのは、呆れ切った言葉。
 鬼灯はといえば、その人物を一瞥したあと、盛大な溜息をついて。
「勝手に部屋を抜け出して彷徨うろつくなんて、野良猫そのものではありませんか」
 悪びれた様子など微塵もなく、あっさりと。今までの会話がただの誤魔化しだと認める言葉を吐いたではないか。――否。鬼灯の場合、誤魔化しているという気もないのかもしれないが。
「せめて怪我が治るまでおとなしくできないんですか」
「ヒマなんだよ」
「寝てればいいでしょう、貧血患者が」
「猫じゃねえんだからそんな寝てられっか。つか寝てばっかじゃ体がなまっちまわァ」
「貴方どこまで馬鹿ですか。その状態で運動なんてしたら、また傷口が開きますよ」
「アホにバカとか言われたくねーな。散歩ぐらいで開くほどじゃねえだろーが」
「散歩でも度が過ぎれは開きますよ。閻魔殿は広大なんですから、迷子を捜すような手間かけさせられたくはありません」
「んなヘマするか。つか、そうなったらなったでっときゃいいじゃねーか」
「私の管轄内で余計な問題を起こすなと言っているんです」
「オレァ、オメェの部下じゃねーぞ」
「この地獄に来た以上、私の管轄なんですよ。文句があるなら貴方の妖刀に言え」
「それこそコイツのせいでもねーだろーが。責任転嫁か。言いがかりつけんな。その角叩っ斬るぞ」
「できるものならやってみろ」
 互いに正論から始まった会話はいつしか子供の喧嘩のような言い争いになり、一転。
 無造作に金棒を薙ぎ払った鬼灯に、肝が冷えたのは成り行きを見守るしかなかった唐瓜たち周囲の者で。しかし、大多数の予想――否、確信を裏切り、金棒は獲物を捕らえられずに空を切る。
 退くのではなく、身を屈めることで金棒をかわした銀髪の人物は、むしろ鬼灯の懐に飛び込み、身を起こす勢いのままに腰に差していた刀を抜き放って鬼灯の角を目がけて切り上げた。
 頭を反らせてかわした鬼灯はその動きのまま蹴りを繰り出し、銀髪の人物はそれを鞘で受け、いなすように飛び退り――すぐに駆け出せる体勢で着地したものの、そのまま微動だにせず。
 ようやく動きを止めた銀髪の人物を確認し、鬼灯は小さく嘆息をこぼして。
「だから傷口が開くと言ったでしょう」
「開かせたのは誰だクソが」
「聞き分けのないドラ猫自身ではないのですか」
「くそ……っ」
「だ、大丈夫ですか!?」