黒き流星の想い

 『王の番犬』というその獣は、とかく不思議な存在だった――……


「――『右目』、
 城下町。刺客の相手をしていた『王の右目』である青年と『王の番犬』である獣は、主人である王の呼び掛けで共に動きを止めた。
「金で雇われた雑魚だ。放っとけ」
「しかし!」
 逃げる刺客を追うなという王に、反論したのは青年だけ。慣れているのか、それとも絶対服従のためか。獣は既に戦闘態勢を解き、ただ去っていく刺客を見つめている。
 護衛役の二者、それぞれの反応を瞬時に見定め、王は青年にだけ言う。
「逃がしたって、誰もおまえの腕を疑わねーよ」
 そういう理由での反論ではない。
 周囲に刺客が消えたのを確認して剣を納めながら、青年は口を開く。
「逃がせば再び襲撃されます。暗殺の芽を摘むには確実に潰すしか――」
「また来たら、またおまえが追い払え」
 青年の心配もどこ吹く風。
 自ら危険を残しておくような判断に、けれど従うしかないのが護衛というもの。
 溜息をつきたい気持ちを押し殺していると、不意に銀公の顔が動いて。
「ん? どした、?」
 銀公の言葉で、王と青年の視線は獣へと向いた。
 獣はその場に座り込み、俯いている。倒れている刺客を見つめているように見える。
「おい、?」
「――え?」
 再度、今度は王が呼びかけると、耳がピクッと跳ねて振り返った。ひどくきょとんとした様子に、呼びかけたほうが面食らった模様。余程珍しい状況らしく、王は訝しげに問う。
「どうかしたのかよ?」
「あ……いえ……」
 歯切れの悪い答えを返すと、また刺客へと目を向けてしまう。そのまま少しの間が空いて――顔を上げ、どこか遠くを見つめて――言った。
「どうして人は、こんな形で玉座を求めるのかしら――と、思って……」
 刺客の相手に疲れたかのような言葉に、王はがしがしと頭を掻く。
「んなもん、権力欲しさに決まって――」
「王は、『統治者』であって『支配者』ではないのに……負うべき責務に目を向けず、何故己の支配欲を満たす道具として玉座を欲するのかしら」
 王の言葉を遮り言われたのは、嘆きにも聞こえる呟き。刺客の相手をすることに飽きた愚痴ではなく、簒奪を企ててしまう者――その存在そのものへの嘆きのような……
 それは、ただ主人である王を護るためだけではない何かを含んでいる響きだった。
 王と銀公は一瞬だけ視線を交わすと、揃って溜息をついて。
「それを理解できてりゃ簒奪なんて考えねえっつーの」
「欲に目が眩んでる奴にゃ、現実なんて見えてねえってことだろ。考えるだけ無駄なことで嘆くなんざ、アホくせえだけだぞ」
「……そう、ね……」
 一応同意は示したものの、まだ気持ちの切り替えが出来ない様子の獣。未だ遠くを見つめたままのその後ろ姿を眺め――何故、という疑問を青年は浮かべた。何故そのような考え方が出来るのだろうか、と。
 ただの獣でないことは、その姿を見てもわかる。国王の選定をするという銀公同様、人語を操り知識を持っていることも知っている。だが、それだけで簒奪者を嘆くことなどできないと思うのだ。
 国王という立場・存在、その全てを正しく理解し、且つ物事を深く多方面から見る目を持つこと。その上で尚、深いあわれみの心を持ち得てこそ可能な気がした。
 しかし、人間でさえ難しいと思えるそれを獣が為しているというのは……『王の番犬』故、なのだろうか。
「帰るぞ」
 獣についての考察にどっぷりと沈んでいた青年は、王の声で我に返る。踵を返した王に続こうとした、その時。
「! やめろ『右目』!!」
 飛び出してきた気配に反射的に抜いた剣は、しかし王の声で寸止めされた。
 その場にへたり込んでしまった小さな人影へ、王は頭を掻きながらぼやくように問う。
「勘弁してくれよ~。どこのチビだ? 急に飛び出して」
 その答えは、本人が答えるまでもなかった。
 深く被っていたフードが外れて露になったその顔は、王と銀公には見覚えがあるものだったから。
 アーバイン国のフォトナ王女。それが人影の正体。
 何故、単身ここにいるのかという当然の疑問は、王女が斬られかけたという衝撃から立ち直るまで答えられることはなく、とりあえず王女も連れて城へ戻ることになった。



「家出ぇ?」
「だって!! 同盟締結の人身御供(おみやげ)に嫁に行けって!」
 執務室での己の定位置である王の左後方の床に伏している獣の耳が、王女の言葉でピクッと跳ねた。
 然して興味もなく警戒もしていなかった獣は、窓へと向けていた首を室内へと向ける。机の陰からそっと王女を窺いながら、交わされる会話へと意識を向けた。
「フォトナ殿下は王位継承者では……」
「去年、弟が産まれたな。アーバインの世継ぎは男子優先だ」
 王家に限らず跡継ぎが男子優先なのは、特異な事情でもない限りはどこも同じだろう。その中での女子の扱いも……大概はお家繁栄のための道具と大差はない。長子であっても男児が生まれてしまえばお払い箱――それが、家名を持って生まれた女児の宿命といえる。
 この王女も、その宿命に縛られた者の一人。――けれど。
「馬鹿言ってねーで、とっとと帰れ。何なら早馬出して迎え寄越させるか?」
 他国の世継ぎ問題に首を突っ込む気など更々ない王は、あっさり言った。
 だが、王女とてこの程度で引き下がるなら、単身ここまで来てはいない。
「余計な真似しないで頂戴。婚約が破棄されるまで、絶っっ対に帰らないから。それまでお世話になりますわね」
 強い決意を込めた目で真っ直ぐに王を見据えて拒否を示し、退室していった。
 王女が退室して後、しばらく獣は扉を見つめていた。先程見せた王女の瞳が、気にかかる。物凄く、見覚えがあるものだったから。
 ――そう、アレは……信じて疑わなかった未来が覆された者の瞳。その事実を受け入れられず、たったひとつの未来しか見ていない者の瞳だ。
 自分が信じてきたものしか認めず、それ以外のものに価値を見出せなくなってしまっている、曇った眼差し。己の血筋に誇りを強く持つ者ほど、陥りやすい現象だと思う。
 それは、とても憐れなこと……それ以外に己の価値を認められないということなのだから。
「……もっと、広い視野を持てば……本当の幸福も見つけられるでしょうに……」
 言うのは簡単。しかしそれを身につけるのは容易なことではない。
 獣とて……以前に比べれば大分広く物事を見ることが出来るようになったとは思うが、そうなるまで長い年月を要したのだ。
 まして相手は王女。自分が正しいと信じて疑ってはいない――否。自分の正しさを認めさせることしか見えていない状態だ。誰の言うことにも聞く耳を貸さないだろう。
 あの色の瞳をした者は、大なり小なり過ちを犯す。せめて、彼女が破滅的な道を選択しないことを祈ることしか、今の獣にできることはない。
 彼女が、真の幸福に気付いてくれるように――と。獣は切に願った。
 ――誰かが壊れてしまうのを、もう見たくはない……

「……ラルク……」

 窓ガラスの向こうに広がる空を眺める獣の呟き。本人すら声にしたことを自覚していない小さなそれに気付いたのは、王の背後、椅子の上にいた銀公だけだった。



 ――王は、『統治者』であって『支配者』ではない――

 大臣と話しながら、王は頭の隅で先程の獣の言葉を思い出していた。
 国王の役目は、国とそこに暮らす国民とを護ること。そのために命を賭すのが国王であって、決して国王自身の私利私欲を満たすものとして国民が存在するのではない。
 獣が言ったのは、そういうこと。そんなこと、国王になる前――先王の護衛だった時から知っていたことだ。銀公が国王を選ぶ基準も、そこにあるのだし。
 簒奪者は、決して統治者にはなれない。奪うことしか知らない者の目には、自分以外の全ては道具としか映らないから。国民一人一人が豊かになれば、国、延いては国王の豊かさにも繋がるという単純な法則も理解できないから。
 富など手段であって目的ではない。そこから既に履き違えているのだし。
 国王が背負うのは、国民全ての生命――その重みなど、わかるはずもない。まして、まだ幼いあの王女には……
「陛下、アーバインの使者の方々がお見えになって、面会を求めておりますが……」
「――来たか」
 予測通りの報せに、王は溜息と共に立ち上がった。
 幼い王女は、国王が負うべき重責を知らない。だから、国王となる道を求めるのだろう。今まで通り……いや、それ以上に何不自由なく暮らせるという、甘い幻想を夢見て。
「起きろ、。仕事だぞ」
 面会に応じる旨を伝え、他の者が退室してからかけた言葉。眠っていたわけではない獣はすぐに応じて体を起こし、扉のほうへと神経を集中させる。
「……あの子は、大きなほうの過ちを選んでしまったのね」
 ぽつりとこぼれた嘆きに、獣もまた予測していたのだと知る。
「でなきゃ、わざわざカトルに来る意味はねえだろ」
 カトルディーナとアーバインは確かに友好国だが、アーバインに隣接する友好国は何もカトルディーナだけではないのだ。家出の理由から見ても、わざわざ選んで来たとしか思えない。
 ――国王に、なるために……
「……おい。さっき城下で俺が言ったこと、覚えてんだろうな?」
 近づいてくる大勢の気配。王は一度だけ獣を見下ろし、問う。
 獣もまた顔を上げると、笑みを浮かべて答えた。
「もちろん。私の役目は貴方を護ること。余計なことに気を遣って役目を放棄する気はないわ」
「上等」
 同じように笑みを浮かべ、揃って扉へと目を向ける。

 そして、予測通り――執務室に銃声が轟くこととなった。



 国王暗殺未遂という一騒動があった直後の中庭にて。
 後始末を急ぐ騎士たちの間をすり抜け、暗殺首謀者であった王女へと近づく黒い影。
「フォトナ殿下」
 完全なる敗北の上に殺されかけたこともあって、すっかり大人しくなっていた王女を呼び止めたそれは、『王の番犬』である漆黒の獣のもの。
 驚くアーバインの使者を他所に、王女は静かに振り向いた。
 王女が足を止め自分に目を向けたのを見ると、獣はその場に腰を下ろして少しだけ高い王女の顔を正面から見据えて口を開いた。
「王の役目は国を護り、民に幸福を与えること。国王の両肩には全国民の生命が乗っているのです。そして王妃は夫である王を支え、また王と共に国を支える役目にあります。どちらが上ということではなく、どちらにも負うべき責務があるのです。それは決して他の者には変わることのできない重要なものであることを、どうか覚えておいてください」
 獣が発したものは、王女への忠告。国王になる道以外を受け入れられずに拒絶した、その過ちに対する諌めの言葉だった。
 王女がまだ知らなかった、若しくはあえて見ようとしなかった部分へきちんと目を向けてくれるように……欲望や願望を通してではなく、もっと多方面から物事を見る目を養ってくれるように、と。
 言葉の裏に込められた想いに、一体どれだけの者が気付けたのだろうか。
……」
 驚いた顔で、けれどやわらかな眼差しを向けて獣の名を呼んだ補佐官の手前。忠告を向けられた王女本人は、スッと顎を上げて獣を見下ろし――
「化け犬如きに王家の在り様を語って欲しくなんかないわね」
 吐き捨てるように言って、再び歩き出した。
 だが、その姿は先程までとは明らかに違う。手枷の重みに負けたように肩を落とし背を丸めて俯いていたのが、今は胸を張り真っ直ぐに前を向いている。
 堂々として見えるその姿は、果たして獣の忠告を受け止めたからか、それとも単なる意地か。どちらにしろ、その答えを知ることはないだろう。
 目を細めて見送っていた獣は、王女の姿が視界から消えて後、溜息をひとつついた。
「……大丈夫か?」
 その背に掛かった問い。振り返れば、いつからいたのか王と銀公、青年と三人分の視線が向けられていて。
「何が?」
「何って……」
 きょとんと獣に問い返され、問い掛けた王は言葉に詰まった。
 そのまま見つめ合うこと、しばし。
「……ああ」
 王の言いたかったことに当たりをつけた獣が、その顔に笑みを浮かべた。
「今更、『化け犬』呼ばわりされて傷つくような繊細に見える?」
「…………そうだった……おまえの神経図太かったよな……」
 獣の推測は見事的中。王は出会った時の記憶を引っ張り出し、呆れをその顔に浮かべた。けれど、それも束の間のこと。
「なら、何を気にしてんだ?」
 普段はあまり詮索はしないのだが、こと獣に関しては理解不能な部分が多いため、気になったことは聞くことにしている王。
 獣は獣で進んで自分のことを語ることはないが、聞かれれば答えるのがいつもの姿勢。
 今もまた、軽く首を傾げて王を見上げて。
「気にしているというか、子育ての難しさを改めて思っただけよ?」
 返ってきた答えに、王は目を細める。
「……おまえ、ひょっとして子供が……」
「いたわよ。娘が一人」
 あっさり答えた獣は、ふと王から目を逸らすと、どこか遠く――空の彼方へと目を向けた。
「護ってあげることは、できなかったけれど……」
 眩しげに目を細めて空を仰ぐ獣の表情から、その感情は窺えない。ただ、言葉から重い事実を察するしか、聞いている者にできることはなかった。
 獣が進んで自分のことを語らない理由を知るには、充分すぎる言葉だった。
 余計なことを聞いてしまったと王が後悔をその胸に感じた時、再び彼へと獣は視線を戻して笑う。
「だから、あなたのことは何があっても護り抜くつもりよ」
 笑みと言葉とで、王の内から後悔の念は見事に吹き飛び、口元を引きつらせた。
「何でそこが『だから』で繋がんだ。俺は手前(テメエ)のガキの代わりか? どんだけ年くってんだ手前」
「年齢ならキングや補佐官と大差ないはずよ。だから年齢のせいとか、代わりというわけではないわ。ただ……あなたって、どうしても悪戯好きの腕白坊主って印象が強いのよね」
「ぶはっ! あ、当たってらァっ!!」
 獣の口から出た爆弾発言に絶句する王の肩の上で、銀公は遠慮の欠片もなくゲラゲラと大笑い。その背後で青年は、顔を背けてこっそり口元を手で覆っている。
 三者三様のその反応を構うことなく、獣は更に続けて爆弾投下。
「それに、『右目』ちゃんも……」
「おれも!? ――ですか」
「放っておいたら、崖っぷちでも一人で走って行きそうな危なっかしい感じがするのよ」
「確かに」
「陛下……」
 自分から標的が移って気を取り直したのか同意をする王に、がっくりと肩を落とす青年と、先程とは違う種だが未だ笑い続ける銀公。
 彼らの姿を眺めて、楽しそうに獣は笑う。そして――
「子育て経験者としては、こんな問題児を放っておけるはずがないじゃない?」
 いっそ、すがすがしいほどの笑顔で言われ、王と青年は思わず顔を見合わせる。二人に追い打ちをかけるかのように、銀公はニヤッと笑って同意を獣へと向けた。
「ケケケッ、言えてるぜ。間違っちゃいねェな、それ」
「でしょう?」
 毛皮と獣。二匹のケダモノにからかわれている気分になり――ついでに勝てる気がしなかった王は、早々にその場を切り上げるべく踵を返して。
「行くぞ、『右目』」
「はい」
 青年を伴い城内へと戻る王。二人の姿を見つめて、獣もその後を追った。


 『王の番犬』という獣は、知れば知るほど不思議な存在だった。
 その胸の内に抱える想いすら、自分たちの理解を超えている――彼女を知る全ての者の感想は、きっと同じことだろう。
 ――不思議な存在……その一言で片付けるのが、おそらく一番良い方法かと。