芦 屋



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(親王塚
親王塚

 JR芦屋駅を降りて東に向かう。高級住宅街の一角が森のようになっている。これが阿保親王(792〜842)をまつる円墳である。周囲はこれだけ宅地として開発されているというのに、ここだけ手を付けられなかった。よく今日まで保存されたものである。

 阿保親王は、平城天皇の第一皇子で、この親王の落胤の一人が大江氏を称し、その子孫が大江広元である。広元の子、季光が毛利氏を名乗ったのが長州藩主の先祖に当たる。拝所の正面にある四対(うち一対は阪神大震災により滅失)の石灯篭は長州藩主毛利候が寄進したものという。

 幕末にも毛利氏は、親王塚の改修をしたり、参勤交代時に親王寺に詣でたりして、盛んに皇室との関係をアピールしようとした。

(親王寺
親王寺

 親王塚から南に数百b下った場所に親王寺がある。打出浜の風景を愛した阿保親王の邸宅跡に建てられた寺である。やはり震災で古い建物は焼失して歴史を感じられないが、長州の毛利氏と同じ、「一文字三ツ星」を寺紋として使用している。

 慶應三年(1867)十一月、長州藩の討幕軍千二百は、親王寺に本陣を置いてこの周辺に分宿した。その月末には西宮に移り、更に十二月には京都郊外の粟生光明寺に転陣した(一坂太郎「幕末歴史散歩 京阪神篇」)。