

郡山宿は、西国街道に設けられた宿の一つである。西国街道は京都伏見から西宮を結ぶ平安時代以来の交通の要路であった(西宮で中国街道に結んでいる)。新西国街道と呼ばれる国道171号線とほぼ並行して走っているが、道幅は狭く今日も尚旧街道の風情ある建物が残っている。
郡山宿本陣の建物は、享保六年(1721)の再建以来、ほぼ原型を現在に伝えている。また元禄年間から明治初年に至るまでの宿帳が残されており、中国四国の大名が参勤交代で宿泊していることが記録されている。記録によると赤穂城主浅野内匠頭も、刃傷事件の前年(元禄十三年 1700)に宿泊していたという。文久三年(1863)の七卿落ちでは、三条実美らとともに幼き日の明治天皇(当時は祐宮)も郡山宿まで連れて来られた。しかしこれ以上の旅は子供には無理であると、ここから京へ引き返したと伝えられる。
郡山宿本陣の見学には、10日前の事前予約と、最低限5名の見学者を募らなくてはならない。たかだか5名であるが、その5名が集められなくて、残念ながら未だ一度も内部を見学させてもらっていない。