松屋町
ここはぜんざい屋の石蔵屋があった場所で、志士の潜伏先にもなっていた。志士の不穏な動きを察知した新撰組、谷三十郎、万太郎兄弟は慶應元年(1865)一月八日に石蔵屋を襲撃し、そこにいた土佐藩士大利鼎吉を討ち取った。
贈正五位大利鼎吉遭難之地
書は田中光顕。碑の背後には大利鼎吉の辞世が刻まれている。
大利鼎吉(おおりていきち)は、このとき二十四歳。幼時より武勇を好み、土佐勤王党に加盟すると脱藩して長州に走った。禁門の変では忠勇隊に属して蛤御門に迫ったが、敗れて長州に逃れた。再び上方に出て形勢を伺い、同志の大橋慎三、浜田辰弥(のちの田中顕助)、那須盛馬(のち片岡利和)らと倒幕の策を練っているところを新選組に襲われた。当時、大橋らは外出中で大利鼎吉一人が残っていた。