第 1 話
悲しみの水面

 ――ないている……

 『悲しい』と言って泣いている。
 『悔しい』と言って哭(な)いている。
 『奪いたい』と言って鳴いている。

 深い深い絶望の中から響く幾多のなき声は止む気配すらなく、日増しに強くなっていく――……



「……どうした?」
「斬魄刀たちがなき止まない……おかげで私は寝不足だ」
 ある晴れた日の昼下がり。自宅の縁側に転がっていたは、降ってきた問いに覇気のない声で答えた。
 死神にとって必要不可欠な武器である斬魄刀。それを造り出すことのできる、尸魂界で唯一の存在がだ。
 斬魄刀はただの道具ではない。それぞれに名を持ち、その名を呼ばれることで能力を解放する。そしてその名は、斬魄刀自身が認めた者でなければ聞き取ることはできないのだ。
 その理の外に在るのは、造り手である斬魄刀鍛冶師。
 斬魄刀鍛冶師は全ての斬魄刀の声を聴くことができるのだが……それが今のにとって、大きな負担となっていた。
 長く息を吐き出して、陽射しを避けるために目を覆っていた己の腕を下ろすと、問いを投げ掛けてきた来訪者を見上げた。
「久しいな、。おまえこそどうした」
 から見れば丁度逆光。けれど、陽に透けて不思議な美しさを醸し出している独特に結った青黒い髪と、銜えた煙管が何よりもその人物を示している。
 死神の証である黒い死覇装を着崩し、隊長だけが着ることを許された白い羽織を肩にかけている彼女。その背に背負うは『特』の文字。
 護廷十三隊、特番隊隊長・
「密命……山本から……」
 喋り方も独特な。必要最低限にも満たない単語だけ。
 それが彼女の癖だから、慣れているは難なく意味を悟る。
 ――護廷十三隊総隊長・山本元柳斎重国より密命を受けてここへ来た、と。
「なるほどな……」
 溜息をひとつつき、は身体を起こした。
「ようやく動き出したというわけか」
 組織である故なのか対応が遅い、と。いつもながら思う。
 けれど、死神が斬魄刀鍛冶師の仕事に口を出さないように、もまた死神の仕事には干渉しない。それが暗黙の了解。
 しかし、今回はそうも言ってはいられないようだ。こうして、指令を受けたが自分のもとへ来たのだから。
 何より、にとって死活問題でもあるし。
「とりあえず上がれ。丁度買ってきた団子があるから、今お茶を入れてくる」
 長話にはならないだろうが、かといって久々に来た客人をもてなさない理由もない。まあ、一番は自分が気を紛らわせたかったという理由で、はお茶の用意をした。
 だが、いつまで経ってもは上がってくることはなく――戻ってみれば案の定。縁側に座り、猫と戯れている後姿。
 昔から動物に好かれていたな――と。
 懐かしさに目を細めつつ、お茶と団子を挟んでの隣に腰を下ろした。
「山本は何だって言ってきた?」
「斬魄刀の、情報……」
「だろうな」
 ――斬魄刀から聞き出した情報の提供を求める、と。
 それは斬魄刀鍛冶師にしかできないことで、のもとへ来るのに他の理由などない。
 予想通りの答えに嘆息し、は団子をかじる。
「残念ながら、現時点では何もないぞ」
 同じように団子を口にしているの、疑問を乗せた視線。
 は団子の串を銜えたまま答えを返す。
「言っただろう? 斬魄刀がなき止まぬ、と。今はまだ、まともに話ができる状態ではないんだよ」
 斬魄刀は、意志を――人格を持って生きている。自分が認めた者、即ち使い手を何よりも大切にする。
 それ故に、使い手を失った斬魄刀の嘆きは大きい。
 そう……の睡眠を妨げるほどに――
「……寝不足……」
「そうだよ。昼寝すらままならない状態だ。仕事など手につくものか」
 昼寝にはもってこいの陽気である今日。一応縁側に転がってはみたものの、意識に響く斬魄刀のなき声が見事に睡魔を撃退してくれていた。
 家主は眠れずにいるというのに、その横では飼い猫たちが幸せそうに寝ていて……苛立ちを覚えなくもないが、流石に動物に八つ当たりするほど鬼畜ではない。
 とりあえず、苛立ちを鎮めるためにお茶に口をつける。
「山本に言っておけ。情報提供ぐらい、いくらでもしてやるからさっさと解決しろ。それまで斬魄刀は一本たりとも造れん、とな」
「伝える…………けど……確定?」
「……このなき方は、ただ虚に喰われただけのものではない」
 意識を響く声へと傾ければ、それだけではっきりと聞こえてくる数多の言葉。
 喪失による悲愴や自責。これは鍛冶師の元へ戻ってきた全ての斬魄刀にある感情。
 工房一階にある長い回廊は、斬魄刀のそんな心の傷を忘れさせ、癒すための術式が張り巡らされている。故に、そこは『忘療(ぼうりょう)回廊』という。
 だが、その術式の効果がないほどに、そして悲愴や自責を凌駕するほどに強くある憎悪の念。
 この状態にある斬魄刀の主は――

「裏切り者がいるぞ。この数ヶ月で二部隊分の死神を、虚に喰われたように見せかけて殺した奴がな」

 風が、吹く。鎮魂の風。
 静かに、物悲しく。けれど穏やかに過ぎる風に髪を弄ばれながら、は目を伏せた。
「そうか……」
「何かわかったら日番谷に地獄蝶を飛ばさせるさ」
 さらっと、至極当然のように言い放てば、目を開けたが訝しげに見つめてくる。
「何故、日番谷……?」
「ここから一番近いのは十番隊だろう?」
 それにアレは、からかい甲斐があって面白いんだ。
 くつくつと喉を鳴らして笑うの隣で、呆れ気味に溜息をつく。彼女の手からは、湯呑み茶碗が床へと移されて。

「なんだ?」
「団子」
 代わりに手にして示された、空の皿。上にあったはずの団子は、串だけを残して綺麗に消えていた。
「……やはり足りなかったか」
 呟き、懐に手を入れる。
「食べに出るか?」
 何かを期待しているようなに向けて、懐から取り出した小さな木札をひらひらと振って。
「今日が期限の割引券。お茶の用意をしていたら戸棚から出てきたんだ。奢るぞ?」
「行く……でも、平気……?」
 彼女の口から出た気遣いに苦笑する。
 それは、金銭のことではなくて、の体調のこと。
 本当に、昔から変わりない。
「ここにいても寝られやしないんだ。どうせ気を紛らわすなら、人の多い所のほうがいい」
 静かだと斬魄刀の声が響いて仕方がない。だが、雑踏の中なら、却ってざわめきに掻き消されるから。
 得心のいったらしいが立ち上がって……も後に続いた。



 ――斬魄刀がないている……

 喪(な)くしたものの大きさに嘆き、守れなかった己を責めて。
 そして、最愛の者を奪った奴を――その者の最愛のものを奪いたい、と。

 果て無き闇の中で、終わることのないなき声を――上げ続けている……