霊山・高台寺 U



(霊山護国神社 つづき

右から高杉晋作・久坂玄瑞・

寺島忠三郎・入江九一の墓
 更に歩を進めると、長州出身の志士たちの墓域に至る。
その横に元治元年の禁門の変により戦死した長州藩士の墓が建ち並ぶ。
木戸孝允の墓
木戸夫人 松子の墓
木戸孝允 顕彰碑
 墓域の一番高い場所に、木戸孝允夫妻の墓がある。木戸孝允は、西郷、大久保とともに「維新の三傑」とまで呼ばれるようになったが、死に際して維新の戦火をくぐった同胞らの元で眠ることを望んだ。
梅田雲浜の墓

 安政の大獄で、獄中で病死した梅田雲浜の墓もある。雲浜は小浜藩士。藩主酒井忠義は京都所司代に就任していたが、外国との条約不可を叫び、大老井伊を退けて幕政改革を図ろうとしていたことが酒井の耳に入り、幕吏に捕らえられた。

 これだけの事歴だけだと雲浜は立派な憂国の志士であるが、一方で酒癖の悪さは相当のものであったらしい。
 霊山には、この他にも岩倉具視の片腕として暗躍した玉松操や、筑前の平野国臣、土佐の吉村寅太郎の墓などがある。維新関係資料を展示する霊山歴史資料館も隣接しているが、私の訪れた日は休館であったので、またの機会に譲りたい(月曜休館)。

(霊山歴史館
霊山歴史館
 霊山歴史館は昭和四十五年(1970)の開館。幕末維新専門の歴史資料館である。ちょうど大河ドラマ「新選組!」に合わせて新選組展を開催していたので、訪ねてみることにした。入口を入ると正面には平野国臣の辞世「憂国十年東に走り西に馳す 成敗天に在り魂魄地に帰す」が全文漢文で掲げられている。

(青龍寺
青龍寺
 霊山護国神社に至る参道の途中に青龍寺がある。
 青龍寺には成就院の寺侍として月照に仕えた近藤正慎の墓と記念碑がある。安政の大獄で投獄された近藤正慎は六角獄舎で厳しい拷問を受けるが、最後まで月照の所在を明かさず、獄中で舌を噛み切って死亡した。43歳。
近藤正慎の墓

 高台寺は、豊臣秀吉の正室北政所(寧々)が秀吉の死後菩提を弔うために創建したものである。
高台寺
(高台寺
 同年十一月十八日、彼ら高台寺党は新撰組の手により七条油小路で斬殺された。

 新撰組参謀伊東甲子太郎は、御陵衛士を拝命して新撰組を離脱した。慶応三年(1867)というから、幕府の命運も尽きようとしていた時期である。伊東とともに新撰組を脱したのは、鈴木三樹三郎(伊東の実弟)、藤堂平助、服部武雄、篠原泰之進、斎藤一ら十六名。彼らは高台寺党と呼ばれた。

伊東ら御陵衛士が屯所としていた
高台寺月真院
HOME  戻る