第 1 話
2・二種の杖

「え? 名前、ないの?」
 蒼の派閥にある自室にて。捕らえた野盗を役人に引き渡してその事情説明をネスティが行なっている時間を活用し、聖斗を交えてレオルドにしたのと同様に盟約について説明し終えた後のこと。
 いざ盟約という時にカラス天狗が告げた事実に、はきょとんとして聞き返した。
 椅子に座るカラス天狗は、「おう」と、ひとつ頷いて。
「おれらカラス天狗にとって、名前ってのは一人前の証なんだよ。つまり、成人の儀式のひとつとして与えられるもんなのさ」
 カラス天狗族のしきたりを教えてくれた。
 敬語を取り払ったその口調が、彼本来の話し方らしい。盟約の説明を……対等でいたいのだというこちらの意図を話してから、ころっと変わったのだ。
 急な変化に驚きはしたものの、はそれを気に入っていた。礼儀正しい聖斗とわんぱくなカラス天狗のコントラストが面白くて。何よりも、人間を恐れ嫌うことなく、本当に対等に見てくれているということがわかったから。
 だからこそ、もまた素のままに話す。
「じゃあ、子供はみんな名前ないの?」
「おう。子供ん時は、集団で生活すっからな。特に必要でもねえんだ」
 個性や個別能力を求められることはなく、独り立ちに必要なことを皆同じように教えられている――ということ、なのだろう。
 何となく、イメージ的に『スズメの学校』が浮かんで、とても微笑ましく思えた。
 それはさておき。
「確か、聖斗も似たようなこと言ってたわよね?」
 聖斗と盟約を交わした時のことを思い出し、と同じくベッドにちょこんと座る彼に尋ねると、「はい」とカラス天狗と同じようにひとつ頷き説明してくれた。
「僕たちサプレスの住人にとって、名前はとても重要なものなんです。名前を知られるということは、自分の運命を……生命を握られてしまうようなもの。ですから、力の弱い者たちは、名前を持たないようにしています」
 サプレスの住人は皆、精神生命体。肉体と魂を持つ他の世界の生物と違い、魂のみの存在。
 だからこそ、名前の持つ影響力は大きい。特に、エルゴの支配するこの世界では。
 『界の意志』が世界の源であり、『真の名』が存在を支配する鍵となる理を持つ、この世界では……
 属する世界により理由は違えど似たような風習があることに何を感じたのか、カラス天狗は聖斗へと感嘆の声を向ける。
「へえ……つまり、名前知られても他人の影響受けねえぐらい強いヤツだけが、名前持ってんのか」
「はい。ですから、あなたの言う『一人前の証』と同じことですね」
「だな。世界が違うのに同じようなしきたりがあるって、なんか面白えな」
「そうですね」
 同じ思いでいたのだろう。楽しげに笑ったカラス天狗につられて、生徒も笑い声をこぼす。
 小天使と見習いカラス天狗。見た目的な年齢が近い所為か、こうして仲良く笑い合う姿は、とても心和む光景だった。
 感化され、笑顔で二人を眺めるの姿に気付き、カラス天狗が怪訝な顔をする。
「……なに笑ってんだよ」
「何でもないよ♪」
 そう答えはしたものの、笑みは消えなくて。
 少しムスッとしたカラス天狗を宥めるように、話題を本題へと戻す。
「それより、名前どうする? 聖斗みたいに私がつけてもいい?」
 問いかけで先程の不機嫌さは消えた模様。カラス天狗は『聖斗』という名にようやく気付いた風体で、名を持たぬはずの小天使を見た。
「あん? なんだオマエ、名前持ったんか?」
「はい。確かに僕の力はまだ弱いですけど、サプレスで名乗らなければいいことですし。それに、仮に知られてしまっても、さんと交わした盟約の力が僕を守ってくれますから」
 盟約は、誓約とは違い、被召喚者を支配するものではない。けれど、名前によって離れ難い繋がりを結ぶのは同じ。
 誓約の力そのものが鎖となって被召喚者を絡めとり、他者の介入を許さないのが『誓約』。一方『盟約』は、真名によって魂を結び合わせた絆をパイプにして、常時術者の魔力が被召喚者を包む。
 どちらにしろ、それらは被召喚者側に『守り』としての力を持つのだ。違いはそれが、『支配』であるのか『自由意志』であるのかということ。
 そのことを簡単に、そしてどこか誇らしげに語った聖斗。
 その心から信頼しきった表情を眺めていたカラス天狗は、不意に笑みを浮かべて。
「いいぜ、おれにも名前つけてくれよ」
 挑戦的言葉で、了承を返してきた。
 サプレスにおいては、己の運命を左右する『名前』。恐らくカラス天狗族のしきたりでも、一人前の証ということ以上の何かがあるはずだ。
 その名付けを許してくれたことが嬉しくて、は素直に笑みを浮かべた。
 それから期待に答えるべく、彼にぴったり合いそうな名前を考える。
「えーっと……それじゃあ、ねえ………………『勘九朗(かんくろう)』……っていうのは、どうかしら?」
「勘九朗、か……」
 が考えた名前を、彼は響きを確かめるように呟いた。その後も何度か呟き、ふんふんと頷いて――にかっと笑った。
「勘九朗、いいんじゃね?」
「よかったぁ……それじゃあ、盟約の儀式、してもいいかしら?」
「おう!」
 元気な返事に笑顔を返し、少しだけ場所を移動する。
 家具のない僅かに開けた床の上、カラス天狗とは向かい合って立ち、再び魔力で魔方陣を描き出した。
 魔方陣の内には二人だけ。その中で、呪文を――盟約の言葉を紡ぐ。
「《我が名は。我が呼び声に応えし者、シルターンに生まれしカラス天狗よ。汝が求めに応じて、我は汝に名を与えん。我が与えし『勘九朗』の名のもとに、我が友とならんことを願う》」
「《よ。我、汝が与えし『勘九朗』の名を受け入れ、汝が友とならんことを約束す》」
 一方的な押し付けで成り立つ誓約の儀式とは違い、相手の言葉を必要とする盟約の儀式。
 友となる約束を取り交わして儀式は終了。魔法陣も消え、この時からカラス天狗の名は勘九朗となった。
「これからよろしくな、!」
「ええ、よろしくね、勘九朗」
 満面の笑みで差し出された勘九朗の手を、もまた笑顔でとって握手を交わした。
 旅立ち初日。こうして新たに出来た友との楽しい時間を過ごして、幕を閉じたのだった。



 翌日。早めに休んだお陰かいつもより早く目覚めることができたは、ネスティが起こしに来ないのをいいことに、のんびりと食堂で朝食を摂っていた。
 忘れずに食後にコーヒーも飲んでから食堂を出て、自室へと戻る途中のこと。
「おお、じゃないか」
 聞き慣れた声に振り返ると、軽く会釈する。
「おはようございます、ラウル師範」
「ああ、おはよう」
 講義に向かうところなのか、いくつかの本を小脇に抱えたラウルが笑顔で答えた。
 そういえば、こんなイベントもあったな――と。未だ回転の鈍い思考の片隅で思い出した時、にこにこと笑うラウルが口を開いた。
「そうそう、聞いたぞ。出かけて早々に、野盗を捕まえたらしいな?」
「はい。実戦経験を積むためと、話に聞いていただけの『町の外での危険』を経験しておくために、隙を見せたら出てきてくれましたから」
「ほう、なるほど。色々なことを知るための旅じゃからのう。して、結果はどうじゃったね?」
「初めてならあのようなものかと。とりあえずは、なんとかやっていけそうです」
「ホホホッ、そうかそうか」
 朗らかに笑ったラウルの顔が、ふと疑問を刻む。
「ん、ネスティはどうしたね?」
「知りません」
 ある意味予測通りの、当然ともいえる疑問に、は端的に答えた。
 ラウルは困ったような呆れたような顔になって。
「知らぬとは……置いてきたということかね?」
「珍しく起こしに来なかったので、先に朝食を済ませてきたところです。部屋に戻ってみて、それでもまだ来ていなかったら、そうなりますね」
「そういうわけにはいかんじゃろう?」
「いきますよ。私は護衛獣と共に見聞の旅に出ろとは命じられましたが、監視役がつくことも知らされませんでしたし、監視役に従えとも命じられていませんから。監視役が私の行動に合わせるべきであって、監視役の行動を私が関知する必要は一切ありません」
 ネスティ個人ではなくあくまで監視役としか認識していない言葉の数々には、流石のラウルも嘆息した。
、そうあの子を邪険に扱うものではないよ。多少厳しいかもしれんが、悪気があってのことではないのじゃからな」
「私にとっては同じことです。……いえ、むしろ悪気があってくれたほうが、まだ救いはありますね」
……」
「支度がありますので、失礼します」
 悲哀感を含んだ声音も無視し、一礼を残してはその場を後にした。

 ……そう、悪意があってくれたほうがまだいい。嫌って、憎んでくれたほうがマシなのだ。
 いくら好意を向けられようと、己の存在を認められないのでは意味などない。
 誰かの代わりに向けられる好意など、拷問以外の何物だというのだろう……
 けれど、それももうすぐ終わる。10年も耐えてきた拷問も、残り1年はない。この旅が……戦いが終われば完全に解放されるのだ。
 大丈夫。ちゃんと存在を認めてくれる者はいる。
 聖斗、レオルド、勘九朗は、『』を知る者たち……『』のために存在していてくれているから。だから、大丈夫。耐えて、いける。
 それに、もう一人……運命に抗いながら『』を認知してくれているものも――

「ミモザ!!」
 王城へと向かう途中の高級住宅街。こちらへとやって来るふたつの人影を見つけ、は片方へと駆け寄りそのまま飛びついた。
!!」
 気付いたミモザ自身、両手を広げて受け止め姿勢を作ってくれて、飛びついたをぎゅっと抱きしめる。
「久し振りじゃない。すっごい偶然ねー……って、偶然じゃないのかな、ひょっとして?」
 小声で言われた後半の問いに、ミモザの胸に顔を埋めたまま小さく頷く。
 やはり、彼女は『』を認知してくれている。ちゃんと『』が話したことを覚えていてくれている。
 そのことが嬉しくて、溢れそうになる涙を隠すため、頭を更に埋める。ミモザもわかってくれたのか、抱きしめる腕に力を込めてくれて……それがまた、今のにとっては支えとなった。
! 呼び捨てにするなんて先輩に失礼だろう!?」
「いいのよ、あたしが許可してるんだから。っていうかね、あたしの言うこと聞かずに未だに他人行儀な呼び方するネスティのほうが、あたし的には失礼だと思うけどねー?」
「う……」
 小うるさいネスティも、ミモザが代わりに撃退してくれて。
 ようやく少し落ち着けたは、強張らせていた身体から力を抜いた。
「おいおい、ミモザ。ネスティ、困ってるじゃないか」
「いいじゃないの、久し振りなんだし」
「まったく……ところで、は窒息していないかい?」
「させてないわよ」
「……してません」
 まさかの不安を呟いたギブソンに答え、とりあえずは顔を上げた。でも、まだ離れはせずに、ミモザの肩に頭を預ける。
 その、どう見ても先輩後輩の関係には思えないべったりくっついた様が不満らしく、苛ついたネスティの声が。
「……、いい加減に離れて、ちゃんと挨拶したらどうだ?」
 ネスティへの対応は、基本的に無視すると決めている。今回もそれに則(のっと)り、聞こえない振りで頭の向きを変えただけ。
 すると、味方であるミモザが、またも代わりに対応してくれた。
「再会の喜びを身体で表現してどこが悪いのよー? これだって立派な挨拶でしょー」
「ミモザ先輩、を甘やかさないでください。礼節をわきまえなければ、自身が困ることになるんですから」
「……ネスティ、ひょっとしてうらやましいの?」
「な――ッ!?」
「うらやましいならうらやましいって言えばいいじゃない。相変わらず素直じゃないわねー」
「違います!! 話をはぐらかさないでください!!」
「じゃあ、やきもち焼きさん」
「ミモザ先輩!!!」
「あー、はいはい、そこまで」
 パンパン、と。手を鳴らして止めに入ったギブソンの、盛大な溜息が聞こえて。
「ミモザ、あまりネスティをいじめるんじゃない」
「いじめてるんじゃなくて、からかってるの」
「同じことだろ。ネスティも落ち着くんだ。ムキになって反論するから、ミモザは面白がるんだからね」
「はい……」
「それから、も。ミモザのわがままに無理して付き合うことはないからな?」
 思いがけず向けられたギブソンの言葉に、鈍っていた思考を働かせた。
 普段のミモザの言動が言動なだけに、今回のこの挨拶代わりの抱擁も彼女の強制と思われてしまったらしい。
 そんなことは、決してないのだけれど。
「失礼なこと言わないでくれる、ギブソン? は他人のわがままに嫌々付き合うような子じゃないわよ」
「ええ。これは、私がこうしていたかっただけなので」
 これ以上はミモザに迷惑がかかってしまう。
 気持ちも持ち直したので、はミモザからやっと身体を離した。
 ようやくまともに見えた彼女の顔は、ほんの少しの心配を覗かせた笑みを浮かべている。
「もう、いいの?」
「ええ、ありがとう、ミモザ」
 小さく笑うことで彼女の想いに応えると、ミモザの顔からも心配の色は消えてくれた。
 心配事も解消したところで戻った本題。
「ところで、護衛獣もいて堂々と本部から出ているってことは、ひょっとしなくてもキミたちもお仕事?」
「ええ、任務と称した追放命令を受けて、無期限の見聞の旅に出るところです」
「あら~、それはまた……オメデトウ」
「ありがとうゴザイマス」
「ミモザ、……会話の内容がおかしいぞ?」
「そんなコトナイわよ~」
「ないデスヨ」
 わざと片言発音で喋る女二人に、男二人の顔は揃って怪訝を作り出した。
 だが、彼らの疑問に答えるつもりはない。そんな気があるなら、初めからこんな会話はしない。
 追及は無駄だと思ったのか、それとも運命の導きか。それ以上このことに触れることなく、彼らは決められている会話へと戻っていった。
「……がしっかり勉強していたら、こんなことにはならなかったんですが」
「いや、これはこれでいい機会じゃないかな」
「旅をすることで初めて見えてくることって、案外あるものよ?」
「その通りだ。私自身、色々と考えさせられたものだよ。だから、あまり悲観することはないさ」
「私は別に悲観してなんかいませんよ。誰かさんが物事全部否定的にしか捉えられないひねくれ者なだけです」
 としては、事実を告げただけ。けれど『追放』という言葉に引っかかってしまったらしく、ギブソンが向けてきた励ましの言葉へ、いつものようにネスティへの嫌みを込めた言葉で返した。
 当然、彼が黙っているはずはなく。
「……誰のことだ、それは」
「自覚がないというのが質の悪いところです。私はレオルドと楽しく過ごそうと思っているのに、わざわざ雰囲気悪くしてくれて……本当、迷惑な話です」
 例によってネスティへは直接返すことなく、ギブソンたちへと言葉を続けた。
 いつもならここで彼の怒声が上がるところだが――今回は上手がいる。
「そうよねー。やっぱりなんだって楽しみたいわよねー。あたしだってそうだったわよ、西への任務の時。そりゃ確かに遊んでる余裕がない仕事なのはわかるけど、だからって四六時中緊張しっ放しじゃ保(も)つわけないじゃないの、長期任務なんて」
 ミモザが同意を示し、ネスティは声を出す機会を奪われて開いた口を閉じざるを得なくなった。
 更には彼女のその言葉で、パートナーであるギブソンの顔が渋くなる。
「何事に対しても長続きの秘訣は、やっぱり楽しめるものを見つけるものだと思うもの。使命感や義務感だけでやっていけるほど、人間は強くもなければ単純でもないからね」
「そうそう。だからあたしは無理矢理にでも気を紛らわせてあげてたのよねー。なのにギブソンってば怒るんだもの」
「だから……今はちゃんと理解も反省もしているし、感謝だってしているよ……」
 とうとう名指しで過去を掘り返され、ギブソンの顔はバツの悪いものへと歪む。
 けれどそんな相棒に、ミモザは横目で疑いの眼差しを投げかけるだけ。
「どうかしらねえ?」
 全く信用していないミモザの姿には、ギブソンも少し頭にきた模様。片眉が跳ねはしたが、それでも声を荒らげることなく事実を静かに告げる。
「今回の任務では、休憩も定期的にとって気分転換もしているし、食事だって抜いていないだろう」
「気分転換にパズルをやりだすのはどうかと思うけど」
「方法は人ぞれぞれだろう」
「頭使いっ放しじゃ休憩にならないじゃないの」
「君だって本を読んで、頭も目も使い通しじゃないか」
 反論に反論が返る、実にテンポのいい会話。険悪なように見えて、その実、互いを想い合うが故の指摘。――真のパートナー同士であることの証明……
 は目を細め、口許に笑みをはいてそれを見守っていた。
 ふと、その会話が止む。視線に気付いたのか、後輩との会話中であった事実を思い出したのか。ギブソンがこちらを向いたための中断だった。
 の顔を見た彼は、どこか気まずそうに口を開いた。
「あー……、どうかしたのかい?」
「いいえ? 相変わらず仲がよろしいなと思っただけですよ」
 くすくすと笑い声をこぼしつつそう返すと、ギブソンの頬はほんのりと赤く染まってあらぬ方へと目を向けてしまう。ミモザは――少し申し訳なさそうに苦笑していて。
 ギブソンに返した言葉に含められている真の意味に気付かれたことを、は悟った。
 二人のような関係を決して築くことはできない者たちを率いて旅をしていかなければならない立場だからこそ抱いた、自分には手にすることのできないものを易々と持ち得ているミモザへの羨望を……
 けれどそれはミモザの所為などではない。半分は運命という名の強制であり、残る半分は自身が選んだこと。真の自由を得るために、茨の道を進むことを――だから御門違いな感情であるのは重々承知している。
 その思いを、は決意を込めた瞳と笑みで彼女に伝えた。するとミモザは一瞬泣きそうに顔を歪めたかと思うと、再び抱きしめてくれて。
とだって仲良しでしょ~? ……あたしは、いつでもあなたの味方よ」
 男二人への誤魔化しの後の、にだけ聞こえるように囁かれた言葉に。心からの笑みを浮かべてミモザを抱きしめ返す。
 巧妙に仕組まれた流れの中で違和感を抱き、『』の存在に気付いてくれた唯一の人。今尚、それを修正しようと働きかける運命に、自力で抗い続けていてくれる存在。
 彼女の存在に、どれだけ救われているだろう。大丈夫……頑張れる。彼女がいてくれるなら、それだけで耐えていける。
「そうね。……ありがとう。頼りにしているわ……とても、とても、ね」
 ミモザがしたようにして彼女の想いに応えると、ミモザはそっと身体を離した。そして、優しくて力強い笑顔をくれる。
「困ったことがあったら、いつでもいらっしゃい。あたしたち、この先の屋敷で仕事してるから」
「ええ……」
 ――近いうちに、必ず。
 ――待ってるわ。
 最後に、唇の動きだけで約束を交わし、は再び戦いの中へと足を進め始めた。


 ――何故、と。ネスティは思った。
 王城前の広場に着いた途端、はレオルドに命じてその腕に座ると、人だかりの上から高札を見ているようだったのだが、然して経たずに両手で自分の耳を塞ぐという不可解な行動をした。
 その、次の瞬間のこと。

「よーし! これだぁっ!!」

 人だかりの中から、その場の空気を震わせるほどの大きな男の声が上がったではないか。
 その後も彼女は耳を手で覆ったまま、じっと一点を見つめて。

「この野盗団の賞金はオレがもらったーっ!」

 自信満々に宣言しながら去っていくくすんだ草色の髪の大柄な男を見送って、ようやくはその手を下ろした。
 彼女の一連の行動は、あの男があれほどの大声を二度も上げるということをあらかじめ知っていたように思えてならない。
 いくら機械兵士の腕に乗り視点が高くなっていたとしても、人だかりは一様に高札を見ていた――つまり彼女からは後頭部しか見えないはずなのに。二度目の大声は先のことがあれば予測は不可能ではないとはいえ、彼女は最初から耳を塞いでいた。
 予測できるような情報を得られない中で、何故彼女はそれらを知ることができたのだろうか――と。

 また、繁華街でも疑問は増えた。

「そこの人! なんとかしてそいつを捕まえてくれ~っ!」

 両手いっぱいに食べ物を抱えて逃げる亜人を追いかけていた店主らしき男がそう叫んだ。
「……勘ちゃん」
 無表情に何事かを呟いたは、自分のほうへと駆けてくる亜人の足元へ向けて、手にしていた杖を無造作に放った。
「ぅわっとぉっ!?」
 急に足元に転がってきた杖に、亜人の注意が逸れ走る速度が落ちた。それでも足を取られて転ぶこともなく杖を跳び越した――刹那。
「わぁっ!? なになにぃ!?」
 杖から発生する風がまるで牢のように亜人を囲い、捕らえたのだ。
 目を白黒させていた亜人は自分が何かに捕まったとわかると、じたばたと暴れ出す。
「ヤだヤだ、出してぇ~!!」
「駄目よ。悪いことしたら捕まるのは当然なんだか、ら……っ」
 言葉の途中で、は息を呑んだ。
 どうしたのかと疑問を抱いた一瞬後、それは氷解した。亜人の目が危険な光を放ったのを、ネスティも見たからだ。
 誰が動くよりも早く、亜人が毛を逆立て――
「出せぇっ!!」
 ――バンッ!
「きゃっ!?」
 身を屈めた一瞬後、亜人は力の限り跳躍した。
 恐らく、そこが最も風の弱いポイントだったのだろう。亜人が風の牢を抜けた瞬間、流れを狂わされた風が弾け飛ぶようにして周囲に散り、一番近くにいたへと襲い掛かった。
 しかし、護衛獣であるレオルドがその巨体を以って主人を庇い、は無傷で済んだようだった。
「大丈夫デスカ、あるじ殿?」
「わりぃ! 大丈夫か!?」
「え、ええ……大丈夫。ちょっとびっくりしただけよ」
 表情を強張らせるへ、レオルドと、そして杖から姿を現わしたカラス天狗も声を掛けた。はぎこちなく頷き、大きく息を吐き出して緊張を緩めようとする。
 そんなを嘲笑うように亜人は振り返り、
「イーっだ!」
 小さな子供のように歯を剥いて見せてから、再び走り出した。
「アイツ……っ」
「勘ちゃん」
 見た目からして子供のカラス天狗が亜人の挑発に乗りかけたのを、が静かに宥める。
「けど……っ」
 納得がいかないように主人を振り返ったカラス天狗も、静かに首を振るの姿で高ぶった感情が急速に冷えたらしい。
「待てえぇぇっ!!」
 小太りの店主らしき男が重そうな足音を響かせて通り過ぎていくのを見送って、しゅんと肩を落とすカラス天狗。
「わりぃ……捕まえきれんかった」
「いいのよ、今はこれで。ありがとう、勘ちゃん」
「……ん」
 落ち込んでいるカラス天狗の頭を優しく撫で、はやわらかな微笑で労った。
 主人からの叱責がなかったことに安堵したのか、少しだけ笑って見せたあと、カラス天狗の姿は送還の光に包まれて、消えた。
 カラス天狗を見送ったは、亜人と店主の走り去った方向へ目を向けたあと、何事もなかったかのように別の方向へと歩き出したのだった。
 その後をついて行きながら、ネスティの内には幾つもの疑問が渦を巻いていた。
 昨日、導きの庭園でと話して以降、ネスティは彼女をよく観察するようにしていたのだが、その結果は不可解で疑問だけが増えただけだった。
 授業はサボってばかりいて、テストの点数だって決して良いものではなかったのは事実だ。魔力制御だって最後まで苦手としていて、誓約の実技でもタライだの木片だの、失敗続きだった。
 けれど、派閥では教えていない方法で召喚し、派閥では知られていない技をカラス天狗から引き出してみせた。
 それが旅支度の際に片付けていた大量の本から得た知識を基にして独自に編み出したものだとしたら……何故彼女はそれを報告しなかったのか。報告していれば、今回の実質追放命令など受けずに済んだのみならず、派閥内でもある程度の地位すら与えられたかもしれないのに。
 それほどに、彼女が行使してみせた召喚術には価値があると、ネスティには思えた。
 なのに何故、わざわざ不出来な見習い時代を装っていたというのか……そうやって実力を隠していたという事実がある所為で、その価値すら危険視の口実にされてしまうだろう。
 何故、そのような自分で自分の首を絞めるようなことをするのだろう。……そう、町の外へ出てすぐに、わざと野盗たちを誘き出したようだったこともだ。何の目的があってのことだったのか、結局ネスティは聞けずにいた。今までの無視という対応を見れば、聞いても答えが返らないことは目に見えていたからだ。
 ……不可解なのは、彼女が築く人間関係もだ。
 昔からミモザにだけはよく懐いていたことは知っていたが、それは好意的な同性が他にいないからだとネスティは思っていた。
 けれど――先程の遣り取りを見る限り、そのような環境的な理由でもなければ、まして単なる好き嫌いといった感情的な理由でもない気がしてならない。
 あれは……明らかに、何かの秘密を共有している者同士の遣り取りだ。そして、その故に、はミモザに心からの信頼を寄せている。
 また、それは彼女が召喚した者らとも同様だった。
 レオルドは機械兵士であるからだろうが、あのカラス天狗は明らかに昨日と態度が違っていた。繁華街での会話から察して『勘ちゃん』というのはカラス天狗の名前なのだろう。
 通常、誓約の儀式では召喚獣の真名を聞き出すことで成功となるが、支配されるとわかっていて素直に名を教える者などまずいない。だから術式の中で強制的に知るか、若しくは力の弱いものなら種族名で誓約を掛ける。
 カラス天狗は鬼属性で初級に位置する召喚獣だ。種族名で充分なのは明白。
 にも拘らず、はカラス天狗を名前で呼び、カラス天狗もまた親しい友人のようにに接していた。
 何故だ、と。ネスティは思う。
 10年もの間、ずっと側にいたのは自分なのに、何故彼女は自分には心を開いてくれないのか――と……
 長い、永い年月、一族の者が望み続け、そして叶うことなく果てていった、この世界で唯一の友であるクレスメント家との再会。最後の一人となったネスティが、ようやく果たせたというのに……クレスメントはもはやライルの友ですらなくなってしまったというのだろうか。――否。ただ彼女が己の一族のことを知らないだけだ。
 ネスティの中に脈々と受け継がれてきた記憶が、ネスティを突き動かす。クレスメントから離れるな、彼女を守れ――と。
 ネスティ自身も、彼女を守りたいと思う。彼女が自分に向けてくれる笑顔を、見たいと思う。
 なのに――

「レオルドって、隠密行動には――どう見ても向いていないわよね……」
 いつの間にか辿り着いていた導きの庭園で、がまた不可解なことを呟いた。
 レオルドも一瞬、戸惑うように沈黙してから、答えを返す。
「……ハイ。空気圧ヲ調整スルコトニヨッテ、駆動音ヲアル程度抑エルコトグライナラバ可能デハアリマスガ……ソレガ何カ?」
 具体的なその答えには満足げに頷いて――ネスティは嫌な予感を覚えた。
「それだけできれば充分よ。今日は、これから流砂の谷へ行って、野盗たちのアジトを見てこようと思っているから」
「な――っ!?」
 ネスティは、思わず絶句した。けれど、すぐにレオルドとの間に割り込み、声を荒らげる。
「何を考えているんだ君は!? 自分がどれだけ危険なことを言っているのかわかっているのか!? 死にに行くようなものだぞ!?」
 昨日、軽々と野盗を倒したことで、自分の力量を過大評価でもしたというのか。アジトに行くということは昨日とは比べ物にならない人数がいるということであり、また寄せ集めとはいえ組織を相手にするということの危険をまるで理解していない発言だった。
 彼女を守るため、止めるのは当然だ。
 なのに、は煩わしげに表情を歪めてネスティを見て。
「人の言葉を正しく理解すらできないような無能は黙っていなさい。監視役に決定権はないのよ。あなたの役目は、ただ私を見張り報告することでしょう。分を超えるようなことはしないでちょうだい」
 どこまでも冷え切った眼差しで、言葉で、ネスティを射抜いた。

 ――何故だ、と。ネスティは心の中で叫んだ。
 守りたいと思い、どうすれがいいのか考え、最善であるよう心砕いているというのに。
 何故、伝わらないのか。何故、こちらの思いを踏み躙り、努力を無にするようなことばかりするのか。
 何故、自分の存在を、認めてくれないのか――……

 引くこともできない中、ネスティは荒れ狂う様々な心境で、を睨みつけた。