北野天満宮
北野天満宮
北野天満宮は、言うまでも無く菅原道真を主祭神とした「天神さん」である。私が訪れたのはちょうど梅の季節で、「いったい何事か」というほど凄い人出であった。
北野天満宮の最初の鳥居のたもとに新門辰五郎が寄進した石灯篭が建つ。新門辰五郎は江戸十番火消しの頭取で、一橋慶喜が上洛した際、警護のために子分を引率してつき従った。因みに新門辰五郎の娘、芳は慶喜のお気に入りの妾であった。鳥羽伏見の戦争では、慶喜が大坂城を脱出したあと、慶喜の置き忘れた金扇の馬印を担いで江戸まで持って帰った。慶喜が水戸に退くときも、涙をぼろぼろ流しながら水戸までついていったと言われる。侠気に満ちた江戸っ子であった。明治八年没。
新門辰五郎の名前が見える
北野天満宮の西北の隅に山国隊寄進の石燈篭がある。山国隊は、丹波国桑田郡山国郷出身の郷民で結成された官軍部隊で、西園寺公望の徴収に応じて慶應四年(1868)正月に結成された。戊辰戦争では中仙道から江戸、東北、会津を転戦した。毎年十月に開催される時代祭では行列の先頭を維新勤王隊が行進するが、山国隊の服装、装備をモデルにしたものである。
上七軒
上七軒は、今ではどちらかというと寂れた花街という印象があるが、幕末当時は祇園と並ぶ遊郭があった。
八木為三郎が伝える父八木源之丞の言葉によると、土方歳三は真黒い髪でこれが房々していて、眼がぱっちりして引き締まった顔で、要するに美男であった。土方歳三が文久三年(1863)十一月に南多摩の支援者小島鹿之助に送った手紙は女にモテたことを自慢するものである。「京にては島原花君太夫、天神一元、祇園にてはいわゆる芸妓三人ほどこれあり、北野(上七軒)にては君菊、小楽と申し候舞妓…」この手紙を読まされた方はどういう気分であったろう。