東吉野 W
竜泉寺から国道を東へ進むと、道路脇に「天誅義士戦死の地」の石碑が見えてくる。松本奎堂・村上万吉の両人の墓碑への入口となっている。
行く手を伐採された木材で阻まれる
ここから900bという説明を信じて沢伝いに急峻な坂を登った。ところが途中から伐採された杉の木に前途を阻まれ前進できなくなって残念ながら撤退。敢えて墓碑への入口を史跡公園として整備するのであれば、目的地までの道はきちんと整備しておいてもらいたいものである。危うく遭難するところであった。
気を取り直して反対側から笠松山頂の再挑戦する。旧国道を東進して木津トンネルを過ぎたところで右折し、伊豆尾地区に入って更に道なりに行くと、松本奎堂・村上万吉戦死の地の入口である。ここから目的地までやはり900bであるが、道はコンクリートで舗装されているのでずっと歩きやすい。
天誅組総裁 松本奎堂先生戦死之地
松本奎堂は、天保二年(1831)三河刈谷藩士軍学師範の印南家に生まれた。十八歳のとき、槍術の練習中に相手の槍が左目に刺さり失明した。昌平黌に学び、藩政にも携わったが、言説過激に走り用いられることがなかった。やがて京都に走り頼三樹三郎、梅田雲浜らと交わり、勤王活動家の中心的な存在となる。名古屋、大阪で私塾を開いたのち、淡路の古東領左衛門宅を拠点として事を謀った。天誅組組織化に中心的役割を果たし各地で奮戦したが、十津川陣中で両目を失明してしまう。
松本奎堂辞世
君がためみまかりにきと世の人に語りつぎてよ峰の松風
村上萬吉戦死之地
九月二十四日、松本奎堂は藤本鉄石や従者村上万吉とともに笠松の庄屋松本清兵衛宅に泊まった。日が明けて二十五日の昼過ぎ清兵衛の案内で御殿越峠頂上付近まで来ると、銃声に恐れを成した清兵衛や駕籠かきたちは奎堂らを放り出して逃散してしまう。尾根伝いに1500bほど東へ進んだところで紀州藩・彦根藩兵に発見されて村上万吉とともに銃殺された。三十三歳。
宝蔵寺
宝蔵寺はしだれ桜で有名らしいが、訪れたのは夏の盛りであった。本堂の裏に池田謙治郎の墓がある。池田謙治郎は近江信楽谷郷士。藤本鉄石の門下生で、天誅組挙兵に加わり各地で奮戦した。九月二十五日、藤本鉄石から軍用金百両を預かって大阪に急いでいたが、谷尻まできたところで軍用金が紛失していることに気が付き、責任を負って自刃した。わずかに二十二歳であった。
池田謙治郎之墓
(たかすみの里)
天誅組終焉の地展
たかすみの里というのは史跡ではなくて、東吉野村平野郷にある温泉施設である。たかすみ文庫という展示室を併設しており、私が東吉野を訪問したとき、たまたまここで「天誅組終焉の地展」という展示会を開催していたのでここまで足を伸ばすことにした。
天誅組義士の書簡、遺品などを展示している。期間は平成十七年九月末日まで。