

京都府庁の場所は、幕末に京都守護職が置かれていた。守護職の役料は五万石で、周辺にあった民家をことごとく買収して、広い屋敷を構えた。京都守護職松平容保は孝明天皇の厚い信頼を得て、浪士を弾圧し市中取り締まりに懸命の働きを見せた。このため一身に怨恨を集めることになり、戊辰戦争では会津藩は最大の朝敵として討たれることになった。
容保は、維新後も長命したが、世間との交流はほとんど絶って、何を聞かれても語らなかった。ただ首から竹筒を下げ、それを肌身離さなかった。死後、遺族が竹筒を開けて見ると孝明天皇の書簡が一通入っていたという。容保の死は明治二十六年(1893)十二月。59歳。