荒れ果てた大地に少女が一人佇んでいる。
その顔には表情がなく、ただ真っ直ぐに前を見つめていた。
「……ふ……ふふ……」
唐突に、少女は声を洩らす。
細めた瞳に猛禽類のような光を宿して、口を弓形に変えて……
「あはは、ふふふ……あははははは」
少女は笑う。
眼前に広がる瓦礫の……かつての姿を思い出して。
ほんの数分前まであった光景を――日常を思い浮かべ、そして今の状況と比較して。
少女は……笑う。
「……どうです? 自由を手に入れた感想は……」
そんな彼女に、男は声を掛けた。
空気に紛れて姿を現し、人好きのする笑顔をもったその男に、少女は驚きもせずに振り返る。
「ふふ……最高だよ……今まで生きてきた中で一番イイ日」
手の中の紫色の石を空にかざし見て、その先にいるモノへ目を向ける。
「ホント……最高の力だね……」
「喜んでいただけたようで……何よりです」
少女は男へと視線を向けた。
「まさかあたしの中にこんな力が眠っていたなんて……ね」
「ふふふ……素晴らしい力でしょう?」
「とってもね」
「どうです? 私と共に行きませんか?」
相変わらず優しげに笑んだままの男を、少女は無表情に見上げる。
「あなたには力がある。世界を動かせるほどの力が……その力、思い切り使ってみたくはありませんか?」
「……世界を……壊せる?」
「あなたが望むのならば」
男の言葉に、少女は考えるまでもなく笑みを見せた。
「いいよ、行っても。あたしの望みを叶えてくれるのなら、あたしの全てをあなたにあげる」
全身血まみれでとても十にも満たない少女には思えないほど、妖艶な笑顔をする彼女に、男は銀の髪を揺らし満足げに微笑んだ。
「契約成立ですね……」
男は片手を少女へと差し出す。
「私の名はレイム。よろしく、トリス=クレスメント」
少女は男の手を取り、そしてその場から姿を消した。
後に残ったのは、かつて街であったものの残骸と、血に濡れた大地だけだった。
レイムは傍らで眠る少女の髪をやさしく梳いた。
「……随分と、懐かしい夢を見ているのですね……」
「……また、人の夢覗いたわね、レイム」
独白のつもりで呟いた言葉に答えが返ってきて、レイムは思わず手を止めた。その手を引き寄せて口付け、少女は目を開く。
「起きてしまったのですか、トリスさん」
「おかげさまでね」
悪戯っぽく微笑んで、トリスはレイムを見上げた。
「で、何でいっつも人の夢覗くのよ?」
「それは勿論他の男の夢なんて見ていないか気になるからですよ」
「……他って? ガレアノとかキュラーとか? 確かにあの二人のことも好きだけど?」
「ルヴァイドとイオスもいるでしょう?」
レイムの言葉に、予想していなかったのか大きな瞳をさらに大きく見開いて。それからくすくすと笑い出す。
「使い捨ての駒にかけるような情なんて、持ってないわよ」
「……それも、そうですね……」
彼女の答えに満足し、再びトリスの髪に手を埋める。それに気持ち良さそうに目を細めるトリスを見ながら、ぽつりと言葉を洩らした。
「……十年……ですね……」
「ん?」
「あなたと出逢ってから……あなたがデグレアに来て十年が経ったのだと思いまして」
「そーね……」
あの時より、随分と成長した少女。
十年という時を共に過ごし、彼女の全てを知ったレイム。
ビーニャとは少々剣呑ながらも、ガレアノ、キュラー共に遊び相手として、そして同僚として心許している。だが、ここまで甘える相手は自分だけであることに、少なからず喜びを感じていることをレイムは自覚していた。
その滑稽さに自嘲的な笑みを浮かべる。
「やっと……動き出したようですよ」
胸中の想いとは別に呟いた言葉に対し、トリスは目だけで意味を問うてきた。
いつもの笑みと共にレイムは答える。
「運命の歯車が……です」
「……それって……」
「ええ。聖女はやはりアルミネでした。そして、ゼラムの蒼の派閥には最後の融機人、ライルの末裔と、もう一人のクレスメント……あなたの弟君がいます」
トリスは目を見開いて、レイムを凝視した。
「……マグナが……?」
「ええ」
「……生きて……いた?」
「はい」
しばらくレイムを凝視していたトリスは、ふっと体から力を抜いて目を細め、
「そう……」
小さく呟いた。
彼女から感じる驚愕と不安の感情を心地よく思いながらも、あやすように優しく髪を梳く。
「彼らは見聞の旅と称した追放処分を受け、今は聖女のいるレルムの村へと向かっているそうです。丁度ルヴァイドたちも着いているでしょう」
「古の因縁を持つものたちが出逢う……」
「ルヴァイドたちは失敗するでしょう。そして彼らは逃げ続け禁忌の森へと辿り着く……これを運命と呼ばずになんと言いましょうか」
「…………」
「時が来る……待ち続けていた時が……」
やっと訪れる時の流れに想いを馳せていたレイムは、髪を引かれて現実へと戻る。
見れば身を起こしたトリスが不安げな瞳を向けていた。
「ねえ、マグナもこっちに引き込むの?」
その問いに……不安に揺れる紫紺の瞳に、まだ人としての情が残っているのか、とレイムは思った。
血を分けた兄弟が殺されるかもしれない事実に不安を覚えているのか、と。
けれどそれは違った。
「クレスメントの血は……あたし以外にも、必要?」
彼女が不安に思っていたことは、自分が捨てられる可能性。
双子の弟が生きていると知って感じたのは、安堵ではなく不安……同じ血を――力を持つ片割れ。それはレイムの計画に必要となるのが自分だけではなくなるという事実。
十年という時を共に過ごしてきたとはいえ、レイムは悪魔だ。
他の人間にしたように、自分も簡単に捨てられるのではないか――と。
そう物語る瞳に、レイムは笑いかける。
「私が契約を交わしたのはトリス=クレスメント……あなたです。私に必要なのはあなただけです」
彼女の手を取り口付ける。騎士の誓いのように。
それに満足したのか、トリスは甘えるように擦り寄ってきた。
猫のような仕草に目を細め、レイムはその白い肌に指を滑らせた。そして鎖骨のあたりで手を止める。そこにある自分がつけた赤い印を見て、笑った。
「……大悪魔メルギトスともあろうものが、らしくない」
「何が?」
「かつて利用するためだけに近付いた人間に、逆に利用され封じられたこの私が。復讐を誓ったその相手を愛してしまうなんて……滑稽だとは思いませんか?」
誰が信じるだろうか。悪魔が人間を愛しているなどと。
人間でありながら、悪魔にも匹敵するほどの闇を宿していた心に。
基本を教えただけで暴走させることなくレヴァティーンを喚び出し、躊躇うことなく街を壊滅させたその強大な魔力に。
そして、返り血で全身を赤く染めたまま見せた、年不相応な妖艶な笑顔に……
あの時既に心奪われていたなどと――誰が信じるだろう。
「……後悔しているの? あたしを拾ったこと」
レイムの銀の髪を弄びながら問うた少女の顔は微笑まれていて。
「とんでもない。むしろ喜ばしいことです」
「なら、いいんじゃない? こういうことがあったって。それに、あたしだって同じだもの」
「同じ、ですか?」
「そう。悪魔を愛した人間を、愚かだと思う?」
女としての笑みに変え、自分を見据える少女に愛おしさを感じていることは紛れもない事実で。
「そうですね……以前なら嘲笑っていたでしょう」
「今は?」
「悪くありませんね。こういう気持ちも……」
笑うトリスの額に口付けを落として。
「時が来る……契約を果たすべき時が……」
「あたしたちの望みが叶う時が……」
二人は笑い合う。
そして声を揃えて言った。
「――世界を我が手に……!」
人間と悪魔は口付けを交わす。
契約の証であるように……深く――……
END