北 浜




(大阪会議跡

大阪市、京阪電車北浜駅を降りてすぐ、花外楼という料亭が明治8年大阪会議の開かれた会場である。今も花外楼は立派なビルとなって営業している。

 征台の役のあと、太政官政府の首座となった大久保は下野している木戸孝允を政府に呼び戻すために大阪会議を招集した。漸進的民権主義者である木戸に譲歩するために、大久保は緩やかな三権分立、憲法の制定を約束する。実際、その十数年後、帝国憲法が制定されている。

 嫁さんは結婚前に淀屋橋にある大阪支社に勤めていた。大阪会議の碑がこの辺りにあると言うのを信じて、寝入ってしまった2才になる娘をだっこして、嫁さんを案内に炎天下を探し回った。結局、通りかかった郵便屋さんに場所を教えてもらってやったと分かった。その日、花外楼は休みで、店の前にシャッターを下ろしており、大阪会議の碑はシャッターの奥に隠されていたのである。

花外楼

HOME  戻る
 平野屋は代々五兵衛を名乗り、平五と呼ばれていた。鴻池家と同様、当時大阪を代表する両替商であった。文久三年(1863)四月、新撰組は活動資金という名目で100両を借り入れ、それで隊服をあつらえたと言われている。

平野屋跡

「天五に平五 十兵衛横町」
(平野屋跡

 大阪美術倶楽部のビルの角に変わった形をした旧鴻池本宅跡石碑が在る。

 豪商鴻池は海運業、新田開発で巨万の富を築いたが、その財産を狙われる危険も感じていたようである。近藤勇や芹沢鴨らの上洛直後から鴻池家は新撰組に対し経済的支援を惜しまなかった。
旧鴻池家本宅跡
(旧鴻池家本宅跡
大阪会議開催の地

(大阪証券取引所
五代友厚像
 北浜の大阪証券取引所前に五代友厚の像が建立されたのは平成十六年(2004)である。五代友厚は大阪株式取引所の設立に尽力し、明治十一年(1878)にこの地で大阪株式取引所を発足させた最大の功労者である。