【 糸を引く者 絡める者 】

 ハルシェ湖畔。湖上を吹き過ぎる涼しげな風に、柔らかなオカリナの音色を乗せる。
 高く、低く。ゆるやかに続いていくそれは、どこか暗く、けれど優しさと安らぎを感じることにできる曲――否。曲と呼ぶにはあまりにも稚拙な音の羅列。
 それでも、それは曲だった。少なくとも、演奏者にとっては。
 最後の音を吹ききって、演奏者――マグナは空を仰いだ。
「不思議な曲ですね……初めて聴きました」
 それまで演奏を静聴していた彼の連れ――レルムの村で聖女と崇められていた少女、アメルの素直な感想を聞き、マグナは振り返って笑った。
「あははは、それはそうだよ。これ、俺が作った曲だからな」
「えっ? ご自分で作られたんですか!?」
「うん。ずーっと昔に、俺と……姉さんと、二人で……」
「……お姉さんが、いるんですか?」
「いるよ。十年前に生き別れたままになっている、双子の姉がね……」
 驚きと疑問を浮かべていたアメルの顔が、沈痛なものへと変わっていく。
 マグナは彼女から目を逸らし、湖面へと視線を移した。
「もしかしたら、俺が……殺してしまったかもしれない、半身……」
 言ってしまえば、アメルが気にするだろうことは容易に想像できた。それでも言わずにいられなかったのは、彼女の聖女としての何かの所為だろうか。
 いや、誰かに懺悔したかっただけなのだろう。
 そう結論付けて、マグナは街へと歩き出す。ゆっくりと進む自分の後をついてくるアメルの気配を感知しながら、ぽつぽつと話した。
 孤児だった自分たちが、物心つく頃からずっと持っていた唯一のものがオカリナだったこと。淋しさを紛らわせるために、二人で曲を作ったこと。そして、偶然拾った召喚石によって暴発を起こしてしまい、町は全壊してしまったことを。
「何年かして、偶然聞いたんだ。あの時の生き残りは、俺だけだったって……俺が生き残っていたこと自体が、奇跡だったって……でも、それでも……」
「生きて、いますよ……きっと」
 機会も相手もいなくて十年間誰にも言わずにいたことを、何故今、そして彼女に話したのか――それはきっと、この言葉を聞きたかったからなのだろう。
「――ああ、生きている……絶対に……」
 心の、重荷が取れたような……そんな想いで、マグナはアメルに笑顔を向けた。感謝の意味でもあったそれに、アメルも応えるように微笑んで。
 再び歩き出した二人が、繁華街へと差し掛かった――その時。

 ――キコエタ、ナツカシイ、オト……

 雑踏に掻き消えそうになりながら、それでも聞こえた音。
「……マグナさん?」
 きょろきょろと、せわしなく周囲を見る行動にアメルが怪訝に呼んできたが、マグナはそれに構っている余裕はなかった。
 今はもう聞こえない音の出所を必死に探す、その耳に。再び届いた音――それは。
「あ……これ、さっきマグナさんが演奏していた……」
 アメルの言葉をきっかけに、マグナは走り出した。人込みを掻き分け、音の出所へ向かう。
 懐かしい音、懐かしい曲。自分以外にこれを知る者は、たった一人しかいない。
 唯一の肉親。たった一つの希望――心の、支え。
「トリス……?」
 宿屋の前、カフェテラスになっている場所の一角。椅子に腰掛けオカリナを吹いていた少女が、マグナの声に応えるように顔を上げた。
 記憶にあるままの紫紺の髪に、大きな紫水晶の瞳。自分を真っ直ぐに見つめてくるその顔にも、確かに幼い頃の面影は残っていて……そして、何よりも。
「……マグナ?」
 自分を、呼んだ。
 自分を見て、名を呼んだ。同じオカリナを持って、二人しか知らない曲を演奏していた。
 ――他に、何の証拠がいるというのだろう。
「トリス姉さん!!」
 マグナは駆け寄り、己の半身を力の限り抱きしめた。
 十年ぶりに腕に抱くその体は、自分よりもずっと小さく、華奢だった。幼い頃は己と同じくらいで、それでもずっと大きく、そして強く感じていたのに……
「マグナ、随分大きくなっちゃったね。昔はあたしのほうが大きいくらいだったのに」
 同じようなことを言ったトリスの声は凄く嬉しそうで。
「うん……姉さん、生きて……」
「たまたまね、通りかかった旅人に助けてもらったの。それからその人に育ててもらえて……そう、マグナがここにいるかもしれないって教えてくれたのも、その人なのよ」
 生きていたことが嬉しかった。知りたいことも、沢山あった。けれど、どれもうまく形にはならず、ただ、色々な想いが混ざり合って、涙という形にしかならなくて。
 それでも、伝えたいことがあった。
 ずっとずっと、願っていたこと。
「あいたかった……」
 恨まれててもいい。蔑まれてもいい。
 それでも、もう一度会いたかった。
 会って、生きていることを確かめたかった。
「うん……あたしも、会いたかったよ……」
 それだけで、救われると思っていたから……だから、トリスの言葉はとてつもなく嬉しかった。
「また、一緒に暮らそう?」
 慰めるように、軽く背を叩きながら言われたそれは、確かにマグナの中で大きな光となった。
「ああ……一緒に暮らそう。今度こそ、ずっと一緒に生きていこう」
 再会した半身。いるのが当然だったあの頃に戻ろう。
 欠けていた心を取り戻した彼は、気付いていない。
 自分の腕の中で片割れが妖しく笑んでいたことを。
 既に道は違えられていたということを――知らない。



 新たな糸は、今絡められた。
 銀の悪魔が用意して、闇の調律者が運んだ糸。
 ここからが、本当のはじまり。

 ――さあ、光の調律者に、最高の絶望を贈ろう――

END