笠 岡



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(笠岡小学校
笠岡代官所跡・旧小田県庁門

 JR笠岡駅から真っ直ぐ北に伸びる大通りは、県庁通りという。県庁所在地でもない笠岡に県庁通りがあるのも奇妙だが、この通りの突き当たりにかつて小田県庁があった。

 笠岡の地は天領であった。元禄十三年(1700)以来、四十二代の代官がこの地を支配した。三十代早川八郎左衛門正紀のとき郷校敬業館を開設している。

 代官所は、維新後県庁に引き継がれ、当初は深津県、明治五年(1872)には小田県と改称された。当時、小田県は備中、備後の東部五郡五十三万石を抱え、岡山県、北条県を凌ぐ規模であった。その後、明治八年(1875)岡山県に合併された。
(敬業館跡
敬業館跡
 敬業館が開かれたのは、寛政十年(1798)年のこと。以来、明治十六年(1883)まで多くの人材を育てた。初代の教授は、神屋稲荷宮の宮司を務めていた小寺清先である。最盛期には備前、備後、安芸、豊後から多数の門人が集まり、講堂に入りきれなかったほどという。
思徳の碑(右)と小寺楢園先生之碑
 敬業館の遺構としては、塾舎として使用されていた建物だけである。建物の裏には「小寺楢園先生之碑」と「思徳之碑」が残されている。小寺楢園先生之碑の撰、書、篆額は、頼杏坪。思徳の碑は、代官早川八郎左衛門の徳を慕って建てられたもので、小寺清先の撰、書および篆額は頼山陽である。

小寺家墓地
 敬業館跡のすぐ近くに小寺家の墓地がある。初代敬業館教授小寺清先のほか、そのあとを継いだ三男廉之、克襄(完之)の墓がある。