「な……なんだ、この有様は……」
の部屋の前、ネスティは未だかつてない惨状に、唖然として立ち尽くした。
室内は、入るに入れない状況……というか、むしろ入る気にもなれないというか。
一言で表現するのに相応しい言葉は、まさに『足の踏み場もない』部屋。
どこから出てきたのか、床といいベッドといい、物が山積みとなっているのだ。
「これは、一体……」
「はい、どいて~、邪魔よ~」
ぱたぱたと足音高くやってきた部屋の主は、有無を言わさずネスティを押しのけて部屋に入ると、迷うことなく積み上げられた本の一山を手にして、再び外へと出て行こうとする。
うっかりそれを見送りそうになったネスティは、はっと我に返って引き止めた。
「ま、待て! これは一体何なんだ!?」
「見てわからないの? 旅立ちのために部屋を片付けてるに決まってるじゃない」
「片付けてるって……」
当たり前のことを聞くなとばかりに、煩わしそうな表情を向けてくる。
だが、ネスティには信じられない。片付けというよりは、散らかしているようにしか見えないから。そもそも、彼女の部屋にこれだけの物が置かれていたとことなど、一度だって見た覚えはないのだ。
「こんな荷物、この部屋にあったのか?」
「あるから片付けてるんでしょ。人のこと馬鹿呼ばわりする割には、あなたのほうが頭の回転悪いわよね」
しれっと返される嫌み。それは毎度のこと。
今まで彼女に、兄弟子として扱われたことは一度たりともない。それが妙に悔しくて、ネスティもまた、毎度の小言を返す。
「バカは君だろう!? 今までは随分と見事に隠していたようだが、普段から整理しておけば、今になってこんな大事にならずに済んだはずだ」
「試験に合格したら旅に出されるってあらかじめわかっていたなら、準備もできていたでしょうけどねえ? 自分の部屋を自分の使い易いようにしといてどこが悪いっていうのよ」
「私物に関して言ってるんじゃない! 今、君が手にしている本は大図書館に返却するものなのだろう!? 借りっ放しにしていた証拠じゃないか!?」
「返却期限は守ってるもの、問題はないはずよ」
ああ言えばこう言う。
そういえば、彼女と口論して勝てたためしもない気がする。それだから、兄弟子として扱われないのか。
複雑な想いが湧いてきて、ネスティはそれを溜息にしてやり過ごした。――と。
「……で、何か言うことは?」
「は? 言うことって……だから、今言って――」
「小言をわざわざ言いにきたワケ? あなたホントに偉そうにしてる割には抜け作よね」
「き、君こそ、一体何が言いたいんだ!?」
「何か用があって来たんじゃないの、って聞いてるんだけど?」
言われて、ようやく目的を思い出した。と、同時に、今まで彼女が留まっていたのがそのためであったことにも気付いて、ネスティはいたたまれない気持ちで口を開いた。
「先程の呼び出しで、僕は君の監視役として同行を命じられた。つまり、僕も君と共に旅に出ることになったんだ」
「そう。ご覧の通り、片付けが山積みでね。これが終らないことには旅支度もできないから、今日は出発できないわ。明日まで、ゆっくりしててちょうだい」
ネスティの用件を聞いた彼女は、あっさりと現状と出発時を告げて、もう用は済んだとばかりに踵を返した。
まるで、初めからこちらの目的を知っていたかのような受け答え。
ネスティは引っ掛かりを覚えて、去っていく背に問いを投げかけた。
「! 何故驚かない!? 知っていたのか!?」
「予想の範囲内。でなければ、兄弟子という理由だけで私の拝命の場にあなたが呼ばれるのはおかしいでしょ」
振り返ることもなく、さらりと答えを返しては行ってしまった。
――違和感……彼女は、あんなに洞察力が鋭かっただろうか。
授業はサボるか、居眠りばかり。読書を命じても読んでいるのかいないのかわからない状態。テストでも、空欄はなくても半数は間違ってばかりいて、実技においては魔力制御が最後まで苦手としていたのに。
拝命の後、掴んでいたネスティの手を魔力で弾いてみせた。ここに来たネスティの目的を予測していたようだし、それに大量の本……
未だ室内に山積みにされたあれを、彼女は全て読んだというのだろうか。読んだとするなら、一体何の本を読んでいたのか。
浮かんだ疑問を解消するため、ネスティは室内へ入ろうとした――が。
「入室ハ、ゴ遠慮願イマス」
扉の横にいたのだろう。の護衛獣である機械兵士が、その巨体で入口を塞いだ。確か、名前はレオルドといったか。
「何故だ?」
「我ガあるじ殿ノ、御命令デス。あるじ殿以外ハ何者タリトモ室内ニ入レルナ、ト」
「……理由は?」
「『折角マトメテアルノニ、触ラレタラ、マタ一カラヤリ直サナクチャイケナクナルモノ』、トノコトデス」
確かに、彼女なら言いそうなことだった。
それに、本当に足の踏み場もない状態だから、うっかり積み上げてある山を倒しかねない。そうなれば、また彼女から嫌みを言われた挙句、反論までできなくなってしまう。
これ以上、兄弟子としての威厳をなくしたくないネスティは溜息をひとつつき、入室を諦めて踵を返したのだった。
「終ったあぁ――!!」
ぼすっ、と。荷物のなくなったベッドの上に身体を投げ出し、は大きく伸びをした。
時刻は疾うに夕食時を過ぎている。外はもう星の瞬きが見える暗さで、自室から出る者もいない時間だ。
大図書館の閉館時間に間に合うように本の返却を優先して動いていたため、かなり疲れた。こっそりと借りていた本を、流石に溜めすぎていたな、と。少し反省する。
それでも何とか返却は終了。夕食も時間内に食堂で済ませられたし、結果は上々ではないだろうか。
残りは旅支度――と普通ならいくところだが、生憎とそちらは既に済んでいた。
だから、あと旅立ち前にしておくことは――レオルドへの確認と指示。
ベッドから起き上がって、扉がしっかり閉まっていることを確認し、鍵をかける。窓も同様にして、カーテンも閉めれば、密談の準備は完了。
密室にすることで内側に完全防音の結界が張られるように術をかけてあるのだ。ただ、一ヶ所でも開いてしまうと結界が消えるようにもしてあるので、確認は欠かせないのである。
結界がきちんと張られたのを確認して、はベッドに腰掛けてレオルドと向き合った。
「待たせて悪かったわね。やっとゆっくり話ができるわ」
「ハイ。確認ト、御命令ト、オ話デシタネ」
「そうよ。まずは……本当は好きじゃないんだけど、絶対命令をさせてもらうわ」
「ナンデショウカ?」
「今、これから私があなたに話すことは、決して他の人には言わないこと。他言無用、秘密厳守」
「了解シマシタ」
やはり、何の疑いも躊躇いもなくレオルドは受諾する。
複雑な気持ちに囚われたが、今はまだ仕方のないことと割り切って、先へ進む。
「次は確認よ。あなた、『マグナ・クレスメント』と『トリス・クレスメント』という名前に対して、何か感じることはない?」
確認……これが、にとって重要なこと。この返答如何(へんとういかん)によって、話す内容も変わってくるから。
がここにいる時点で、本来なら知らないはずの名前。けれど、知っている可能性があることをは身を以って経験してきた。
確かに記憶にはない。けれど、耳に馴染む響き――魂に刻まれている、その名前を……
「イイエ。めもりーニハ記録サレテオリマセン」
「記録とかじゃなく、あなた自身の感覚を聞いているの。……機械兵士のあなたには、わかりづらいかもしれないけれど、何か理由もないのに懐かしいような馴染むような……違和感みたいなもの、ない?」
改めて、具体的に聞くと、少しの間が空いた。
困惑しているのか、それとも考えている時間か。
ややあって、レオルドは答えを返してきた。
「イイエ、全ク異変ハ確認サレマセンデシタ」
それは、求めた答えとは微妙にずれている気がしたが、今はこれ以上は期待できないだろう。
確証はなくても、それでも彼の力が必要であることに変わりはない。
決意を新たにして、は口を開いた。
「……聖斗」
「はい、ここに」
名前を呼ぶ。ただそれだけで、初めからその場にいたかのように少年天使は現われた。
「レオルド、この子はサプレスに住む小天使・ピコリットで名前は聖斗。私の……この世界で最初の友人よ」
「ゴ友人……デスカ?」
「ええ、そうよ。聖斗、彼はロレイラルの機械兵士で名前はレオルド。護衛獣を務めてもらうことになったわ」
両者を引き合わせ、紹介する。
レオルドは疑問を、そして聖斗は期待を込めた眼差しを向けてきて。
「それじゃあ……」
「ええ、決まったわ。明日、ここを旅立つことになったから」
朝、交わした約束通りに報告すると、聖斗は嬉しそうに笑ってくれた。それから、レオルドへと向き直って。
「さんは、とても大きなモノを背負われています。そして、とても大変なことを成し遂げなければならないんです。どうか、一緒に支えてください」
「護衛獣ノ義務ハ、召喚者ノ命ヲ守ルコト。あるじ殿ハ我ガ全テヲ以ッテ守ル。……ケレド、『』トハ……?」
困惑を表したレオルドを見て、聖斗ははっとしてこちらを見てきた。
は、大丈夫だと笑顔を向けて彼の頭を撫でる。
「あるじ殿ノ名前ハ、『』デハナイハズ――」
「いいえ、私の本当の名前はよ。でも、それを知っているのは聖斗だけ。ここにいる私は『』。これから始まる旅が終るまでは、私は『』なの」
「偽名ヲ名乗ラレルトイウコトデスカ?」
「そうよ。どのみち、あなたは私を名前では呼ばないでしょう? それでいいのよ。この旅が終るまで、私の名前は絶対に呼ばないで」
「……了解シマシタ」
またひとつ、『命令』が増えてしまったけれど……今は、もう気にしないことにする。いちいち気にしていたら、キリがないから。
それに……今のレオルドにとっては、きっとそのほうが混乱しなくていいだろうし。
わかっていても重くなる気持ちを、溜息に変えて吐き出してしまう。
「……私がやろうとしていることに関しては、その都度話すから協力してね」
「ハイ」
「それ以外で、現時点であなたに頼みたいことは、ふたつよ。ひとつは、そのまま護衛ね。現状として、私が使える魔力はそう多くはないし、武術も得意じゃないから、戦闘はほとんどあなたに頼りっきりになると思うの」
「ハイ、ソレハ理解シテイマス」
「もうひとつは……もし私が倒れてしまうようなことがあった時の対応についてよ。そうなる原因は、恐らく魔力の使いすぎだと思うから、そうなったらあなたが休める場所まで運んでちょうだい。決して他の人が私に触れないようにしてほしいのよ」
今日、試験の後に動けなくなった時のように。
「そういう時の私は……他人(ひと)の魔力に対して、敏感なの……引きずられて、悪影響を受けてしまうから……あなたは魔力を全く持っていない。だから何の影響もないの。お願い、できる?」
「ハイ、了解シマシタ。ソノヨウニ設定イタシマス」
万が一に備えて、今しておけること。特にこれは、一度でもミスしてしまうと、取り返しがつかなくなるから。
「聖斗も……悪いけど、そうなったら私には触れないでね?」
「はい」
頷いてはくれても、その顔には心配が刻まれている。
聖斗が自分を大切に想ってくれているのは知っている。だから、なるべくならそういう事態にならないようにしようとは思うけれど……旅の後半には、きっとそうも言ってられなくなる予感がするのだ。
それでも、せめて今しばらくはそうならないように……安心させるために笑って、彼の頭を撫でた。
こちらの想いを汲んでくれたのだろう。聖斗も笑みを返してくれて、の心に安堵が広がった。
その気持ちを糧に、立ち上がってレオルドの前へ行き、彼を見上げる。
「最後に説明しておくことがあるの。私が使う召喚術についてよ。それに関しては、あなたの意思を優先するわ」
「ナンデショウカ?」
「私は、あなたの誓約を解きたいと思っている」
突然の解約宣言には、流石のレオルドもかなり戸惑っているようだ。目の位置にある光が、不規則に揺れている。
「ソレハ……私ハあるじ殿ノ護衛獣デハ、ナクナルトイウコトデスカ?」
「違うわ。護衛獣ではいてほしいの。少なくとも、旅が終るまでは」
「デハ、ドウイウコトナノデスカ?」
「現在、使用されている召喚術において結ばれる誓約は、被召喚者を拘束するための鎖よ。召喚者が制御できる程度に、被召喚者の能力を抑え込んでしまうの。だからあなたもロレイラルにいた時に出せていた程の力は出せないはずよ」
「……ソウナノデスカ?」
「ええ、そういう場面にならないと、実感はないと思うけど……さっきも言ったように、私が使える魔力はそんなに高いものじゃないから、多分半減はしてるんじゃないかしら」
こちらで経験を積めば、その分は強くなっていける。だが、それでも誓約による制限はあり続けるから、どうしても本来の力を出し切ることはできない。
「私ガ本来ノ力ヲ使エナイママデハ、あるじ殿ヲ守リ切レナイトイウコトデスカ?」
「……そういう時が、来るかもしれないということよ」
「『誓約』ヲ解カレタラ、私ハ『はぐれ』トイウコトニナルノデスカ?」
「いいえ。誓約の代わりに盟約を結びたいの」
「『盟約』……デスカ? ソレハ『誓約』トハ、ドウ違ウノデスカ?」
盟約……それが、夜更かしを続け、調べ上げ身につけた、が望む形の召喚術。呼び声に応えてくれた者と対等の立場でいることのできる――本来の召喚術の形……
「盟約は、互いの魂を真名によって結びつけるもの。一人では成し得ない力を発揮させるものよ。誓約との一番の違いは、被召喚者に拒否権があるということと、被召喚者の意思で自由に元の世界へ帰れるということなの」
「自由にこちらへ来ることもできます。さんの魔力に余裕があるなら、ですけど」
聖斗が付け加えた説明に、レオルドは彼のほうを向いた。
「聖斗殿ハ『盟約』ヲ結バレテイルノデスカ?」
「はい、そうです」
「だから『友人』だって言ったでしょ。盟約においては、召喚者と被召喚者の立場は対等なのよ」
聖斗が敬語で話すのは、単に元の性格の所為だから。主従関係の故ではないのだ。
の本心は、力の問題がどうということではなく、ただ対等でいたいだけ。だから盟約に換えたい。――けれど。
「でも、今のあなたには『友人』という関係が――よく、わからないのでしょう?」
「……ハイ」
「だから、あなたの意思を尊重するわ。主従関係のほうがあなたにとって楽だというのなら、そのままで私は構わない。――どうする?」
問い掛け。しばしの沈黙。
ややあって、レオルドは顔を上げた。
「今ハ、コノママデオ願イシマス。タダ、今ノ私ノ状態デハあるじ殿ヲ守リ切レナクナリソウナラバ、誓約ヲ解イテクダサイ」
「……わかったわ」
なんとなく、予測できたことだけれど。実際に言われてしまうと、やはり残念で……そして、悲しい。
だが、そんな想いを引きずっても仕方がない。
これからの成長に期待して、は改めて二人を見て。
「改めて、これからよろしくね。聖斗、レオルド」
「はい!」
「ハイ。全力ヲ尽クシマス」
旅立ち前夜。全ての準備は整って、ここからが本当の始まり……
第0話 たびだち・完