五 條 U





(五條代官所跡
五條代官所跡
 現在、五條市役所に在る場所が旧代官所跡である。天誅組が代官所を襲ったのは文久三年(1863)八月十七日のことである。天誅組は代官鈴木源内らを殺害し首を晒した。
市役所前の植え込みに代官所跡の石碑がある。五條は幕府の天領であり、周辺の幕領を統括する代官所が置かれていた。代官所には数名の役人がいるだけで倒幕の狼煙を上げるには格好の標的であった。
(極楽寺
鈴木源内と五人の部下の墓
 鈴木源内は十三代目の五條代官で、天誅組の変勃発前年に五條に着任していた。当時既に六十歳くらいで、人柄は温厚善良、善政を布いて領民からよく慕われていたという。五條市役所そばの極楽寺墓地に墓がある。
(五條史跡公園
史跡公園
五條市役所から歩いて数分のところに史跡公園がある。ここには五條代官所長屋門が復元されており、その内部は民族資料館として天誅組関係の資料が展示されている。ボランティアの方が交替で詰めていて、懇切丁寧に説明してくれるのも有り難い。入手したパンフレットには五條に点在する天誅組関係の史跡を地図と写真入りで紹介している。最初にこれを手に入れてから史跡を回れば効率的であろう。館内の展示には五條のみならず、周辺の史跡も紹介されていて情報を仕入れるには絶好の拠点となっている。公園の入り口には、明治維新発祥の地の石碑がある。日本の各地が明治維新発祥の地と自称していて、これまで同種の碑をいくつか見てきた。天誅組の変が果たして維新の魁といえるのであろうかとやや疑問に感じつつ、公園をあとにした。
(井沢宜庵旧宅跡
井沢宜庵旧宅跡
市役所から史跡公園に歩いていくと、右手に五條小学校を見ることになるが、小学校校庭の西側に隣接して井沢宜庵の旧宅跡の石碑がある。
井沢宜庵は五條出身の医師で、天誅組の乱に身を投じた一人である。反乱が鎮定されると、捕らえられて京都六角獄舎に投獄され獄死(一説には毒殺死)した。四十三歳。

(常楽院 井沢宜庵の墓
井沢宜庵夫妻の墓
市役所のちょうど南側に常楽院という小さな寺がある。寺の門を入ろうとすると向かいの家の犬に激しく吠え掛かられた。本堂傍らに井沢宜庵夫妻の墓がある。

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(岡八幡
岡八幡
五條市街から相当離れるが、北郊の岡八幡神社は天誅組が終結した場所として伝えられる。天誅組一党は京都方広寺に集結して淀川を下って大阪入り。天保山から再び船で海上を南下して堺に上陸した。堺からは陸路を進み、千早峠越えで五條に入った。その間、別行動を取っていた藤本鉄石らは観心寺で合流した。文久の頃には神殿の前に大きな楠木がそびえていたが、今はその大木も枯死してしまってどこでもありそうな小さな神社に過ぎない。大きな切り株が残されているだけである。