ようやく迎えた、旅立ちの時。
待ちに待った、鳥籠からの解放……本当の意味で羽ばたくための――ここからが、勝負。
だ、け、れ、ど、も。
「! 君は任務を何だと思っているんだ! 遊びじゃないんだぞ!? 昨日の今日でまた寝坊するなんて、本当に蒼の派閥に名を連ねる召喚師になったという自覚はあるのか!?」
昨日の今日だというのに、懲りない兄弟子の大音量説教モーニングコール。
毎度のことだから、もう諦めているとはいえ……面倒だという事実は、どうにも消せない。
毛布を被り騒音を抑えた状態で開いた口から出た言葉は、ある意味その気持ちの集大成といえよう。
「……レオルド……そこのデリカシーの欠けた無神経な鳥頭の侵入者を、早々につまみ出して……」
「なっ、何だその言い草は!?」
「了解シマシタ」
「こんな指示、了解するんじゃない! おいっ!? 本気で襟首を掴むな! 僕は猫じゃないぞ!?」
ぎゃあぎゃあとわめく声が、パタンと静かに閉められた扉の向こうへと消えて、しばし後。
「……了解、するに決まってるじゃない……レオルドは、機械兵士で……私の護衛獣、なんだから……」
未だ毛布の中で、弱々しい反論を紡ぎだしていた。決して相手には届かぬと知りつつ。
そのまま、更に時間は流れる。
一応起きようという気はあるのだが、気持ちに反して身体が言うことをなかなかきいてくれない。
こちらへと来る前から、ずっと変わらないこの低血圧。ついでに貧血もある。毎朝繰り返される体調不良を抱えて、本当に旅なんかできるのだろうか、と。不安がよぎったのは今に始まったことではない。
あまり聖斗に頼りすぎるのも、彼にも自分の身体にも悪いだろうし……どうにかしたいとは思うのだが、どうすればいいのだったか。
そういえば、昨日聖斗に低血圧は病気の一種とか言ってしまったが、確か病気ではなくて『血圧の低い健康な人』というのが正しい認識だったような……
「……っていうか……こんなにつらいのに、病気として認められてないってことが、おかしいのよ……せめて、医学書の一冊でもあれば……対策も打てたかもしれないのに……本っ当に、召喚術に関する本しか、置いてないなんて……何が『世界の真理を探求する』組織よ……そんなものの前に、一般常識でも勉強しろっていうんだわ……っ」
何とかしようと考えていたことは、いつしか愚痴へ、そして更に八つ当たり的な非難へと摩り替わって口から出ていた。
言ってもどうにもならないことなのに、意味もなく腹まで立ってきた。
嫌なことというのは、本当に考え出したら止まらなくなる。今まで己がここで受けてきた仕打ちまで思い出されてしまい、ますます憤りが募っていく。
いっそのこと、この気持ちをバネにして飛び起きようかとも思ったが……貧血で逆戻りする破目になるのは目に見えていたのでやめた。
「あるじ殿、大丈夫デスカ?」
「……あまり大丈夫じゃない……」
「何カ私ニ出来ルコトハ、アリマスカ?」
取り繕う余裕もなく素直に答えると、指示を求める言葉が返ってきた。それは心配からきたものではなく、『護衛獣』としての役目から出てきたものだが、今のにとっては正直有難い。
とはいえ、低血圧対策の知識などないので、何を頼んでいいのかもわからなかった。
しばらく考えて、結局出てきたのは……
「それじゃあ、食堂に行って、野菜ジュースと牛乳と、パンとスープをもらってきてくれる?」
朝食の用意を頼むことだけだった。
「了解シマシタ」
指示に従い部屋を出て行くレオルドの音を聞きながら、何とか彼が戻ってくるまでにはベッドから出よう、と。覚悟を決めたのだった。
「あーあ、すっかり遅くなっちゃったわ」
「自業自得だろう」
蒼の派閥の門前。愚痴のように呟いたに対して、ネスティはバッサリ切り捨てた。
彼女の言葉通り、ネスティが起こしに行ってから大分時間は経過しており、今の時間はもう昼を過ぎていたのだ。
「まったく……どうして、君はこう行動が遅いんだ? これから旅に出るというのにこんな時間に出発したのでは、行く場所次第ではいきなり野宿することにもなりかねないぞ」
「ん~……とりあえず、商店街に行って買い物かしらね。一応簡単に説明だけするから、地理記憶しといてね、レオルド」
「了解シマシタ」
「僕を無視するんじゃない!!」
計画性などまるでない彼女へ小言と共に与えた忠告は、あっさり無視されてしまった。しかも、それはかなり徹底しているのか、怒声にすら反応を示さずに背を向ける始末。
派閥で過ごしていた時よりも、扱いがひどくなっている気がする。何故……
小言ばかり言っているのは認めるが、そもそもの原因は小言を言わなければならないような行動をする彼女であって、ネスティに非はないはずだ。そんな己の行動を棚上げして邪険に扱われたって、態度を変えるわけにもいかない。
甘やかすことは、優しさではない。それは、彼女を駄目にするだけだから。
彼女のことを想えばこそ、ネスティは態度を変えるわけにはいかない――けれど……
彼女に、今のままの態度で接せられるのは――正直、つらい。
受け継がれた記憶の中で、一族の誰もが皆一様に望んでいた相手。最後の最後でようやく叶った、唯一の友との再会。
仕方がないということは、わかっている。彼女は己の一族のことを、何ひとつ知らないのだから。知らせることも、できないのだから。
でも、それでも――もう少し、見てほしい。存在を、認めてほしい。
そう、思うのは……欲深いことなのだろうか。
「――っ、! 止まれっ!!」
「え……」
物思いに耽(ふけ)っていたネスティは、不意に見えた光景に咄嗟に叫んだ。その場に不釣合いな声の故か、レオルドと話しながら歩いていたは条件反射で足を止めたようだ。――けれど。
「「 きゃあっ!? 」」
二人分の少女の悲鳴が上がり、は派手に転んでしまった。
「遅かったか……」
起きてしまった予測通りの事態に溜息をこぼすネスティの前で、は起き上がり状況を把握しようとしている。
「いったぁ……何が起きたの……って」
「ひゃうぅ……は、鼻ぶつけたぁ……」
の目の前、彼女と同じように座り込む小さな少女の姿に、事の次第を理解したらしい。ひどく驚いた顔をしたは、勢いよく立ち上がった――けれど。
「ご、ごめんね! だいじょ――っ」
言葉も途中で切れ、ぐらりと後方へ傾いだ身体。すぐ近くにいたレオルドが支え、地面に逆戻りすることはなかったが、自分で立つ力がないのかレオルドにしがみつく。
「何をやってるんだ、君は……」
「大丈夫デスカ?」
「あ、あは……ごめん、やっちゃった……でも、お陰でってこともないけど、ひとつ思い出したわ……コーヒーがよかったはずだから、これから食後にコーヒー飲むことにするわね」
「『低血圧』改善ニ効果ガ、アルノデスカ?」
「そのはずだから、悪いけど覚えておいて……私が忘れてたら教えてちょうだい」
「了解シマシタ」
「あ、あの……?」
無視は続行中らしい。一度は反応したくせに、ネスティの呆れた呟きには答えずにレオルドとだけ会話していて。更には、少女のほうへと注意を向ける。
「あ、ごめんね。前見てなかったから……大丈夫だった?」
「あ、はい、私は平気です、けど……あなたのほうが……」
「ただの立ちくらみよ。もう少ししたら普通に動けるようになるわ」
「そうですか……」
安堵の表情を浮かべた山吹色の髪の少女は、立ち上がって服についた汚れを叩き落とすと、改めてへと向き直って。
「私も前を見てなかったんです。ごめんなさい」
ぺこり、と。頭を下げた。
それを見たはきょとんとしたあと、微笑みを浮かべて。
「お相子だったのね。それじゃ、これからはお互いに気をつけましょう?」
「はい。それじゃあ……」
会釈して去っていく少女を見送った。
少女の姿が遠ざかって後、ようやくはレオルドから離れて立ち、長く息を吐いた。
「ありがとう、レオルド。もう大丈夫よ」
「通常ノ状態ニ戻ッタノデスカ?」
「ええ、手間かけさせてごめんね」
「イイエ」
何故、そんなに大仰なのか。
彼らの言動が理解できないネスティは、盛大な溜息をついて。
「ちゃんと前を見て歩かないから、そうなるんだろう? 大体、君は普段から注意力散漫になりすぎるんだ。これから町の外を歩かなければならないというのに、それでは危険を避けれないどころか、自ら危険を作り出すことに――」
「そういえば、レオルドって生体の変化は感知できないの?」
無視、三度。
「私ハ戦闘用ニ開発サレタ機体デスノデ、熱反応ヲ感知スル機能ハアリマスガ、ソレ以上ノモノトナルト、看護用機械人形・ふらーぜんノ領域ニナリマス」
しかも、レオルドも彼女に倣う始末。――まあ、彼の場合、機械兵士でありの護衛獣なのだから、当然といえば当然の反応ではあるが。
「そっか……言わなくても察するなんて都合よくはいかないのね」
「ハイ。デスカラ、何カ御用ガアレバ御命令クダサイ」
「……そうさせてもらうわ……」
だが、ネスティにとっては、気に食わないのだ。
「おいっ! さっきから僕に対するその態度は何なんだ!?」
いい加減に頭にきて、現状を打破しようと問い質したその声は――ようやく届いたようだ。
がネスティを見て口を開いた、けれど……
「鳥頭に何度同じこと言っても無駄だと学習した結果だけど、それが何か?」
何のことを言っているのか、ネスティには理解できない内容で。
「一体、何のことを言ってるんだ、君は!? 君がいつ僕に対して何度も同じことを言ったんだ!?」
「そう言い返してくること自体が鳥頭だっていう証明じゃない」
「わからないから聞いているだけだろう!?」
「でしょうね。あなたは私を見てないもの」
「――何?」
また、おかしなことが彼女の口から出てきた。会話として成り立っているのかも怪しい……質問に対する答えには思えないこと。
しかもそれは、少し前に彼女に対してネスティが思っていたことと同じものだ。
「君のほうが僕を見ていないんだろう!? 不真面目な君の欠点を、何度僕が注意してきたと思ってるんだ!! 自分の行動を棚に上げて、僕を邪険に扱うのはやめてくれ!!!」
きっと、それがスイッチになったのだろう。珍しく、ネスティは本音をぶちまけた。
自分を認めてほしい――ただ、それだけの願いを。
――けれど。
「……さっき、注意力散漫になりすぎだと言ったけれど、いつどんな風にして私が注意不足でミスを犯したのか言ってみなさい」
静かな声で返ってきたのは、肯定でも否定でも、受諾でも拒否でもなく、どこかずれている問い。
それが遠回しな反論であるとも気付けぬまま、ネスティは答えを即時に返した――が。
「今さっきのことをもう忘れたというのか!?」
「自分で『普段から』って言ったくせに、それが派閥内を指すとも理解できないのかしらね」
「そのくらいわかっている!! だから――」
過去にあった彼女の失敗の数々を並びたてようとしたはずなのに、言葉は不意に消えてしまった。
不可思議な現象に、一気に冷静さを取り戻す。
何故、言葉が出ないのか……それは、思い当たらないから。――否、何かは出てくるのに、形にならずにすべて消えてしまうのだ。
まるで、すくったはずの砂が、全て指の間から零れ落ちて手の平には何も残らないように。
何故、そんな現象が起きるのか。融機人(ベイガー)である己は、一度経験し、また記憶したものを思い出せないことなどあるはずがないのに。
何かは、確かにあったはずなのに、何故それが出てこないのか……
「ほら、見なさい。何もないじゃない。あなたが私を見てない証明は為されたでしょ?」
「ち、違う!! あるはずだ、確かに――」
「ないのよ。それが事実なの。あなたのほうこそ自分を棚上げしないでくれる?」
わけのわからぬネスティを、冷たい言葉が打つ。
真っ直ぐな瞳が、ネスティを射抜く。
確かに、己を見てほしいと願ったのはネスティ自身だ。だがそれは、こんな冷酷な眼差しではない――っ!
「私が過去に何度あなたを鳥頭と称したかも覚えていられないくせに、不出来な妹弟子というイメージだけでありもしないことをでっち上げて人を非難しないでほしいわね」
再び逸らされた眼差し。向けられた背。
何を考えることも出来なくなったネスティが、一人その場に立ち尽くす。
頭の中は見事に真っ白なまま、ややあってネスティは動き出す。
見えなくなった妹弟子の後を追うようにして、やがて導きの庭園内から人形のような彼の姿は消えていった。
ネスティから大分離れた頃のこと。の口からは、溜息がこぼれ出ていた。
随分前から、もうわかっていたことだ。とはいえ、実際にその場に立つのは――やはり、つらい。
これから何度もあのように激しい感情をぶつけてくる彼の相手をしなければならないと思うと、どうしても気が滅入ってしまう。
だからといって、いつまでもその気持ちを引きずるわけにもいかない。これからもっと大変な、大きな戦いの中に入っていかなければならないのだから。
そのための準備を整えておかなければ。
「レオルド、ここが劇場通り商店街よ。その名の通り、大きな劇場を中心として様々なお店が集まっているの。ここを東へ抜けるとハルシェ湖畔に出て、北に行くと高級住宅街になるわ」
「了解……記録完了シマシタ」
ここに来るまでにしていたのと同じように説明し、レオルドの返答を待ってから更に足を進める。
派閥時代、授業をサボってよく抜け出して来ていたから、大体の地理は把握しているが、実際に店に入ったことはほとんどない。ゲームでは、そこまで細かく描写されてはいなかったし……地道に探すしかないのだ。
ゲーム中のネスティの台詞だと、懐具合で店は選べるとか何とか……けれど、それ以前の問題がの前に立ちはだかっていて。
「……武器屋って、どこなのよ……」
値段云々の前に、目的の品物を扱う店が見つからない。
大抵は、絵がついた看板で何の店か示してあるものだ。勿論、ここでもそう。けれど、武器屋が見つからないのである。
武器屋なのだから、恐らく剣や斧あたりが描かれた看板だと思うのだが……探し方が悪いのか、それとも先入観が視野を狭めているのか。
服屋はあった。例の、貴族御用達の。飲食店や、魚屋、肉屋、パン屋、八百屋、花屋。雑貨屋も見つけたので覗いてみたが、本当に日用品しか置いてなかった。
一応、端から端まで歩いてみたが、本気で見つけられない。
仕方がないので、近くにあったクレープ屋で買い物がてら聞くことにした。
「ああ、武器屋なら、もう一本奥の通りだよ」
「奥……ですか? 劇場通り――にあるって聞いたんですけど……」
「劇場通りは劇場通りだけど、劇場通り『職人街』のほうなんだよ。武器屋、防具屋、魔道具屋って冒険者御用達の店や、靴屋とか金物屋とかの生活用品を作る店はな。はい、チョコナウバお待ち!」
注文したクレープを受け取り、代金と共に礼を伝えて歩き出す。路地と呼ぶには少し広めの脇道を抜け、隣の大通りへと出た。
冒険者や見回りの騎士、そして職人らしき人々の行き交うそこは、商店街とはまた違った雰囲気で賑わっていた。
劇場通り職人街……まさか、そんな場所があるとは思わなかった。カーソル合わせて即買い物、なゲームシステムでは、やはりわからないことが多いようだ。町の大きさも然り。全体を隈なく散策しようものなら、一日二日は簡単に消えてしまうだろう。
頭ではそんなことを考え、手と口はクレープを食べ進めつつ、目と足で武器屋を探す――と、見つけた。の予測は外れていなかったらしく、剣と杖とが交差した形で描かれた看板を見つけることができた。
「レオルドは外で待っててくれる?」
「了解シマシタ」
入口は機械兵士でも入れるぐらいに大きかったが、流石にこの巨体が店内にあっては他の客に迷惑だろう。ネスティへの目印の意味合いも含めて頼むと、クレープを食べきり近くにあったクズ箱にゴミを捨てて、は店内へと足を踏み入れた。
まずは一通り商品を見て回り、値段を確認する。高額の品もあるが、手頃な初心者向けの品もあり、この一軒で大抵の人は事足りそうなくらいの品揃えだった。
懐具合的にはクリアしたので、次は目的の品を探す。
夕べ、レオルドに話した通り、は武術が得意ではない。それどころか、低血圧で貧血持ちという、どう考えても冒険向きの体力ではないし、基本インドア派だから腕力も脚力もない。典型的な魔法型なのだ。
だから、探しているのは『杖』。それも魔力増強用ではなく、軽くて扱い易く、且つ丈夫な護身用のものだ。
魔力増強用のものは、実は案外脆かったりする。派閥で支給された杖も――見習い時代、既に何本か壊してしまっているし。今持っているのも、恐らく数回で寿命を迎えるだろうから。
これから幾度となく飛び込んでいく戦場で、己の身を守るためにどうしても必要なそれを――
とはいえ、やはりそう好条件の品はないようだ。
予算内のものといえば、支給品と同じものか……精々その次のものだが、どちらにしろ魔力増強用。護身用というなら槍でないと、リィンバウムには棒状の武器として存在しないようだ。それだと重さでアウト。持つのでさえ一苦労なのに、身を守れるはずがない。
ここは、消耗品として二本持つしかないかな――と。
「随分悩んでるけど、何を探してるんだい?」
そう思った時、店主の男が声を掛けてきた。
どうやら店内にいた客は全て用を済ませて帰ったようで、一人となっていた。
丁度いいので、ダメモトで聞いてみることにした。
「杖です。魔力増強用ではなく護身用に使えそうな、丈夫だけど軽いものはないでしょうか?」
「そりゃまた難しい注文だなあ……」
こちらの条件を聞くなり、店主の表情は、苦笑を織り交ぜた困り顔になった。
案の定なその反応が、不意に変わる。
「ん……ちょっと待てよ? 魔力増強に関しては、全くのゼロでもいいのかい?」
「ええ、構いません」
「それなら一本あるかもしれない。ちょっと待っててくれ」
言うなり店主は、カウンターの奥の扉の中へと姿を消してしまった。
言われるまま待つこと、10分。
「あったあった。これなんだが、どうだい?」
軽くほこりを被って戻ってきた店主が、身の丈ほどもある長さの包みを差し出してきた。
古ぼけた布の包みから出てきたのは、大きさの異なる宝玉のような石を先端に、まるで木の枝か根が絡み合ったような形をした杖だった。柄の部分の材質は一体何なのか、太さと長さの割には、ひどく軽い。
「軽いことは間違いないが、耐久性はわからんな。ただ、魔力増強効果は全然ないらしくってよ、完全に売れ残ってたんだよ」
確かに魔力増強はしない。けれど……何だろう……この杖から、不思議な力を感じる。
軽く降ってみると、不思議なほど手に馴染んだ。まるで、身体の一部であるかのように。
は笑みを浮かべると、ひとつ頷いて。
「これがいいです。これ、いただきたいんですが、いくらになりますか?」
「ホントかい? それなら、タダでいいよ」
「え……ですが……」
「いいんだよ。誰がどこから仕入れてきたんだかわからんぐらい昔から、ウチの倉庫で眠ってたヤツだしな。道具ってのは、使ってもらって初めて生きてくるもんだ。ただ暗い倉庫の中でほこりにまみれているより、こいつにとっては幸せだろうさ」
屈託のない笑顔が、彼の本質を表している。
この店主は心を持たない道具に対しても、誠意を示せる人だ――と。
それがわかり、は彼のことが気に入った。と同時に、何も返せないというのは、ひどく気が引けて――思いついたことは。
「それじゃあ、この杖と交換というのはどうですか?」
不要となった支給品との交換。
店主は、躊躇いを表情に刻む。
「いや、しかし……」
「私にはこちらの杖があれば充分です。それならこの杖だって、役立ててもらえる人のもとへ渡ったほうが幸せではありませんか?」
彼の言葉を用いて返せば、納得できたのか笑みが浮かんで。
「そうか……確かにそうだな。わかった、それと交換で交渉成立だ」
「はい」
双方共に気持ちよく決まり、笑顔では店を後にした。
「いつまで経っても追いついてこないと思ったら、こんな所にいたの」
町の外へと通じる外門前。ようやく現われた待ち人の言葉に、ネスティの眉が跳ね上がる。
「今まで、どこで何をしていた?」
「商店街でまずは買い物って言ったじゃない」
「商店街にはいなかったぞ」
「武器屋が職人街にあることも、職人街なんて場所があることも知らなかったもの。大体、私を責める理はあなたにないわよ。監視役でありながら目を離したのはあなた自身なんだから。私は予定を言っておいたし、あなたを撒くような行動もしていないわ。そもそも、監視役に行動を合わせろなんて命令はされていないもの」
正論。確かに非はネスティにあるため、それ以上は何も言えず、怒り等の感情は消化不良のままになってしまった。
「さあ、さっさと出発しましょう。すっかり遅くなってしまったもの」
「誰のせいだ、まったく……」
「レオルド。この街道を南下すると、ファナンという名の港湾都市に行き着くの。ひとまずの目的地はそこね」
「了解……記録完了シマシタ」
また、無視。けれど、先程の失敗と彼女の嫌みから学び、レオルドへの言葉の中から必要な情報をしっかり聞き取っておく。
行動はとにかく遅いが、計画自体はちゃんと立てているようだ。
派閥での生活態度から比べると、随分成長している。形はともかく、一人前として任務を受けたことで、自立心が生まれたのだろう。
僅かに生まれた安堵と共に、感心したのも束の間――
「おいッ! どこへ行くんだ!?」
レオルドを伴ったは横道に逸れ、街道脇にある休憩所に入っていった。そこにある泉に手をつけ無防備な姿を晒すに、ネスティは先程の感心を撤回して彼女のもとへと急ぐ。
ネスティが休憩所に入ると、ほぼ同時。
「警告! 我々ヲ中心ニシテ、近ヅク熱源ガ多数アリマス!」
レオルドの警告が発せられ、茂みから野盗たちが姿を現した。
「へっへっへ、お兄さん方。命が惜しけりゃ有り金まとめて出しな?」
実にわかりやすい野盗の言葉に、ネスティは低所にいるを庇うような位置に立って、口を開く。
「バカが! こんな所で無防備な姿を晒すから、こういうことになるんだ!」
「知ってるわよ、そのくらい」
「何――!?」
「それじゃあ、レオルド。さっき言った通り、お願いね」
「了解シマシタ」
叱責を軽く流されてしまった疑問は、次の瞬間驚愕に塗り替えられた。
ふわり、と。の身体から発せられた魔力が光となり、彼女を中心にして円を象ったから。そして、呪文と共にそれは魔方陣を描き出す。
――誓約の儀式。
けれど、これはネスティの記憶にはないものだ。
己の魔力で直接魔方陣を形作る者など、見たことがない。そのような必要など、そもそもないからだ。その役目は、サモナイト石が負っているのだから。
それに、呪文。恐らく、呪文だと思われる。けれどその言葉は聞いたことなどなく、何を言っているのかもわからない。彼女の口から紡がれるそれは、まるで歌のようだった。
「やっちまえ! 術が完成する前は無防備なんだ!」
不意に聞こえた野盗の声で、ネスティは振り返った。が、そこにはもう間近に剣が迫っていて。
――ガキィンッ。
やられる、と。思った次の瞬間、黒い影がネスティの前に現われ、金属音が響いた。
「レオルド……」
ネスティを庇ったレオルドは、剣を受け止めたドリルでそのまま野盗を払い飛ばす。
その人外の強力さには、流石に野盗も引いたようで、距離を保っていた。
「すまない」
「あるじ殿ノ御命令デス」
素直に己の失態を詫びると、事務的な答えが返ってきた。
先程が言っていたことがそれか――と。納得と共に再び目を向ける。
異界への門は開いたようだ。何かが光となってこちらへと現われようとしている――と。急にその光は、が手にしている杖へと吸い込まれるようにして消えてしまった。
突然の出来事に驚いているのは、も同じらしい。けれどすぐに何かわかった顔になり、こちらへと駆けてきて――レオルドの前へ出て、野盗へ向けて大きく杖を薙ぎ払った。
――ビュオオオオオオォォォォッ!!
凄まじい風が杖から発して竜巻となり、野盗たちを全員捕らえて高くへと飛ばしてしまった。
風が収まった後には、一ヶ所にまとまって気絶している野盗の姿が。
「すっごおーい……」
呆然と呟くの手の中、杖から今度は光がにじみ出たかと思うと、それはカラス天狗の姿へと変わる。
「これ、あなたの力なの?」
「あ、いや、あの……自分でもビックリしてるっていうか……」
「え、それじゃあ、この杖の力なのかしら」
「多分……」
召喚主の疑問に、同じく呆然としたままはっきりとした答えを返せないでいるカラス天狗。
一体何が起きたというのか。
聞いたことのない呪文で、見たこともない誓約の儀式を行なった。全く知られていない力を発揮したカラス天狗。
それだけでも理解できずにいるというのに、更に問題がある。
機属性のはずの彼女が、鬼妖界から召喚獣を呼んだ。
調律者(ロウラー)と呼ばれたクレスメントの一族は、全属性の召喚術を扱えた。その力の片鱗が、既に現われ始めているというのか。
誓約の儀式のことといい、このことを報告すれば彼女は必ず危険視されるだろう。
ただでさえ、その血の故に邪険に扱われているというのに……任務の変更で派閥内に一生幽閉――最悪、その命すら奪われかねない……ッ。
報告、できるはずがない。
では、どうすべきなのか。彼女を守るために、自分ができることは何なのか。
考えなければいけないのに……時間が、ない。
「……一旦引き返すぞ。こいつらを役人に引き渡すんだ」
「はいはい、わかってるわよ」
今からゼラムへ戻り、役人に事情を説明するとなると、時刻は夕刻になるだろう。再出発は明日。これで少し時間ができるはずだ。
その間に、何とか考えなければ。彼女を守りつつ、一人前として派閥に認めさせる安全な方法を――
危機感もまるでなく野盗を縛り上げているを見て、ネスティは決意を新たにした。