えるふ

「ジャミル、居るか?」
「……グレイ?」

 野宿から解放されて久々にまともなベッドで眠れることになったこの日。夕食を済ませ早々に宿に戻ってのんびりとしていたジャミルは、ノックなしの呼びかけに首を傾げた。
 酒場で、食事よりも久々の酒を楽しんでいたはずの仲間の声。元々酔っているところなど見たこともないその人物の訪問に、何かあったのかと。腰掛けていた窓辺を離れ、鍵を外して扉を開けた。――が。

「何だ、どうかし」
「ジャーミルぅー♪」
「うわっ!?」

 開けた途端、視界を埋め尽くしたのは見慣れた少女の満面の笑顔。
 完全な不意打ちで飛びつかれたジャミルは、バランスを崩して床に尻餅をつく羽目に陥ってしまった。

「ってえ……」
「えっへっへ~♪」
!? 一体何だ――って、酒くせえ!!」

 いつも以上に上機嫌にへらへらと笑って、抱きついてきたまま離れようとしない少女からは、あまりにも似つかわしくない匂いが鼻をついてきて、思わず叫ぶ。
 状況が全く読めず説明を求めて見上げた先には、案の定完全素面状態のいつもと変わらぬグレイが淡白な目を向けていて。

「あとは任せる」
「いやいやいやいや、何がどうしてこうなってんだよ!?」
「からんできた男たちを飲み比べで潰した結果だ」
「はあ!?」

 予想外の言葉に素っ頓狂な声を上げてしまったのは、仕方ないことだと思う。
 いや、だがの性格上、その場面は簡単に想像できてしまうあたりにも色々と問題はあると思うが、それよりも。

「止めなかったのかよ、おまえ!?」

 仲間――というよりは、保護者として、見ていたなら止めるべきだろう。
 常識的な非難は、けれど淡々とした説明でかわされる。

「危険そうなら止めるつもりだったが、余裕で勝ったからな」
「そーゆー問題じゃねえ!! 未成年に酒飲ませんな!!」
「未成年じゃなーい!!」

 更には一瞬前まで上機嫌だったが、いきなり大声で反論してきて。
 ジャミルにとっては酔っ払いの戯言にしか思えないそれに、思い切り眉根を寄せる。

「アイシャよかちっせえチビのくせに何言ってやがる」
「背が伸びないのはいーでーんー!! ジャミルだってチビッ子じゃんか!!」
「170ありゃ普通だろうが!! グレイとおっさんがでかすぎなだけだ!!」
「年下未成年のアルベルトよりもちっちゃいくーせーにぃ♪」
「誰だよそりゃ!?」
「んっふっふ~ん♪」

 再び上機嫌に笑い出したに、ジャミルはこめかみを押さえる。
 酔っ払いの相手をまともにしたのが間違いだった。……というか、普段からこいつはこんな調子だったな、と。

「余裕そうに見えてはいたが、普段から酔っているような言動だから判断が難しくてな。一応酒場を出て行くその後をついて行ってみたら、見事に出来上がっていたというわけだ」

 同じことを思っていたらしいグレイの説明が、余計に頭痛を増してくれて。
 ムキになるのも阿呆らしく思えてきた。――のに。

「あーそーかい」
「おまえの女だろう。あとはおまえが面倒見ろ」
「は!? ちょ、待、グレイ!?」

 思いがけない言葉が降ってきて、再び大声を出してしまった。
 だが、見上げた先では扉が無情に閉められていって――パタン、と。最後まで淡々とした態度を崩すことのなかったグレイの姿は、扉の向こうへと消えてしまった。
 足音も気配も遠ざかり、室内には猫の子よろしくじゃれついてくるが残されて。
 しばらく閉ざされた扉を呆然と見ていたジャミルは、やがてがっくりと項垂れて。

「何だよ、そりゃ……告白したことも、された覚えもねえぞオレ……いつからそんなことになってんだよ……」

 独りごちた。
 完全に予想外の展開もいいところだ。冗談など言わないあのグレイが言ったぐらいなのだから、他の仲間にもそう認識されているということだろう。これがホークやバーバラなら、単にからかわれているだけと片付けられたのだが……
 ジャミルは、未だ離れる気配のない少女を見やる。

「コレが恋人、ねえ……原因は絶対コイツだよな」

 何かというと、事あるごとに派手なスキンシップを以ってからかってくる。相手をしていなければそんな誤解が生まれることもなかったのだろうが、とにかくこの少女はこちらの琴線に触れるのが異様に上手くて、つい乗せられてしまうのだ。
 その遣り取りが、恋人同士のじゃれ合いとして仲間たちの目には映ってしまったのだろう。

「すっげー不本意つーか、不名誉っつーか……」
「なによぅ。アタシが恋人じゃイヤなワケ~? こんなに愛してるのにぃ~?」

 独白に対して、不機嫌そうにからんできた
 ジャミルの口からは深い深い溜息が出て。

「酔っ払いの戯言なんざ信用に値しねえっての」
「むぅ~……酔ってなくったって信用する気ないくせにぃ~」
「わかってんなら、そろそろ離れ――ろ?」

 ……完全に油断していた。ただの酔っ払いだと高を括っていた。
 まさか、ここまでするはずがないと思い込んでいた自分自身を、ジャミルはこの時確かに呪った。

「んぅ……っ!?」

 肩を押されたと認識した次の瞬間には、少女の顔が視界を埋め尽くし、そして口腔内に熱を感じた。それが彼女の舌だと理解するまでしばらくかかるほど、ジャミルは混乱していた。
 ねぶるような深い口付けから解放された時には、すっかり呼吸が乱れてしまっていた。
 いくら不意打ちとはいえ、男としてかなり不名誉な事実。けれど、そんなことを考える余裕もまだ回復していない。
 呆然としたまま呼吸を整えようとしていたジャミルの目に、小さく舌を出して笑う少女が映って。

「……これで少しは信じる気になった?」

 小悪魔のようなその笑顔。
 今まで幾度となく見てきたそれに、ようやくジャミルに思考力が戻った。――が、正しく回転し出した思考回路が認識した現状には、正直、再度思考力を手放したくなった。
 男としてのプライドを総動員させて弱気な思考を追い払い、ジャミルはを睨む。

「なるわけねえだろ! 何だ、この状況!? 何で男のオレが組み敷かれてんだよ!!」
「食べちゃいたいくらい、ジャミルがかわいいから♪」
「その答えのどこに信用できる部分があるってんだよ!?」
「愛情表現は人それぞれでしょ~?」
「からかって遊べるオモチャ扱いの間違いだろ!!」

 夜であることも忘れ、ひたすら反論を繰り返す。口以外に自由になるものがないが故の、唯一の抵抗手段だからだ。
 けれど――ジャミルは息を呑む。
 の雰囲気が、ガラリと変わったのだ。
 己の腹の上にまたがり両手首を上から押さえつけている人物が、妖しい光を宿した目で見下ろしてきながら舌なめずりをしたりしたら……肉食獣に捕食されかけている草食動物の気分に陥ったとしても無理はないと思う。
 そんな言い訳を頭の片隅でしながらも目が逸らせないジャミルを面白がるように、目を細めたはすっと身を沈める。そして――


「いくらアタシでも、誰彼構わずこんなことはしないわよ?」
「――っ」


 普段とは全く違う、低く艶めいた声が、吐息がかかるほどの近さで囁きかた。
 そしてそのまま弱い耳を舐められ軽く歯を立てられて――ジャミルはぞくりとする。
 ジャミルの反応に対して、実に楽しげな笑い声がから降る。
 耳元で笑うな、と。思いはしても反論はできなかった。今口を開けば、男としては非常に不名誉な声が出そうだったから。そう判断できてしまうほどに、の責めは的確だった。
 抵抗したくても押さえつけられた手はびくともしない。酔っ払いのくせに何故ここまで力が出るのか。それだけ力に差があるということなのだろうが、体格差は明らかにジャミルのほうが有利なはずだ。けれど、密着したやわらかな体が、あたたかな体温が、抵抗する力を、意志を、ジャミルから奪う。

「っ」

 成人済みだと自称したのは真実だったということなのか。けれどジャミルとて疾うの昔に成人済みだ。なのに、何だ、このテクニックの差でも男として敗北感を覚える気がするのは。
 そんなことでも考え続けていなければ流されてしまいそうになっていたジャミルは、再び息を呑んだ。
 あとは眠るだけのつもりだったから、緩めていた襟元。それが災いし、露になった首筋を吸われたのだ。更に喉元を舐めた後、の頭はジャミルの胸の上へ移動して。

……っ、待――」

 本気でヤる気じゃないだろうな、と。
 ようやく声を出せたジャミルは、けれど言葉を止める。の動きが、止まっていたからだ。
 上がった呼吸を整える間に、体にかかるの体重が増す。手首をがっちり押さえ込んでいた両手からも、力が抜けていって。

「……おい、?」

 ようやく自由になった手で少女の体を揺すってみるが、案の定規則正しい寝息が返るだけ。
 助かったという安堵から、ジャミルの口からは深い深い溜息が出た。
 やはり相当酔っていたらしい。ただの酔っ払い。タチの悪い酔っ払いだ。本当に……

「煽るだけ煽って酔い潰れるとか勘弁してくれよ……」

 無意識に口から出た呟きに、ジャミルは目を瞠る。
 いや、男としては何も間違ったことは言ってない。言ってないのだが……
 つまり、何だ? 存外その気になっていた、ということ……に、なる、のか……?
 思い至った思考を、頭を激しく追い払おうとした、その脳裏に。

 ――いくらアタシでも、誰彼構わずこんなことはしないわよ?――

 艶めいた声の台詞が、蘇って。
 ジャミルは己の上で寝息を立てている少女の顔を覗き込む。……実に幸せそうな寝顔だ。
 酔っ払いの戯言は信用に値しない。朝になれば綺麗さっぱり忘れているだろう。――けれど……
 思い出される、の日常。基本的に笑顔で、バーバラやアイシャとは女同士楽しげに話していることが多い。グレイやホークに対しても笑顔を絶やすことはない。理解できない言動が多くて周囲が一瞬困った雰囲気になるのも変わらない。
 ただ、ジャミルに対しては――何故か必ずと言っていいほどからかってくる。からんでくる。悪戯っ子のような笑顔ばかり見てきたつもりだった。
 ……でも、そうだ。ジャミルの姿を認めたその一瞬、心から嬉しそうな笑みを咲かせていた。すぐに小悪魔スマイルに変わるので、気付いていなかったが。――否、気付かないようにしていただけ、か……

 ――愛情表現は人それぞれでしょ~?――

 よくよく思い返してみると、確かにその通りだと認めざるを得ない。そして、ジャミル自身も、反射的に抵抗してはいたが、心の底から嫌だとは思っていなかったのだと……
 認めたくはないが、認めざるを得ないらしい。

「マジかよ……」

 呟き、前髪をかき上げる。――と、が小さく身じろいだ。ジャミルに抱きつき、軽く頬ずりをして。

「んふ……ジャミル、だぁいすきぃ……」

 寝言を、呟いて。再び規則正しい寝息に戻った。
 ジャミルは盛大な溜息を吐いた。
 自分の気持ちを自覚した途端、己の上にあるこのぬくもりを愛しく感じるこの不思議な体験。けれどそれを素直に喜べないのだ。
 何故ならば、この先もあの派手なスキンシップ……悪戯を受け続けることになるのは必至……下手をすると、より過激になる可能性すらありうるのだから。
 一番の問題は、それも悪くないと感じ始めていることだろう。

「……確か、エルフってのは人を誘惑して正気を失わせる妖精、だったよな……」

 以前、ジャミルの尖った耳を見てエルフの子孫じゃないのかとか少女が言ってきたことを、ふと思い出した。
 エルフは、必ずしも耳が長いわけではなく、体の一部が人間と違うだけで、そこさえ隠してしまえば外見は人間そのものという妖精だったはず。その美しい容姿を以って、人間に紛れて人間を誘惑し、その人間を自分の国へさらって行ってしまう魔性。そして、誘惑された人間は正気を失い、二度と元には戻らない――
 は、『美しい』というよりは『可愛らしい』外見だが、性質的に考えるなら充分エルフにたとえられるだろう。
 ならば。

「オレも、もう正気じゃねえってことで片付けちまって、いいよなー……」

 素直に、認めてしまおう。が、好きなのだと。悪戯も含めて嫌ではないのだと。
 苦笑を浮かべ、ジャミルはの体を抱きしめる。自分よりずっと小さな体。けれど、そのあたたかさには心休まるものがある。
 ふっ、と。息をこぼし、幸せそうな寝顔を刻むその額に軽く口付けて。

「オレも、おまえが好きだ。だから、今度は素面の時に言ってくれよな」

 そうしたら、かっさらってやる――と。
 悪戯返しのつもりで、そっと囁いた。





「ちょいと、これだけ御膳立てしてやって何もしないのかい!? よもやあの男、不能じゃあないだろうね!?」
「バーバラ……」

 ジャミルたちがいる隣の部屋で、壁にコップを当ててまで聞き耳を立てていたバーバラが声量を抑えつつも声を荒らげた。
 その姿に呆れた眼差しを向けているのはアイシャだ。
 男性陣はというと、余裕の笑みでテーブルの上の金に手を伸ばす。

「賭けは俺達の勝ちだな」
「そもそも、酔わせるほうを間違っているだろう」
「きぃーっ」

 悠然としたホークと、淡々としたグレイの言葉に。
 バーバラは悔しそうに奇声を上げたのだった。

END