
湖東三山の一つ、天台宗金剛輪寺は、赤報隊結成の地である。建立は、天平十三年(741)という古刹である。
赤報隊の首魁は、薩摩藩士の益満休之助と相楽総三であった。相楽は、下総の豪農小島兵馬の次男として江戸赤坂に生まれた。京に上って西郷隆盛の知己を得て、慶應三年(1867)には倒幕戦のための挑発を必要とした西郷の密命を受けて、「御用盗」と称して浪士を使って江戸撹乱を実行した。同年十二月下旬、江戸城二の丸に放火された幕府は、遂に薩摩藩邸を襲撃する報復に出た。これが新政府と旧幕府戦の口火となった。
その後、赤報隊の第一隊長に抜擢された相楽は「年貢半減」を掲げて東山道軍の先鋒を走った。しかし現実に年貢半減は財政が許さなかったこと、更には御用盗の件で薩摩藩の暗部を知ってしまった相楽は、新政府にとって邪魔な存在になってしまった。
相楽が東山道総督に呼び出され、「ニセ官軍」とされ捕らえられたのは、慶應四年二月。翌三月には取り調べもないまま捕らえられ、信州下諏訪で斬首された。享年30歳。