
阿倍野墓地は見渡す限り墓石で埋め尽くされている。この中から目的の墓を探し出すのは容易ではない。幸いにして五代友厚の墓は、ほかより背が高く、献じられたたくさんの石灯篭に囲まれているので、比較的簡単に見つけ出すことができた。
五代友厚は薩摩藩士で、欧州留学から帰国後、新政府の外国事務掛となり大阪に赴任した。明治二年(1869)には官を辞し、実業家としての道を歩んだ。大阪証券取引所、大阪商工会議所、大阪商業講習所(大阪市立大学の前身)の開設に関与し、鉱山経営、紡績、製藍、製銅、鉄道事業の設立経営に参画した。まさに大阪経済の父となった。明治十八年(1885)五十一歳で病死。