
元和三年(1617)、小笠原忠真が信州松本から明石に国替えとなり、明石藩が生まれた。翌元和四年(1618)将軍徳川秀忠は西国諸国に対する備えとして新城の建築を命じた。元和六年(1620)に工事は完了したが、その当時の明石城は四隅に三重の櫓を配し、天守台には石垣まで築かれたが天守閣は建てられることがなかった。現在も坤櫓と巽櫓が美しい白壁で結ばれ、その姿をJR明石駅から見ることができる。
幕末の明石藩主は松平直致(なおむね)。一貫して佐幕で、鳥羽伏見の戦争に敗れた徳川慶喜を援護するため出兵したが、戦場に到着する前に大阪城が落城してしまう。その後、山陽鎮撫隊が明石城攻撃に向かうと、誓書を提出して帰順を表明した。ただし一部の藩士は松石隊を結成して江戸上野で彰義隊と合流して新政府軍に抵抗した。

