あかい色が、満ちている。
やっと慣れてきて、自分の家だと思えるようになった部屋に。
室内をじりじりと飲み込んでいく炎の朱。
床に倒れている父と母の身体から流れ出ている血の赤。
そして、血に染まった己の手の中に転がる、ルビーの紅。
あかい色が、満ちている。
小さな世界の終わりと、大きな世界への旅立ち。
深い傷と痛みを与える、あかい色が。
ただ、視界に……満ちている――
「有都(あると)君、気がついたかい?」
ぼんやりとした明かりの中で、有都はそんな声を聞いた。
なかなか定まらぬ視界に、色素の薄い青年が映る。
「僕が、わかるかな?」
優しく、諭すような声音で、彼は言った。
有都は、まず言葉の意味を理解した。それから、動きの鈍い思考回路を何とか働かせて、記憶を探った。
自分は、彼を知っている。そう、彼の名前は――
「……純(じゅん)」
「うん。よかった、大丈夫みたいだね」
安堵を浮かべた青年・純の言葉を聞きながら、状況把握のために首を動かした。――と、目尻から流れ落ちていく冷たいモノ。
視界が定まらなかった理由が泣いていたためと知り、有都は目元を拭った。そうして、改めて周囲へと視線を巡らせる。
白い壁、白い天井。窓があると思われるところには白いカーテン。そして、純が着ている白衣。
「ここ、おれの病室か?」
「そうだよ。最近ご無沙汰だったのに、一体何があったの?」
「あ――――――……ちょっと待ってくれ。今、思い出すから……」
目を腕で覆い横になった姿勢のまま、未だ上手く回ってくれない思考を巡らせた。
そう……そうだ、確か下校途中だった。仲間たちの集まる半地下倉庫へ、来栖(くるす)に会いに行こうとしていたはず……
校門を抜けて並木道を歩いて、そして――
唐突に襲ってきた頭痛。頭に響く音。真っ白になる視界。
あれは……あの感覚は。
「引きずられたんだ……誰かの意識に」
「引きずられた、って……」
ぽつり、と。うわ言のように呟いた、問いに対する答え。
おうむ返しに同じ言葉を純が呟いたのは、理解不能だったからではない。理由がわからなかったからだ。
「能力を使っていたわけじゃないんでしょ?」
有都には、特殊能力があった。種類は『精神感応能力』。人や物に宿る記憶を読み取るだけではなく、記憶の書き換えや抹消などもできる。いわゆる超能力者だ。
だが、必要がなければ使うこともない。無駄に疲れるし、下手に暴走させても後が面倒だから。
それは、今日も同じだった。――はずなのに。
「使ってないし、完全に切ってた」
「それなのに流れ込んできたってことは、よっぽど強い思念だったってことか」
「だろうな。いきなりだったし、まともな形にもなってなかった」
通常、読み取った記憶は『声』と『映像』がセットになっている。
しかし今回は、どちらもなかった。『声』は言葉にすらなっていないただの『音』だったし、『映像』に至っては完全に白紙だったのだ。
誰の、どんな想いを拾ってしまったのか……全くわからない。
「手掛かりは全くなし?」
「ああ……学校にいる誰かじゃないことを願うね」
これから先、行く度に倒れるなんてことは願い下げだ。
「そうだね。とりあえず、安定剤は注射しておいたけど……」
「まだ頭痛が酷い」
「うん、やっぱり今日はこのまま泊まりだね」
あっさり告げられた言葉に長く息を吐き出す。それが嘆息と取れたのか、純の小さく笑う声が聞こえて。
「惺(さとる)には連絡しておいたよ。もう遅いし、眠れるようなら寝ちゃったほうがいいと思うけど」
「わかってる……もともと、動ける状態じゃねーし……」
「今日は僕も泊まりだから、何かあったら呼んでくれていいよ」
「ああ……」
「それじゃあ。良い夢を、有都君」
静かに閉まる扉の音を聞いて、ようやく目を覆っていた腕をずらす。
薄闇の中、再びこぼれた吐息は――安堵のためだ。
今の有都は、人前に出れるような精神状態ではなかったから。一人で、病室に泊まりになったことに対する安堵。
「……なんだって、今頃……」
――両親が死んだ時の夢など見たのだろう。
去年――丁度、丸一年は経過したか。中学三年の時に有都の両親は、彼の目の前で殺され、そして放火された。そのショックから心神喪失状態になっていたことがあり、その時以来、純は有都の主治医となっていた。
自我を取り戻し、通常生活を送れるようになってしばらく、あの時の夢を見ることはなかったのに……忘れたわけではなく、けれど悪夢にうなされるようなことはなくなっていたのに……
なのに。
「父さん……母さん……っ」
誰もいない病室で有都は、久し振りに思い切り泣いた。
ずっと側にいてくれると思っていた。ささやかな幸せが、ずっと続いていくと信じていた。
少なくとも――
こんなに突然にいなくなってしまうなんて、考えてさえ……いなかった……
翌日、有都は自分の手首にあるモノを、胡乱(うろん)げに眺めていた。
小さな水晶のような石がついたマグネット式のブレスレットは、朝、様子見に来た純が渡してきたものだ。
純曰く、簡易的な護符らしい。封印符のように能力自体を封印、若しくは抑制するものではなく、外的要因を遮断するもの。有都が能力を使おうとしない限りは、当人の意志に反して能力が発動・暴走することはないというのだが……
「本当に効果があるのかね……」
自分よりも遥かに強い能力を有している純の力を信じていないわけじゃない。実際、能力が制御できずに親元から離され、有都と同じく甲塚(こうづか)家に引き取られた瑞野夏姫(みずのナツキ)の能力を封印しているのも純だし、その封印符の効果は有都もちゃんと確認している。
けれど、それとはまた別の話。
一瞬で意識が奪われるほどの強烈な思念を食らった後では、どうしても疑いが湧いてしまうのだ。
まあ、思念の主がどこにいる誰なのかすらわからない今は、効果を確かめる術はない。効き目があることを祈るしかないのだが。
沈みそうになる気持ちを溜息の形で外へと吐き出した、その時。
「よぅ、何溜息なんてついてんだよ、有都」
軽く肩を叩きつつ掛けられた声。確認するまでもなく相手はわかっているが、一応有都は顔を向けた。
声の示すまま明るい調子の男子生徒が笑顔で立っている。彼の名は端野和也(はたのカズナリ)。有都の級友で、学校内では最も親しい友人だ。
「聞いたぜ、昨日の放課後ぶっ倒れたんだってな。……まだ、具合悪いのか?」
「いや。単に考え事してただけだって」
心配してくる和也を安心させるために答えた言葉は、有都の狙い通り目的を達してくれた。
まあ、頭痛はすっかり治まっているし、考え事をしていたのは事実だから嘘をついたわけではないのだが。
「昼飯どうしようか~とかか?」
ふざけて言われた言葉に、有都は眉根を寄せる。……その問題もあった。
結局回復に多少時間を食ってしまい、一時限目の授業には間に合わなかった。二時限目には間に合ったが、休み時間には保健室だの職員室だのに行って色々と証明書等を提出したりしていたのだ。それは、昼休みである今さっきもそうで。
「学食……もう混んでるよな」
有都の通う私立鳳凰(ほうおう)学園高等部の学生食堂は、都内の学校関係者の間ではかなり有名だった。種類が豊富で豪華、けれどお手頃価格で、バイキング形式のエリアまであるから。
昼食を楽しみに来ている生徒は、決して少なくはないはずだ。かくいう有都もその一人。
ただ問題なのは、当然の如くものっすごく混むということ。
人込みを嫌って食堂利用を断念している生徒もまた、少なくはないだろう。
「長時間並んでまで食いたいとは思えないんだよなぁ、おれ……」
けれど、食べなければ午後の授業はもたない。昨日は病院泊まりだったので弁当もないし、朝買ってくるということもしなかった。
さて、どうしたものか――と。本気で悩み始めた有都の目の前に、ビニール袋が現われる。
「は~い、そんな有都君に天の助け。オレの昼飯を分けてやろうじゃないか!」
「マジで!?」
「おう、マジで。コンビニのパンとおにぎりだけどな」
「助かるって、それでも充分!」
「そんじゃま、屋上にでも行くか」
あっさりと呈示された解決案に、持つべきものは友だ! と、心の底から感謝しつつ、和也と共に屋上へと歩き始めた。
屋上へと続く階段までは、現在地からは少し距離があった。それでも、時間に余裕はあったので、急ぐこともなく進んでいた。その足が、不意に止まる。
「あれ……? 良子(りょうこ)?」
立ち止まった和也から、不思議そうな呟きがこぼれた。
彼の視線を追ってみた先には、一人の女子生徒。俯いて表情は見えないが、どことなくふらふらしているように見えた。
「知り合いか?」
「あー……一応、幼馴染みってヤツになるんかなぁ……けど、最近はあんまり話したりもしなくなってさ」
「ふーん……」
そうは言っても彼女のことが気になるのか、和也は俯いたままこちらへと歩いてくる良子を目で追っている。
有都自身は特に思うこともなく、友の行動をただ見守っていた。
良子は和也の存在に気付いていないのか、気付いていてあえて無視をしているのか。どちらかといえば前者のような気がするが、そのまま有都たちの横を通り過ぎていった。
刹那、キィンと耳鳴りがした。
――……カ……ノニ……アレ……ナ……ニ……――
頭痛を伴って、脳裏に響く音。
昨日と同じ現象に、有都は頭を抱えた。
「おい、有都っ!?」
和也の焦った声が、遠くに聞こえる。頭に響く音のほうが大きいから、そう感じてしまう。
昨日と同じ音。けれど、ほんの僅かに『声』が混じって聞こえた。
雑音のほうが多くて、ほとんど聞き取れはしなかった。……そうするだけの余裕も、もうなかった。
焦っているであろう和也に何を答えることもできずに、再び有都は意識を失った。
そうして目覚めた時には、やはりというか己の病室で。
「これ、全っ然効果なかったぞ……」
昨日と同じように自分を見下ろしていた純に、開口一番文句を言ってやった。
「おかしいな……護符としての力は充分込められてるんだけど……」
「でも効かなかった」
困ったように呟く純をひと睨みしつつ、ブレスレットをつけている手を差し出す。
純は有都の手首からそれを外して、欠陥を探すように見始めた。
いつ出るとも知れぬ結論を待つ間、とりあえずは昨日との違いは報告しておこうと、口を開く。
「とりあえず、思念の主はわかったけどな」
「やっぱり、同じ学校の生徒だったの?」
「ああ。すれ違った時に流れ込んできた。一応言葉も聞こえたけど、雑音が多すぎて途切れ途切れにしか拾えなかったんで、意味は全くわかんねえ」
「そう……」
ブレスレットから目を逸らし、けれどこちらも見ずに何やら思案顔の純。
「護符は正しく機能している。ということは、もしかして――」
小さな呟き。それを遮ったのは、唐突に現われた来訪者。
ノックの音に有都が答え、顔を覗かせたのは和也だった。
時計を確認すれば、丁度放課後。授業が終わってから直行してきたのだろう。
「悪かったな、和也。びっくりしただろ」
身体を起こして迎えようとしたが、襲ってきた頭痛に顔をしかめてしまった。ばっちり目撃した和也が、眉をひそめる。
「いや、まあ、びっくりしたはしたけどよ……大丈夫か?」
「ああ、よくあることだからな」
慣れたもんだ。
何でもない風に言うと、目の前の純があからさまに溜息をついた。
「よくあることにしないでよ……」
「おれだって、好きで倒れてるわけじゃねーよ」
「まあ、僕のところに関してはそうだろうけど……でもね、有都君。この病院に君専用の病室が未だにあることは事実なんだからね?」
「だから……おれのせいじゃねえって……」
「この半年、君がここを利用した原因の半分は、君が注意していれば防げたはずのものだと思うんだけど?」
軽く咎めるような静かな指摘には、有都も反論を諦めた。どう足掻いたところで、主治医である彼に口で勝てるわけがない。
反論を溜息に代えて、それでもひとつだけ最後に返す。
「今回のは、おれのせいじゃねえ」
「……そうじゃ、ないかもしれないよ?」
急に下がった声のトーン。返された否定。
有都は訝しげに純を見上げた。
「確かに有都君に非はないかもしれない。でも、原因が君にもある可能性は否定できない」
「純……?」
「で、今日はどうするの?」
「――は?」
真面目な表情が一変して笑顔で話を切り替えられ、きょとんとする。
「昨日より症状は軽いようだけど、帰る? それとも泊まる?」
「あ、ああ……面倒だから泊まってく」
「そう。それじゃあ僕は、明日までにコレを何とかしておくから。惺への連絡は自分でしてね」
ブレスレットを指して扉へと向かう純を見つめ、有都は眉根を寄せた。
「してないのかよ」
「今日はまだしてないよ。こっちの病棟は携帯が使えるんだから、大した手間でもないでしょ」
「そりゃそーだけどよ……」
そういう理由で渋っているわけじゃない。
快諾を返せずにいると、見透かしたように純は笑って。
「少々のお小言ぐらい、我慢しなきゃね♪」
そう言い残して部屋を出て行ってしまった。
しばし彼が出て行った扉を見つめ、やがて盛大な溜息をついた。
「え~っと……今の人、医者――だよな?」
「ああ、おれの主治医の白川(しらかわ)純。惺ってのはおれの保護者代理で、純とは学生時代からの友人なんだとよ」
白衣は着ていたけれど、その気安さが医者とは思えなかったのか、呆気に取られた様子で訊いてきた和也に、有都はまとめて答えた。
「あ~、なるほどなあ」と一応納得した彼に適当に座るように促し、室内に備え付けてある冷蔵庫から缶コーヒーを取り出して渡す。有都自身も一本開けて口をつけた。
「しかし、面倒だからって理由で泊まれる病院ってのもすごいと思うんだけどよ……倒れた理由とか、専用病室のこととか、オレが聞いてもいい話か?」
さっぱりと、あまりこだわらない感じで向けられた確認は、有都に躊躇(ためら)いを呼んだ。
入学早々に派手に喧嘩をして以来打ち解け、わりと何でも話し合える仲になってきてはいる。
喧嘩の原因にもなった左耳につけているルビーのピアスが、唯一手元に残った両親の形見であること。今は両親が懇意にしていた甲塚家に引き取られていること。趣味はツーリングで、休日はもちろん、平日の夜も結構出歩いていることなど。
今のところ、話したのはここまで。
彼にはまだ、話していない。特殊能力のこと、仕事のこと。そして――有都が抱えている病のこと……
「言いたくないんなら、無理に聞く気はねえけど」
沈黙したままでいると、和也はそう言った。コーヒーを飲みながら、どこか天井付近へと目を向けて。
やはり深くこだわってはいないように見えるその姿勢も、何故かこちらの出方を待っているようにも見えて。有都も同じように視線を逸らして、缶を傾ける。
「う~ん……言いたくないっつーか、単におれのプライドの問題っつーか……」
「は?」
正直に言えば、前者ふたつは言いたくない。けれど最後のひとつは、言ってもいいと思っている。
ただ、己の弱みを見せることに対して、プライドが思い切り反発しているというか。
だが、このまま和也の優しさに甘えてしまうというのもまた、プライドが許さないと言っている気がする。
結構面倒な己の性格に対して有都は深く嘆息し、踏ん切りをつけて口を開いた。
「純は、精神科の医師なんだよ」
「精神科?」
「ああ。……おれの両親が一年前に死んだってのは話したよな」
「あー、聞いたな」
「正確に言うと、殺されたんだ。おれの目の前で」
派手に咳き込む和也。飲んでいたコーヒーが気管に入ったのだろう。
咳が治まって涙目でこちらを見てくる姿を視界の隅に入れつつ、けれど目は合わせないで先を続ける。
「おまけに家に火までつけられてな。おれ、しばらく心神喪失状態になってよ、半年前まで入院してたんだ」
「それで、専用病室か……」
「一応普通に生活できるようになってはいるけど、まだ完治したわけじゃなくてさ。退院したての頃は、よく逆戻りしてた。それでもここ一ヶ月は来てなかったんだけどな」
缶の中身を飲み干して、和也は天井を仰ぐ。
「おまえ、ハードな人生歩んでんだなあ……」
ぽつりと、彼の口からこぼれたのは、感心したような呆れたような呟きで。
変に同情したり、あからさまに腫れ物に触れるような反応ではないことに、有都は深く安堵した。
そんな、自分だけ普通じゃないような扱いは、もうされたくはなかったから。
「まぁな」
「ん~……じゃあ、それ以外の、おまえが注意してれば防げた来院理由って?」
「それは――」
「あるとっ!」
ノックもなしに飛び込んできた声が、有都の言葉を遮った。
ぱたぱたと軽い足音を立てて走り寄ってくる黒髪の子供に、有都は目を瞠る。
「杏樹(あんじゅ)? おまえ、なんで……」
「きょうも、たおれたって、すずのたちが話してたの聞いたから……っ」
「鈴乃(すずの)って……あ~、学校側から連絡いったのか」
まだ連絡入れていないはずなのに何故、と言いかけて、その答えに思い至った。至ったついでに、もうひとつの事実にも気付く。
「杏樹、おまえまた学校行かなかったな?」
言葉を詰まらせ、無表情になる杏樹。沈黙は肯定の証。
有都が倒れたのは昼休み。直後に連絡がいったとして、その時間に家にいるはずがない。いくら小学校低学年でも、本来ならば学校にいる時間なのだから。
帰宅してから有都のことを尋ねたのなら、『話してたのを聞いた』という表現はおかしいし。
まあ、いつものことか――と。溜息をついて、杏樹の頭を撫でる。
今までの遣り取りにか、突然の来客を観察していた和也が、ひどく真面目な顔をして。
「おまえの妹か?」
「激しく違う」
なんつー勘違いをしてくれるのか。
即答で返して、有都は杏樹を抱き上げてベッドに座らせつつ、説明した。
「杏樹は男だし、おれは一人っ子だ。甲塚家で引き取ってる子供の一人だよ。人見知りが激しくて、何が嫌なのか軽く引き籠り中」
「おっ、ホントだ。オレ、思いっきり避けられてるな」
ベッドに乗るや否や、和也から遠ざかるようにして有都の影に移動した杏樹は、まるっきり小動物だった。警戒心丸出しにして、和也を窺っている。
その頭をぽすぽすと軽く叩き、有都は問う。
「で、杏樹。おまえ、一人で来たわけじゃねーよな?」
無言のまま、一度だけ上下した頭。
「誰と来たんだ?」
「俺が連れてきた」
降って湧いたような回答は、この場にはいなかったはずの第三者からのもの。
有都にとっては聞き馴染んだ声の主は、入口のところに立って物言いたげな顔でこちらを見ているスーツ姿の青年。
「家に戻るなり飛びつかれた上に、タイミングがいいのか悪いのか、丁度携帯に連絡が入ったからな」
「今日は早いんだな、惺。つーか、連絡って……純はしないって言ってたぞ?」
「オレがしたんだよ。休憩入ったら、何か純が慌しくしてるの見かけてな」
スーツ姿の青年・惺に投げ掛けたはずの問いは、彼の後ろから顔を出した白衣を着た長髪の青年が答えた。
得心がいき、有都は彼へと軽く会釈する。
「お久し振りです、秋篠(あきしな)さん」
「おう、ご無沙汰だな、皇羽(おうば)。で、相変わらずおチビちゃんには嫌われてんな~、オレ」
長髪の青年・秋篠朱鷺(とき)の視線から完全に隠れるように、有都の背後へと回っている杏樹。
目も合わせようとしないその様子に朱鷺は半ば愚痴のように呟き、そして惺は溜息をついて。
「嫌ってるんじゃなくて、苦手なんだよ」
「その理由がわからんのよ」
「怖いんじゃないのか」
「おいおーい、そりゃあんまりじゃねーか? オレ、これでも小児科医だぞ? 子供にはわりと人気あるんだぞ?」
「そうだな。朱鷺は昔っから頭の中は子供のままだからな」
「おい、そりゃどういう意味だ」
「言葉通りだ。子供のままの思考回路をしているから、子供と気が合うんだろう」
「成長してねえって言いたいのかよ?」
「他に何かあるか?」
「じゃあオマエはどういう成長してんだよ。無口でポーカーフェイスを常としてクールぶってたくせに、今じゃ過保護さ全開の子煩悩パパじゃねーか!」
「杏樹は俺の子供じゃないぞ」
「十八も年が離れてれば親子って言っても誰も疑わんわ!」
普通の会話が、いつの間にか言い争いに発展している。
いつものことなので慣れている有都は嘆息をこぼして、初めて目の当たりにした和也は呆然とその様子を眺めつつ。
「なあ、有都。アレ、止めなくていいのか?」
終わりそうにないんだけどよ。
「おれが言っても止まらないからな。止めるなら別の手だ……よっ」
小さな掛け声を出し、枕元に下がっている赤いボタンのついた白っぽい長方形の物体を手に取る。赤いボタンを押して、中央付近にある網目状の部分に口を寄せた。――と。
――有都君、どうかした?――
それから聞こえてきた女性の声。
これは、有都の病室専用の内線形式のナースコールだった。
「おれがどうかしたんじゃねーんだけどよ、惺と秋篠さんがここで騒ぎ出したから、純か玖珂(くが)さんに引き取りに来てもらえないかと思って」
――わかったわ。手の空いているほうに声を掛けておくわね――
応対している女性にとっても毎度のことで、くすくす笑う声と共にあっさり了承が返り、そして通信は切れた。
やれやれ、これで何とかなる――と。一息つくよりも先に反応を示してきたのは、朱鷺。
「ちょっと待て、皇羽。今、木実(このみ)の名前出さなかったか!?」
「出しましたよ。他に止めれる人はいないでしょうし」
「冗談じゃねえ! 木実が来る前にオレは戻る!」
言うが早いか、くるっと踵を返した朱鷺。しかし、何歩も進まずしてその足は止まる。
――バンッ。
「なぁに? 朱鷺は私と会うと何かマズイことでもあるの?」
大きめの茶封筒を構えた女性・木実が足元で蹲っている朱鷺に、冷ややかな言葉を降らせた。
叩かれたわけではなく、ただ己の移動速度を利用され顔面の位置に差し出された封筒をモロに喰らった朱鷺は、鋭く木実を見上げる。――が、彼が何か言うよりも先に、木実が口を開いた。
「あるわよね~? 医者のくせに病室で騒いでたんですものね~?」
事実、故に反論ができない。
完全勝利を収めた木実へ、わりと冷静なままの惺が声を掛ける。
「早かったな、木実」
「当たり前でしょう。あなたを捜してたんだから」
言いながら、茶封筒を差し出す。
「頼まれてた被害者たちのカルテ。閲覧可能な部分だけまとめておいたわ」
「ああ、助かる。ありがとう」
「どういたしまして。で、有都君。今回は純のほうなのよね。よかった――とは言えないけど、なるべく私のほうには来ないようにしてね」
「おれもできることなら病院の世話にはなりたくないですよ」
「まあ、普通はそうよね。とにかく、騒がせちゃってゴメンね。お大事に」
用件を済ませた木実は、忙しいのか早々に立ち去っていく。彼女が惺や有都と話している隙に、こっそり病室を出て行こうとしていた朱鷺の首根っこを掴まえて。
自分より大きな男を引きずっていく女性の姿は、ある意味異様な光景だった。
「え~っと……どういう意味だ?」
「あの人、外科医だから」
「ああ、半分の理由か」
「そういうことだ」
先程から呆然としたままの和也は、有都の言葉を聞いて一応納得したようだ。
納得してくれたところで、来客のほうに向き直る。
「もともと用があったのか」
「仕事だ。今日は泊まりになりそうだったから、着替えを取りに戻っただけさ」
「で、杏樹にせがまれたのか」
「……何か言うことは?」
「今日もこっち泊まるわ。いや~、連絡する手間が省けたぜ♪」
すちゃっと片手を挙げ笑顔で言えば、惺の額に青筋が浮かんだ。
――ヒュッ、パン。
手裏剣のように見事に飛んできた茶封筒を、白刃取りの要領で軽々と受け止める。
茶封筒を投げた器用な当人・惺は、物凄い鋭い目つきで睨んできた。
「有都……おまえの辞書には『反省』という文字はないのか?」
「おれがヘマして倒れたわけでもねえのに、何で反省なんかする必要があるんだよ」
「人に心配をかけたなら、それなりの謝意を表わすべきだろう」
「惺相手にんなもん表わしてどうするってんだ、冗談じゃねえ。傍迷惑過保護野郎」
「有都!!」
「うるさくするなら、もう一回玖珂さんに来てもらうからな」
切り札を出せば、ぐっと言葉に詰まる惺。彼も木実には弱いらしい。
有都は溜息をついた。
「用が済んだならおまえもさっさと戻れよ。じゃねえと、まーた嫌味言われんじゃねえのか、甲塚警視?」
切り札その二。再び言葉を詰まらせた惺もまた、有都と同じように溜息をこぼして。
「純の診察結果は?」
「明日までに何とかするとよ。だから、明日にはちゃんと家に帰る。そう鈴乃に伝えておいてくれるか?」
後半は杏樹に向けての言葉。杏樹は少しだけ笑って頷くと、有都が差し出した茶封筒を持って惺の許へと駆けていく。
杏樹から茶封筒を受け取った惺が、もう一度こちらへと向き直って。
「抜け出すなよ?」
「抜け出す気があるなら帰るわ、ボケ」
「それもそうか。じゃあな」
「おやすみ、あると」
わざわざ釘まで刺してからようやく帰った来客に、有都は頭を抱えた。その仕草が病気のためのものであると思ったのか、和也の心配そうな声が掛かる。
「頭、痛いのか?」
「あ――……いや……うん、まあ……別の意味で」
「ああ……賑やかっつーか、忙しない感じだったからか?」
「どうにもおれは、静かっていうものと無縁らしい……」
別に賑やかなのが嫌いなわけではないが、四六時中賑やかであっていいわけがない。ましてそれが病院だというのなら尚更だ。
そして、大抵ゆっくり考え事をしたい時に限ってうるさくされるのだ。
もう本日何度目になるかわからない溜息をついた。
「御愁傷様?」
「まったくだな」
苦笑を返してから、有都は残っていたコーヒーを飲み干し缶をゴミ箱へと放った。離れた場所にあったそこに、見事に入る。……全ての物事も、こんな風にきちんとおさまればいいのに。
「和也。あの良子って幼馴染みと、何かあったのか?」
彼にとっては、不意打ちだったのだろう。一瞬目を瞠ったかと思うと、次には笑って。
「なんだなんだ? おまえ、あいつに気があるのか?」
「違うわドあほう。それはおまえのほうだろう」
ふざけて誤魔化そうとしてたのを一刀両断に切り返す。
図星を指されてふざける気力も削がれた様子の和也を見て、有都は真顔で言った。
「何があって遠慮してるのかなんて知らねえし、聞く気もないが、本当に大切だと思うならしばらく目を離さないほうがいいと思うぞ」
「……なんで有都にそんなことがわかるんだよ。あいつに会ったの、初めてなんだろ?」
「初対面だからこそ、何の先入観もない。だからわかることだってある」
珍しく不機嫌そうに問い掛けてきた和也に怯まず、言い放つ。
「どことなく、ふらつきながら歩いていたろ? おれの目には、今にも折れそうに映ってたぜ。誰かが支えてやらなきゃ、何かに潰されそうに見えた」
これは、本当。能力に関係なく、そう見えたのだ。
まあ確かに、純が作った護符も無効にし、まともな形で受け取れない程に強く何を思っていたのか、気になっているのも事実ではあるが。
それでも、今の言葉は見たままのものだ。
「何かってなんだよ?」
「初対面のおれがわかるわけないだろ、そんなこと。踏み込めるわけもねえし。だから、おまえに言ってんだよ」
つっついたのはこっちだが、何もそこまで不機嫌に睨んでこなくてもいいじゃないか。
思わぬ和也の反応に有都は溜息をついてしまう。でも、放っておくことはできない何かがあって。
「和也……おれの二の舞にはさせるなよ」
最後にそれだけ伝えて、この話を終わらせた。