上賀茂神社



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(上賀茂神社)
上賀茂神社

 鴨川を遡っていくと、西側が賀茂川、東側が高野川にV字に分岐する。ちょうどその付け根に位置するのが下鴨神社である。賀茂川に沿って北西に、北大路を抜けて更に進むと、上賀茂神社に到達する。

 何度も京都は訪ねているが、ここは初めてだなあ、と感慨に耽っていると、左手に富田病院が目に飛び込んできた。唐突に“超プライベート”な話であるが、ここが私の「生誕の地」である。勿論、石碑などは建っていないが…。
(神光院
太田垣蓮月尼の歌碑
 上賀茂神社から更に北西に「西賀茂の弘法さん」と呼ばれる神光院がある。幕末の女流歌人太田垣蓮月尼がここに隠棲していた。
太田垣蓮月尼茶所
 境内には太田垣蓮月尼の茶室が残されている。

 茶室に掛けられた説明によると、戊辰戦役の際、官軍の先陣薩摩兵の行列が三条大橋にかかったとき、短冊を持った老女が行列に進み出た。西郷隆盛が「何ごとか」と尋ねると、

「めでたきご出陣のほど承り、腰折一首差し上げたいと存じまして…。私は蓮月と申す尼でございます。」
 このときの歌は
「あだみかた(仇味方) かつもまくるも あはれなり おなじみくにの ひとと思えば」
というもので、西郷はこれを反芻して、
「よく分かりました。必ずよいように取りはからいますから安心してお帰り下さい。」
と蓮月尼を見送った。

 この歌で心の和んだ西郷と勝海舟との会談も談笑のうちに進み、平和裡に江戸城無血開城が実現したというのだが…。どうも美談すぎて私には納得がいかない。
(霊源寺
霊源寺
 霊源寺は、後水之尾天皇により寛永十三年(1636)に創建された。寺の創建に関わった仏頂国師が岩倉家の出身だったことから、岩倉家との深い繋がりがあった。文久二年(1862)、和宮降嫁を推し進めた岩倉具視は尊攘派に付けねらわれることになり、霊源寺に出家隠棲した。寺には、岩倉家の墓のほか、岩倉具視の歯を埋葬した歯牙塚がある。

岩倉具視歯牙塚