

阪急嵐山駅を降りて人の流れに従って進むと有名な渡月橋が出迎えてくれる。渡月橋を渡るとすぐに天龍寺の広大な敷地に到達する。
天龍寺は臨済宗天龍寺派大本山。暦応三年(1339)吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が創建したものである。
とにかく広い。この広さに目をつけたのが、禁門の変で京都に迫った長州藩兵三千であった。しかし禁門の変に破れた長州藩を追撃してきた薩摩軍のために天龍寺は大部分を焼失してしまった。




龍馬像の横に船中八策の記念碑がある。
船中八策は、慶応三年(1867)六月九日に、土佐藩参政後藤象二郎とともに藩船「夕顔」に搭乗した坂本龍馬が示した政事構想である。海援隊書記長岡謙吉が筆記したと言われる。その後、明治新政府の「五ヶ条の御誓文」の基礎となる注目すべき文書である。


嵐山は、言わずと知れた観光地であるが、こういう場所の史跡訪問は辛い。まず何といっても観光客で混みあっている。駐車場代も高い。
有名な渡月橋の北側の道を山の方に折れる。一応、この奥には旅館や料亭があって車両通行も可能であるが、船遊びの乗船場もあって自動車では進入しにくい雰囲気である。そこを突き当たりまで行って、自動車を乗り捨て亀山公園に入る。それまでの喧騒がウソのような静けさである。亀山公園には、角倉了以の像などがあって案内が出ているものもあるが、目指す村岡像は行き先表示が無いのでやや分かりにくい。角倉了以の像の北の緑地の中に在る。
村岡は、安政五年(1858)に安政の大獄が始まると、捕らえられて江戸に送られ永慎みに処された。その後は近衛家を辞して北嵯峨直指庵で晩年を過した。明治六年(1873)八十八歳で世を去った。