「守り神?」
なんだそりゃ、と。己の執務室で書類を片していた漆黒の髪の青年は、怪訝な顔で呟いた。書類に走らせていた筆を止め、情報をもたらした顔下半分をマスク、片目を額当てで隠した銀髪の男を、空色の瞳で見据える。
男は片目だけで笑って見せて。
「あ、やっぱ知りませんでした?」
「知らねえから聞いてんだ。さっさと答えろ、銀葉」
「この木の葉の里には、里が出来た頃から陰で守り続けている守り神がいるって話ですヨ」
相変わらず回りくどい言い方しかしない男だ。
あからさまに溜息をついて、再び書類へ目と手を向けると、男の情けない声がする。
「無視しないでくださいヨ、氷月総隊長ォ~っ!」
「無視されたくなきゃ、要点だけをまとめて簡潔に言え」
毎度おなじみの遣り取り。懲りないのは、はたしてどちらなのか。
氷月は作業を進めつつ、一応耳は銀葉の話へ向けておく。
銀葉は銀葉でやはりわかっているのか、気を取り直して口を開いた。
「暗部内ではかなり有名な話なんですけどネ、守り神は実在してるんですヨ。オレも見ましたもん」
「……で? 俺がさっき言ったこと、聞いてなかったのか、おまえは」
「聞いてましたヨォ……相変わらずせっかちですネ~」
「銀葉。そこにある書類一山、三秒で処理しろ」
「あ゛あ!! ゴメンナサイすみませんマジ許してくだサイ!!」
気が長いほうではないことを自覚はしているが、彼の話は付き合った分だけ長くなるのも事実。
そんな理由もあり、氷月は仕事以外では銀葉に対してわりと冷たかった。
銀葉自身もわかってはいるだろうに、懲りないのは……性格のせいかもしれない。
流石の銀葉も、これ以上は本気でヤバイことを察して、ようやく本題を口にした。
「守り神は暗部の一人なんですヨ。ただ、オレたちと違って班に属していない、完全な火影直属の私兵なんだそうです。で、守り神って呼ばれている理由は、あまりに強すぎて同じ人間には思えないってこと以上に、全く年をとってないことに起因しているらしいです」
「単に術で変化してるだけじゃないのか?」
「その可能性もありますがね。それはおいといて、問題なのは一時期姿を消していたってことなんですヨ」
「ドジって深手でも負ったんじゃないのか?」
「ハイ」
真面目に聞いていなかった氷月は、あっさり肯定されて正直面食らった。
書類から顔を上げて銀葉を見つめる。
「十年前の九尾襲撃事件の際、四代目をかばって負傷したのを最後に一切目撃されておらず、死亡したのではという噂が流れていたんですが……最近、復帰したって話です」
「復帰、ねえ……」
「復帰後の姿はオレはまだ見てませんケド、信憑性はあると思いますヨ。だって、オレら最近暇デショ?」
火影直轄の組織・暗殺戦術特殊部隊――通称・暗部は、その名の通り暗殺を主な仕事とする部隊だ。
そして、火影から命を受け部隊を動かす役目にいるのが、総隊長・氷月。
だからこそ、わかる。銀葉が言ったことは。
ここ最近、暗殺の仕事は極端に減り、回ってくるのは諜報や警備がほとんどだ。それ故に、氷月は普段ならないはずの書類の山と格闘中だったのだ。
「つまり、そいつのお陰で俺は今、やりたくもない書類業務に追われてんのか」
「そういうことですネ。そのわりに珍しく文句も言わずに仕事してるんで、ひょっとして知らないのかなァ~って思って」
世間話のネタにしてみマシタ。
やはり言い方が回りくどい銀葉に大して腹立たしくも思ったが、それ以上に守り神とやらに気が向いていた。
手掛けていた書類を処理して作り上げた小山を指し、氷月は銀葉に言った。
「その一山、三代目のところに持っていけ。俺は休憩がてら、外に出る」
「たーいちょ。お面忘れてますヨ」
さっさと窓辺に寄っていた氷月に向けて、銀葉が狐を模した白い面を投げよこした。
それは、一切素性を明かさぬ暗部たちの必需品。本来なら仲間内でも決して外すことはないものだが……まあ、どの暗部も親しい間柄の者の前では素顔を晒している。
銀葉もその一人。本名は、はたけカカシ。エリートといわれる上忍だ。
氷月も、銀葉含め数名の暗部の前では面を外してはいるが――氷月の今の姿は、術で変化したもののため素顔ではなかった。本名も、明かしてはいない。明かせない理由があるから。
まあ、そんなわけで。氷月にとって面は然程重要なものでもなかったが、素直に受け取っておく。
「それと、守り神の名前は。外見は赤い髪と緑の瞳を持つ二十歳前後の女性です」
「は? 女?」
「ハイ、女性ですヨ。あと、もうひとつ。は私服でお面もつけてないんで、わかりやすいっちゃわかりやすいですネ。待機所にいることは、まずありませんケド」
追加してきた具体的な情報は、はたして役に立つものなのか。
とりあえず、無駄足にならないことを願って、氷月は窓から身を躍らせた。
向かった先は、火影専用執務室のある建物の上。
守り神などと呼称されているということは、他の暗部との関わりは希薄なのだろう。火影の私兵ということで待機所にもいない。自宅は――恐らく結界や幻術によって隠されている可能性が高い。氷月自身の自宅もそうだし。
となれば、見つけられる可能性が高い場所は、命を受ける火影の執務室か――現場。
執務室には……現在、火影しかいない。
確認すると早々に瞬身の術で火影岩まで移動する。
残りは現場だが――暗殺を主として活動し、そのため他の暗部に仕事が回ってきていないなら……血の臭いを辿れば、十中八九遭遇できるだろう。
臭いを辿るなら忍犬が適任なのだが、生憎氷月は忍犬と契約してはいなかった。
仕方がないので自力で探る。チャクラで肉体を活性化し、一時的に嗅覚を犬並みにするのだ。
その状態で四方をそれぞれに探っていって――見つけた。濃い、血臭だ。
再び瞬身の術を用いて、臭いのする方角へと向かった。
深い森の中、一際臭いの濃くなったその場所に――いた。
真紅の髪を返り血でより一層赤く染め上げた、女。
近くの木に足を止め、女の動向を見つめる。
明らかに殺気を放つ気配が、五つ。女は血溜まりに佇んだまま、手にした刀を構えてもいない。ただ、無防備に立っているだけに見える。
気配が動いた。クナイが闇に走る。赤い雫が僅かに飛ぶ。血溜まりの水。
女の姿はない。肉を裂く音。悲鳴。
金属音。煌めく光。悲鳴。舞う赤雫。
声。退け、と。金属音。悲鳴。
ダメだ、と。焦り、絶望。そして――ドサッ、と。落下音。
静寂が、戻る頃。女は元の位置に立っていた。何事もなかったかのように、ただ、全身を赤く染めて。
確かに強い。そして、躊躇がない。守り神と呼ばれる理由はわかった。けれど、これはまるで――
「!?」
つい、と。唐突に女がこちらを向いた。反射的に枝を蹴って、その場から離れる。――と、先程まで氷月が立っていた枝が斬られ、重力に従って落ちていく様が目に映った。
驚く間もなく、今度は真正面に女が迫っていて。
「様! その方は味方です!!」
男の焦った叫び。
しかし、女は止まらず。刀が――
――ドシュッ。
「総隊長ぉ!!?」
鈍い音をさせて、腹部に突き刺さった刀。崩れる肉体。血溜まりの中の幾多の屍の中にもう一体――増えることはなかった。
「見境ねえな、オイ」
「総隊長! ご無事ですか!?」
「ああ、面が落ちたぐらいで怪我はねえよ」
女と共に任務を受けたらしい男暗部の背後に立ち、あっさりと氷月は答えた。
氷月の代わりに血溜まりに落ちたのは、木片。変わり身の術を使って逃れたのだ。
正直に言えば、かなり焦ったけれど。お陰で、直前に抱いた疑問を確信してしまったではないか。
「総隊長は、何故この場に……」
「守り神とか呼ばれてるヤツに興味が湧いただけだ。けどよ、守り神っつーより、まるっきり殺戮人形じゃねえか、こいつ」
敵も味方もなく襲い掛かる。何の迷いもなく殺し続ける。全く感情も見せず血に染まるその姿は、まさに殺戮人形と呼ぶに相応しいと思ったのだ。
――けれど。
一瞬。ほんの僅かに、何も映していなかった翡翠の瞳に感情の色が見えた。
その感情がなんなのか。知ることはできなかった。
女は無防備に氷月を見ていた姿を最後に、瞬身の術でいずこかへ去ってしまったから。
「アレ、何なんだ? 守り神の正体って……」
「……申し訳ありません。様については火影様の許しがなけれはお教えできないのです」
顔は面で隠れているが、心底申し訳なく感じていることはその声音でわかった。
一応部下に慕われている自覚のある氷月はそれ以上男に問い詰めることはせず、気が向いたら三代目に聞いてみるとだけ告げて自分もその場を去った。
仕事をする気にもなれなかったので、適当な場所で足を止め、何となく月を見上げた。
守り神と呼ばれる女暗部。彼女は恐らく何も考えてはいない。敵と味方の区別すら自らの意志で下せない者。先程、彼女と共にいた男暗部が制御役なのだろう。
実際に見て、湧いたのは幾多の疑問。
ただ殺しをするためだけにいるような者を、何故必要としたのか。今の暗部に不足があるとは思えないのに。
昔――負傷によって姿を消す前からああだったのか。何故、十年も経った今、復帰したのか。
疑問は、ほとんど尽きることがない。
けれど何よりも気になるのは――
あの、一瞬……彼女が見せた瞳の揺らめき。
守り神には、本当に感情がないのか……あるとするなら、何故人形のように振舞うのか。
それが、最も気になったことだった。
「……少し、調べてみるか……」
呟き、氷月は姿を消した。
仕事の合間に、いい気分転換の材料ができたという僅かな喜びを抱いて。