(仮) 【暗殺者ギルド】編

「眠らないのかい、
 夜着に着替える様子もなくベッドに座り込んでいるへと、バーバラは声をかけた。
 酒は口にしていないはずだから酔っているのではないと踏んではみたが、まだあまり付き合いは長くないので判断に困ってのことだ。弱い人間は、料理に含まれる僅かなアルコールでもダウンするものだから。以前共に旅をしていた芸人仲間がそうだったのだが……
 俯いていたが問いかけに顔を上げ、バーバラのほうを向いた。けれどその目は彼女の更に奥にある窓の外を見ているようで。
「……何かしら……胸騒ぎのような、嫌な感じがするの」
 ぽつりと呟くように答えた声は、不安と、けれど確信が込められている気がした。
 一度瞑目したが、すっと立ち上がるのを、バーバラはじっと見つめていた。



 不穏な気配で目を覚ましたジャミルは、反射的に枕元に置いてある己の得物に向けて左手を伸ばした。――けれど。
「っ!?」
 目的を果たす前に、その動きは止められてしまった。
 はじめに認識できたのは――熱。それが左手に突き立てられた刃による傷の故だと理解できたのは、その凶器を深くねじ込まれてからだった。
「――――っ!!!」
 襲う激痛に上げた悲鳴は、襲撃者の手によって握り潰された。
 力任せに己の口を塞いでいる襲撃者の手首を右手で掴むも、それ以上どうすることもできない。更にねじ込まれた痛みに耐えるため、爪を立てるぐらいしか。
 呼吸すらままならず、霞み始めた視界。夜の闇に白い仮面だけが浮き上がっているように見えた。
 ――暗殺者。
 依頼を受けたばかりで、まだ何の動きもしていないというのに、この襲撃。先手を打たれたということか、と。
 そのようなことを考える余力すら、今のジャミルにはなかった。ともすれば痛みで飛びそうになる意識を保つだけで精一杯なのだ。
 今、意識を失えば、確実に殺される……生への執着だけが、今のジャミルを支えていた。
 ――と、その時だった。

 ――コンコン。
「ジャミル……起きてる?」

 ノック音と共に耳に届いた女の声が、ジャミルに思考力を取り戻させた。
 砂地に水が染み込むようにその声は麻痺した脳に染み込み、声の主の姿を鮮明に引き出した。それが引き金となり、生への執着だけだった心に新たな思いが加わり、思考力を、現状把握能力を、急速に高めた。
「寝てるんじゃないかい?」
「……あ、でも開いてるわ」
 扉の向こうの会話、ドアノブが回された音。
 己の上に馬乗りでいる暗殺者の右手が動き、三本の細いナイフが窓から差し込む月明かりを反射させるのが見えて。
「ジャミル? いるの?」
 暗殺者が扉へ向けてナイフを構えた、その時。ジャミルは未だ己の口を塞ぐ暗殺者の左手を渾身の力で払いのけた。
 暗殺者の注意が一瞬、ジャミルに向く。廊下から新たな光が室内に入り始めて、その注意は再びそちらへ。
「っ、開けるなっ!!」
 ようやく自由になった口で、ジャミルは鋭く叫ぶ。仲間を守るためにできることは、それしかなかった。
 しかし――ジャミルが警告を発したのと、扉が開ききったのと、暗殺者が扉を開けた者に向けてナイフを投げたのとは、ほぼ同時だった。
「っ、危ないっ!!」
 ジャミルの警告が利いたのか、異変を素早く察知したバーバラが、の体を押し倒す。間一髪、ナイフは廊下の壁に突き刺さっただけで本来の目的を果たすことはなかった。
 仲間の無事に安堵を覚える間もなく、ジャミルは暗殺者に首を絞められた。片手であるのに的確に気道を塞がれ、一気に意識が霞む。
「が、は……っ」
 手負いの者から先に始末しようというのか、暗殺者が己へと細剣を構えるのが、かろうじて認識できた。――その時。
「ジャミルっ!!」
「――『スターライトビット』!」
 が術法により生み出した輝点が太陽のように強く輝いた。
「くっ」
 暗殺者が、小さく呻いた。恐らく、闇に慣れた目が光によって灼かれ一瞬でも使い物にならなくなったのだろう。
 大きく体勢を崩したその隙。足りない酸素を大きく吸い込んで補給すると同時、ジャミルは己の左手に刺さったままのナイフを右手で引き抜き、それを暗殺者に向けて振り上げた。
 確かな手応え。カンッ、という硬い音。
 徐々に光が収まっていく中、仮面が宙を舞い、そして暗殺者の素顔が晒されていた。
 未だ己の上に馬乗りになったまま、凶器を手にする暗殺者の、その顔に。
 ジャミルは、目を瞠る。
 誰が間違えようとも、たとえ視界が多少霞んでいようとも、ジャミルだけは見間違えるはずがない顔が、そこにはあった。
 幼い頃から、スラムのような汚いこの町で共に生き抜いてきた。
「……ダウ、ド……?」
 己の相棒の名を、ジャミルは呆然と呟いた。



 胸騒ぎがしていたのは本当。けれどが眠らなかった理由はそれじゃない。
 はじめから、知っていたから。暗殺者ギルドのイベント発生中に南エスタミルの宿の泊まると、暗殺者が襲ってくることを。
 は、知っていた。
 ――けれど……
 その正体がダウドだなんてことは、知らなかった……っ!

 仮面が弾け飛び、暗殺者の素顔が光のもとに露になる。一拍遅れて、その首筋から鮮血が噴き出した。
 噴き出す鮮血の勢いに押されるように、その体が傾ぐ。ベッドの上にあった体が床へと崩れ落ちていく様が、まるでスローモーションのように見えた。
「ダウ、ド……ダウド!?」
 今し方、自分を殺そうとしていた暗殺者を斬りつけたナイフを投げ捨て相棒の名を叫ぶジャミルの声に、も我に返る。
「っ、『ムーンライトヒール』っ!!」
 急いで魔力を編み上げ、癒しの術をダウドへ施す。しかし、余程傷が深いのか、それとも傷つけられた場所に問題があるのか、なかなか傷は塞がらず血溜まりを広げていく。
「ダウド、しっかりしろ!」
 躊躇うことなくダウドを抱き起こし声をかけるジャミルの夜着が見る間に赤く染まり、術の効果が薄いことを如実に現していて。
 『ムーンライトヒール』を維持しつつ、はもうひとつの術を編み上げた。
「『生命の炎』!」
 外から癒すと同時に、ダウド自身の生命力を高めて内側からも回復を促す。
「ダウド! なんで、なんでおまえが……こんな……っ」
 頬を叩いて注意を向けようとするジャミルに、けれどダウドが目を向けることはなく。どこか一点を見つめるその目はうつろで、明らかに正気ではなかった。
「……ギルド……ばいざ、い……っ」
 荒い呼吸の間から出た言葉もまた、彼の心から出たものとは思えなかった。
 『ムーンライトヒール』は、精神系の異常をも治癒できるはずなのに……それすら効果がないかのよう。は唇を噛む。
 ――と、うつろだったダウドの目に、光が宿った。どこを見ているのかわからなかった目が、ジャミルの姿を捉えると、涙が浮かぶ。
「いたいよ……っ、死にたくないよ……っ」
「ダウド!?」
 彼らしいその言葉が、確かに正気を取り戻したことを告げる。だが、到底安堵できるものではない。
「お願い、塞がって……っ、『ムーンライトヒール』っ!!」
 未だ流れ続ける血液が、容赦なくダウドを死の淵へと追いやっていく。はありったけの魔力をこめて、癒しの術を重ねがけした。
 ――けれど。
「タルミッタの、西に……っ、……ジャミル……ごめんよ……」
 救いを求めるかのようにジャミルへと向けられた手が、床へと落ちた。あれほど荒く耳についていた呼吸が、消える。ジャミルの腕の中で、ダウドの首が重力に従って傾いて。
「ダウド! ダウドっ!?」
 どんなにジャミルが呼びかけても、揺すっても。その体が自ら動くことは、なかった。
「そん、な……っ」
 癒せる力はあるはずなのに、救えなかった無力感。手を尽くしても零れ落ちてしまった命への絶望感。それらが立つ力を奪い去り、はその場に膝をついた。
「ちくしょおおぉっ!!」
 突然、ジャミルが吼えた。
「許さねえ……っ、ダウドをこんなにしたヤツ、絶対殺してやるっ!!」
 それは、今まで聞いたこともない、憎しみに満ちた声だった。
 ダウドの亡骸を抱き、どこか一点を睨みつけるジャミルの表情は、涙を浮かべることもなく怒りと憎しみに染まっていた。
 ムードメーカーともいえる普段のお調子者の姿は、どこにもない。大切な者を理不尽に失えば、当然なのかもしれないけれど……それでも、見ていられないと、は感じた。危険だ――と……
 が感じたことがすぐに現実となる。ダウドを抱えたまま立ち上がったジャミルがどこかへと一歩踏み出した、その時。その体が、ぐらりと傾いだのだ。
「ジャミルっ!?」
「おっと、と!」
 咄嗟にバーバラが手を伸ばしてくれたお陰で床に激突することはなかったけれど、流石のバーバラでも痩身とはいえ大人の男二人を支えきるのは無理があったらしく、己を下敷きに共に倒れ込んでしまっていた。
「バーバラ、大丈夫!?」
「あたしは平気だよ。でも、ジャミルは……」
 上体を起こし、庇ったジャミルの顔を覗き込むバーバラ。苦悶の表情を刻むジャミルの目は堅く閉ざされ、意識がないことは明らかだった。それでも尚ダウドを離さないその腕が、彼にとって如何にその存在が大きかったかを物語っていた。
「ジャミル……」
 ジャミルの手に触れたは、はっとした。彼の左手にある深い傷に、ようやく気づいたのだ。
「『ムーンライトヒール』」
 もう一度、癒しのために魔力を編む。魔力による月光がやわらかくジャミルの上に降り注ぎ、傷を癒していく。――けれど。
「う……っ」
 ジャミルの眉間には更に深くしわが刻まれ、彼は無意識に左手を握り締めた。まるで癒しを拒むようなその行動の所為か、傷口はその大きさを縮めはしたが完治することはなかった。
「ジャミル……」
「無理するんじゃないよ、。あんたまで倒れるよ」
「……っ」
 は俯き、唇を噛む。
 これが、現実だというのだろうか。癒しの術があっても万能でも即効性があるわけでもない……ゲームとは違う、これが現実だと……
 それとも、これが『定め』だからだろうか。『アサシンギルドの暗殺者』が襲ってきて、そして倒さなければならないというのが、この世界が定めた『運命』だから、逆らえないとでもいうのだろうか。
 もし、そうだというのなら、人間は――自分は、何だというのだろう。
「……?」
「バーバラ……ジャミルを、お願い。わたしのベッド、使っていいから」
「あんたはどうするんだい?」
 ぐっと一度きつく拳を握り締めた後、はジャミルの手を解いてダウドの亡骸を床に横たえた。開いたままの瞼を手でそっと下ろした後、力を入れ、立ち上がる。
「エルマンと、ダウドの亡骸を……っ」
 埋葬する、とは言えなかった。
 バーバラも特に何も言うことはなくただひとつ頷いて了承してくれたので、はその場から逃げ出すように馬車の元へと向かった。

END