東本願寺
西本願寺が勤王であれば、東本願寺は佐幕。もともと徳川家康によって創建された徳川家所縁の寺である。
東本願寺 御影堂
文久三年(1863)正月、一橋慶喜は東本願寺を宿舎としていた。勤王の浪士たちが公卿千種有文の家臣、賀川肇を暗殺して、その首を東本願寺に投げ入れるという事件があった。
東本願寺別邸 渉成園(別名 枳殻邸)
贈従三位赤松小三郎先生記念碑
東本願寺の北東、地下鉄五条駅から歩いて数分の場所に赤松小三郎記念碑が建つ。記念碑と刻まれているが、この地で赤松小三郎は暗殺されている。本来であれば、「遭難の地」であるが、「記念碑」となっているのは家の前に「遭難の地」の石碑があるのを嫌う住民のことを配慮したためだろうか。
赤松小三郎は信州上田藩の出身で、佐久間象山に蘭学を学び、勝海舟の門人でもあった。薩摩藩士を相手に軍学を教えていたが、佐幕派の上田藩に呼び戻されることになったため、薩摩藩の中村半次郎(のちの桐野利秋)、田代五郎左衛門に刺し殺された。中村半次郎は慶應三年(1867)9月1日から同年12月10日までの間、日記を残しておりそこに赤松小三郎殺害の件も記録がある。刀を抜いたところ赤松が鉄砲に手をかけようとしたので左肩から右の腹に斬り下げたと生々しく記述されている。中村半次郎は、「人斬り半次郎」と称されるが、実際に人を殺したというハナシは、実はこの赤松小三郎の件しか私は知らない。