屈 折

 並盛中学校の中庭は、実は生徒からも教師からも敬遠されている場所のひとつだったりする。
 本来は、休み時間の生徒たちの憩いの場として設置されたのだろう。けれど、三方面が三階以上の校舎のため、風通しが悪く、また日当たりも微妙。教室からも距離があったりと、設計ミスとしか思えない条件によって利用者はほとんどいなかった。
 条件の悪さが揃えば自然と生まれる、良からぬモノ。学校という場所にありがちな怪談の舞台ともなり、更に不良たちがサボり場所のひとつとするなど、極普通の生徒や教師はまず近づこうとはしない場所なのだ。
 自身も御多分に漏れず、移動教室の時に見かける程度で利用したことはなかった。けれど、見た感じでは大した障害物はなく、狭すぎず広すぎない空間といったところ。多少暴れても何も問題がない場所なのは確かだろう。
 雲雀恭弥は、が隠し続けていた実力に気付いていた。その上で言いがかりにしか思えない理由で中庭の清掃を命じてきたのなら、それは攻撃を仕掛けられたが逃げることを見越しての再戦場所としてだったのではないか――と。そう思ったのは、果たして買いかぶりだったのか。
「一年C組、だな?」
 放課後、中庭へと通じる渡り廊下でを待っていたのは、きっちり学ランを着込んだ見るからに不良な風体の風紀委員だった。
 内心の動揺をおくびにも出さず、風紀委員を恐れる普通の女子生徒を装って、小さく頷く。
「罰則は中庭の掃除だ。掃除用具は、そこの物置あるはずだ。終わっても勝手に帰るなよ。風紀委員から終了印を生徒手帳に与えられなければ、無効だからな」
 初めての罰則だからなのか一通り説明してくれた彼は、手にしていたチェックボードに印しを入れる素振りを見せると、そのままには目もくれずに歩き去ってしまう。おそらくは、他の違反者のもとへ向かったのだろうその背中を、ただ見送ることしかできなかった。
 渡り廊下の真ん中に、一人取り残された。遠くのほうから吹奏楽の演奏が聞こえてきたけれど、他に人の気配はない。周囲を見渡しても、人影はなくて――大きく息を吐き出しながら、その場にしゃがみこんだ。
 ――強さが、欲しかった。雲雀恭弥の持つ、孤高の強さが……何者にも束縛されず我が道を行くことのできる強さが欲しい。
 何故彼がの隠している実力に気づいたのかはわからないけれど、そこに興味を惹かれて向こうから接点を持ってきてくれたのだ。今まで接点がなく遠くから眺めるだけでは見つけられなかったその強さの理由……正面切って戦ってみれば何か掴めるかもしれない。
 戦うのは……殺気を向けられるのは、正直今でも怖い。でも、強くなりたいなら今のままでは駄目なのはわかっている。だから、このチャンスをしっかり掴もう――と。
 相当な覚悟を決めてここまで来たのに、肝心な雲雀がいない、なんて……否、確かに夕べ断ったのは自身ではあるけれど、彼の性格から考えれば諦めるとは思えなかったのに……
 けれど、現実は現実。いないものは仕方がない。大きな溜息をひとつついて、心のどこかで安堵している自分に気付き、苦笑する。
 現状維持を望む弱い心と、成長という名の変化を求める自分。どちらの思いが強いのか、自分でも今は判断できない。それはきっと、雲雀と対峙した時にはっきりするだろう。
 まだ――チャンスはある。終了印の時に、来るかもしれない。だから、ひとまず掃除に取り掛かろう。
 はもう一度大きく息を吐いて気持ちを切り替えると、物置へと向かった。

 既に傾きかけているはずの陽射しは、残念ながら厚い雲に遮られてその存在を感じることは出来ず、昨日に増して夜の足を早めていた。
 夜という時間が自分にとって危険であるのは変わりない事実。できることなら暗くなる前に、何より今日は雨が降る前に帰りたい。そのためには早く掃除を済ませてしまうべきなのだが……中庭へと目を向けたは、深い溜息をこぼした。
 戦うには丁度いいかもしれないそこは、けれど一人で掃除するには広すぎだった。
 まあ、落ち葉が舞う季節ではないのがせめてもの救いだと思うことにして、物置の中から軍手とビニール袋だけを取り出して掃除――というかゴミ拾いを始めた。
 遠目に見た限りでは、掃除が必要なほど散らかっているようには見えなかった。けれど、やり始めてみるとどうしたことか、ビニール袋の中身が次々と増えていくではないか。
 不良たちのサボり場所となっているだけあって煙草の吸殻から始まり、風で飛んできたと思われる紙やビニールの包装袋、窓から投げ捨てられたのかペットボトルや紙屑、果ては、いじめの形跡も生々しい誰かの教科書などが、植木の下を中心とする物陰のあちこちから出てきたのだ。
 お陰で、ゴミ箱用の大きなビニール袋ひとつがぱんぱんになってしまった。
 驚きの現実に半ば呆れつつ、袋の口を結んで渡り廊下へと置く。風紀委員に確認してもらってから捨てに行かなければならない。一応、教科書だけは職員室へ届けたほうがいいだろうと思い、中には入れずに袋の上に置いた。あとは、風紀委員が来るのを待つだけ。
 軍手を脱いで物置に片付けたの首筋を、冷ややかな風が撫でていく。肌寒い今の時期、夕方というだけでも気温が下がり始めているのに、曇天が更に拍車をかけていた。
 風通しが悪い場所でも、空気の流れというものはある。夢中でゴミ拾いをしていたお陰で今は温かいが、この風の冷たさでは直ぐに体が冷えてしまいそうだった。マフラーぐらい、して来れば良かったかもしれない。
 小さな後悔を抱くの目に、ふと留まったモノ。確かめるために、再び中庭へと出た。葉も全て落ち、まるで枯れ木のように寒々しい姿をしている木の枝の先。小さなふくらみが、幾つもあった。
「bocciolo……?」
 植物の種類にはあまり詳しくはないのでわからないのだが、恐らく花のつぼみだろう。まだ寒いのに、次の季節に向けて確実に成長している姿が、そこにはあった。
 ――自分は、どうだろう。無意識に左手首にある腕時計に触れる。
 季節ごとに確実に成長していく植物に比べて、自分はどうなのだろう。成長、しているのだろうか。前へ進みたいと願いながら一歩を踏み出すことを恐れて、結局足踏みを繰り返しているだけなのではないだろうか。
 ――守らなければならないものの存在を言い訳にして、立ち向かうことから逃げ、現状に甘んじているだけ、なのではないだろうか……
「《そう、ね……それが一番安全で、楽な道だから……》」
 守られることに慣れきった、弱いままの自分。だから、流されてしまう。でも……このまま、この先もずっとそんなことを繰り返してしまうのは――嫌だ。
「《……変わり、たい……強く、なりたい……》」
 そう思っても、変われなかった自分。変わるために、強くなるために、一体何が欠けているのか……その答えは、きっと雲雀が持っている。だって彼は、が求める強さを体現している者なのだから。
 チャンスは、彼のほうから与えてくれた。だから、見つけ出そう。例えそれが、後戻りできない危険を伴う大きな賭けだとしても――
 一度目を閉じて決意を新たにし、無意識に左手首を握り締めていたことに気付いて右手を解いた。

 ――殺気、反射、引き出し、絡め取り、一瞬の明確な意志、走る炎、消える抵抗、跳躍、間合い、驚愕に塗り替えられていく殺気……

 気付いた時には、は雲雀と対峙していた。
 目の前にあるのは、トンファーを構えたまま驚愕に目を瞠る雲雀の姿。だがそれは自身の姿でもある。ただ目を見開いて、急に現われた雲雀を見つめることしかできない。
 自分は、今、何をした――?
「すばらしいね、君。予想以上の反応速度だ」
 驚愕から歓喜へと表情を変えた雲雀の楽しげな声が、情報処理の追いつかないを更に追い詰める。
「ねえ、今、何をしたの? トンファーをぶつ切りにできるような物、持ってるようには見えないんだけど」
 興味深そうに己の右手を捻る雲雀。そこには握られている柄の根元近くまで短くなったトンファーの姿があり、白いシャツの袖は一部が切り裂かれて赤いシミもついていた。
 彼の足元には、トンファーだったはずの物体が幾つもの輪切りの鉄屑となって転がっており、その、上に――赤い、雫が……
「――っ」

 赤い雫が、地面を濡らしていく。ぽたり、ぽたりと音を立てて増えていくシミは、徐々に飽和に達して表面に溢れ出す。
 赤い、紅い、水溜りの中で、存在を主張している異質な物体。黒い鉄屑と赤黒く変色した肉塊――拳銃であったものと、それを使用していたはずのモノ……
 赤い水が広がる、広がる……それは泉のように湧き出て、モノをの足元へと押し流してくる――


「――――――――――っ!!」


 使い物にならなくなったトンファーをその場に捨てて残るほうだけで構えなおす様子を、ただ大きく見開いた目で見ていたが突然、声にならない悲鳴を上げた。尋常ではないその様子に、雲雀は眉根を寄せる。
 中庭に佇む後ろ姿を見つけ、逃がすつもりなく本気で仕掛けたのは、つい先程のこと。昨日の比ではない、本気の殺意をもって攻撃を繰り出した。だが、振り向く彼女の動きに重なり光る細い何かを認識した時には、トンファーはバラバラに切断されて右腕に焼け付く鋭い痛みが走っていたのだ。
 全ては、一瞬の出来事だった。飛び退って間合いを取ったの手には、武器らしきものは何もない。完全な丸腰で、ただ驚愕をその顔に刻んでこちらを見ていた。
 見事なまでのカウンター。ここまでできる相手には未だかつて巡り会えたことはない。咬み殺し甲斐のある獲物を得た歓喜に満たされたばかりだというのに。
 は、もはや雲雀を見てはいなかった。顔面は蒼白になり、限界まで見開かれた目はどこを見ているのかわからない。悲鳴を堪えるためなのか片手は口許を押さえ、もう片方の手で頭を抱えて震えている。
 その姿は、耐え切れない恐怖に打ち震える小動物にしか見えない。
 試しに殺気をもって近づいてみたけれど、何の変化もなくて――
「……つまらないな」
 反応のない相手と戦って、何が面白いだろう。
 戦る気を殺がれ、トンファーを片付けた雲雀の上に、ポツリと雨粒が落ちてきた。それはすぐに本降りへと変わり、雲雀は踵を返した。
 雨に濡れてまで中庭に留まる理由は、もうない。
 完全にに対して興味を失くした雲雀は、振り返ることなく校舎へと戻っていった。


 冷たい雨が、全身を濡らす。それは、絶望に凍るの心を表したような冷たさだった。
 中庭に座り込むの目に映るのは、バラバラになったトンファーの残骸。――賭けに負けた、証……
 何も見つけられず、また、流されてしまった。変われない、弱いままの自分……折角のチャンスも、もう失ってしまった。
 雲雀は、もう二度とに関わっては来ないだろう。それ以上に、自身、もう無理だった。
 答えは、出た。戦うことへの――殺気に当てられて流されるままになることへの恐怖が、一番強い。それを克服できないのに、強さを求めることなんてできるわけがない。
 自分は、変われない……強くは、なれない……
 雨に冷やされた頬を、熱い雫が一筋流れた。