男子テニス部に新しいマネージャーが入った。
マネージャーという存在に不信感を持っているはずの部員のほとんどが、今回はたった一日で彼女を受け入れてしまうという奇妙な事態が発生していた。
特に、三強が揃って彼女を期待できると評価したのは驚きだった。
とはいえ、仁王雅治も新しいマネージャーに期待している一人である。ただし、その期待は他の者たちの持つものとは少しずれているが。
仁王の期待は、マネージャーとしての役割に対してではなく、彼女自身と彼女を取り巻く人間関係に対してのもの。それは、興味本位から来る期待――つまり、好奇心を満たしてくれるような人間模様の観察ができるのではないか、という期待だった。
そしてその期待は、彼女――がマネージャーとなった翌日には、既に叶えられようとしていた。
「「「 ――っ!! 男テニマネになったって本当かあーっ!? 」」」
朝練習が終了し、HRまでの僅かな時間。
教室へとやって来たを迎えたのは、三人の男子生徒だった。ちなみに、クラスメイトではない。
全く予想外の展開だったのだろう。は戸のところで立ち止まり、目をぱちくりさせた。一呼吸し、口を開く。
「本当だが、それがどうした?」
あっさりとした返答。不測の事態でもフリーズすることは、あまりないらしい。
それに対して男子生徒たちは、今にも泣き出しそうな興奮状態で口々に訴え始める。
「どうしたって、マネやる気があるならバスケ部に来てほしかったんだよーっ!!」
「サッカー部にこそ来てほしかった!!」
「いや、バレー部だ!!」
「おまえらは大会優勝記録あるんだからいいだろーがよ! サッカーなんかここ数年何も成績残せてねえんだ!! 県大会ぐらい優勝してーんだよ!!」
「るせえっ!! こっちだって結局関東大会止まりなんだ!!」
「全国目指してどこが悪い!!」
「テニスは去年全国優勝したじゃないか!? もういいだろ!?」
「そうだ! 今からでも遅くねえ!!」
「「「 ! 是非ウチのマネージャーになってくれっ!! 」」」
どうやらそれぞれに運動部に所属し、を自部のマネージャーとして勧誘に来たようだ。
もう既に遅いだろうに、諦めきれないが故の行動か。お互い喧嘩に発展してまで無駄な奪い合いをする姿には、教室内の無関係な者たちも呆れ返っている。
手遅れな勧誘を受けた当人はというと――
「ちょっと待ちなさいよ、男子どもっ!!」
教室内からあがった第三者の声により、開きかけた口を閉ざす羽目に陥っていた。
声を掛けられた三人含め、教室中の視線が声の主へと集まる。いたのは仁王立ちで三人を指差す一人の女子生徒。
「なに勝手なこと言ってるのよ! マネージャーなんてもったいない!! はね、あたしたち女子バレー部が選手としてほしいくらいなんだから!!」
「「「 ぐっ…… 」」」
何を言うのかと思えば、運動部による争奪戦への参加表明だったらしい。しかも、男子三名は何も言い返せなくなるという状態。の運動神経の良さを熟知しているということ、か……まだそれを知らない他のクラスメイトたちは、呆れたりきょとんとしているし。
で、奪い合われている当人は、先程逃した機会を取り戻し、ようやく口を開いた。
「とりあえず、落ち着け、おまえたち」
深い溜息とともに出た言葉で、注目がへと戻る。
「吉田。私は器用貧乏なだけで、勝利への執着を持てぬから選手には向いていないと、以前にも言っただろう」
「それがもったいないのーっ! 選手がダメならコーチになってほしいくらいなのーっ!!」
地団太を踏みそうな勢いで、握り拳を激しく上下に振る女子生徒。呆れた様子でそれを見つめていたの口からは、再び溜息が。
「吉田……それに上西、千葉、小林も。今更部を変える気は、私にはない。私の所属は男子テニス部と書道部だ。それ以上増やすことは不可能だよ」
はっきりとした断わりの言葉。それでもまだ諦めきれないのか、諦めたくないのか。4人は不貞腐れたように小さくブーイングをし始める。……随分、親しい間柄のようだ。
やがて一人が疑問を投げかけた。
「なんで、男テニにしたんだよ? 運動部に入る気ねえって言ってたのに」
「何故と言われてもな……そうだな。きっかけは、頼み込まれたから――か?」
疑問符付きの答えを聞いた途端、成り行きを娯楽感覚で眺めていた仁王へと男子三名――と、クラス中の視線が向けられた。
思わぬとばっちりが来たが、それさえも仁王には楽しいと思えた。
「おまえか仁王おぉ――っ!!」
「なんでじゃ。相手が違うダニ。聞いた話じゃ、切原赤也っちゅう一年らしいナリヨ」
楽しむ内心を表情には出さずに返せば、視線は再びへと向かう。
はひとつ頷いて肯定を示した。
「ああ、間違いない。あとは、私の事情の変化と個人的な興味による結果だ。だからもう諦めて、それぞれ教室へ戻れ」
「いーやーだー」
「「 諦めきれねえよ! 」」
まだなお食い下がる三人に対し、困った表情を浮かべて本日三度目の溜息をこぼしたの背後で何かが動く。それは――
「だがな」
「おーまーえーたーちー……チャイムはとっくに鳴ってるぞ! さっさと戻れ!!」
「と、いうことだ」
の言葉を遮る形で怒声を響かせたこのクラスの担任である紅林祐介だ。
背中に目でもついているのか、は全く驚くこともなく三人に言葉を投げかけた。その内容から考えるなら、初めから紅林の存在に気づいていてその行動すら予測していたように思えてならない。
流石に教師が登場したのであっては、三人も引き下がるしかないのだろう。未練がましい目を向けつつも、と紅林の横を通り抜けてそれぞれに自分の教室のほうへと慌しく戻っていったようだ。
「騒がせてすまんな」
「いいから、おまえも席に着け」
戸を閉めた紅林へが向けた謝罪の言葉は、随分と気安い。目上の者に向けるべきものではないそれに対する紅林の反応もまた、親しみのあるものだった。
苦笑を浮かべ出席簿で軽くの頭を叩く紅林と、笑みをもって頷き返すの姿は、教師と生徒というよりはまるで兄妹のように見えたくらいだ。
昨日まではそんなことはなかったと思ったが……紅林は男子テニス部の顧問でもある。恐らくその繋がりで親しくなったといったところだろう。
観察と考察を続けている間に近付いてきたへと、仁王は笑顔を向けて。
「お隣さん、人気者じゃの。どんな繋がりじゃ?」
「昨年のクラスメイトだよ」
声量を抑えて話しかけると、あっさりと答えが返ってきた。
隣の席へ着く姿を目で追う仁王へ、彼女もまた一瞬だけ視線を投げてきて、刹那の間だけ目が合った。すぐに前を向いてHRに集中している素振りではあるが、その実、意識は自分へと向けられていることが仁王にも伝わる。その証拠に、今度は彼女のほうから小声で話しかけてきた。
「テニス部だったのだな。……確か、レギュラーのほうでその派手な頭を見た覚えがある気がする」
仁王の髪は銀色だ。髪の色や長さなどが自由なこの学校においてもそうそう冒険をする者はおらず、黒や茶が大半を占める中で銀髪は確かに目立つだろう。
の素直なその認識に、仁王はくつくつと小さく喉を鳴らして笑う。
「そうじゃ。先月のランキング戦でレギュラーになり、今月のランキング戦で防衛したからの。おまんの世話になることはなかよ」
「わからんぞ。また落ちるかもしれんだろう?」
「不吉なこと言うんじゃなか」
確かに、ランキング戦は毎月ある。レギュラーで居続けるには相当な努力が求められるのだ。
まして今は、このがコーチ兼任マネージャーとして入部しているのだ。レギュラーが入れ替わる可能性は、以前よりずっと高くなっていると見ていいだろう。
仁王としては、レギュラーの座を譲る気はないが、今より強い者が増えてくれること自体は大歓迎だ。それ自体が、延いては己の成長に繋がるのだし。
とはいえ、己を見てニヤリと笑ってそんなことを言われては、すねてみたくもなるというもの。今度は彼女のほうがくつくつと笑って。仁王は仕返しというほどでもないが、話題を変えることにした。
「それに、派手さのことなら人のこと言えんぜよ」
「ん?」
「金茶髪に青い目じゃし、おまんも充分目立つナリヨ」
「ああ……父方の祖母がイギリス人でな。父も青い瞳をしているよ」
なるほど。同年代の女子と比べて高い身長も、少し彫りが深いように思えた顔も、混血であるが故ということか。
新たに得た情報で仁王の顔が自然と緩む。
「新レギュラーになれる人材は育てられそうか?」
「それは各人の努力次第だろう。私にできることは現レギュラーとの差を縮められるような練習メニューを提供してやることだけだ」
真っ直ぐに前を見据えて言われた言葉は真剣そのもの。それは単にHRを進める教師の目を誤魔化すための偽装でもなく、愛想のための謙遜でもなく、本心からの言葉。
教師の中にも生徒を自分の正しいと思う型に押し込めることを当然だと疑いもしない者がおり、まして子供なら自分に何ができるのか正しく理解すらできていないのに大言を吐くばかりだというのに。
彼女は自分の分をきちんと弁えている。即ち、自分には何ができて、どこまでなら踏み込んでいいのかという境界線を理解しているのだ。
大人でも難しいそれを、己と同年代のまだ子供と呼ぶべき年齢で自然とやってのけている彼女自身の人間性に対しても、仁王はさらに好奇心を刺激されているのを自覚する。
「クククッ、期待してるナリヨ」
笑い声とともに告げた言葉。は胡乱な目を向けてくると、深く溜息をついて。
「過剰な期待は禁物だと思うがな」
マネージャーとしての仕事以外のことが大半を占めていた言葉だと、まるで見透かしたかのような言葉を返してきた。
やはり、面白い。
このような面白さを知って、期待するなというほうが無理な注文だろう。
がこれから先、どんなことをして見せてくれるのか。そして、それに対して部員がどんな対応をするのか……特に部員の大多数は、ある勘違いの故に彼女をすんなり受け入れたのだろうことは明白。それが露呈した時のことを思うと、楽しみで仕方がない。
湧き上がる楽しさが笑い声となってこぼれた仁王は、しばらく笑顔が消せなかった。
「あ、いたいた、真田くーん!」
昼休みの中庭。木陰のベンチで弁当を広げて雑談をしていた、テニス部内で三強と称されている幸村、真田、柳は、聞き覚えのある少女の声で顔を上げる。
声の主は、現在レギュラー側のマネージャーである二年の二階堂りな。大きな半透明のビニール袋を手に提げて近づいて来ていた。
「何か用か?」
「あれ? それ麦茶かい?」
呼び掛けられた真田が端的に用件を尋ねた横から、幸村が二階堂の持つ袋の中身に興味を示して問い掛けた。
すぐ側まで来た二階堂は軽く袋を持ち上げて見やすいように示して頷く。
「そーなのよ、幸村くん。顧問にね、7、8月以外はドリンクを麦茶にするって言われて、今日の朝練のあとに渡されたのよ。昼休みに作っておけば放課後の部活に間に合うからって!」
透けて見えるビニール袋の中身は彼女の言う通り、市販のティーバッグタイプの麦茶と大きめの冷水筒のようだ。
状況を察した柳は、ひとつ頷く。
「なるほど。それで部室の鍵を借りるために弦一郎を探していたのだな」
「さっすが、柳くん。せーかーい♪ ということなので、給湯室の鍵貸して、真田くん」
「む、わかった」
本人の口から用件を確かに聞いてから、真田はそれに応えて動き出す。上着の内ポケットから取り出した小さな鍵束の中からひとつだけ取り外して、二階堂へ差し出した。
「ありがと、真田くん。……もう、今まで麦茶にするなんて話自体出たことなかったのに……これって絶対あの新しいマネージャーが何か言ったせいでしょ」
「……可能性は高いが……」
「スポーツドリンクを40人分毎回作るだけでも大変なのに、自分の首絞めてどーするのって感じ! それでもし音を上げて辞めちゃったりしたら、みんなが迷惑するってこと全然理解してないでしょ、あの人!」
鍵を受け取っても立ち去らずに愚痴と批判を言い始めた二階堂の姿を、真田は眉根を寄せ、柳は無表情のまま見るだけ。
そして幸村は、明らかに作り物の笑みを浮かべて口を開いた。
「自分の首を絞めているのは、君も同じじゃないのかい?」
「え? 何が?」
「早く行かなければ昼休みが終わってしまうという意味だ」
幸村の笑顔の仮面にも、その下に隠された不機嫌なオーラにも全く気づくことなくきょとんと聞き返す二階堂。
彼女に答える気のない幸村と真田に代わり、柳が溜息とともに説明した。
すると「あっ」と小さく声を上げた彼女は、わざとらしくちろりと舌を出して困り顔を作って。
「いっけなぁい。じゃあ、また部活で!」
「鍵はそのまま持っていろ。無くすなよ」
「はぁい!」
笑顔で手を振り駆けて行く後ろ姿を、三人は冷めた目で見送って。やがて視界からその姿が消える頃、誰からともなく嘆息がこぼれ出た。
「会計は柳だったな。何か聞いているのか?」
未だ眉間に皺を刻み、睨むように二階堂の去ったほうを見たままの真田が口を開いた。問われた柳は、食べ終えた弁当箱を片付けながら頷く。
「ああ。レギュラーとの体力差を埋めるため、全部員にパワーリストとパワーアンクルを購入すると。購入元からは大量購入特典に割引してくれるとの話があり、その資金確保のための節約として自ら提案したそうだ」
「効果的には麦茶でも問題はない。自分の手間よりも部員の成長を優先する、か……」
「マネージャーとしては正しい判断だね。心構えからして優秀そうだ」
やっと不機嫌さが治まった幸村の言葉に、真田も柳も異論はなかった。
そして、もうひとつ。同じ考えでいるであろうものを形にしたのは、柳。
「そう言ってしまうと、愚痴をこぼしていった二階堂が愚劣なマネージャーだと言っているようなものだぞ?」
あえて疑問の形にしたそれに、果たして二人は否を唱えなかった。
「そうだね。失格とまでは言わないけど……明らかに本性を現してきてはいるよ」
「……ミーハー、か……」
先程の愚痴もそうだが、何よりも鍵だ。どこにいるのかわからない真田を探し回るより、事務室に行って合鍵を借りるほうが確実で早い。昨年からずっとマネージャーをしていた彼女ならそれを知っているはずなのに、あえてそうしなかったのだ。
その理由など、無駄話をするため――と、自分のマネージャー振りを見せ付けるため以外に考えられるはずもない。
何故、マネージャーになる女子は皆こうなのか……今年卒業したマネージャーもそうだった。自分の都合を優先し、邪魔とまでは言わなくとも目障りな行動が多かった。それでもマネージャーとして最後までいたのは、最低限の仕事だけはしていたから――そして、彼女同様卒業した先代の部長が、劣悪な環境でもテニスに集中する精神力を養うためにあえて彼女を放置したからだった。
だから、二階堂に幸村たちが望むことも、ただひとつだけ。
「最低限の仕事だけはしてほしいものだな」
マネージャーの本分を忘れずに、問題を起こさずにいてくれることだけだ。
真田の切実な呟きに、幸村は本音を返す。
「それすらしなくなったら首切るよ、俺は。仕事をしないなら、それはもうマネージャーなんかじゃなく、ただの邪魔な部外者なんだから」
毒舌ともいえるその言葉に、けれど二人は呆れることもなくただ納得する。テニスに集中したい者にとっては、それこそが真の望みだからだ。
けれど、問題がないわけではない。
「そのほうがすっきりしていいのは認めるが、そうすると僅かとはいえテニスに割く時間が削られてしまうのは痛いな。一人に頼るのは酷だろうし」
マネージャーがいなくなれば、その仕事を自分たちで負担しなければならなくなってしまう。使用した道具の片付けは慣れているし、洗濯物は持ち帰れば済むが、ドリンクの用意は少々手間だ。どう考えても練習時間を削らざるを得ないのだ。
まあ、仕方ないといえばそれまでだが……
だが、柳の言葉に、真田が否を唱えた。
「そうか? 40人が50人に増えたところで大差はないだろう。神埼は骨のある男だ。嫌な顔ひとつせずやると思うが」
その、真田の言葉に。
「……真田?」
思わず二人は固まってしまった。
己を見る幸村と柳の何ともいえない眼差しに気づき、真田は眉を顰める。
「なんだ。どうしたというのだ」
「どうしたって……」
幸村と柳は顔を見合わせ、そして柳がそれを言った。
「弦一郎。は女子だぞ?」
……間。
眉を顰め疑問を投げかけたときのまま真田が停止し、彼の反応を二人が待つ。
珍しくも妙に開いたその沈黙の時間は、真田が聞いた言葉を理解し、柳が嘘や性質の悪い冗談を言わない性格であることを思い出し、疑ってすらいなかった事実が覆された衝撃を自覚するまでに要した長さを物語る。
それが時間にすると、一体どれだけだったのか。
いきなり真田の両目がくわっと見開かれ――
「なんだとっ!?」
――キーンコーンカーンコーン……
ようやく反応を示した叫び声は、昼休み終了を告げるチャイムの音とほぼ同時だった。
幸村と柳は溜息をこぼすと、弁当の包みを手にベンチから立ち上がる。
「確かに、背も高くて中性的な顔立ちだし、あの喋り方だから間違えるのも無理はないと思うけど……だからって驚きすぎだよ、真田」
「制服姿を見たことがなかったようだな。これは、他の部員も勘違いしている可能性が高そうだ」
「ま、待て! おまえたちは最初から知っていたのか!?」
慌てて立ち上がり、建物へと向かう二人へと真田は足を進めると同時に問い掛けた。
未だ信じ難い色を含んだそれに、幸村は足を止めて振り返る。
「当たり前じゃないか。男だったら期待なんかしないよ、俺は」
「女子だからこそ、期待しているんだ。弦一郎、おまえは今のままで良いと思うのか?」
柳もまた、足を止めて静かに問う。
思いがけず真剣な二対の瞳に射抜かれ、真田の頭も冷静さを取り戻した。二人の言わんとしていることを、正確に読み当てる。
「今の……部室が分かれて以降始まったという、女子マネージャーの悪しき慣習を打ち砕いてくれることを期待している――ということ、か……」
レギュラーを優先してくれるのは、正直助かる。だが、不必要な応援や雑談をする余力があるのなら、その時間は他の部員のためにも用いるべきなのだ。
なのに、それをしなくなってしまった。複数のマネージャーがいるなら、それでもいい。だが一人しかいない時でもレギュラー側の分しか仕事をせずに、レギュラーとの関わりに時間を割いていた時代もあったと聞いた。
部員たちは皆、テニスをするために部活に来ている。それは己の技を磨き力をつけ大会という目標を達成するためであって、マネージャーと仲良しごっこや擬似恋愛をするためではない。
マネージャーも含め一丸となり、目標に向けて切磋琢磨していく毎日を積み重ねていける――その理想の部活動が現実となるために。
「そう、だな……俺もそれは期待したいところだ」
同じ結論に至った三人は誰からともなく笑みを浮かべるとひとつ頷き、大きな期待を胸に秘めて校舎へと戻っていった。
放課後。それは多くの生徒が部活動に励む時間。ある意味、一日の内で最も学校が活気付く時と言っても過言ではない。
勿論、王者と謳われているテニス部とて例外ではない。
ただし、今日のテニスコートには、その活気に少しばかり陰りがあった。
その陰りとは――困惑。
「肩に力が入りすぎている。腕の力だけで打とうとするな。体全体を使うんだ」
「あ、はい……」
昨日入ったばかりのマネージャーであるはずのがコートに出て部員たちにアドバイスをするという、今までになかった光景に対する困惑だった。
一年生はが年上ということもあり、困惑しつつも素直に従っていた。それに対して二年生と三年生が何も言わないのは、の言う内容が適切であったためと、何よりその事実に驚いてしまっていたからだった。
様々な理由はあれど、誰一人としてあからさまに意地を張って反抗しなかったのは、昨日の球拾いの様子が記憶に新しかったことが大きな要因といえよう。
そして何より――
「センパーイ!! オレにもアドバイスしてくださいよー!!」
「手を休めるな、切原。見なければアドバイスのしようがないだろう」
「うぃーッス!」
三強に返り討ちにされて以来ギスギスしていた赤也が笑顔でアドバイスを求める姿に、その実力の確かさを見た気がしたからだろう。
そのような状況により、テニスコート内に困惑と期待とが入り混じった活気が満ちた頃のことだった。
「そこの赤い髪の」
が次に目を留めた部員に呼び掛けたのだが、そのわかりやすいがあまりの言葉に、呼ばれた当人のみならず聞こえたほとんどの者が呆れた顔をした。ちなみにテニス部内に赤い髪は一人しかいない。
「……二年の丸井ブン太だぜい」
その赤い髪の持ち主は、三年生とラリーを続けながら呆れを隠そうともせず声音に乗せて名乗ることで返事に代えた。
もまた丸井の動きをじっと見たまま、口を開く。
「そうか。丸井。おまえ、足を怪我したことでもあるのか?」
「ん? いや、ねえけど?」
「だったら、打つ時に右足に体重を乗せるようにしてみるといい」
全く意図の読めない質問の後に来た、アドバイスもまたさっぱり理由がわからない。それでも、今までのアドバイスの的確さを丸井自身も感じ取っていたため、言われたことを試してみることにした。
ところが、どうにも上手くいかない。やってみて気づいたのは、一度体に染み付いた動きの癖を変えるのはかなり難しいのだということ。ボールに反応して動く体は既に無意識の産物でしかなく、体に意識を向けようとするとボールを追う感覚が疎かになってしまうのだ。
「意識しなければ何も変わらないぞ、丸井」
「わかってっけど、難しいんだって!」
「だろうな」
ボールを優先すれば動きを変えることができない。ふたつの感覚を両立させることがここまで難しいとは思わず、素直にそれを訴えればあっさりとした同意が返ってきた。
上手くいかない現実も相俟って、カチンと頭にきた。わかっているならもっと具体的なアドバイスをしてくれてもいいのではないだろうか。
だが、ここで切れて投げ出してしまうほど丸井は短気な子供ではない。
「そもそも、それで何が変わるんだ、――よっ……あ?」
試行錯誤しつつ愚痴を呟くだけで不満を消化しようとした丸井の口から、不思議そうな声がこぼれた。
が笑みを刻む。
「わかったか?」
「ちょちょちょっと待て! もう一回だもう一回!」
一瞬の感覚に思わず動きが止まってしまった丸井は、目の前に返ってきた黄色い球との言葉で我に返り、再びラリーを続ける。
先程の感覚を思い出し、それを求めてボールを何度も打ち返す丸井。その顔は見る見るうちに驚きと、そして何よりも喜色に染まっていった。それは例えるなら、新しい遊びを見つけた子供のよう。
何故、彼がそんな顔をするのか。端から見ている人間には見当もつかなかった。それはラリー相手の三年生とて同じ。見た目には、特別変わったところはないのだから。
何が起きたのか。それは――
「何これ!? 、これ何だよ!! すっげー打ち易い!!」
「おまえは右足を庇うような、おかしな動きをしていた。それにより崩れた下半身のバランスを上半身で庇う形になり、結果、体全体に負荷がかかっていたのだよ。崩れたバランスを元に戻すことで負荷が消え、無理なく打てるようになっただけだ」
崩れていたバランスが整うことで楽に体が動かせるようになった、ということ。
は何でもないことのように淡々と説明したが、今まで誰一人として気づけなかった悪癖を僅か数回見ただけで見抜いたのだ。それは決して小さなことではない。
誰よりも丸井自身がその事実を実感していて。
「すっげーよ、おまえ!! マジ、サンキュー!!」
興奮状態で丸井はに飛びついた。
その、直後。
「あ――――――っ!! 何やってんスか先輩!!」
赤也の叫び声が上がり、丸井の体は彼によってから引き剥がされた。
いつもなら、年上に対する礼儀をみっちり教えてやるところだが、残念ながら今の丸井にそんなことを考える余裕はない。先程の興奮はどこへやら、引き剥がされた体勢のまま見事に固まっている。
そんな丸井の様子に気づいてすらいない赤也は、へと抗議する。
「なんで避けないんスか、先輩!?」
「あ、ああ……懐かしい色だったので、つい……」
「ついじゃないっスよ!! 危機感ぐらい持ってください!!」
「その辺の心配は無用だ。返り討ちにできるのでな」
「そーゆー問題じゃないっス!!」
赤也がマネージャーを頼み込んだらしいので、仲がいいのはわかる。けれど、何故ここまで目くじらを立てるのかが他の部員たちには理解できなかった。自分たちもよくする、ただのスキンシップでしかないのだし。
赤也の態度も理解できないが、丸井の反応もおかしい。
「……丸井? どうした?」
丸井とラリーをしていた三年生が、呆然としている彼の肩に手を置き声をかけた。
それによってようやくフリーズが解けた丸井は、自分の胸や肩をぺたぺたと触り始めるという、また見ている人間には理解不能な動きをした。
そんな周囲の視線に気づく余裕も丸井にはなかった。先程の事実を受け入れるのでやっとだったのだ。
先程……に抱きついた時、確かにあったのだ。男ではあるはずのない、やわらかなふたつの膨らみが、確かに丸井の胸を押し返してきた。それの、意味するものは――……
丸井は思い切りを指差し、叫ぶ。
「、おま、女ぁ――っ!?」
「「「 は? 」」」
丸井の叫びに、部員たちは皆一様に訳がわからないと顔に書いた。その中には、赤也も含まれている。
「今更、何言ってるんスか?」
「それがどうかしたのか?」
赤也と、そして本人があっさりと認めた。
ああ、それで赤也が目くじらを立てていたのか、と。すんなり納得し受け入れられたのは、ほんの一握り。
「「「 え゛えぇ――――――――――っ!!? 」」」
「「「 なにぃ――――――――――っ!!? 」」」
テニスコートどころか校舎全体にまで届くのではと思われる大絶叫が、五月の晴れ渡った青空に響き渡った。
そのような騒ぎに、レギュラーが気づかないはずがない。
三年レギュラーは同じように驚愕し、幸村と柳は溜息をこぼした。真田は彼らの気持ちがわかるため微妙な表情をしていて、仁王に至っては期待通りの展開に笑いを堪えるので精一杯な状態となっていた。
だからこそ、誰も気づかなかった。
驚きとともに昏い陰をその瞳に映して、騒ぎの中心を見つめていた存在がいたことを――……