シークレット バースディ



 今年もまた『その日』がやってくる。



 朝食が済んで間もない時間。今日も良い天気になりそうな空の下、ギブソン・ミモザ邸の一室に控えめなノックが響いた。
 部屋の主、ルヴァイドは普段通りの無機質な声で誰何する。
「トリスだけど……ちょっといい?」
 返ってきた声に軽く眉をひそめ、了承の意を返す。
 静かに扉を開けて入ってきたトリスは室内に視線を巡らせ、ルヴァイド一人であることに少々安堵の表情を見せてから彼に向き合う。
「イオスは……?」
「少々使いに出ているが、あいつに用か?」
 ルヴァイドの問いにトリスは伏し目がちに口を開いた。
「あの……ね、お願いがあるんだけど……」
 トリスの口から発せられたその声に、ルヴァイドは目を細めた。



「ネスティさん!」
 書庫に向かっていたネスティは背後からかかった声に振り返った。見ると、アメルが小走りに近付いて来ていたのだが、その顔には困惑の色があった。
「どうかしたのか?」
 そういうと、アメルはう~んと唸り「トリス、見かけませんでしたか?」と訊ねてきた。
「トリス? いや、見ていないが……今日は珍しく早起きしていたな……」
「ええ。ですから、天気も良さそうですしテラスで皆さんとお茶にでもしようかと思ったんですけど……朝食後、どこかへ行ってしまったようで……」
「ハサハはいるのか?」
「はい。でも、トリスの行方は知りませんでした」
 ネスティはざっと考えを巡らせた。何かが引っかかる。
 その何かを導き出そうとしたその時、近くの扉が開き、ルヴァイドが出てきた。
「どうした?」
「あ、ルヴァイドさん。トリス、どこにいるか知りませんか?」
「トリスなら、つい先程出掛けたぞ」
 ルヴァイドの言葉にネスティは目をすがめた。
「どこへ行ったんだ、あの馬鹿は?」
「どことは聞いていないが、遠出するから一日イオスを貸してくれと言われてな。護衛につけてやったが」
「イオスさんを? ……なぜイオスさんなんでしょう?」
「さあな。だが、いつもと様子が違っていた」
「え?」
「声も態度も、どこかよそよそしかった。沈んでいたようにも感じたが……」
 会話を聞きながらも頭を働かせていたネスティは、答えを見つけ言葉を漏らす。
「ああ……もうそんな時期か……」
「ネスティさん?」
 その言葉を聞き咎めた二人が彼を見た。ネスティは「僕も詳しいことは知らないが……」と前置きして話し出した。
「トリスが蒼の派閥へ来た時からなんだが、毎年この日になると一日姿を消していた。どこで何をしているのかはわからないが、帰って来た彼女はいつも暗い顔をしていたよ。翌日には元に戻っていたが……」
「今日……何があるんでしょうか?」
「さあね。心配しなくても夕食前には戻ってくる。それにイオスもついて行ってるんだろう? なら大丈夫だろう」
 何が、とは言わない。二人とも、彼の気持ちがわかってしまったから。
 それははからずとも同じ思い……同じ不安。
 三人はそれぞれ自分に言い聞かせていた。
 大丈夫。必ず帰ってくる――と。

     *

 聖王都ゼラムのすぐ近くにある森の中。
 小鳥のさえずりが心地よく、時の流れからすらも隔離されたような穏やかな木漏れ日の下、およそ似つかわしくない表情の一組の男女。
 先立って歩くのは紫紺のショートカットヘアーの少女。その後ろをついて行くのは女性と見間違うほど端整な顔立ちの金髪の少年……いや、年齢的には青年と言うべきか。
 言わずもがな、トリスとイオスである。
「おい! どこまで行く気なんだ!?」
 苛々した様子で声を掛けるイオス。
 ルヴァイドの使いを途中で切り上げさせられ、更にトリスの護衛という予定外の任務まで言い渡されたため、彼はずっと不機嫌だった。
 命令でなければついてなど来なかった。
 そう思うと自然怒りの矛先はトリスに向く。
 ほぼ八つ当たりの的であるトリスはというと……全く気にした様子はない。
「もうすぐ着くよ」
 そう、静かに告げた。
「さっきから何度同じ言葉を聞いたと思っているんだ……」
「そう?」
 やはり、イオスの態度に気分を害した様子は微塵もない。……ないのだが……
 イオスはふと違和感を覚えた。
「……今がどういう時だかわかって行動しているのか? メルギトスがいつ来るとも知れないんだぞ」
「わかってるよ……でも今日じゃなきゃ、だめなんだもん」
 前を歩くトリスの表情はイオスにはわからないが、声が……どこか暗い。
 怒りが引いていくのが自分でもわかり、溜息をひとつ洩らす。
「一体、今日何があるっていうんだ?」
 その言葉を待っていたように、トリスはくるっと振り返った。
 トリスは笑っていた。
「今日はね、あたしの誕生日」
 少しも楽しそうにも嬉しそうにも見えない笑顔でそう言うと再びイオスに背を向け歩き出す。
「そして……『トリス』の命日……」
「……は?」
 トリスの口から出た言葉にイオスは間抜けな声を出してしまう。
「お前…何を言っている? ……お前は生きているだろう?」
「……うん。あたしはね」
「では、『命日』とはどういう意味だ……?」
 その問いにトリスは答えなかった。
 少し歩みを遅らせて進んでいく彼女の背中をイオスは見ていた。
 先程感じた違和感はまだ在る。
 違いといえば、いつもはうるさいくらいに元気に動き回っているトリスが随分おとなしいことだが、イオスの胸にある違和感はそんな単純なものではなかった。
 そう……確か、以前にも似たようなことがあった……
 イオスが考えにふけっていると、ポツリとトリスが言葉を洩らした。
「あたしね……孤児なんだ」
 俯いて、あまり大きくはない声で。それでもイオスの耳には届く大きさで。
「ずっと北の方にある町で……両親の顔も、誕生日も、自分の名前さえ知らずに生きてきたの。たった一人で……誰も何も教えてなんてくれなかったから盗みだってした……小さな子供が一人で生きていくのに他の方法なんてなかったから」
 イオスは何も言わずに聞いていた。違和感だけが大きくなっていく。それが何かはわからない。ただ、ポツリポツリと話すトリスの後姿を見て思ったことはある。
 彼女はこんなに小さかっただろうか――と。
「十歳くらいになった時かな……彼女と出逢ったの。旅の途中だって言っていた。あたしね、彼女の荷物に手出したんだ。あっさり捕まっちゃった。けど彼女は笑って許してくれた。初めてだった……あたしに笑顔を向けてくれた人は……」

 それから彼女との生活が始まった。
 彼女は少女に色々な事を教えた。火の起こし方。狩りの方法。薬草や食べられる植物の見分け方といった一人で生きていくために必要な技術から、文字の読み書きといった知識。そして、人の優しさ――温もりを教えてくれた。
 少女は彼女に出逢って初めて『人間』になった――……

「でもね。別れはすぐにやって来たの……」
 ふと、トリスは足を止めた。そして上を見上げる。
 しばらく、そのまま動かずにいたが、トリスは何の前触れもなく次の言葉を口にした。


「あたしね……彼女を殺しちゃったの……」


 ざあっ、と森の中を風が吹き抜ける。木の葉が舞い散り、木漏れ日が様々に移ろう。
 その中で、二人の時間だけが止まっていた。
 イオスは突然の告白に驚愕を隠せなかった。
「なに……を、言っているんだ……? お前は、まだ十歳だったのだろう? そんな子供がどうやって大人を……いや、なぜ殺さなければならなかったんだ!?」
「召喚術の暴発……って知ってる?」
「……いや」
「召喚術ってね、魔力のある人なら誰でも使えるものなんだって。ただ知識もなく、何の訓練も受けていないと制御しきれずに暴走してしまう。本人の魔力とサモナイト石に誓約された力にもよるんだけど、最低でも家一戸全壊させるほどの爆発を引き起こしてしまうの……」
 淡々と話すトリスを、イオスは……見ていることしかできずにいた。
 ただ黙って次の言葉を待つ。
「たまたまね、拾った石がサモナイト石だったの。あまり大きな町ではなかったとはいえ、あたしが引き起こした暴発で町は半壊した。その爆発を……彼女は直撃してしまった……」
「……それは、『殺した』とは言わないだろう? お前には殺意はなかったのだから……」
 それは事故だ。そう言いかけたが、それは呑み込まれた。
 トリスが、強くそれを否定する瞳で振り返ったからだ。
「そんなこと関係ない! あたしが石を拾わなければ彼女は死ななかった。あたしをかばわなければ彼女は助かったかもしれない……あたし……あたしがいなければ……!」
 イオスは、違和感の理由に気がついた。
 トリスは――泣いていた。いや、涙は流してはいない。潤んですらいないその瞳の奥で、彼女は涙を押し込めていた。  初めて逢った時から、そうだった。
 初めて――あれは聖女を追って双子をつけていた時、ゼラムの繁華街での偶然。一瞬目が合った、ただそれだけで。イオスは、気付いた。
 その後、敵として幾度となくまみえた時にもそれは変わることはなくて。
 強い光をたたえた瞳。笑顔で仲間と戯れているその時でさえ。
 彼女は泣いていた。
 心の奥底で……溜め込んだ涙で溺れそうになっていることも気付かずに、涙を封じ続けていた。
 それは、かつての自分を見ているようで、イオスは苛立ちを覚えた。だが、いくら忘れようとしても、別の感情に置き換えようとしても、できなかった。
 その想いを、イオスは自覚してしまった。
「……なのに、彼女はあたしを責めなかった……」
 イオスの心に気付くはずもなく、トリスは今まで抱え込んできた想いを解き放つように話し続ける。
「責めて……憎んでくれれば良かったのに……最期まで笑顔で…」

 彼女自身も魔力が高かったのか、直撃しても四肢が吹き飛ぶことはなかった。全身血まみれで、息も絶え絶えに彼女は少女に言った。
『あんたに私の名前をあげるよ。今日からあんたの名前は「トリス」だ。今日……「トリス」として生まれ変わりな。……強く生きなよ、トリス……』

「ホント言うとね……確かな日にちは覚えてないの……あの時の記憶、あやふやになっちゃっててね」
 再び歩き出したトリスの後に続く。イオスの瞳に強い光が見えた。
「派閥に連れて来られて一年ぐらい経った頃かな、たまたまここを見つけてね。今日を命日にしよう……って」
 そこは、少し開けていて光が惜しみなく降り注いでいた。その光の中、一面に紅い花が咲き乱れていた。
 血のように紅く、鮮やかな花に抱かれるように、その辺にあった枯枝で作ったであろう十字架が静かに佇んでいた。
「この花『トリス』が好きだって言っていた花だったから。もちろん、ここに彼女は眠っていないよ。彼女の遺体がどうなったのか知ることなんてできなかったからね。でも覚えてる……証拠もある」
 トリスは首から何かをはずし、十字架に掛けた。
 それは小さな銀のプレートがついたネックレスだった。プレートには『トリス』と彫られている。おそらく形見……なのだろう。
「彼女のおかげであたしは人間になれたこと、あたしが彼女の命を奪ったこと。そして、彼女が自分の名前をあたしにくれたこと……」
 トリスは紅い花を見つめて、言った。
「忘れない。忘れられるはずないもの。あたしの名前には……あたしの罪が込められているから……」
 彼女にとって、この花の色は罪の色。自分の罪を永遠に忘れないための血の赤なのだろう。
「……この花ね、面白い特性があるんだよ。それが今日じゃなきゃいけない理由なんだ」
 トリスは微笑んだ。胸が痛くなるくらいの悲しい笑顔。
 イオスが彼女から目をそらした、その刹那――
「……なっ!?」
 太陽がちょうど真上に来たのを合図に紅い花の中心が白くなり、風もないのに空へと舞い上がっていく。
 この花の特性。太陽が真上に来るその日だけ花をつけ、種子を飛ばす。
 たった数時間で散る儚い花。
 イオスはトリスに目を向けた。二人の間を白い花胞子が遮っている。
 不意にトリスの姿が、かすんで見えて。
 咄嗟に――イオスは手を伸ばした……



 花吹雪が収まった森の中、二人の足元には紅い花はもうどこにもなかった。ただ、黒ずんだ葉だけがその場を埋めていた。
 そこに佇む人影はひとつだけ。
 イオスがトリスを背後から包むように抱きしめていたのだ。
 少々混乱気味のトリスが恐る恐る声を掛ける。
「……あの……イオス? ……ちょっと苦しいんだけど……」
 我に返ったイオスは勢いよくトリスから離れた。そして、珍しくも少しあせった声を出す。
「お、驚かすなっ!!」
「いや、驚いたのはあたしのほう……」
 割と平然としているトリスとは対照的に、行動を起こした張本人の方は頬を朱に染め、トリスを直視できないでいた。
「だいたい、何で僕を連れてきたんだ。あの話を僕にした意図は何なんだ?」
「さあ……なんでだろ?」
「おい!」
 ふっと視線を落とし、少し考えてみる。いや……答えなどとうに出ていた。ただ、それを言葉にするには……かなり勇気が要った。
「……何となく……ね、同じような気がしたからかな」
「……同じ……?」
「…………イオスも、この気持ち……知っているような気がしたから……」
「――ッ!!」
 イオスの過去をトリスは知るはずもなかった。だが、イオスが一目で彼女の内を見抜いたように、トリスもまた、イオスの内にある自分と同じ『傷』を感じ取っていた。
「あとは……知っておいて欲しかったのかもね……」
「トリス……」
 イオスが名を呼ぶ。その声がトリスは好きだった。たとえその名が自分にとって罪の代名詞だったとしても。彼が呼ぶそれだけが『自分』を定めてくれるような気がしていたから。
 トリスは顔を上げた。先程までとは打って変わって明るい笑顔で言う。
「ね、イオス、今日あたしの誕生日! だからプレゼントちょーだい!」
「なっ、なんだ急に……」
「いいじゃない。誰にも貰ったことないんだもの。一回ぐらい欲しいよ」
 あまりの代わり映えにイオスは呆れている模様。溜息までついて出て。
 諦めたように訊いて来る。
「……何が欲しいんだ……?」
 トリスはにっこり微笑むと、両手を広げて言った。
「さっきみたいに、ぎゅって抱いて」
 数秒の沈黙。どうやら予想だにしなかった答えに脳内処理が追いついていないようだ。しばらくして、イオスは顔を真っ赤にした。
「なっ!! 何を言いだすんだお前は!!」
「え~、いいじゃない別に。減るもんじゃないし……」
「そういう問題じゃないだろ! 却下だ!!」
「むぅ~。じゃあさっきは何でしたのよぅ?」
「あっ、あれは……花と一緒にお前まで消えそうに見えたから、つい……」
 トリスは目を瞠った。
 イオスが言ったそれは……花と一緒に消えることは、トリスがずっと願い続けてきたことだった。毎年あの景色を見るたびに思ったこと。そして、全く相反することも微かに期待していた。
「……やっぱり、イオスを選んでよかった!」
「……トリス?」
 それは、誰かに必要とされること。
 自分の願いを否定してくれる『誰か』。
「だって、それって、あたしをこの地に繋ぎ止めてくれたってことでしょ?」
「……ッ」
 トリスの笑顔に今度はイオスが目を瞠る。
 彼女が、本当に嬉しそうに笑っていたから。
「ねぇ、やっぱり抱きしめて。この戦いが終わっても生きていられるように……来年も、その次も、ここに来れるように、あたしをこの地に繋ぎ止めてよ」
 静かにイオスが動いた。そしてトリスは暖かな熱に包まれる。
 その心地よさにトリスが目を閉じた時、イオスは静かに囁いた。
 トリスの目が見開かれていく。
 やがて……一筋の涙が、頬を伝った。
「……ふ……うぅ~」
 トリスは泣いた。『トリス』が死んで以来、内に溜め続けてきたものが一気に溢れ出したように、涙は止まらなかった。
 イオスの言葉が、自分を優しく抱きしめる腕が、温かな鼓動が……彼のすべてが嬉しくて。今自分がここに在ることを初めて良かったと思えた。
 それから、トリスは少し掠れた声で、イオスを選んだ理由を……イオスの囁いた言葉の返事を、告げた。



 夕暮れのゼラム。すべてを暖かく、そして少し寂しい色が包んでいた。
 長い影を連れて、イオスとトリスは並んで歩いていた。
 軽いステップを踏んでいるトリスにイオスは気遣わしげな声を掛ける。
「トリス……本当にいいのか? このまま帰っても……」
「何で?」
「何って……お前、目……」
 あのあと小一時間程泣き続けたトリスの目は当然腫れていた。ちなみにその後泣き疲れて二時間ほど眠ったりもしている。
 仲間に見咎められて理由を聞かれても平気なのか。とイオスは言外に言ったのだが……
 少し考え、トリスはポンッとイオスの肩を叩いた。
「がんばって」
「は?」
 わけのわからぬイオスと、なにやら楽しそうなトリスを夕月が静かに見つめていた。
 その後、ギブソン・ミモザ邸に着いた二人を見て、安心した三名とは別に、トリスの泣き腫らした目と掠れた声になにやら勘違いした仲間(特に男性陣)にイオスが袋叩き状態の質問攻めにあったとか。

END