「あんたの持ってるそのアイスソード、渡してもらうぜ!!」
「ジャミルさん!?」
フレイムタイラントから出された交換条件であるアイスソード。その購入者を探し、見つけた、刹那。話し合うということをせずいきなり斬りかかっていくジャミルに、アルベルトは非難の声を上げた。
彼が盗賊だということは聞いていたが、今まで共に旅をしてきて見た限りではこのような手段に出る人物だとは思えなかった。隠していた本性を現したとも何故か思えず、この変わり身にただ疑問だけが湧く。
だが、今は彼の暴挙を止めるのが先。一瞬でそう判断を下したアルベルトが動き出すよりも早く、彼の横を走り抜けた影。
「この盗人が! 正義の刃を受けるがいい!!」
当然の怒りを表し、身を守るためアイスソードを構えるガラハド。高く跳び、全体重をかけてレイピアを振り下ろすジャミル。迎え撃つべくガラハドが下段からアイスソードを振り上げるように動く。
その、緊迫した、両者の、間に。
「さん!?」
滑り込み両手を広げ無防備な姿を晒すその人物に。
アルベルトは悲鳴にも似た声でその名を叫んだ。
目の前にいたのは、アイスソードを持った大柄な男。そいつに向けて確かに剣を振り下ろしたはずだった。
だが今、刃の先にいるのは一人の女。両手を広げ、真っ直ぐにこちらを見据えるそれは、仲間の一人、。
「――っ」
フラッシュバックする、あの夜の出来事。己が与えた傷から血が噴き出し、倒れた、相棒の死に顔。
一瞬後、それがへとすり替わった。
――嫌だ、と。ジャミルは咄嗟に思った。
もう大切な者を自分の手で壊したくない――!!
そして、止まれ――と。
己に念じたのは、ガラハドも同じだった。
盗人の仲間であるのは間違いないだろう娘。けれど、まるで己を庇うかのように両手を広げ無防備にその背を向ける存在を斬ることは、ガラハドの正義に反する行為。
神に仕える己の矜持を汚さぬため、相手の刃を受けるべく踏み込んでいた足に逆の力を加え、振り上げかけていた剣を止めようと全神経を総動員させた。
誰にとっても長く感じた刹那の間。
「はっ……は……っ」
肩で荒く呼吸を繰り返すジャミルのレイピアは、鞘持つ左手で軌道を逸らせて鞘と共にの足元のレンガを砕いて刺さり。
「……っ、はぁ」
同じく荒い呼吸をするガラハドのアイスソードは、彼女の脇で寸止めされていて。
長い髪のいくらかが切れた程度で、ふたつの刃は彼女を傷つけることなく済んだのだった。
の無事な姿に安堵の息を吐き出したアルベルト。しかしすぐに怒りが胸中を満たし始めて。
「ジャミルさん! 一体何、を――」
原因であるジャミルに、感情のまま暴挙に出た理由を問おうと声を荒らげた。
けれど、肩を強く掴まれ、言葉は止まる。
何事かと見れば、シフが険しい表情で彼らのほうを見ていて。その視線の先を追ったアルベルトは、息を呑んだ。
が、こちらを見ていたのだ。
――今は何も言うな、と。強い意志を宿す彼女の瞳が訴えているのがはっきりとわかり、疑問は更に湧いたが拳を強く握りしめることで怒りごと押さえ込んで完全に口を閉ざした。
アルベルトが望み通りになったのを受けて、はジャミルへと視線を戻す。
先に呼吸を整え終え剣を下ろし戦闘体勢を解いたのはガラハド。気配でそれを察したのかも片腕を下ろした。けれど片腕はまだ水平に伸ばしたままで、ジャミルとガラハドの間を身ひとつで隔てている。
まるで、どんな不測の事態が起ころうとも止めて見せると決意でもしているかのようにが注視する中、ようやく呼吸を整え終え衝撃から立ち直ったらしいジャミルが顔を上げた。
「何してやがる!? 死にてえのか!?」
鋭い眼差しをもって出てきた怒声は、ある意味では当然と言えなくもない非難。しかし向けられたは静かに答える。
「それは、わたしが言いたい台詞だわ。あなたこそ何をしているの?」
「アイスソードが必要なんだろうが!!」
「何故話し合おうとしないの?」
アルベルトも思った疑問、問おうとした理由を、彼女は代言した。
同じ事を問うつもりでいたのなら、何故止めたりしたのか……その理由は、続けられた言葉が明らかにした。……理解は、できなかったが。
「今のあなたは、破滅を望んでいるようにしか見えないわ」
静かに告げられた断言。それはジャミルから荒ぶる気持ちと反論とを奪い去ったようだった。軽く目を瞠って言葉を失くした彼の隙を突くように、彼女は続ける。
「あなたがこの人に斬りかかったのは、アイスソードを奪うためなどではないのでしょう?」
「他に……何があるってんだよ……っ」
「わざと悪人を演じて、この人に殺してもらうため――違う?」
彼女の口から発せられた、思いもよらなかった理由は、その場にいた全員を驚愕させるのに十分すぎるものだった。何も知らないアルベルトとシフも、事実だとするならまさしく思惑通りに動かされたガラハドも、そしてジャミル本人も。息を呑み、目を瞠って、を見つめる。
全員の視線を一身に受けるは、やはり静かな眼差しをジャミルに向けたまま言葉を続ける。
「そうすれば、ダウドに会えると……そう考えたのではないの?」
……事情が何もわからないアルベルトには、理解できない言葉だった。――けれど。
「……違う……」
自分を見つめるから顔を背け、小さく否定を口にしたジャミル。
言葉では否定していても、その態度が図星を突かれたのだということを表しているということぐらいは、アルベルトにも読み取ることができた。
何も知らないアルベルトでもわかったぐらいだ。全て承知しているが気付いていないはずはない。
「では、罰してくれる誰かを求めたから? 自分で自分を追い詰めるだけでは足りなかったの?」
わかっていて指摘をやめようとはしない。
顔を背けたまま俯くジャミルは、手にした鞘と柄とを強く握り締め何かに耐えているようにさえ見える。
ジャミルを、追い詰めるような言葉ばかり選んでいるようなに対しても、アルベルトは違和感を覚えた。他人を追い詰めるようなことをするというのが、あまりにも彼女らしくない、と。
「んなこと……してねえよ……っ」
「左手」
やはり否定を返したジャミルに、は短く即、言葉を返す。その単語にジャミルの左手が僅かに反応した。
「何度癒しの術をかけても完治していないのは、あなたがそれを拒んでいる証拠ではないの?」
……怪我をしているなど、アルベルトにとっては初耳の事実。
鞘を強く握るジャミルの左手には、今は傷など見当たらない。手袋をしているわけでもなく、包帯を巻いているところも見た覚えはない。ということは、傷があるのは手の平ということになる。
そういえば、とアルベルトは記憶を引っ張り出す。
初めて北エスタミルで会い、話をした時は、何の違和感もなかった。至って普通の様子だったはずだ。
だが、クリスタルシティで再会して以降は――常に何かを持っているか、握っているかしていて、左手を開いているところを見ていない気がする。あまりに自然体を装っていたので、今指摘されるまで全く気付けなかった。
それは、傷口を見せないためなどではなく、傷が癒えないよう握り締めていた、ということ……?
「……知らねえよ……偶然だろ」
あくまでもしらばっくれるつもりのジャミルに、けれども退かない。
「なら、眠りを拒んでいることについては、どう言い訳する気?」
言葉と共に足を進め、ジャミルとの間にあった僅かな距離を詰めた。
「術をかけても、薬を盛っても、朝まで眠っていてくれたことはなかったわ」
……宿に泊まった時はどうかわからないが、野宿の時は確かにジャミルがいつも見張りを買って出ていた。盗賊だから夜は目が冴えるという、アルベルトには到底理解できるはずのない理屈で。
同じく野宿の時の食事は大抵が用意してくれて、スープをよそって手渡してくれてもいた。つまり、あの中に睡眠薬が仕込まれていたということなのだろう。
あまりにも自然体過ぎて疑問を抱くことすらなかった行動の裏に、こんな思惑が隠されていたなんて……アルベルトは、もはや言葉を失うしかない。
「自分を追い詰めることが目的でないのなら、何故そこまで頑なに眠ることを拒み続けているの?」
「知らねえって言――っ!?」
ようやく顔を上げ反論の声を荒らげたジャミルは、途中で続くはずだった言葉ごと息を飲み込んだ。
至近距離にいたが、己に向いた彼の顔を両手で包み込み、その目元を指で拭ったから、だろう。
「こんなに酷いクマ、この程度の小細工で誤魔化せていると本気で思っていたの?」
国民性として派手好きだと言われているクジャラート人だからなのか、ジャミルは男性でありながら爪に色をつけ顔には化粧も施していた。それがなくなった目元には彼女の言う通り、濃いクマができていた。……アルベルトは、今になるまで全く気付いていなかった事実……むしろ化粧によるものだと思っていた。
再び顔を逸らそうとしたジャミルの行動は、が既に阻んでいた。どんな虚言も見抜こうとでも言うのか、両手で彼の顔を包むように押さえ、その空色の瞳を至近距離から捉えて、静かに告げる。
「気付いて、いたわよ。バーバラも、エルマンも。だから二手に分かれることになった時、あの二人はあなたのことをわたしに託して行ったの。わたしなら癒しの術と眠りの術、両方使うことができるから」
アルベルトの脳裏に、スカーブ山でのことがよぎる。
カクラム砂漠とリガウ島。どちらへ行きたいかを一人、また一人と言っていく中、三人の間で交わされていたアイコンタクト。そしてだけが、最後に「ジャミルについて行く」と、場所ではなく人の名を挙げていた。
その、理由が、つまり――
「バーバラもエルマンもあなたのことを心配している。あなたが壊れてしまわないように、自ら命を絶つことがないように願っているわ」
ジャミルの心と、命を守るため。
そういう、ことだったのだ。
「それでもあなたは、ダウドの後を追いたいの?」
「オレ、は……っ」
至近距離で真っ直ぐに見つめられ、目を逸らすことすら叶わないジャミル。責めているわけではないどこまでも静かな問いかけに、もはや言い訳すら考えられないようだ。
「あなたの夢は、神々の至宝であるディステニィストーンを手にすることではないの? その夢をも捨ててしまうの?」
の声音に、変化はない。けれどその言葉には、前へ……未来へ目を向けてほしいという願いが込められているように思えた。
――けれど。
「……いらねえよ……」
ぽつり、と。ジャミルの口から答えが返る。
「自分で、自分の、大事なもん壊しちまうぐらいなら……もう何もいらねえよ!」
全てを否定するようなその言葉が、の願いは届かなかったのだと告げた。
そして、もうひとつ。
『戦力』は必要でも『仲間』はいらない。そう言っているかのようにも聞こえるその言葉が、ジャミルの態度がどこか一線引かれている気がしていたその感覚が間違いではなかったのだと、アルベルトに告げられたように思った。
「世界のどこにあるとも知れねえもん探して、手にして、それでどうするってんだ……そのあと、オレは、どこに帰ればいい……?」
ようやく……ようやく引き出されたジャミルの本心。今度はが目を瞠った。
それは、アルベルトも同じだった。
アルベルトも、モンスターの襲撃によって故郷を、両親を、失った。それでも希望を失うことなく歩み続けているのは、姉の生存を信じているから。そして、ナイトハルトがいるからだと、今、自覚したのだ。
帰るべき場所……『故郷』とは、場所ではなく大切な者の許なのだと。アルベルトはジャミルに教えられた気がした。
ならば――それを失った時、人は、どうすればいいのだろう……?
アルベルトもまた、ジャミルと同じ迷宮に立った思いで、その答えを求めてに目を向けた。
「ジャミル……」
俯き、肩が震えるほどきつく剣と鞘を握り締めて何かに耐えるようなジャミルを目の前にして、の表情も苦しげに歪んでいた。
既に彼の頬に添えるだけになっていた手を握り締めたは、一度瞑目した。目を開いた時、彼女の顔には何かの決意が表れていて。
そうして告げられた言葉は――
「……ジャミル。もし、死者を生き返らせることができるとしたら……あなたは、どうする?」
困惑を与えるもの。
「何、言ってやがる……んなこと、できるわけ……」
「できる存在はいるわ。冥府の主、魂の守護者とも呼ばれる三邪神の一柱、死の王デスよ」
思いもよらない情報に目を丸くするしかないのは、ジャミルもアルベルトも同じ。
は構うことなく続ける。
「生きたまま冥府へ下る方法もあるわ。ただし、ただで願いが叶うわけじゃない。死者を蘇らせるなんて、世界の理に反すること……その上相手は邪神よ。デスの提示する要求に応えなければならない。死の王……その名に相応しいそれは、死の取引よ」
「死の……取引……」
「けれど、それが死者を蘇らせることのできる唯一の方法よ。……どうしたい?」
彼女が語った方法……それはアルベルトには到底希望を与えるものには思えなかった。まるで破滅を望むジャミルの願いを後押しするかのような話だ、と。――事実……
「……行く……冥府に行って、絶対ダウドを生き返らせてやる!!」
呆然としていただけのジャミルが力強く宣言した。その目にも迷いは消え強い意志が映し出されている。
けれど、それはとても危うい光にしか思えなくて。
「……わかったわ。行きましょう、冥府へ」
自身もそれはわかっているのか、ジャミルに同意を示したもののその表情はどこか悲しげに歪んでいた。
目を閉じたは、ジャミルの顔を引き寄せるとコツンと額を合わせて。
「ただ、これだけは忘れないで、ジャミル。たとえば、あなたがその命を犠牲にしてダウドを生き返らせたとしても、彼は決して喜ばないということを。それどころか、今あなたが抱えている苦しみを彼に負わせることになるだけだということを」
最後に、忠告を与えて。
「……?」
「『睡夢術』」
眠りの術を発動させた。
通常よりもずっと小さな羊がジャミルの帽子の上にちょこんと現れ、彼に眠りへ誘う霧を降らせる。途端にぐらりと傾いだその体を、は静かに抱き止めた。
の肩に頭を乗せるような形で完全に体重を預けきっているジャミルの両手から剣と鞘が滑り落ち、本当に眠りについたことを示す。
――カラン、カランッ、と。高い金属音を響かせてレンガの上に転がった鞘に目を落としたの表情は、苦々しいものに染まった。
動くに動けない彼女の代わりにそれらを拾ったのは――シフだった。
「……こいつは、確かに酷いね」
鞘を見たシフの表情も、と似たようなものになる。
鞘には、今さっき付いただけではない血が、こびりついていたから。
その、血の元――ジャミルの左の手の平には、が言った通り、癒えきることのなかった生々しい傷があり、今尚、血がにじんできていた。
の右手が、ジャミルの左手にそっと触れる。そして――
「……『ムーンライトヒール』」
静かに、癒しの術を編んだ。
アルベルトが知る彼女は、癒しの術といえばほとんど『癒しの水』を使っていた。『ムーンライトヒール』をあえて選んで使用したのは、恐らくジャミルの心の傷も癒えることを願ってのことなのだろう。
――けれど。
その願いに反して、傷の治りは芳しくない。彼の心の状態をそのまま表しているかのようなそれに、アルベルトは目を閉ざす。魔力の流れに意識を集中させて、一番馴染んだ形へと編み上げた。
「『ムーンライトヒール』」
それは己が使える唯一の術法。
彼女と同じ術法でも、彼女より効力は劣るだろう。それでも……
「二人がかりで癒せば、完治させられるでしょう。……少し、体に負担はかかるかもしれませんが……」
ジャミルの傷と同時に、の悲しみや苦しみも癒えてほしい。
「アルベルト……」
そう願って、己の名を呟く彼女へ向けた顔は、上手く笑えていただろうか。
泣きそうに表情を歪めたは、ただ目を閉ざして。
「……ありがとう……」
小さく、呟いた。
今の術法に対してだけではないその感謝に、アルベルトは小さくかぶりを振った。
多少痕は残ったものの、今度こそ完全に傷口を塞ぎきることに成功し、の口からは安堵の息がこぼれた。
しかしすぐに彼女は己の背後を振り返る。
そこには一部始終を、ただの一言も発することなく見守っていたガラハドがアイスソードを手にしたまま立っている。その顔は無表情のため、彼が何を思っているのか窺い知ることはできなかった。――けれど。
「とんだ迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」
「……いや、親しい者を亡くして日が浅いのなら、正気を失ったとしても不思議はない」
の謝罪を聞いた彼の対応は、聖戦士と呼ばれるに相応しいものだった。
赦しの言葉を受け、「ありがとう」と短く返したは、すぐに表情を改めて本題を口にする。
「でも、あなたの持つアイスソードが必要なのも事実なの」
ガラハドの表情が厳しいものに変わった。何も答えることなく、を見る。まるで真意を探るような目を、彼女はただじっと見返して。
どれほどの時が流れたのだろう。
ふ、と。ガラハドが目許を緩めて。
「良い目をする」
そう呟くと、不意にジャミルの体を肩に担ぎ上げたではないか。
何をする気か、と。驚くこちらに構うことなく、彼は路肩へと歩いていく。レンガの道を外れ、木陰の草の上にジャミルの体を横たえるガラハドの意図を一足先に察したが草むらに膝をついた。彼女のその行動の理由を、やはり察したガラハドは、ジャミルの頭を彼女の膝の上に乗るように下ろす。
そうして座り込んだと目線を合わせたガラハドが、答えた。
「理由を、聞かせてくれぬか?」
眠るジャミルを気遣って落とされた声量の要求。
はひとつ頷いて、静かに経緯を語った。
「バーバラ姐さん! ジャミルさんたちがいましたよ!」
もうすぐアルツールに着くと話していた少し後のこと。エルマンの突然の大声に、バーバラは彼のいる御者台へと身を乗り出した。
進行方向右手側、アルツールの入り口付近の路肩に、獣の頭骨をつけた特徴的な頭部がまず目に付く。その奥には半ば隠れるようにして金髪の頭部と翼のような形のマントも見えた。しかし、肝心のジャミルとの姿が見当たらなかった。
どこに、と。エルマンに問おうとした時、彼らの傍らに馬車は停まり、そうしてやっと目的の人物を見つけられた。
「!」
馬車から飛び降りたバーバラの目に映ったのは、木陰に座り込むと、彼女の膝の上で顔色悪く双眸を閉ざして横たわっているジャミルの姿。
最悪の事態が頭をよぎり、瞬時に顔が強張るのを自覚しながらへと目を向ける。しかし彼女はゆるく頭を振り、ジャミルへと視線を落とした。それを追ってみれば、規則正しく上下する薄い胸と、その上に丸まっている小さな半透明の羊がいて。
ただ単に『睡夢術』によって眠っているだけだとわかり、バーバラは緊張を解いた。――とはいえ、安堵には至らない。夜には程遠い半端な時間の野外であること、そして困惑の色が強くにじむ表情で立ち尽くしていたシフとアルベルトを見れば、何かがあったことは明白だったから。
一体、何があったというのか。
「ジャミル!? え、どうしたの!?」
バーバラが口を開くより早くアイシャの驚いた声がその場に躍り、バーバラの心臓が跳ねた。
「何があったの、?」
「大丈夫。ただの睡眠不足よ」
「え~、ジャミルが?」
の静かな声が、バーバラに冷静さを取り戻させる。
一瞬真っ白になった頭が、現状を正しく思い出していく。バーバラは大きく息を吸った。
確かに何があったのかは気になるが、今はそれを問う時ではない。特に、何も事情を知らない者たちの前では。……ジャミルは、決してそれを望まないだろうから。
吸った息を長く吐き出したバーバラは、いつもの表情に戻って口を開く。
「ちょいと張り切りすぎて、うっかり寝るタイミングを逃しちゃったってだけの話よ。ね? 」
寝不足になるということは、何か心配事とかで頭が一杯になっている状態だと思うのは自然なこと。楽天的なジャミルにはあまりにも似つかわしくないとありありと訴えるアイシャに、バーバラはの言葉をそれっぽく言い替える。そして同意を求めれば、察した彼女はしっかりと頷きを返して。
「そっかー。うん、ジャミルらしいかも」
無事、アイシャを誤魔化しきることに成功。これ以上、変に疑問を抱かれる前に話題を変えてしまおうと、続けて口を開く。
「次の目的地は決まってるのかい?」
問いながら、さっと周囲に目を走らせて、改めて状況を確認する。
ジャミルのレイピアは――シフが持っている。さりげなく普段ジャミルが掴んでいる場所を持って、そこにあるだろう汚れ――血痕を隠していた。
その血の元である彼の左手は――力が抜けた状態で開いており、傷跡はあれどもう血は出ていなかった。
あと気になることがあるとすれば……見慣れぬ男が一人増えていることだ。
「リガウ島のトマエ火山よ」
「あれ? まだ行ってなかったの?」
アイシャの素朴な疑問に、は頭を振って傍らに立つ例の見慣れぬ男へと視線を向けて、答えた。
「いいえ。フレイムタイラントの要求してきたアイスソードを探してここまで来て、それを持って引き返すところなのよ」
アイスソード……その名の示す通り氷を思わせる青い透明な刀身の大剣が男の手にはあった。つまり、新たな同行者――仲間、ということになる。
とはいえ……ジャミルが前後不覚に陥っている場に新たな人物とは……何があったのか考えると嫌な予感しかしない。
けれど――バーバラは再びジャミルの寝顔を見た。――と。
「あれ? ガラハドじゃん」
馬車からミリアムの声が降る。それに応じたのは、例のアイスソードを持つ男。声のした方向へと顔を向け、相手を確認すると親しげに声をかけた。
「おお、久しぶりだなミリアム。おまえもいたのか」
「まぁね。なかなか面白いよ、このメンバーも。っていうか、ガラハドも加わったってことだよね?」
「ああ、そうなるな」
ミリアムと顔見知りらしい男は、ガラハドという名らしい。しかし、やはり同行する旨を告げた時の物言いが微妙だ。本当に、何があったものやら……
不意に、が顔を背け身を硬くしたのが視界の隅に映った。馬車へと目を向ければ、丁度ナイトハルトが降りたところで。得心がいったバーバラは溜息をひとつつくと、声を上げる。
「ミリアム、御者台に移ってくれいないかい?」
「別にいいけど?」
「で、王子さん。悪いけどジャミルを馬車に運んでもらってもいいかしら?」
「ああ、構わん」
「アイシャ。あんたたちは先にヨービルで宿をとっておいてくれるかい? ジャミルを休ませてやっててほしいんだけど」
「うん、わかった。任せて!」
バーバラの突然の指示にきょとんとしたミリアムも、ナイトハルトへの言葉で得心がいったようだ。とどめにアイシャに先へ行くよう頼めば、あっさり了承が返る。ジャミルのことを何も知らない面々を遠ざけるための指示だが、指示された者たちでその思惑に気付く者は――誰もいない。
……まあ、ナイトハルトなら気付いているかもしれないが、彼に関してはジャミルのためではなく、のためだからそちらを気付かれなければいいのだけれど。
ジャミルを運ぶため己に近付くナイトハルトを、はわざと視界に入れないように顔を背けている。彼が馬車へと戻っても、その姿勢のままだ。ジャミルを乗せ、バーバラの指示通りに馬車が出発してから、ようやく彼女は小さく息をついて立ち上がった。
バーバラが見る限り、は最初から徹底してナイトハルトを避けていた。ナイトハルトを見る限りでは、特に彼女に対して興味を示してはいないようなので、何かがあったというわけではなさそうだ。かといって単なる好き嫌いという感情的な理由でもなく、何故かはわからないが、ただひたすらに警戒しているのだ。
一体ナイトハルトの何をそんなに恐れているというのか……聞いても答えないことぐらいはわかるので聞く気はないが、バーバラは溜息をつくことで様々な疑問に対するもやもやした気分を払拭して、頭を切り替えた。
「やっと吹っ切れたのかい?」
そうして尋ねたのは、ジャミルのこと。一番切迫している問題なのは明らかだから。それでも、顔色は悪くても表情に苦悶の色がなかったということは、やっと解決に向かったのかと。
期待を込めた問いに対して返ってきたのは――否。
「吹っ切れた、というのとは違う気がするわ。……漠然とした夢よりも、確固とした目的があるほうが、その分だけは立っていられる――そんな状態、なんだと……そう、思う……」
つまり、ディステニィストーン云々では立ち直らせるには至らず、別の何かを目的として示したということ、か……。その何かは――シフたちの表情を見る限り、あまり良いものではなさそうだ。特にアルベルトの表情は暗く、沈んでさえ見える。
「なぁに? 芯は折れたままってこと? 男って厄介な生き物だこと」
溜息と共に愚痴をこぼすと、馬車の去ったほうを見ていたがこちらを向いた。
「男だから、なの?」
「……あんただったら、どうする?」
酷く不思議そうな問いかけに、問いで返す。
は瞑目し、考え込んでいるようだった。ややあって目を開けた彼女は、ただ真っ直ぐに前を見据えて。
「もし、わたしが同じような状況になったとしたら……それでも生きることを選ぶと思う」
迷いのないその答えに、バーバラはふっと笑みを浮かべる。
「あたしもだよ。つまりは、そういうことさ」
男が肉体的に強くできているなら、女は精神面が強くできている。男は夢を見、女は現実を見る。夢破れた時、男は簡単に絶望し、女はそれでも生きる道を、希望を探し出す。
持って生まれた性質の差――ただ、それだけの話なのだ。
まあ、とにもかくにも。
「とりあえず、あの左手を開くことができたんだから、少しは改善してるのは確かだろう? 今はそれでいいじゃない」
バーバラとしては、ひとまず安心できることだと思えた。
けれど、それでもまだの表情は浮かないままで。
「そう、ね……」
言葉では同意を示しつつもとても納得しているようには見えない様子で、ヨービルに向けて歩き出した。
END