第 1 標
期待への第一歩

「少し……考えさせてくれ……」
 強くなるためにアドバイスが欲しいからマネージャーになってほしいと訴える切原赤也に対して返したの答えは、これだった。
 なおも言い募ろうとした赤也の言葉は鳴り響いたチャイムによって遮られ、そこで二人の接触は断ち切られての望みどおり保留期間へと突入したのだった。

 何故すぐに断ることなく保留としたのか。自分でもはっきりとした答えを出せぬまま、は土手の上から眼下に広がるテニスコートを眺めていた。
 5面あるテニスコートに散らばり、部活に励む男子たち。その中に一人、マネージャーらしき女子の姿もある。
 それぞれの動きをしばらく観察していたは、不意に表情を歪めると踵を返してその場を去った。

 として生まれてから、テニスは何かと縁のあるスポーツだった。だから、全くの初心者というわけではない。
 だが、マネージャーとして彼らの中に混ざるということには、どうしても拭えぬ抵抗感があるのだ。
 それは、彼女の中にある、もうひとつの記憶に由来する部分が多い。
 には、いわゆる『前世の記憶』というものがあった。女子中学生らしくない落ち着いた態度も、男のような喋り方も、皆そこから来ている。あまりにも鮮明に覚えているため、人格自体は以前のままなのだ。
 ――かつて、遠い異国の地に男として生まれた。叶えたい願いがあり、成し遂げた夢があった。友がいて、部下がいて、沢山のものを得て、多くのものを失った。そして故郷を離れてこの日本に渡り、妻を娶り子をもうけ、天寿を全うしたのだ。
 未練は、特になかった。確かにすべてが望みどおりになったわけではないし、苦渋の選択をしたこともあったが、少なくとも死にたくない、もう一度生きたいなどとは願うことはなかった。
 なのに、今、こうしてかつての記憶を抱いたまま生まれ、生きている。
 その自分の異質さを自覚しているが故に、人の和に踏み込むことに躊躇してしまうのだ。
 そして、決して答えが出ないとわかっている理由を求めては、その後ろ向きの思考を振り払い現実へと向き直るために走りに出るということの繰り返し。
 それが、の現状だった。

ちゃん、何か困ったことでもあった?」
 夕食時、唐突な母の問いかけに、は顔を上げた。
「……いや、別に何もないが……」
 前世の記憶を持っていることは、誰にも話していない。もちろん両親にも、だ。
 幼い頃より、年齢にも性別にもそぐわない話し方をするおかしな娘を、両親は嫌な顔ひとつせず愛し育ててくれている。そんな彼らに隠し事をしていることに心が痛まないわけではないが、これ以上余計な心配をさせたくはなかったから。
 心を隠し取り繕うことには慣れている。――けれど。
「でも、何か悩んでいるでしょ?」
 確信を持った母の言葉に、二の句が継げない。
 この人は、昔からそうだった。のことをよく見て、小さな変化を見逃すことなく、その悩みを言い当ててくれる。
 それが母親独特のものなのか彼女自身の性格なのかはわからないが、どちらにしろは母には敵わないというのが事実なのだ。
 溜息をひとつつくと、素直に白旗を上げる
「学校で、テニス部のマネージャーになってほしい、と……後輩に頼まれたのだが……」
「なんて答えたの?」
「……少し考えさせてくれ、と」
 前世のことについては、今更話す気はない。もう生活の一部として取り込まれてしまっているので、両親もそれに関する変化は気にしていないだろう。
 だから、最近の――本当に悩んでいることを告げてみたのだけれど。
「つまり、何故その場で断ることなく保留にしてしまったのかが自分で把握できずに戸惑っているのね」
 今回もまた、母は見事にの現状を言い当ててくれた。……母、恐るべし。
 は首肯を返し、魚の煮付けを口に運んだ。相変わらず、母の料理は一級品だ。
 夕食を進めていると、「ん~」と母の可愛らしい唸り声が食卓に踊って。
ちゃんは、自分が嫌なことはわかっているし、ちゃんと断れるでしょ? その場で断らなかったってことは、少なくとも興味はあるってことだと思うわ」
「だな。本気で嫌いなら、いくらあの子がしつこく誘ってきても、テニスをすることはなかっただろう?」
「……まあ、確かに、嫌いではないが……」
 父も加わった会話に、同意する。けれど、それだけのことなら悩んだりはしない。
 確かにテニスは嫌いではないし、マネージャーにも興味はあるといえるだろう。だが、部活は……前世の記憶という他にも、として決めたことがあるから。
「私には、優先させるべきことがある」
 はっきりと告げると、両親は顔を見合わせ、そして深く溜息をついてから父が口を開いた。
。おまえが自分で選び、決めたことは私たちも充分承知している。だがな、やはり私たちにとっては、おまえが何よりも大切な一人娘なんだ。大人の都合に振り回されてほしくないんだよ」
「もう充分でしょう? ちゃんは充分に約束を果たしたわ。もう、ちゃん自身のやりたいことをやっていいと思うの」
「それは……」
 続いた母の言葉に、は表情を曇らせ俯く。
 母は静かに首を振ってから、優しく語りかけた。
「あのね、ちゃんが本当にやりたいことを見つけられなくて、ずっと悩んでいるのも知っているのよ?」
 前世を覚えているが故の弊害とでも言おうか。ただひとつの目的を目指して、突き進んだ。そしてそれを成し遂げたことを鮮明に覚えているから……『今』、本当にやりたいと思えるものが、夢中になれるものがわからずにいた。
 同じものを求めるつもりは、最初からない。その必要すらない。
 ならば、何をすればいい?
 何故、もう一度生まれたのか。何かを果たすために生まれたのか。答えの出るはずのないその問いに囚われたままのは、自分の進むべき道を見い出せずに迷い続けて今まで生きてきていたのだった。
「だからね、少しでも興味を惹かれたのなら、まずはやってみるのがいいと思うわ。やってみなければ、好きになるか嫌いになるかもわからないでしょ? 案外、夢中になれるかもしれないじゃない?」
 似たようなことを、過去にも聞いた。その時は音楽に興味を持ち、バイオリン教室に通わせてもらった。だがそれも夢中になるには程遠く、趣味の域に留まって終わった。
 部活も、興味を惹かれた書道部に入った。あの集中する時の張り詰めた空気は好きだが、やはり一過性のもので突き詰めるほどの魅力は感じられずにいる。
 決め事も……確かに中学生になった今、限界が近づいているのはわかっている。それでもまだ、形を変えての方法はあるのだろうが……以前ほどの重要性がなくなるのは確実。――逃げ口実に使うのも、もう潮時、か。
 人の和に踏み入ることを恐れたままではいられない。そろそろ、本格的に一歩踏み出すべきなのかもしれない。
 ならば、これはいい機会だろう。
「……やってみても、いいだろうか?」
 覚悟を持って顔を上げると、そこにはふたつの満面の笑みがあって。
「「 もちろん 」」
 もまた笑みを返して見せた。



「紅林教諭。あなたは確か、男子テニス部の顧問であられたな?」
 朝のHR終了後。廊下に出た紅林祐介くればやしユウスケは唐突な言葉に足を止めた。
 この独特な呼び方と言葉遣いは、学校中探してもたった一人しかいないだろう。振り返った先には案の定、受け持ちのクラスの女子生徒、がいた。
「ああ、そうだが。それがどうかしたのか?」
「マネージャーとして入部を希望する。許可をいただけるだろうか?」
 思いがけない内容に一瞬固まってしまったが、すぐに頭をフル回転させる。
 一時限目は確か自習だったはず。彼女の今までの成績から見て、多少時間を使っても問題はないだろう。
 そう判断した紅林は、踵を返して言った。
「話を聞こう。ついて来なさい」

 対話場所に選んだのは、進路指導室。進路相談を受けることを目的のひとつとしているため個室があり、テーブルとソファも完備されていて丁度よかったのだ。
 ソファに対面して座り、紅林が訊ねた。
「マネージャーを希望ということだが……は今の所属は?」
「書道部だ」
「兼部は可能だな。だが、急だな。大抵は学年が変わる前には決めておくものだろう? 何かきっかけでもあったのか?」
 この答え次第では入部を認めるわけにはいかない。
 ――今までも、二年になってからマネージャーを希望する女子は、男子テニス部に限らずいたものだ。そのほとんどが、異性目当てのもの。思春期になる子供たちには仕方がないこととも言えるが、そのために純粋に部活動に励んでいる部員たちの邪魔をしてもらっては困るのだ。
 まして立海の男子テニス部は、15年連続関東大会優勝を果たし、昨年は全国大会も優勝。王者と謳われる強豪なのだ。その名を地に落とすわけにはいかない。
 今までの彼女の生活態度を見る限り、そのような浮ついた様子はないが……何分、まだ担任になって日が浅い。二面性を持つ者など、生徒に限らずごまんといるのだ。簡単に判断を下すことはできなかった。
 は一度目を伏せた後、真っ直ぐに紅林を見て、言った。
「一年の切原赤也をご存知か?」
 特定の部員の名に、紅林の眉がぴくりと跳ねた。だがそれ以上の変化は出さずに、ひとつ頷く。
「ああ、入部早々レギュラーに挑みかかり三強に返り討ちにあっていたな。見所のある新入部員だが、それが?」
「その切原に、マネージャーになって欲しいと頼み込まれたのだ」
 ……また、随分と予想を斜めにぶっちぎる答えが返ってきたものだ。
「どういうことだ?」
 努めて平静に問い掛けると、彼女の口からは当時の状況がわかりやすく語られた。
 それが事実だとするなら、彼女がマネージャーになることは部としても大きな益があるだろう。
 だが――本当にそれを信じてもいいのか。作り話の可能性はないと言い切れるのか。教師としては褒められたことではないのは重々承知しているが、部を思えばこそ疑いをきちんと晴らさなければならない。
「それでは、切原を育てるためにマネージャーになりたいということか?」
 わざとただ一人の名前だけを挙げて、問う。マネージャーは、誰か一人のためのものではなく、部員全体を支えるものでなければならないから。
 彼女の真意を探るための問いに、は静かに瞑目し、何かを思い出すようにして語った。
「切原に頼まれて後、しばらく部活動の様子を観察してみたのだが、レギュラーとそれ以外の部員との間には大きな差があるように見えた。マネージャーの姿も見受けられたが、レギュラー以外には関わっていなかったように思う」
「それは……」
「大会という目標がある以上、レギュラーが優先されるのは仕方がないだろう。だが、レギュラーのみの育成に力を注ぎ、次代の者を育てることを怠るならば、王者の名は簡単に地に落ちてしまう」
 それは、紅林も危惧していることだった。わかってはいるのだが、自分には現状をどうすることもできない、そんな問題。何故なら、顧問ではあっても教師である以上片付けなければならない仕事もあり、生徒のように毎回部活動に顔を出せるわけではなかったから。
 それでもなるべく時間を作っては見に行くようにしてはいるのだが、結局は部長をはじめとする部員たちを信じて任せるしかないのが精一杯の現状だったのだ。
「では、が次代の者を育ててくれるというのか?」
「上を目指しているのは何も切原だけではないだろうし、夢を掴めるか否かは個人の素質と努力次第ではあるのだが……少しでもそれを伸ばせる手助けができるというのなら、やってみたいと思う」
 真っ直ぐに紅林を見つめる海色の瞳には曇りは一切なく、決意の光を宿していた。その光は、紅林の心にも一筋の希望を与えるものだった。
 紅林は二枚の紙を取り出し、彼女へ向けてテーブルの上に置いた。
「これが現在のレギュラーと他の部員たちとの練習メニューだが、どう思う?」
「ふむ……これが、それぞれのこなせる量だとするなら、基礎体力からして差があるということになる。そこから埋めていかなければならないだろう。それと、見たところ新入生だが全くのテニス初心者はほとんどいないように思う。基本は大切ではあるが、このメニューは初心者用であって彼ら向きではないな」
 二枚の紙に目を通したは、すぐに意見を述べた。決意を支えるだけの実力も備えていることが窺え、紅林は自分の心が期待に満ちていくのを感じた。
「改善策について、何か思い浮かぶか?」
「パワーリストとパワーアンクルは使用しているだろうか?」
「……そうだな……レギュラーの中で個人的に利用している者はいるが……部員全員分を購入するとなると、部費の問題がある」
「ドリンクは市販のスポーツドリンクか?」
「ああ、マネージャーが買い出しに行っているが……」
「真夏の7、8月以外は麦茶にしてはどうだろう。スポーツドリンクよりは安上がりだが、効果としては大差ないはずだが」
「……レギュラーはともかく、他の部員は40名以上だ。自身の手間が増えることになるぞ?」
「構わん。それがマネージャーの役割であろう?」
 挑戦的な笑みを浮かべて言い切ったの姿に、紅林もまた笑みをもって答える。
「わかった、検討してみよう。、マネージャーとして、部員たちを頼む」
「了解した」
 彼女の落ち着き堂々とした態度のせいだろうか。教師と生徒のはずなのに、何故か紅林は己と同等の立場の、まるで同志を得たような感覚がして。
 自然と差し出した手をもまた自然な形で取り、二人は固く握手を交わした。



 放課後、真田弦一郎は真っ直ぐに女子テニス部の部室へと向かう。何もやましいことがあるわけではない。
 ここ数年、立海大学附属中学校では女子テニス部への入部希望者がなく、実質廃部状態で、反対に部員数が増加傾向にある男子テニス部がその部室とテニスコートを使用しているのだ。
 元・女子テニス部部室は、現在レギュラー以外の部員たちの部室だ。マネージャーのいないこちら側の鍵は副部長である真田が預かっているための務めだった。
 テニス部の部室は、部室棟から独立して現在はテニスコートの脇にある。更衣室と倉庫、そして洗濯機などもある給湯室の三室からなる建物だ。
 更衣室と倉庫の鍵を開けた真田は、最後に給湯室へと向かった。その途中、窓から給湯室内に人影が見えて、一瞬ギクリと身を固くした。だが、すぐに気を引き締めると、給湯室の扉に手をかけ、勢いよく開け放つ。

「誰だ!? そこで何をしている!?」

 開けると同時に怒鳴り込むと、室内にいた人物はビクリと体を跳ねさせてからこちらを向いた。
 金に近い茶色の髪と、海色の瞳を持つ人物。学校指定の体育ジャージを着ていることからテニス部員ではないし、不審者でもない。
 ただ――何故だか、どこかで見た覚えがあるような引っ掛かりを覚えた。
「驚いた……もしや、副部長か?」
 相手の問い掛けで、思考の海に飛びかけていた意識を戻し、頷く。
「ああ、そうだ。おまえは誰だ? どうやって入った?」
「私は二年のという。今日からこちらのマネージャーとなった。鍵は昼休みに顧問から受け取ったのだよ」
 言いながら、その人物――は、ポケットから鍵を取り出して見せた。確かにそれは、真田が持つものと同じものだった。
 すべての疑惑が晴れ、真田はやっと緊張を解いた。
「そうか。俺も二年だ。真田弦一郎という。仕事についてはわかるのか?」
「ああ。昼休みの内に大体は顧問から聞いている。とはいえ、まずはこの部屋を片付けなければならないようだが……」
 に倣い、真田も室内に視線を向ける。必要最低限使用する範囲以外は、見事に散らかっていた。数ヶ月前までマネージャーがいたとは思えない有様だった。
「すまんな。一応注意はしていたのだが」
「男だけではこんなものだろう。やりがいがあって丁度いいさ」
 挑戦的に笑って言った
 どうやら骨のある人物のようだ。途中で仕事を投げ出すようなことはないだろう。
 期待に緩んだ口許を引き締め、真田は踵を返す。
「そうか。あと10分もすれば全員揃うだろう。10分後、一度掃除を中断してテニスコートまで来てくれ。全員に紹介する」
「了解した」
 すぐに返る返答に誠実さを感じた。
 期待とともに安堵にも満たされた真田は、何も心配することなくその場を後にし、自らも着替えるためにレギュラー用となった男子テニス部部室へと向かった。



 切原赤也は、部活に来るなり浮かれてしまった。
 それも無理はない。がマネージャーとして入部するという、彼にとって待ちに待った瞬間が訪れたのだから。
 とはいえ、マネージャーである以上、様々な雑用をまずはこなさなければならず、赤也の望みであるアドバイスをもらえる状況にはまだなっていなかった。
 練習メニューをこなしながらそわそわとその時を窺う赤也の目に、部室に行ったままだったの姿がようやく映った。
 いくつもの籠を載せた大きな台車を押してコートへと歩いてくる。クーラーボックスも見えるから、休憩時のドリンクとタオルなのだろう。各コートを回りその脇にあるベンチにクーラーボックスと籠を1セットにして置いていく。
 ――と、その足がふと止まる。<の視線を辿ってみると、練習に励む部員の姿。何だろうと思う間もなく、の表情が険しくなった。
 そして、止まっていた足が再び動き出す。向かう先は、コート内。
 ずかずかと進んでいったは、遠慮の欠片もなく一人の部員のラケットを握る手首を掴んだ。そして、言い放つ。
「今すぐ練習を止めてコートの外に出ろ」
「な――っ、何なんだよテメエ!?」
「それ以上、悪化させたいのか」
「っ!?」
 突然の命令に反抗を示した部員だったが、鋭い眼差しに射抜かれてか言葉を失い、手を引かれるまま素直にコートを出て行く。
 その時、休憩を告げる笛の音が響き渡り、赤也をはじめの行動に気づいていた者たちは彼女のもとへと集まった。
 コートから連れ出された部員はベンチに座らされ、靴下を脱いでいるところだった。露わになった足首は、赤く晴れていて。ウエストポーチから取り出したテープで、はその足首に手早くテーピングを施していく。そして籠からタオルを、クーラーボックスから氷を取り出して足首に見事に固定した。
「このまま冷やして、今日一日安静にしていろ。明日になっても腫れが引かぬようなら医者に診てもらえ」
「あ、ああ……悪い」
「……名は?」
「野々瀬、貴志……二年だ」
 野々瀬貴志ののせタカシと名乗った部員に頷くと、は立ち上がり、集まった者たちを見渡して。
「野々瀬、それから他の者も。怪我を隠して益となることなどない。異変を感じたらすぐに声を掛けてくれ」
 マネージャーの言葉に、聞いていた全員がしっかりと頷いた。
 そうして各々休憩に入る中、赤也は半ば呆然としてに近づき、言った。
先輩、テーピングとかもできたんスね」
「できなければ、マネージャーを引き受けたりはせぬよ。切原、ラケットを貸してくれ」
「何するんスか?」
「仕事に決まってるだろう」
 言われるままに差し出したラケットを受け取ったは、足元に落ちていたテニスボールを手にしたラケットで軽く弾いた。黄色い球は綺麗な放物線を描いて、近場にあったボール籠の中へと見事に入ったではないか。
 同じようにしてコート中に散らばったボールを籠に納めていく。籠から少し遠くまで行った彼女は、今度は一度高く上へボールを弾き上げたかと思うと、落ちてきたそれをラケットで打った。
 綺麗なスマッシュだ。ボールはやはり籠へと吸い込まれるかの如く納まった。
「すっげー……」
 そんな方法で次々と球拾いを進めていくの姿に、赤也の目は釘付けになる。
 籠にスマッシュを決めるくらいなら、赤也にだってできる。けれど彼女のように百発百中のコントロール力はまだないのが実状だ。しかものスマッシュは、既に籠内にあるボールに当たってもそれらをこぼすことがないのだ。
 狙った場所に球を打つコントロール力と、絶妙な力加減。の持つ技術力の高さを知るには充分すぎるほどで、赤也は興奮を抑えることができなかった。
「先輩! やっぱテニス経験あったんスね! すごい上手じゃないっスか!!」
「技術があることと強いこととは同義ではないよ。――使い終わったタオルと容器は別の籠に入れておいてくれ! 後ほど回収する!」
 戻って来たに感動をそのまま伝えると、彼女はラケットを返しながらあくまで静かに――赤也にはよく理解できない内容を返してきた。
 技術があまりなくても強い人は確かにいるが、高い技術を持っていて弱い人はそんなにいないと思う。
 そんなことを考えた赤也の前では必要事項を部員たちに伝え、返事があったのを確認してからまたどこかへと歩き出して。
 赤也は慌ててその背に駆け寄り、頼む。
「先輩! アドバイスしてくださいよ!」
「明日まで待て。部室を片付けてしまわねば、雑用に無駄な時間を取られすぎるのだ」
 何をしているのかと思えば、部屋の掃除とは。けれど、給湯室の散らかり具合を思い出して、納得はできた。
「明日っスね! 絶対ですよ!! 約束しましたからね!!」
 ひらりと片手を上げて答えたの後ろ姿は、物凄く男らしく見えて。
 赤也は興奮と期待とでいっぱいになり、その日はずっと笑みが消えなかった。



 ドリンクを口にしていた幸村精市は、聞こえてきたインパクト音に顔を上げた。
 休憩も取らずに練習を続けて体を壊す者が、新入部員にはよく見られること。今日もそんな勘違い部員が現れたのかと思い、注意しようとしたのだが――違った。
 黄色い球を打っているのは、テニス部のジャージではなく、体育ジャージを着た者……今日新しく入ったマネージャーだった。どうやら球拾いとしての行動らしい。
「ほぉ……運動神経がいいのは知っていたが、テニス経験があるとのデータはなかったな」
 隣に来た柳蓮司の感心した呟きに、幸村も内心同意する。
 ――と、視線に気付いたのか、そのマネージャー、が真っ直ぐに幸村へと向かって歩いてきて。立ち上がり、彼女を迎える。
「やあ。テニス上手いね。始めて随分経つのかい?」
「おまえたちと同じテニス馬鹿な従弟に、会う度に付き合わされただけにすぎんよ。それより、確か部長はおまえだったな?」
「うん、何か用事かい?」
「二年の野々瀬が足首を捻挫している。今日の部活は無理だろう」
「酷そうかい?」
「明日になっても腫れが引かなければ病院行きだが……おそらく大丈夫だろう」
「わかった。ありがとう」
「いや」
 淡々と必要事項を告げて再び球拾いに戻る姿を、目を細め楽しげに見送る。
 柳も球拾いという名のテニスをする様子を、じっと観察しているようだ。
「姿勢もいいし、コントロールも力加減も申し分ない。マネージャーとしての能力も高そうだ。……期待できそうだな?」
「そうだね」
 顧問から、後輩育成のためのマネージャーだとは聞いていたが、はっきり言って半信半疑だった。今までマネージャーという存在に良い思い出がないための偏見だったと、この時になってやっと自覚したあたり、まだまだ青い。
 目の当たりにした彼女の実力、そしてさっぱりとした男っぽい性格。
「これからが、楽しみだ」
 新たなレギュラーとなれる人材が、どれだけ育つのか。
 幸村は、期待に胸を膨らませた。