高く高く晴れ渡った秋空の下、白い曼珠沙華が揺れている――……
「センパーイ! ちょっと、ちょーっと待ってくださいよぉ!」
聞き慣れた呼び声に、ハヤトは足を止めて振り返る。
走ってきた後輩が、自分の前で呼吸を整えるのを待ってから声を掛けた。
「どうかしたのか? カツヤ」
「センパイに聞きたいことがあるんスよ……一緒に帰りませんか?」
後輩の申し出に二つ返事で了承して、並んで歩き出した。
駅への道をしばらく進む。その間、無言。
聞きたいことがある、と言っておきながら、カツヤは無言で歩いていた。ハヤトもハヤトで、促すこともなくただ足を進める。
何かを待っている――そう思わせる雰囲気を醸し出していたカツヤは、不意に口を開いた。
「アヤ先輩、最近元気ないようなんですけど、何か知りませんか?」
「――なんで俺に聞くんだよ……前に言わなかったか? アイツとはあんまり親しくないって」
「でも……」
以前に、ハヤトはカツヤからアヤに告白しようか迷っている、と相談を受けたことがあった。最近のアヤの様子を見れば、いつかカツヤからこの質問が来るだろうことはわかっていた。
だからこそ、用意しておいた返答をしたのだが……珍しく食い下がるカツヤの発した言葉は、完全に予想外のものだった。
「オレ、見たんスよ。丘の上の公園で、泣いているアヤ先輩をセンパイが抱きしめているのを」
「……それは聞き捨てならないな」
見られていたのか、と。己の失態に思わず天を仰ぎたくなったハヤトは、次の瞬間に背後からかけられた声に、今度は頭を抱えたくなった。
「で、なんでおまえがこんな所にいるんだ? トウヤ」
「親善試合があるからそっちへ行くと、以前言ったと思ったんだがな」
思い当たる節を見つけたハヤトの横で、突然の乱入者に硬直しているカツヤ。それに気付き、宥めるように後輩の肩を軽く叩いて。
「カツヤ。これ、俺の幼馴染みの深崎トウヤ」
紹介された初対面同士が軽く挨拶を交わす。
見守るハヤトとしては、そのまま先程のことを忘れてほしいところなのだが……
「それで、さっきのはどういうことなんだい?」
やはりというか、無理だったらしい。
「君が彼女を泣かせたのか?」
「泣かせてない」
「じゃあ、何故泣いていたんだい?」
「セセセ、センパイ! そっちも気になるんスけど、なんで他校生がアヤ先輩のこと知ってるんですか!? ま、まさか、付き合って……」
「付き合ってない」
「アヤも含めて僕らは幼馴染みなのさ。なのに、『親しくない』なんて言ってる理由は一体何なのか、是非とも教えてもらいたいものだね」
見事なまでの質問攻めに、今度は本当に頭を抱えた。
折角今まで苦労して築き上げてきたものを、こうまでことごとく崩されれば当然ではあるが。
大きく息を吸うと同時、ハヤトは満面の笑顔をたたえて顔を上げて。
「トウヤ、おまえはそんなに俺のことが嫌いか?」
「ははは、まさか。君と彼女を天秤にかけた場合、圧倒的にアヤのほうに比重があるというだけのことだよ」
同じく笑顔で返された答えには、頭を抱えるよりも呆れてしまった。
恋情の前では友情は儚い――それを体験することになるとは思わなかった。
ハヤトは深く嘆息すると、踵を返し歩き出す。
「ハヤト!」
「いつまでも同じ場所にいたんじゃ、悪目立ちするだろ」
言って、駅への道から一本中へと進む。
全く人気のなくなった住宅街で、今更ながらカツヤの待っていたものを理解した。
それは今のハヤトと同じモノ――人気のなくなる時間。
カツヤはカツヤなりに気を使っていたらしい。
となれば、やはり誠意をもって返すべき、と。ハヤトは腹を括って口を開いた。
「幼馴染みだってことを隠してたのは、アイツが望んでなかったからだ」
幼馴染み……つまり、付き合いが長い。それが男女であれば、変に勘繰る者は多い。特に女子は噂好きな傾向が強いし。
「望んでないって……?」
「カツヤだって、エミと恋人じゃないのかって噂されたら、いい気分しないだろ?」
「あ~……確かに、それはかなりイヤっすねぇ……」
「中学は別だったのが幸いしたしな」
入学時から距離を置いておけば、二人の間にクラスメイト以上の関係性を見つける者はいなかった。
事実、カツヤも今日まで何も疑ってはいなかったし。
そう――トウヤがばらすまでは。
「……僕としては、君が彼女のためにそこまでする理由のほうが気になるんだがな」
今の状況を作ってくれた本人をチラリと見やり、溜息を洩らす。
「まさかとは思うが、君も彼女のことを……」
「好きだぜ」
潮時だな、と。素直に告白した。ただし、注釈を加えることも忘れずに。
「おまえたちとは意味が違うけどな」
「……恋情ではないってことかい?」
「俺にとってアイツは恋愛対象外だ」
はっきりと断言すれば、意外なのか二人はピタリと動きを止めて。
必然的に立ち止まるハヤトに、トウヤの不愉快そうな言葉が投げ掛けられる。
「それはそれで安堵すべきことなんだろうけど、その言い方だと彼女を侮辱されているように感じるのは気のせいか?」
「気のせいだ。アイツにとっての俺も同じだからな」
今度は怪訝なものに変わった二人の視線。言葉にするなら、何故知っている――だろうか。
「理由を、知りたいんだが?」
「だって俺、彼女いるし」
さらりと。二人にとっておそらくは爆弾発言であろうモノを投下する。
二人の反応はというと、勝也は面白いくらいに百面相をし、トウヤは反対に無表情で静止している。
しばし後、二人はほぼ同時に同じことを呟いた。
「初耳だな……」
「初耳っスよ……」
「言ってねえもん」
呆れ気味の彼らを一瞥し、再び足を進める。
二人の足音を聞きながら、ハヤトは口を閉ざしたまま歩く。
とりあえずひとつめの疑問は解消させたが、残るひとつ。二人が最も知りたいと望んでいるものをどう伝えるべきか……考えをまとめている間の沈黙。
焦れることも急かすこともなく待っていてくれることに少なからず感謝しつつ、ようやく口を開くと長く息を吐き出して。
「カツヤ……おまえ、まだアイツに告白する気、あるのか?」
聞いたことに肯定が返り、ハヤトは彼を振り返る。
「なら、今はやめておけ。アイツ、想い人と死に別れたばかりだから」
これこそ本当に爆弾だったのだろう。二人は硬直したまま、かなりの時間、言葉ひとつ発しなかった。
どれくらい経ったのか、先に声を出したのはトウヤだった。
「それが……彼女が泣いていた理由……かい?」
「ああ」
「で、でも、センパイ……以前、アヤ先輩誰とも付き合ってないって……」
「あのあと知ったんだよ、俺も。俺の彼女の異母兄だっていう繋がりでな」
驚愕一色の空気の中、自然と溜息がこぼれ出る。
駅通りへと抜ける道までは、あと少し。丁度頃合と、ハヤトは小さく笑って踵を返した。
「しばらくはそっとしておいてやってくれ。アイツの心の整理がつくまでは……じゃあな」
ヒラヒラと片手を振り、駅通りへの道とは逆の道を行く。
いくつかの声が聞こえたけれど、振り返ることはしない。
そうして声は消え……追ってきた一人分の足音に笑みを浮かべる。
「待て、ハヤト!」
「……来たな、トウヤ」
足を止め、振り返る。
いたのは親友だけ。カツヤは、いない。
しっかりと立ち、深呼吸をひとつ。真っ直ぐ向かい合い、トウヤは口を開いた。
「さっきの話、全て本当のことなのかい?」
「俺は、嘘はひとつもついてない」
沈黙……静寂。
真実を見極めようとするトウヤの視線を、ハヤトは真っ直ぐ受け止める。
静かに時が流れ、一陣の風が吹き過ぎて――ようやくトウヤの雰囲気が和らいだ。
「そうか……」
「ま、そう肩を落とすなって。あと少し待つくらい、どってことないだろ。十年近く片想いしてるおまえのしつこさは、俺も買ってるんだ」
「想いが深いと言ってくれないか?」
「あははは。……正直な話、カツヤには悪いが、俺はおまえのほうを応援してるんだぜ?」
正直に告げた想いを聞いたトウヤは、珍しくきょとんとした顔になって。思わず吹き出しそうになったのを、必死でこらえる。
さり気なさを装い、深く息を吐いてから続けた。
「おまえは他のやつらより、ずっとアイツのことを知ってるだろ? 幼馴染みっていうだけじゃなくてさ。アイツにとって何が良いことで、何がアイツを傷付けるものであるか……おまえならアイツの支えになれる――俺はそう思ってる」
思わぬ評価に目を瞠るトウヤ。そのまま数秒ハヤトを凝視し、やがてふっと肩から力を抜いて。
「そうなりたいとは思っているよ。努力を怠るつもりもない」
「ああ……期待してるぜ」
薄く笑うトウヤへ拳を突き出せば、軽い音を立てて掌で受け止めてくれる。そうして、二人はようやく心から笑い合うことができた。
「アイツの心の整理ができたようなら連絡入れるよ」
「それまで僕は男を磨いていることにするよ」
軽口を言って駅通りへと向かうトウヤの背を見送り、穏やかな気持ちでハヤトもまた帰路へと踵を返した。――刹那。
――ドシュ。
腹部に感じた違和感。それは痛みというより、ただの熱に近い感覚。
「な……に……」
そして、内から流れ出ていく何か――血液。
自分の足元に溜まっていく赤い水溜りの側には、見覚えのある黒いブーツ。
視線を上げた先には、特徴的な紫がかった肌に鋭く尖った耳。そして、自分を見下ろす歪んだ狂気の瞳。
「お、まえ……は……ッ」
「しバラク、オとなシくしテイテもらオウか、誓約者ヨ」
耳障りなひび割れた声で、呼ばれたその名称。
間違うはずもない。
つい数日前に、異世界リィンバウムを救うために戦い、サプレスへと送還したはずの悪魔。
――何故。
そう思うより先に、腹部に刺さっていた刃を抜かれた。
襲いくる激痛と失われていく血液が、容赦なくハヤトの思考をその意識ごと奪っていった。
ハヤトと別れたあと、カツヤは駅通りをとぼとぼと歩いていた。
今まで知らなかった色々なことを、一度に聞かされたおかげで、頭の中はかなりオーバーヒート状態だ。
そんな中でも唯一はっきりとわかるのは、自分が好意を寄せている先輩が深い悲しみの中にいるということだけ。
――自分にできることは何もないのだろうか。
考えても、浮かんでくるのはありきたりで安っぽい慰めの言葉だけ。
やはりここは、ハヤトの言う通り時が経つのを待つのが一番なのだろう、と。
結論付けたカツヤの目に、見慣れた黒髪が映った。
前を歩いているのは、今まさに考えていたその人物――アヤ。
会うとは思っていなかった渦中の人の登場に、ピキッと固まってしまう。
つい今し方、時を待とうと決めたばかりなのに、心は声を掛けようかと騒ぎ出す。
そんな己の欲望と格闘しているカツヤの前で、アヤは立ち止まった。きょろきょろと辺りを見回して、何かを見つけたのかすぐ横の路地へと入っていく。
カツヤは反射的にそれを追って――見てしまった。
アヤが、異様なほど白い肌をした見知らぬ男と抱き合っている、その場面を。
信じられない思いでいるカツヤをあざ笑うように、男は上を向かせたアヤの唇に己のそれを重ねた。――そして、カツヤを見た。
勝ち誇ったような赤い瞳に射抜かれたカツヤは、その場から逃げるように走り去った。
――ドサッ。
何かが落ちたようなそんな音に、何故か気になってトウヤは背後を振り返った。
そこには、あるはずのものは何もなかった。即ち、帰路についている親友の後姿。
あったのは、地に倒れ伏している人影がひとつだけ。
「……ハヤト?」
嫌な予感が背に走る。
トウヤは、何かに押されるように倒れている人物に駆け寄った。
――予感は、的中した。
近付くことではっきりとわかる血臭と、ハヤトから流れ出てアスファルトを赤く染めている大量の血液。
「ハヤト! おい! しっかりしろ!!」
仰向けにしてみれば、ぐったりとして血の気の失せた顔が露になる。
それはまるで死に顔のようで――
「くっ……!」
トウヤはすぐに救急車を呼び、止血を試みた。
死に向かう親友を、救うために……