和歌山 紀三井寺
紀三井寺
紀三井寺は、およそ千二百年前の宝亀元年(770)唐僧為光上人によって開基されたというふるい歴史を持つ。二百三十段に及ぶ石段を上り詰めると本堂が現れるが、向かって右側に階段があり更にそれを上がると墓地がある。その中に見廻組与頭、佐々木只三郎の墓がある。無数の墓石から佐々木只三郎の墓を探し出すのは容易ではない。人影のない墓場を右往左往してやっと発見した。
徳川家臣 佐々木只三郎源高城墓
佐々木只三郎は、会津藩士の三男として天保四年(1833)会津に生まれた。長兄は会津藩公用人手代木直右衛門である。佐々木は幼時より剣を学び、幕臣となるや講武所出仕を命じられ剣術方師範役となる。文久三年(1863)下命により清河八郎を一の橋で斬った。京都見廻組与頭として浪士の取り締まりに当たり、京都近江屋にて坂本龍馬、中岡慎太郎を暗殺指揮したと伝えられる。鳥羽伏見の戦いには遊撃隊隊長として奮戦するも敵弾を受けて重傷を負う。紀三井寺まで搬送されたが、ここで息を引き取った。三十六歳であった。